廃線レポート  
森吉森林鉄道 奥地編 最終回
2003.11.17



 二度にわたる森吉森林鉄道の探索は、いよいよ、最終局面を迎える。


作業道路と化した軌道跡
2003.10.8 10:42


 道を塞いでいた材木を乗り越えて、先へと進む。
どうやら、最近も車輌が往来しているようで、足元の泥の轍は非常に深く、まるで、セメントのように粘着質の泥の沼と化している。
スニーカーなど、容易に飲み込む勢いだ。
これでは、一般の車輌は通行できない。



 また、ずっと平行してきた土沢も、最終的な状況となっていた。
流れはよどみ、切り立った峡谷の底には、エメラルドグリーンの水が満々と湛えられている。
もう、そこは太平湖の末端と化していた。
ちょうど、粒様沢との合流点付近から湖の一部となっているようだが、これは私にとって重大な意味を持っていた。
なぜならば、もう、迂回できないからである。

対岸を見てほしい。

あそこに、はたして軌道跡などあろうか? …無さそうだ。
ならば、あそこの崖を、歩いて横断できるだろうか??
…これは、絶対に無理だろう、少なくとも、私の装備では。
だとすれば、ここまで対岸へと渡る術がなかった以上、ある事実が、決定的になった。

前回到達点である4号隧道を含む下流側へと進むには、どこかで対岸に渡らねばならないが、どうやら、この湖を渡らねばならぬようだ。
この事実は、後には引けぬ私の心情に重く、圧し掛かってくるのであった。


工事現場 そして…
12:01

 泥濘に阻まれるかと思われたが、すぐに車道は終りを迎えた。
そこは、なにやら工事の真っ最中で、私も、そして現場のおじさんたちも、互いの存在を驚いた。
写真は、そそくさと現場を通り過ぎた後に、振り返って撮影した物である。
一体何の工事をしていたのか、よくは見ていなかったが、道路工事ではない。
林業関連だろうと思う。

先ほどの地点で、相手は材木を積み上げ「通行止め」を暗に主張していたのである。
なんとなく、咎められるのではないという気がして、挨拶もそこそこに、通り過ぎたのだが、もっと話を聞いておけば、後の探索が楽になるかもしれないな、そう後悔もした。
だが、それは取り越し苦労だった。

そ れ は、もう、そこまで迫っていた。






 発見だった。

12時1分30秒過ぎ、遂に、夢にまで見た光景が、現実の物となったことを知った。

約100mほど前方、湖に架かる赤い鉄橋の姿。

森吉森林鉄道の中枢部への切符が、いま、我がもとに!!

この、発見の瞬間の興奮は、今でも忘れられない。
それは、あの万世大路にて、数時間の苦闘の果てたどり着いた峠の隧道以上のアツさだった。
なんせ、この発見は、自分の中で前例の無い、「私が始めて」の物だったから。
もちろん、私が他の人の発見の話を知らないだけだが、それでも、

十二分に、アツい!


軌道分岐と、鉄橋
12:05


 現場を過ぎると車道は潰え、数時間前に苦闘した景色によく似た、軌道跡の廃道が始まった。
草に覆われ、落石に晒された道は困難だったが、まるで雲に乗ったように足取りは軽やかだった。

いま、かつて誰もなしえなかった(かもしれない)、長大軌道隧道(はたして何キロあるのか?)へ、足を踏み入れるチャンスを、手に出来そうなのだ!
すぐ、そこにあるのだ!!

雑木林のような道に嫌がるチャリを強引に引き、あの橋の袂を目指す。




 途中、また鉄塔を発見した。
土沢林道が沢沿いに降りてすぐの場所にも、ただ一本だけ路傍に見つけているので、今回、3本目の鉄塔だ。
しかし、前回の探索以来、皆様からの情報を多数頂き、この鉄塔はどうも電話線用のものではないかという結論に至ったのだが、余りにも残存数が少なくは無いか?
その殆どが倒伏しており発見できていないだけかも知れないが、この程度の低い鉄塔で電線を張るならば、10m置きくらいに鉄塔があったと考えられるが、余りにも発見数が少ない。
レールがそうであったように、鉄塔もまた、廃止後再利用せんと、持ち出されたのか?


