廃線レポート  
森吉林鉄 第X次探索 その2
2004.7.19


 森吉林鉄合同調査隊の新メンバーを含む6名は、これまでの5度の探索によって得られた知識や技術、事前のプレリサーチの成果を発揮し、極めて順調に7号隧道東側坑門へと到達した。
この隧道は、付け替え軌道上に存在する8本の隧道の中でも、いちにを争う長大隧道であろうと考えられていた。
半年前に私を胸まで水没させ、しかも夕暮れのため探索を断念せざるを得なかった、遺恨の隧道でもある。

我々は、遂にこれを突破することになる。


7号隧道内部 
2004.6.13 8:56

 本探索の3週間前の5月23日、パタ氏、くじ氏、ふみやん氏、それにHAMAMI氏の4名によって、7号隧道の排水作業が行われていた。
数時間の労働の成果はめざましいもので、11月末の時点では私の胸まで沈むほどだった水位は、東側坑門付近で地表が見えるまで落ちていた。
優に80cmは水位を下げたと思われる。

現在も排水の傷跡は生々しく現地に残っており、坑門の下半分を覆い隠していた崩土は、人一人分の幅で1m以上も抉れている。
ここから勢いよく排水されたのである。

※右の写真にカーソルを合わせると、作業時の様子が表示されます。
 
 また、大排水の痕跡は、坑門から太平湖へと繋がる急な斜面にも及んでいた。
左の写真の通り、地表の土が一部分剥がされ、森吉らしい滑らかな地肌が見えている。
おおよそ20〜30cmは地面が削られたことになる。

流れ出した水量の凄まじさを物語る痕跡だ。

※左の写真にカーソルを合わせると、排水時の様子が表示されます。
この排水時の写真には、ちょっと驚いた。
ホント鉄砲水になっているし、湖面もあんなに濁っちゃって…。
プレ隊の自然破壊パワー、恐るべし!

 

 いざ全員で入洞する。
内壁には延々と汀線の跡が続いており、その変わりようは私を驚かせた。
数年から、もしかしたら10年以上も溜まったままの水を吐き出させられたのかも知れない。
洞内の急激な水圧変化による崩壊が心配されたが、プレ隊は排水直後の隧道を突破している。
3週間後の今回も、問題なく通れれば良いのだが。



 森吉林鉄の付け替え線にある隧道は、どこも断面が大きい。
さすが1級路線(2級は森林軌道、1級が森林鉄道である)だったと言うべきだが、とくにダム工事という公共事業による補償が絡んでいただけに、それまでとは異なるカネの使い方で建設されているような気もする。
何が言いたいかと言えば、県内に多数ある林鉄の中でも、やはりこの森吉林鉄の付け替え軌道は特別に立派だ。
延長500mを越えるいくつもの隧道に、鋼鉄製のガーダー橋たち、それらを用いて山河を直線的に貫く様は、森林鉄道のイメージからはかけ離れた、“鉄道”の姿である。




 内部はさすがに水が残っている。
しかし、膝くらいまでの水位に過ぎない。
透き通った地底湖は、その激変の面影を壁の跡に残すのみで、もとの静けさを取り戻している。
永く水没している湖底だが、薄く堆積した泥の底に、枕木の並ぶ形が見て取れる。
同じ水没でも、崩落箇所に大量の枕木が漂着しているなど、劇的な崩壊・水没を感じさせた“ボート出動”4号隧道とは対照的で、坑門の半埋没によって、徐々に徐々に洞内が沈んでいった事を想像させる。






 入洞から僅か50mほどで、3次探索で印象深かった場所にたどり着いた。
確かに入口を振り返ってみたときの、その入口の見え方とかは半年前のそれと近い気もするが、どうしても違和感がある。
その違和感は、「えっ、こんなに入り口の傍だったっけっか?」というものである。

半身以上を暗い水に沈めた極限の怖さ、ここでもうパタ氏たちが入り口から照らすライトは届かなくなり、ますます心細かった。
そして、歩けども歩けども出口が見えてこい状況。
私は、ここで既に数百メートルは来たと考えた。

しかしそれは、危うい精神状態によって生じた錯誤であったことを、今知ったのである。




 しかも、あっけなく出口を発見。
まだかなり遠いものの、真っ直ぐの先に、たしかに緑色の光が見える。
間違いなく、出口だ。

ボワッとした微かな明りに、明確ではない出口の存在を感じた半年前の恐怖は、一体何だったのか?
如何に人が水に動揺するのかを思い知らされた。
もっとも、あのときは夕暮れで外も薄暗かったので、見えるものも見えなかったのだろうが。

