廃線レポート  
森吉森林鉄道跡 探求編 最終回
2003.12.24



 5号橋梁へのリベンジを果たすも、その先の7号隧道の攻略には欠かせないボートの運搬に失敗。
頼みの綱を失ってしまった3人を、夕闇が包んだ。

時刻は、16時5分。
急激に暗くなってゆくなか、我々に許された時間は、長く見積もっても、30分。
それ以上は、再び日が昇るまで探索不能となるだろう。

私の頭には、ひとつの考えが、まとまりつつあった。
それは、ある一つの決心であった。
支えたのは、ほかならぬ、仲間たちの存在であった。
何かを、相談したわけではない。お願いされたわけでもない。

だが、私は、
もう一度だけ、隧道へと向かうことを、決めた。



 7号隧道 最終探索
2003.11.30 16:11

 この時初めて、7号隧道の前に3人が一同に会した。
そして、やはり如何ともしがたい水没を、3人は、認めた。
私は言った。

「着替え持ってきてるから、ちょっとだけ、行ってみるわ。」

そう言い放つと私は、坑門にもぐりこむとそのまま、斜面を下った。
3歩も歩けば、そこはもう、水没していた。
さらに、一歩。
もう、長靴は水没し、痺れるような冷たさが、膝から下を包み込んだ。
立ち止まらず、さらに一歩。
陸から1mほど進んだだけで、もう、太ももまで水に沈んだ。
この深さは、仁別の峠越え隧道に踏み込んだ(そして驚いて撤退した)時の深さに等しく、また、万世大路は栗子隧道福島側坑門で、やはり一歩踏み込み撤収した時の、その深さにも、等しい。
すなわち、それは自己最大水深ということだ。

だが、このときの私は、全く動じなかった。
なんといっても、坑門では、二人の仲間が、喝采を上げて、見守ってくれている。
パタ氏の持つ、単一電池を6本も使用する強力なハロゲンライトのオレンジの明かりは、私を照らし出し、目の前の水面に影を落とすほどだ。
怖くなど、無い。

さらに、一歩。
岸から手の届かない位置まで来たが、深さは増すばかりであった。
写真は、HAMAMI氏が撮影した物である。
既に私は、自己最大水深を遥かに超え、下半身の全てを水に沈めていた。
ここまで来ると、冷たさは体の一部のようになり、苦しくは無い。
普段味わうことの無い、奇妙な浮遊感を受けながら、さらに、次の一歩を踏み出す。

当初、下半身を沈めることは、覚悟していた。
だが、その深さは、私の予想を超えつつあった。
しかしまだ、私は止まる気など無かった。



私と、隧道との、我慢比べとなって来た。

車に戻れば、着替えがある。
そして、ここは橋を一本渡ればすぐに車に戻れる場所なので、いわば、この探索は使い捨て感覚だ。
これは、かつてないほど、私の気持ちを大きくした。
故に、水が冷たいとか、体が濡れるのが嫌だといったレベルでは、私を止めることは出来ない。
また、水面下は流石に光も届かず、足元の様子は殆ど分からないのだが、それでも、泥などの堆積は少なく、歩きにくいというほどでは無い。
これもまた、恵まれていた。

だが、このような、好条件下でも、不可能なこともある。

その一つとしては、限界以上に深くなること。
この場合であれば、私が手にしたデジカメの位置が、限界の水深となる。
このデジカメを濡らさないようにしなければ、これまでの探索の成果も無駄になりかねない。
防水性のあるデジカメならば、泳いで進むことも選択肢になりえたが…。

そして、その限界は、着々と迫ってきていた。
まだ、深くなるのか?
私は、坑門から10mを進んだ辺りで、ついに、へそまで水没してしまった。
両手で眼前に構えたカメラまで、あと、30cm。



 へその上の辺りまで水没した私の体。
すぐ背後からは、「すげー」などという歓声が聞こえてきて、私を励ましてくれる。
さすがに、一人だったら、たとえここまで車で来ていたにしても、こんな真似はしたかどうか?