 そして、遂に私は、その鉄橋の前に立った。

本橋は、多分「5号橋梁」ということになろう。
7号、6号と、共に落橋もしくは撤去となっていたが、幸い、本当に幸いにして、湖を渡る本橋は現存している。
小又峡へ向かう遊覧船が潜る鉄橋もまた、これとよく似た赤い鉄橋なのを以前確認しているが、あっちは、3号橋梁と推測される。
2号、4号は何れも湖岸に架かるものと地形的に推測されるが、未発見だ。
もし、湖畔の鉄橋が落ちていれば、ここで探索は終わっていたに違いない。

かつて、この地点で3方から集まったレールが合流していたはずだが、信じられないほど狭い。
また、鉄橋へと向かう部分には、廃レールを足にした大きな看板が立っている。
だが、錆びによって、その表面は全く判別できない。
「危険なので立ち入り禁止」とか、書いてあったのだろうか?


 逸る気持ちを抑え、敢えて鉄橋ではなく、湖畔の軌道跡に目をやる。
これは、このまま湖畔を進み、約3km〜4kmほどで、落橋している6号橋梁(地点)に至るはずだ。
その間は、未探索だが、相当の困難が予想される。
ただし、徒歩であればたぶん突破は可能だろう。
私のように林道経由だと、はるばる10km以上も大回りしてここまで来ることになる。


5号橋梁に挑む
12:06


 やるべきことは、もう、ひとつだけ。
この鉄橋を渡り、対岸に眠るであろう、幾つもの長大隧道の全容を解明することだ。
もう、目的はすぐそこに見えている。
雨に耐え、何時間も掛けて、ここを目指して来た。
それだけではない、3週前の無念の撤退以来、幾夜も夢に見た。
リベンジの機会を窺い、計画を練ってきたのだ。

いまこそ、森吉森林鉄道に、我が力を見せ付けねばならない。
引導を渡すときが、来たのだ。

今だ!
今だ!!

今だ!!!


…おかしい。

 あ、あしが、
足が動かない。
こんなことは、初めてだ。

どうしたんだ、俺の足。
どうしちまったんだ!



 正直に言わねばならない。

わたしは、この橋を渡ることが、出来なかった。


松ノ木のときもそうだった、行くべきか、行かざるべきか、葛藤した。
十分に、検討した。
様々な角度から、現状を考察し、本橋突破の可能性を模索した。

その結論として、本橋は、素人が何の準備もなく突破することは困難と判断した…。
いや、この表現では、まだ正直さが足りないな。

ぶっちゃけ、恐すぎて、渡れなかった!!!

これが、事実だ。

このときほど、プレートガーターという構造を憎んだことはなかった。恨んだことはなかった。
廃道だ、手摺やガードレールなど無くても、我慢しよう。
だが、これはなんだ!
写真を見てくれ!!
こんな、怪しげな足場を、30メートルも歩けようか。
左右どちらかのツブツブのいっぱい付いた鉄骨上を進む意外に術は無いが、私には無理だ。
この日は、風は無い。
湖面の穏やかさからも、それはお分かりいただけよう。
恐怖さえ殺せれば、物理的には、この突破は不可能ではないはずだ。
平均台だと思えば、こんな30メートル取るに足らないかもしれない。
だが、当たり前のことだが、これは 現 実 以外の何物でも無いのだ。

もし万が一、足を踏み外すことがあったら…。

普段着で水に突然落ちると、普段泳げる人でもまず溺れるという…。
まして、私は泳ぎの上手な方でもない。荷物も背負っている。

確実に、死ぬ。

死にたくない。




 色々な角度から、橋を眺めてみる。
もちろん、この橋を使わずとも先へと進めないかも検討した。
だが、それがかなわないことは、付近に全く他の橋の存在が期待できないことからも、歩渉不可能な湖面の存在からも、明らかだった。

