2006/8/14 10:17 【現在地:一号隧道】
滝ノ上展望台から37分、約700mの地点に、この隧道は口を開けていた。
西沢林鉄に全部で二本あった隧道の一つで、「一号隧道」と通称されている。
行く手を遮る岩盤に釣鐘形の穴を穿っただけで完成とした、如何にも林鉄らしい簡素な外見をしており、全長は30mほどに過ぎないが、出口に向かってやや左向きにカーブしている。
先へ行くには当然この隧道を潜っていくのが最短なのであるが、実は今回、「新発見」と言って良いかもしれない発見があった。
左の写真は、上の写真を撮影した同じ位置から、谷側を向いて撮影したものだが、隧道が貫いている岩盤を大きくカーブして迂回するような道形が、はっきりと見えている。
しかも、そのカーブの先端部には、隧道とまではいかないが、かなり深い掘り割りが見える。
早速行ってみよう。
隧道を迂回する谷側にせり出したカーブ、その突端の巨大な掘り割り。
この路盤にはレールや枕木こそ見られないが、構造的には軌道跡と思われる。まったく平坦であるし、幅もそれなりにある。
隧道掘削以前の旧線路跡か。
なお、そのことをはっきり裏付ける資料にはまだ出会ってないが、たとえば『全国森林鉄道(JTBキャンブックス)』の当林鉄に関する記事には、「一度機関車が入線できるように改修を試みたものの頓挫して、最後まで空台車の引き上げは馬力で行われた」旨の記述がある。
この隧道も本来は、機関車入線のために造られたものだったかも知れない。
林鉄は一般に一時的・簡易的な鉄道であるから、多少不便になってもわざわざ線形改良を行う事は稀であるが、例外的に、人力・畜力から機関車への切り替えにあたっては、多くの林鉄で路線の切り替えが行われた記録が残っている。
上流側の坑口。
左奥には今歩いてきた旧線跡が見える。
隧道が苦手だという人は、容易に迂回することが出来る。
隧道はカーブしており、ここからは向こうの出口が見通せない。
ちゃんと内部も歩いてみた。
幅は本当に狭く、その割に高さがあるのは木材を満載したトロッコでも通れるように作られた林鉄隧道の特徴である。
内壁には目立った崩れもなく、洞床には枕木とレールが完璧に残っている。
おそらく全線中で、最も良く旧状を留めているものと思われる。
幸せだ。
うん! これはイケル!
まあ、薫りを楽しんだだけだけどな。
隧道を抜けても軌道跡の状況に変化はなく、相変わらず朽ちた桟橋が頻繁に現れては、我々(体重)凸凹コンビに異なる難易度の試練を与えた。
かと思えば、カーブの先からトロッコがニュッと現れるのではないかと錯覚するほど綺麗に残る場所も。
右の写真もそんな場所の一つだが、カーブの内側のレールが二本ある。内側のレールは脱輪防止用に据え付けられたものだ。
進むにつれ、様々な軌道の遺物が散見されるようになってきた。
左の写真は、軌道脇の巨木にグルグル巻きにされた碍子付きの鉄線。電話線であろう。
軌道跡で電柱を見かけなかったので、立木を利用して電柱に仕立てていたものと思われる。
上の二枚はそれぞれ集材に使われていた機材の残骸と思われる。
誰ともなく「巨神兵(by「風の谷のナウシカ」)」と呟いた物体は、横から見るとウィンチの一部だった。
右の物体は正体不明だ。バラバラになりすぎている。コンプレッサーか何かか。一瞬蒸気機関車の煙突かと思った。
総じて、一号隧道までに比べれば、この辺りは歩きやすかった。
先ほど集材機の残骸が残っていたが、この辺りは一度盛んに伐採されたのだろう。
周囲の一見豊かそうな森も、よく観察すれば確かに、巨木は全くと言っていいほど無い。
それにしても、なだらかな地形の場所では軌道が現役のように残っている。
この景色、レールが無ければただの廃道だが(それはそれで良いけど)、このか細い鉄の存在感は軌道跡にあって無二のものだ。
なだらかな場所を過ぎ、再び荒々しい岩場の道になる。
この日、私が意外だと感じたのは、蚊や虻といった不快な虫が少ないと言うことだった。
関東というと、なんか蒸し暑くて、東北なんかよりも断然害虫が多いという印象を持っていた。
だから、こんな真夏に林鉄跡に行くなんて、最初は少し反対したくらいだ。藪も深そうだったし。
だが、実際にはそれほどでもなかった。
むしろ、虻は殆どゼロ。(東北はすごいのだよ、秋口までものすごい大発生する)
蚊も、海抜1400mもあるからなのか、全く食われなかった。
藪にしても、森の中の軌道であるから全然影響がなかった。
このことも、関東移住へのハードルを下げた。
10:46
来た! 二号隧道!
展望台から約1km、1時間と少々で辿り着いた。
…いや、まだ辿り着いてナイ!