 振り返れば、すぐ傍に、明るいハロゲンの光。
この光が、だいぶ先まで照らしてくれていたから、恐怖もだいぶ、薄らいだのだ。

さらに進む。



 コンクリートの覆工はすぐに途切れ、荒々しい素掘りとなる。
垂れ下がった電線は、赤と黒。
水面ぎりぎりにまで、迫っている。

最初、右の壁に沿って歩いたが、まもなく、左の壁伝いに、進路を変更した。
そのほうが、歩きやすいから。


 水深は、まだ少しずつ深くなり続けていたが、その傾斜は急速に鈍り、ほぼ、平坦となった。
しかし、現在の水深は、限界ぎりぎりの、胸のラインまで来ていた。
さすがに、ここまで来ると恐怖も相当にある。
水流はまったくないので、万が一転倒しても、溺れる恐れはないが、撮影データは完全に失ってしまうだろう。
それだけは、避けなければならない。

自分でも、凄いことしていいるなー、と、オイシイ気持ちになった。
だって、まさかボートが無いからって、単身入水することになるとは…。
30分前には、まったく考えていなかった。



 再び、HAMAMI氏撮影の映像。

そしてこれが、私がここで彼から撮影された最後の姿だ。
胸まで沈んだ姿。

私の背後の水面も至って静かなままであるが、これは、非常にゆっくりとした速度で、慎重に進んだためである。
一歩一歩、確かめながら、恐る恐る、進んだのである。

 この写真からも、水面が相当に迫っているのがお分かりいただけるだろう。
それはそうと、この隧道、水没していなければ容易に探索できたと思われる。
内部の状態は綺麗で、崩落などはほとんど見られない。
不思議なのは、その内壁が小刻みにコンクリート覆工と、素掘りを繰り返すことだ。
坑門付近は10mほどコンクリだったが、その先、50mほどは素掘りである。
と思えば、緩やかな右カーブが始まるとすぐ、再びコンクリが見えてくる。


 ちなみに、今回のレポートに限らず、隧道内部写真として公開しているもののほとんどは、画像処理によって明るさを増している。
たとえフラッシュを焚いていたとしても、出来上がったままの写真は光量不足により、ほとんど真っ暗なのだ。
だから、公開されている写真は、実際に私が見ている光景よりも明るい。
敢えて実感される明るさを再現すれば、右の写真程度だ。
それでも、自身のヘッドライト以上に、50mも離れた坑門から照らすハロゲンライトは強力で、いつも以上に明るい探索となっている。


 緩い右カーブとなっており、その先には、パタ氏の光も届いていない。
当然のように、私の明かりなど、目の前の水面をテラテラと光らせるので精一杯だ。
水深も水底も安定しており、心持ち、浅くなってきている気もする。



 近づくまでは気がつかなかったのだが、コンクリートに内壁が切り替わる直前は、私が伝って来た右側の壁が深く抉れており、口径が広がっている。
規模が大きな退避坑の跡だろうか。

全身に震えが来た。
興奮のため、あっという間の探索だと思っていたが、実はもう、入洞から6分を経過していた。
思うように速度は出ず、分速20mくらいしか進めていない。
隧道は、ずっと奥まで続いているのがわかる。
見えている範囲以上に、きっと続いている。
そんな気がする。
この隧道はまだまだ崩壊するほど、傷んではいない。
水圧が、隧道を押しつぶさんとする地圧に抗っているためだろうか。




 半身を沈めても良いと決心したとき、そして、実際に体を沈め、尚も前進できている自分を確認したとき、私は内心、勝利を確信した。
「私を本気にしたお前の負けだ。」
そのような、驕り高ぶった態度で、私はここまで前進してきた。
だが、私の自信は、徐々にだが、崩れ始めていた。
確かに、地底湖の深さは私の足を鈍らせはしても、止めはしなかった。
だが、体力は無尽蔵ではない。
そして、暗い地底の湖に体を浸からせることは、生命力だけでなく、精神力も一気に疲弊させていく。
入水直後の熱狂が、全身に広がった猛烈な寒さと、底知れぬ闇の深さにあてられ、

