廃線レポート  
森吉林鉄 第W次探索 その4
2004.5.8


 休 息
2004.5.4 9:47


 これが、今まで私を二度も退けてきた4号隧道の、届かなかった坑口である。
やっと、私はここまで来た。

私一人の力ではない。
むしろ、くじ氏を始め、多くの同胞達の精力的な活動によって、ここまでの道が切り開かれたのである。

自身の力だけで到達する喜びは、かけがえのないものである。
しかし、仲間達の協力に頼って得られた収穫は、けっして思っていたほど味気ないものではなかった。

到達の喜びと興奮は、決して劣るものではなかった。


 HAMAMI氏は、水没の元凶であるところの、坑口へと落ちる滝に半身を打たせた。
こうして、転倒で汚れた部分を洗い落としたのだ。

それにしても、凄い滝だ。
坑口前は深さ3mほどの切り通しが30m程続いており、切り通しの左上部の沢が集めた水はすべて、この切り通しに落ちている。
本来はコンクリートの水路がもっと後方まで続いていたようだが、これが土砂に埋没しあふれ出しているようだ。
この滝自体は、天候にかかわらず存在しているらしく、4号隧道の水没の大きな原因となっているに違いない。




 坑口の先は切り通しであり、さらにその先は雑木林となっている。
ふかふかの落ち葉の絨毯が沢底を埋めており、容易には到達できない場所とは信じがたい、安らぎの景色である。
写真の白さは隧道内との急激な温度差によるレンズの曇りによるものだ。
実際に空気の生ぬるさが、肌に感じられる。

夢中の余りその経過に気が付かなかったが、我々は4号隧道の突破に、ほぼ1時間を要していた。
しかし、相変わらず森吉は強い雨の中にあった。
どうやら、この雨は我々を逃してはくれないようだ。


 0952
我々は二艘のボートを坑門内に放置して先へと進むことにした。
この先には、2号橋梁があるはずなのだ。
そして、その先には未だなんびとも突破していない、5号隧道が待ち受けているはず。
5号隧道も水没との情報もあるが、我々の計画では、ここは排水工事による徒歩攻略である。
そもそも、2号橋梁をボートで突破する事は、難しいだろう。
不可能ではないかもしれないが、…前回の嫌な敗退が思い出される。

やはり、この先はボート無しで攻略する必要がありそうだ。




 地形的に軌道敷きが何処とは分からない幅広の沢筋だが、自衛官氏が金属片を発見した。
これは、レール同士を接続していた金具である。
レールを撤収する際に取り外されたのであろうが、回収され忘れたのだろう。

野外の活動は、今回の鬼門である。
何せこの雨。
いつ、デジカメが逝くか分からないのだ。
唯一の記録道具であるデジカメは、私にとって、命の次に大切な道具である。
デリカバーに包んでの撮影も、いよいよ面倒くさくなってしまい、結局生身で撮影を始める私なのであった。

…デリカバーとは…
ローソンでおでんを買ってみて欲しい。
小さなシャンプーハットのような物が付属するはずだ。
それが、デリカバーだ。
良いアイディアだと思ったのだが、私は面倒くさいことが耐えられない性分だった。



2号橋梁 挑戦者達
9:54

 4号隧道出口から2号橋梁は目と鼻の先である。
ほんの50m位しか離れていない。
この部分は、事前に地形図上で推測していたとおりである。
視界が開けると、そこには赤いガーター橋が真っ直ぐ伸びていた。
これこそが、2号橋梁。
長らくその現存は不安視されてきたが、くじ氏などの偉大な先人によって、確認されていた。
しかし、彼にとってもここには大きなチャレンジが待ち受けていたのだ。

<渡る> という。





 上の写真をよく見て頂けると分かるが、2号橋梁の袂は酷く抉られ、人一人が歩ける程度の幅しか残されていない。
そして、この抉れた部分の直下には、約4mほどの位置にご覧の水面。
強い雨にさんざめく水面は多少濁っているが、水中には笹や立木が沈んでいるのが見える。
この太平湖、ダム湖であるが故に、もの凄く水位の変動が激しいのだ。
そして、現在の水位は上限一杯一杯。
2号橋梁が渡る沢は南清水淵沢というが、初めてくじ氏がここに来たときにも、プレリサーチの日にも、さらさらと清流の流れる沢だったそうな。
しかし、4月末に自衛官氏くじ氏と共に森吉入りしたときには、すでに現在のような水位になっていたそうな。
雨による水位の上昇もあるのだろうが、それ以上に、この水位はダム稼働に左右されているのだ。




 2号橋梁について、最近の探索の経歴を示そう。

まずは、この橋梁を初めて目撃したのは、くじ氏である(4月11日)。
次に、くじ氏パタリン氏HAMAMI氏ふみやん氏のプレリサーチ隊である(4月18日)。
さらに、自衛官氏の秋田入りを待って、くじ氏は再びこの橋の袂に立った。(4月29日)。
そして、今回の合同調査である。
前半の二回について、その水位は低く、最初に五号隧道に辿り着いたくじ氏はここを、歩渉して越えている。
プレリサーチ時には、初めてこの橋を渡った人物が現れた。
それは、梁渡りの始祖であるHAMAMI氏と、体得者パタリン氏である。
同行したくじ氏ふみやん氏だが、この日も歩渉にて5号隧道までの往復を成したそうだ。
しかし、歩渉が許されたのはここまでだった。
以降、梁渡りを会得しない者はこの先へと再び進むことが出来なくなったのだ。