ますます7号隧道の突破は確実になってきた。


 入り口から100mほどで、再び水位は下がり、長年の水没によるものなのか、奇妙な凹字型の洞床を露わにしている。
内壁は、ここまでで数度、素堀とコンクリ覆工とを繰り返しており、目まぐるしい。
そして、その内壁のパターンから、おそらく半年前に撤退したのは、この辺りではないかという結論に達した。

すなわち、入洞から100m程度。

必死になって“水”漕ぎをして、10分以上を掛けて到達した場所は、僅か入洞から100m程度だったのである。




 その上、パタ氏らプレ組の先導は早く、そんな感慨に浸る暇も与えてはくれなかった。
もう彼らにとっては、一度(往復を含めれば2度か)通り抜けた、既知なる隧道なのであるからそれも頷けるが…。

ああ、 私の愛しい森吉が…遠くなっていく。
そんな気がする。


それでも自分のペースで、洞内を歩くことにした。
こうして、進むにつれプレ組と、私&ルーキーズとの距離は開いていくのであった。
どうせ洞外で合流出来るだろうから、構うまい。




7号隧道  残された遺物たち
9:08

 コンクリに覆工された部分も、かなり漏水跡などの白化が目立ち、見る限り亀裂や変状はなどはないものの、確実に死へ向かっている。
本隧道では、我々が入った東側の坑門付近で特に、コンクリと素堀が頻繁に切り替わっている。
その先の中央部は長々と素堀のままだし、出口付近は比較的長く覆工されている。
おそらく覆工部分は地質などの崩壊要因によって選ばれているのだろうが、20m置きぐらいに入れ替わるのも見物である。



 プレ隊にて既に発見されているものも含め、洞内の遺構・遺物の発見に目を皿のようにする後方部隊三名(私・細田氏・YASI氏)だったが、早速にして洞床に一枚のガラス板を見つけた。

見ての通りのガラス板は、薄いものだが割れや欠けもなく完全な長方形である。
しかし、なんなのかは見当が付かない。
なぜガラス板なのか?
林鉄車輌から外れたものだとしたらもの凄いレアだが、発見時の状況としては内壁に立て掛けるようにして置いてあった。
色の違いは、水没によるものだと思うが…ちょっと思い出せない。




 次に発見されたのは、まるでタケノコのように付き出した木の杭である。
4次探索時に4号隧道内で発見されたキロポストにも似ているが、遙かに背が低く、文字なども見られない。
そして、これはこの先でも、洞内の数カ所で発見された。
距離を示すものではないかと我々は推論したが、これの正体がはっきりするまではまだ少し時間が掛かった。




 そして、これはもう森吉ではお馴染みになりつつある、謎のペイントである。
なんて書いているのだろう…?
相変わらず、意味が分からない。
これまでも、待避抗に「安全口」とか、「出口」とか、数々のメッセージを確認してきたが、今度のは、よく分からない。

ただ、まずあり得ないとは思うのだが、「●丼 350-」などと記されている様に読み取ることも出来なくはない。
傍にあるものは待避口である。
この待避口で、まさかまさか、丼ものを振る舞っていたのだろうか?

そういえば、5号隧道で見つけられた同様のペイントも解読不能な奇妙なものだったが、掲示板で「そば処」では?
という指摘があった。
今さらながら、洞内に食堂?があったのかも知れないという気持ちが、ほんの少しだが湧きだしてくるのである。
馬鹿げてる?




 さらに進むと、いよいよ枕木が並ぶ、廃線跡そのままの景色となってくる。
森吉ではもうお馴染みの原形を留めた電球なども、最近まで水没していたお陰か汚れもなく美しいままだ。



 洞内の一画にだけ、ご覧のように大量の丸石が積まれていた。
バラストに使われる石とも材質が異なるようであるが、これまた正体が不明である。
自然に積もったとは考えられないので、何らかの用途があって、ここに残されたのだと思うのだが…。

分からない。


 先頭集団からは大分離れ、最後尾を行く私と細田氏。前はYASI氏の背中だ。
既に出口はハッキリとした点となって、行く手に見えている。
しかし、期待していたよりも短いと言うこともなく、歩けども歩けども、なかなか近づいてこない。
やはり、500mは優に超える長大隧道で間違いない。




 埋もれかけた金属のわっかを発見。
これと同じものは他の林鉄遺構でも見た気がするのだが、いつだったか思い出せない。
私は、これがなんなのかも分からなかったのであるが、林鉄マニアの細田氏の閃きは鋭いかも知れない。

彼は、これが車輌同士を繋ぐ連結装置ではないかというのだ。
現在の鉄道の連結器とは似てもにつかない簡易な物体であるが、たしかにわっかの形状からして、その様な用途に使えないこともない。
果たして真相は?