…醒めた。



 振り返ってみると、自分でも驚くほど、私を照らす明かりは弱々しくなっていた。
しかも、隧道自身のカーブのため、もう直接坑門は見えず、壁や水面に乱反射した光が、まるで海に落ちる夕日のように輝いていた。
それでもまだ、盛んに声を掛けて励ましてくれているのが聞こえている。
洞内に反響する、三人の会話。

「大丈夫かー?」

「大丈夫だー、だいぶ浅くなってきたー!」
「もう少しだけ、進んでみる。」

「気をつけろよー。」

「ほーい! あと少しだけー。」


もう、外はかなり暗くなってきたのだろうか?
待っている二人は、退屈ではないだろうか?

だけど、もう少しだけ、もう少しだけ、進んでみよう。
なにか、見えるかもしれない。
もう少しだけ…。



 内壁は、ご覧のとおり、綺麗な状態。

なぜこのように変則的な覆工が行われたのだろうか?
坑門付近は確かに崩落のウィークポイントとして、施工された理由も推定できるが。
内部については、軟弱な地質を貫通する部分のみ、補強の意味で、施工されたのだろうか?


 さらに進むと、また素掘りに戻った。
ここまで坑門からの距離は、300mほどと推定される。
なおも、前方に明かりは見えない。

天井には、相変わらず定期的に碍子が設置され、電線も健在だ。
そしてついに、ここでまだ落下していない電球を発見した。
「赤」と「黒」の電線を接続する線に、ぽつんと、まるで果実のようにぶら下がった、豆電球。
それは、通電によって再び明かりを取り戻すのではないかと思えるほどに、綺麗な白色をしていた。

これだけ保存状態の良い本隧道だが、レールや枕木が存在するか否かについては、私が終始隅を歩いていたために、確かめられなかった。
ただ、どうも、残されてはいないような感じはする。


 そしてさらにすすむと、またすぐに素掘りに戻る。
そこで、また振り返る。
そろそろ、入洞から10分を経過していた。
そして、坑門から照らす明かりはすでに届かず、私のヘッドライト一つでの探険となった。
初めは、常に大声でパタ氏達と声を交わしながら進んでいたが、気がつけば、無言。
…音が、かなり小さくなってきた。
もう少し進んだら、まったく届かなくなるだろう。

…深い。

どこまでも、深い。



 なおも進んだ。

水深は、一時よりも明らかに浅くなっており、股の辺りまでの深さである。
歩くペースも、速くなってきた。
どこまでも、歩けそうな気がしてきた。
体は、妙に、温かい。

再び現れた広い退避坑と、コンクリートの覆工部。
しかし、今度は少し様子が変だ。


 中途半端に、左右の壁だけがコンクリートで固められている。
隧道の断面自体は、非常に広く、ここはもしかして…。

もしかして、隧道内に設けられた交換施設だったのかもしれない。
この区間は、隧道と橋がそのほとんどを占めており、ありえないことは無い。
さらに、私は見た。

闇に阻まれ距離は測れないが、隧道のずっと先、本当に微かな明かりが、ぼんやりと見えたのだ。(写真には写らなかった)
それは、間違いなく、反対側の坑門だ。
やはり、隧道は貫通していた。
その喜びに、坑門で待つ二人に向かって絶叫した。

「出口だ!」

だが、その出口は、いったいどれほど先にあるのか…。

結局、私はその答えを得ることが、

いまだ出来ていない。


 そこから先、私は光に導かれる羽虫の様に、無心になってその明かりを目指した。
辺りは、本当に静かだ。そして、暗い。
私が水を掻き分ける、その音だけが洞内に反響している。

明かりは、歩けども歩けども、一向に、大きくはならない。
そして、微かな声が、私を夢幻の世界から呼び戻す。

「 暗 く な っ て き た 帰 っ て 来 ー い!」

パタ氏の絶叫だ。
探索の打ち切りを告げる声。
だが、悔しさは余り無い。
私自身、もうすでに当初の探索予定時間を超えているだろうことは、感じていた。
そして、ここまできたのに要した時間に近い時間を掛けて戻らねば、生還は無い。