橋は、まるで私の挑戦を待ち受けるかのように、全く持って“健在”な姿で、そこにあった。
これだけの廃道になって、橋は全然現役に利用できそうに見える。
もっとも、竣工後まだ50年足らずであり、真っ当なプレートガーターだったらまだまだ耐用出来ることも不思議は無いが。
しかし、他の遺構が斯様に失われていることを考えれば、やはり、アンマッチだ。

いっそのこと、橋など落ちてしまっていたほうが、どんなに気が楽だったか。

渡れない橋など、橋では無いのだ。

悔し涙が、こぼれそうになる。


私は、この橋を、わたなかった。

ゆえに、2003年11月17日現在、この先の景色は、全く不明なままである。

これが…、事実である。
きっと、安全を選んだ英断と、慰めてくれる人もいるだろう。
生還してこその山チャリだという「きれいごと」も、誰も否定しないだろう。

そして、私もこの決断は評価している。
もし、…またあの「松ノ木」の時のように無茶をしたのなら、例え幸運にも生還したとしても、多くの収穫を得たとしても、自己嫌悪に陥ったことは明白だ。
ここは、引き返すのが、本道だと思う。

頭では、そう分っていても…。
そこに道があることを知っていながらの、撤退。
その悔しさが斯様に大きな物だとは!!

本当に悔しい。
詳細は後述するが、リベンジは絶対だ。

「山さ行がねが」的に、最も悔しい撤退。


 そこに道があるのに、己の能力や準備不足で、進めないこと。

撤 退 !
12:18


 けっきょく、対岸へと渡ることの出来なかった私だが、見渡せる範囲で、その先にあるべき長大隧道を探してみた。
写真は、望遠方向に最大まで寄ったものだが、残念ながら、橋の向こうも物凄い薮化が進行しており、隧道らしき姿は見えない。
ただ、地形的に、対岸は取り付く場所も無いような断崖に支配されており、橋を渡り、そのまま隧道(7号隧道?)へと侵入していたと考えられる。

よって、残念ながら、坑門が既に閉塞してしまっている可能性も、否定できない。
いずれにしても、この先にあるべき隧道は、路線中最大と目されているものに間違いは無く、その全長は前代未聞の2kmクラスも、想定されている。



 対岸に聳える強烈な崖山。
ここをくり貫く隧道が、次のターゲットとなるわけだが…、今回は、断念せざるを得なくなった。

先ほど、リベンジを誓ったばかりだが、一体どのような方策があるか、検討中である。

シンプルなのは、頑張ってこの橋を渡ってみることだが、これはちょっと時期を変えても難しいと思う。
渇水期など、湖水が引いて、歩渉が可能になれば、対岸を目指すことも出来なくは無いだろうが、水量は決して少なくは無い。
最も現実的なのは、ボートなどを利用して対岸に取り付くことで、私には免許も無いので不可能だが、協力者を得て、電動機つきのボートの運用が可能になれば、広大な湖畔全体を一気に探索することも、可能になるかも知れない。
忘れてはならないのは、本橋を攻略できなかったことからも分るように、同様に湖畔に架かる鉄橋が出現した場合も、徒歩ではまず、攻略できないということだ。
とくに、沿線中最大規模と思われる、小又峡の入り口にかかる3号橋梁?は、歩いて渡るのはごめんだ。
このことからも、ボートの利用は、最も効果的と思われる。

太平湖にて、ボートを運用できる、協力する用意があるという方はぜひ、ヨッキれんまでお力をお貸し願いたい。
まずは、こちらからメールを頂ければ幸いである。


また、別の手段として、前回断念した、4号隧道側からの攻略もありえる。
隧道を突破するための手段を、現在検討中である。




 断念・撤退のオンパレードを余儀なくされた、今だかつて無い“強敵”、森吉森林鉄道。

いまだその全容は解明に程遠い。

この地に、わが歓喜の叫びが木霊する日は、はたして来るのだろうか。

腰抜けぶりを暴露してしまった私だが、それなりに命を懸けた戦いは、なお、続くだろう!




 付録 探索地図 <これまでの探索の成果>

赤線は、軌道跡探索完了部分。
黄線は、軌道跡未探索部分。
黒線は、アプローチ道路部である。






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