最後に、巨大な木橋の墜落した谷を迂回しなければ、坑口へは行けない。
橋の残骸は峡中に散乱し、これが養分なのか、そこはシダと苔の楽園となっている。
いかにも滑りやすそうで、移動は緊張を要する。
消えた橋を山側に迂回しつつ、岩盤に穿たれた隧道に視線を向けると、その坑口前から右側に伸びる平場を、また見付けた。
先の一号隧道のときと同様、この二号隧道にも隧道を通らない旧線跡が有るようだ。
これまでもおそらくその存在に気づいた人は大勢いたであろうが、ネット上へ報告する機会はなかったのだろう。
小さな発見でも、とても嬉しかった。
そして、いよいよこの穴の先は、私にとっても仲間たちにとっても、完全に未知のエリアとなる!
10:49 【現在地:二号隧道】
既に私の視線の先にあるのは二号隧道ではなく、その脇の旧線跡らしき平場だ。
この写真を見てもらえば分かるように、今はレールだけになってしまった橋もまた、隧道と一緒に建設されたのだ。そこに隧道が無ければ、岩盤に真っ直ぐ突っ込んでいく橋は不自然だ。
そう考えると、旧線時代は今私が歩いているような、山側に沢を迂回したルートだったのだろう。
確かに、足元にはそれらしい敷地があったりもする。
昭和44年の廃止まで馬力で運行し、日本で最後まで残っていた「馬車軌道」だとする資料がある当路線だが、二カ所の隧道を中心に、その路盤は機関車運用を目指しかなり改良されていた形跡が伺える。
それがなぜ実を結ばなかったのかについては、今回のような一部分の踏査ではなく、西沢林鉄全体を歩いてみなければ分からないかも知れない。
なお、ちい氏は既にこの間を歩いているそうなので、レポートに期待したい。
(→ちい氏のサイト『ちゃいるどどりーむ』)
二号隧道は一号隧道よりも短く、全長15mほどだ。
地形図にも一号隧道は描かれているのだが、こちらは記載がない。
しかし、これを迂回する旧線は一号隧道のそれと同じくらいの距離があり、大きなヘアピンカーブをなしている。
左の写真が頂点のカーブの手前で、右の写真はカーブの先だ。
やはりレールや枕木は残っていないが、通路があった事は明白だ。
左の写真は二号隧道の上流側坑口前で撮影。手前に写っているのはちい氏の腕だ。
右が隧道内部の写真。
この隧道もまた、岩盤をくり貫いただけの極めて簡素なもので、一部崩落しているが原形を留める。
いよいよ今回の目的である「未知のエリア」を目前にしたところで、今日二度目の大休憩をとった。
で、13分後の11時03分、出発!
がッ!
いきなり緑の崖!
二号隧道を抜けると、目の前にはこの景色が広がることになる。
いままで多くの訪問者がこの場所をターニングポイントに選んでいるのも、頷ける。
ここで道の性格が変わったように見えたとはトリ氏の言だが、なるほど言い得ている。
パッと見た感じではどこにも踏み跡はなく、宙ぶらりんのレールが森の中を遊ぶように漂流している。
どこから手を付けて良いのか分かりかねるような景色。
いざ、尋常に勝負!
ここは、第一印象ほどに難しい崩壊地ではなかった。
緑が多いと言うことは、それだけ草付きが多いということで、踏める場所や手掛かりも多いと言うことだった。
冷静に分析すれば、ここまで来れたのなら引き返す理由にはならないような崩壊地なのだが、隧道を抜けて目の前にバッと広がる緑の圧迫感と、二本目の隧道を抜けたという一応の達成感および“キリ”の良さ、この先には地図上特に隧道や橋などが予感されないという事実、オマケに、西沢の駐車場から3〜4時間も歩いて来たという時間的・体力的な疲弊度 …これら、ここを訪れるほぼ全員に共通する諸悪条件によって、ここ、二号隧道先崩壊地がターニングポイントになりやすかったのだと、我々は偉ぶって分析なぞしてみた。
ともかく、ここは無事に突破されそうだった。
とは言っても、我々とて気づけばもう11時過ぎ。
帰りのことを考えれば、前進できる時間はもう2時間ばかりだろう。
決して余裕は無い。
二号隧道先から始まる一連の崩壊地は、その途中で、珍しい片洞門形の施工を鮮明に残していた。
この足元にレール敷かれていたはずなのだが、すぐ先に架かっていた橋の落下に引きずられたらしく、レールは全くあらぬ場所へと移動していた。
結局、林鉄のレールは真っ直ぐひっばられるのには強いが、枕木ごと横へずらされたり、浮き上がって移動するような破壊には為す術がない。
だから、往々にして廃線跡のレールは谷に引き寄せられ、最後は落下して路盤から消えてしまうことになるのだ。
現在、二号隧道先の崩壊地を一行は進行中。
振り返って撮影すると、まるで猛禽の嘴のような片洞門と、そこを歩くトリ氏との大きさの対比が面白い写真となった。
その彼女が両方の手を乗せている、まるで手すりのような物は、行き場を失った二条のレールである。
さらに、道無き斜面を枝葉を頼りに少し進み、再度振り返って撮影。(右)
二人はちょうど木の影で見えないが、片洞門が木の向こうにまだ見えている。
他に良い写真が撮れなかったのが残念だが、実際にはこのフレームのずっと上まで垂直の岩盤が続いており、大変迫力のある景色だった。
その先で、
束の間の平穏を取り戻す軌道跡。
謎に包まれた奥地への扉が、ひらかれた。
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