安心という言葉のほうが、そのときの私の気持ちに近かった。


最深部で撮影した映像は、残念ながら、何も写ってはいなかった。
右上の写真は、引き返し始めてすぐに、撮影したものだ。
ぼんやり見えるハロゲンの灯りが、私の灯台となって導いてくれた。
遠ざかるとき、私が追った光は、青。
引き返すとき、私を導いた光は、赤。
まるで、対照的な色である。 生と死を、イメージさせた。

カメラに記録された時刻によれば、このとき入洞から10分を経過していた。
7号隧道。
その貫通を確認し、撤退。 





 5分後、私は無事に戻った。
やはり、この坑門付近がもっとも深く、胸まで水に浸かる。

狭い坑門をふさぐように待ち構える二人の仲間。
こんなに嬉しい帰還は、今まで経験したことが無かった。
表情は見えないが、二人の声が笑っている。大笑いだ。
また新しい伝説が生まれた、などといってくれる者もいる。
私は、表彰台に上るライダーのように迎えられた。

二人のサポートがあって初めて、自ずからこの入水探索を企てたのだ。
私に出来るのは、こんな、無鉄砲で力任せの探索でしかない。
褒められたものではないはずだ。
慎重で賢明な判断で、何度も私を助けてくれた二人が、少しでも充実した気持ちになってくれたとしたら、私にはそれ以上望むものは無い。
何度も言うが、今回の探索は、二人がいてくれてたから、出来たのだ。


7号隧道について、3人による探索の成果として…

内部500m付近から出口が見え始めるが、相当に遠く、全長1km以上は間違いなくあるだろうことが分かった。
通行できないほどの崩落は無く、十分な時間さえあれば、入水での貫通の可能性は残った。
ただ、これは私の私見だが、地形的に出口側の坑門は此方よりも低いと考えられ、プールはより深い恐れもある。
これを加味して、やはりボートでの探索を、次回希望したい。
(真夏だったら、泳いでもいいか?)



 喜びを分かち合い。
大声で笑いながらも、すぐに撤収を開始した。
現在時刻、16時25分。
写真分かりづらいが、もう、あたりは夜になっていた。

そして、水から出てからが、真に寒かった。
震えのため、まともに喋れないのは、寒い日のプール授業の時以来だ。
命の灯が消えかかった「河北林道濡れ突破」の時よりも酷い寒さだ。
そりゃそうだ。
気温5度のなか、私はほぼ全身がびしょ濡れなのだから。

橋を、慎重かつ大胆に渡り、持ってきた道具やリュックを3人で持って、急いで車へと戻る。
そして、車に到着したそのとき、私にとっての森吉林鉄探索は、一つの幕を迎えた。
もっとも、パタ氏とHAMAMI氏にはこのあと、真っ暗闇となった林道を延々と運転して帰るという大業が残っているのだが。


 生還 と 犠牲
16:40

 半日に及ぶ森吉探索の末、4号隧道の坑門の位置をある程度特定することが出来た。
また、付け替え線以前の遺構と思われる、ダム堤体隧道の深部を確認することも出来た。
そして、5号橋梁の突破を果たし、その“梁渡り”の技法をも確立した。
7号隧道においては、往時を知るための貴重な遺構の数々を発見すると同時に、その出口を遠目にではあるが、確認するに至った。

失敗や、損失もあったが、有意義な探索を、今ここに成し遂げた。

個人的には、一つ思いがけない犠牲もあった。

入水探索時、ケータイをズボンのポッケに入れたままだった。
当然のように、ケータイは死んだ。電池が切れるまで、バイブを続けながら。

だが、その後、数日にわたり乾かし続けた結果、奇跡的に復活。
…ただし、全てのメモリーが消え初期状態に戻った上、深刻な後遺症−電池満タンから8時間で電池切れ−が残ったが。

今も私は、それを使い続けている。
森吉の美しい地底プールの記憶を、そっとポケットに忍ばせる男…。








 完 



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