 ハテナマークが我々の頭上に次々と点灯するのだが、森吉林鉄は本当に飽きさせない工夫に満ちている。
作為的なイメージのある「工夫」という言葉を使いたくなるほど、本当に、どの隧道も似ているようでいて異なるし、発見も多い。
まるで、山行がのために用意されたアトラクションのようですらある。

これら往時を偲ばせる発見がおおいことは、如何にこの森吉林鉄が人々の目から遠ざかっていたかの証明であろう。
マイナーだった存在を掘り起こし、今こうして皆様にお伝えしている。
まさかこれほどの隧道群が身近な山に眠っているとは、たった一年前には私も全く知らなかったのだ。

山チャリの面白さは、この辺の意外性にあるのかも知れない。




 来たー!


 キロポストが来たー!

これを林鉄で見るのは2度目。
一度目は、まだ記憶にも新しい4次探索の4号隧道は、水没地帯に挟まれた孤島にて内壁に立て掛けられて発見された。
そして今回、遂にと言うべきか、完全な形で自立しているキロポストに遭遇したのである。
4号隧道で見たのは、「24」だったから、この地点との正確な距離が、これで分かった。
柱がツートンカラーになっているのは、単に茶色い部分は以前水没していて、それで色が抜けてしまっているだけだと見える。
なお、この「27」キロポストは、現在までに発見されているものでは、もっとも大きな数字のものであり、さらなる上流に発見されるまで、この記録は更新されないだろう。


 半分を過ぎたと思われる辺りで、再び地面には水が。
これは、出口側から繋がる水面である。
進むにつれ深くなるのだ。

待避口に押し込めるように棄てられた、一基の木製のバリケードらしき物体を発見。
木製である辺りが歴史を感じさせるが、朽ちずに原形を留めている。
起こしては見なかったが、丁度隧道を塞ぐくらいの幅がある。

遊歩道としてこの隧道も利用された時代があるのだろうか?
これは、人向けのバリケードであるような気がした。根拠はないが。




 内壁に綻びはなく、まだまだ現役然としている。
足元の水さえなければ、だが。

進むほどの水位は増し、出口が“点”から“面”に変わると、膝よりも深くなってきた。
間もなく、皆の長靴でも浸水するだろう。
私は、どうせ濡れるので普通の運動靴で来ていて、案の定既にびしょ濡れだが。

一同、入洞から17分を経過。
時折立ち止まりながらも、比較的ハイペースで歩いて来たつもりだが、時間は隧道の長さに正直である。




 何度目かの背の低い木柱の脇の壁に、意味深な穴が発見された。
洞床を浸す水面スレスレであり、しかも超狭い入り口からして怪しいのだが、一体なんなのか?
その答えは内部にありと、半身を潜り込ませる私である。

またも、謎の横穴の出現なのか?!




 奥行きは、見たところ3mほど。
隧道とはほぼ直角の方向に、まるで亀裂のように伸びている。
というよりも、これは自然に生じた亀裂なのか?
人が立ち入って何かをするスペースはないし、そもそも横穴にしては短すぎる。
入り口を人為的に塞ごうとした形跡があるが、そのお陰で内部は水没しており、淀んだ水が進入を拒む。

正体が分からないが、撤退である。
しかも、この横穴は既にプレにてくじ氏の蹂躙をうけていたそうな。
くじ氏の通った後には、横穴一つ残らないのか?!




 へ?

ナンデスカ、これ?

私には、 大便 としか、読めないのですが…。
私が下品なのではないですよね。
これ、ウンコって、書いてますよね。平たく言えば。

…。

森吉は、子供の落書きレベルの隧道だったというのか?!
なんか、衝撃と笑撃を同時に受けた。



 しかも、その広めの待避口の反対側の壁には、紛れもない 小便 の文字が。

もう言い逃れは出来ない。

細田さん、あなたが今立っているその場所。
誰かのトイレですよ。

そして、現在膝上までの水が我々全員に行き渡っており…。
ああ、ウン命共同体!!





 謎と笑いが続々登場の森吉林鉄7号隧道。
本当に、あれが便所だったのだとすれば、(それ以外考えにくいが…)日本唯一の公衆洞内便所だったのかも?
しかし、一昔前は平気で人糞が畑にまかれ、鉄道の線路上にも垂れ流し状態だった訳だけど、
この洞内便所も、強烈ですな!
 …臭いとかどうしていたんだろうか。






その3へ

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