梁渡りを会得せぬ者が、先へと進めない。

これは、半年前に私が味わった屈辱と、悔しさである。
私は、くじ氏の気持ちが分かる気がした。




2号橋梁 梁渡り
10:08


 我々は4号隧道にて10分間の休憩を取った。
しかし、殆ど休まずに梁に挑んだ男がいた。
くじ氏である。
彼は、皆が見守る中、私が梁渡りで数メートル渡ったのに続いて、梁に取り付いた。
始めは、誰もが恐怖するのだ。
まして、初めての梁渡りが、この雨。
しかも、あの梁渡り発祥の地である5号橋梁よりも、一回り窮屈な梁である。
困難であったはずだ。

だが、くじ氏はやり遂げた。
それを見届けて、続いて皆が梁渡りに挑んだ。
自衛官氏も、初めての梁渡りを見事やり遂げた。

私は、一度4号隧道に戻って、スコップを手に取った。
今回は、全員がスコップを持っていたが、そのサイズは様々である。
私やパタリン氏HAMAMI氏のスコップはとてもリュックには入らない物であり、梁渡りの大きな障害となった。

 

 スコップを梁に乗せ、体は梁に伝い、一歩一歩確実に渡る。
うまく口では言えないのだが、梁渡りの手法は既に確立しており、慣れれば恐怖も余り感じなくなる。
ただし、感じなくなった恐怖は、危険の兆候でもある。
一つのミスが、死の水面へと私を誘うのだから。
それが、梁渡りというものなのだ。




 ちなみに、既に私は下半身びしょ濡れである。
まあ、出発前に覚悟していたとおりである。

2号橋梁は、5号橋梁よりも一回り梁が低いようである。
HAMAMI氏の計測によれば、延長約13m、梁の幅120cmとのことだ。
この梁の微妙なサイズは、5号橋梁よりも、実感として、渡り難かった。

実は、今回の探索まで、本橋梁上には二本だけ、枕木が残存していた。
私は、この枕木が梁渡りの障害になると考え、
本意ではなかったが、この二本の枕木を湖面へと落とした。
半世紀も橋上に在り続けた巨大な枕木が、私の押しに屈して湖面へと吸い込まれるように落ちていく様子は、気持ちよいと同時に、なぜか背徳感があった。


 続々と梁を渡って、漢達がやってくる。


湖面には波もなく、ただしとどに降る雨を受けて揺れている。
靄がかかり視界が悪く、風光明媚なはずの太平湖も、今や淀んだため池のようでさえある。
重苦しい空気が、我々の挑戦を包む。


我々は声を掛け合いながら、巨大な鉄の構造物と戦った。


1013、
梁渡りに、全員が勝利した。




5号隧道 出現
10:13

 対岸には、切り立つ崖に道が続いていた。
ここが、夢にまで見た2号橋梁の先の景色なのだと思うと、感慨深い。
始めに梁渡りを成し遂げたくじ氏に次いで、我々はこの狭き崖を一列に進む。

すると、予想以上に早く、それが現れた。

 

 振り返れば今渡ってきた2号橋梁が、森の中にポツンとあった。

思えば、森吉林鉄の付け替え軌道には、立派な橋が架かっていたものだとつくづく思う。
このようなガーター橋は、国鉄級だ。
軽便鉄道として、今でももし現役だったとしたら…?
森吉観光の地図は、今とは大きく異なっていたかもしれない。

いまはただ、踏み込む人もない湖畔に、その残骸を晒すのみ。
人に落とされぬ限りは、もう暫く、朽ちて消えるということもないだろう。



 そして、幾らも行かないうちに、またも闇が口を開けて待っていた。
いよいよ、誰一人その先を見たもののない、5号隧道の出現である。
こうして歩いてみると、4号隧道から2号橋梁、そして5号隧道まではほんの150m程の明かり区間であった。
やはり、かつて森吉林鉄探険の端緒となった地図に描かれていた「隧道ばかりの線路」は、真実だったのだと理解される。
正確に計る術はないが、付け替え軌道の半分以上は隧道内なのではないだろうか。
まさしく、現代的なダム付け替え道路の線形である。
全国的に見ても、これほどに土工量の多い森林鉄道は、他にないかもしれない。



 なんと森吉林鉄は驚きと興奮に満ちあふれているのだろうか!

平凡な景色ということがない。
この5号隧道の坑門にしてもどうだ!
いままで、こんな景色見たことがない。
なにせ、坑門から、その手前の軌道跡を含め、その全体がまるっきり水路となっているではないか。
雨で増水しているのは確かだが、普段から坑門向かって右の早瀬は隧道へと水を落とし続けている。

5号隧道もまた、水没の定めを持つ隧道だったのだ。


いま、史上最大の排水土木工事が始まる。

目的は、ただひとつ。

この先には、最終目的地、三号橋梁が我々の到達を待っているはずなのだ。
いよいよ、最後の戦いだ。

次回、人跡未踏の地へ。






その5へ

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