我々はヘアピンカーブを抜けたその先で、この日の探索で最も印象深い光景と遭遇した。
上下二段の軌道を一目に出来る場面が現れたのだ。
下の段はつい先ほど歩いた場所であり、ヘアピンカーブで進路を反転し、今度はその上の段を行くのだった。
道路の線形としては、このようなヘアピンカーブが使われるのも珍しくないが、勾配を苦手とし、基本的に急勾配に対して恭順な態度を崩さない鉄路・軌道にあっては、かなり珍しいものである。
まして、そこに敷かれたままのレールがあるのだから、最高というより外はない。
急傾斜の山肌に沿って、軌道はほぼ真っ直ぐ登っていく。
そこには、片側のレールだけが埋もれることなく鮮明に残っていた。
レールに沿うようにして僅かだが踏み跡が続いており、稀に登山者が歩くことがあるらしい。
林道も近づいているはずだが、あたりは静寂に包まれていた。
崖下の軌道はみるみる離れていき、やがて巨大な崩落に呑み込まれ消えてしまった。(写真ではレールをハイライトしている)
下段の軌道敷きの大半と西沢橋梁の西詰めまでを埋没させてしまった巨大な土砂崩れは、下から数えて3段目(ただし、1段目は全く確認されていない)となる我々の進行ライン上にまで、その上端が及んでいた。
写真はこの崩壊地の状況で、写真下部に僅かだが赤錆びたレールが写っている。
このあとレールは地中に没し、若ヒバが根付き始めたばかりの瓦礫斜面を20mほど横断した先で、再び平坦地が復活する。
写真右は、復活した直後の軌道敷き。
しかし、レールが現れるのはこのもう少し先からとなる。
崩壊地を過ぎて復活したレールを辿り先へ進むと、すぐにゆったりとした右カーブが現れた。
無論、これでも原木を満載し柿の実のように膨らんだ下りのトロッコ列車にとっては、カーブの最中でも緩むことのない勾配もあって、命懸けのカーブに他ならなかっただろう。
脱線すれば、たちまち数十メートル下の西沢の渓流へ真っ逆さまだ。
このカーブによって、軌道は再び150°ほど進路を反転させる。
…もう決まったな。
こいつはこんな調子で、自力にて林道を目指す気なんだ!
ややなだらかな林地をゆったり目に使ったスプーンカーブにて進路を変えた軌道は、その直後車止めのような盛り土によって進路を塞がれてしまう。
トリ氏が写っているのが障害物であり、実はこれは軌道敷きを横断して通る作業路(ブル道)であった。
ブル道のルートの概要は右の図に示したとおりで、結果的にはこの道が林道への最短であった。
だが、あくまでも我々は軌道の辿ったルートを重視したかったし、探索の時点でも作業路が林道へ通じているという予感こそあったものの、果たして林道のどこへ通じているかまでは分からなかったから、冒険を避け素直に軌道跡を追跡することにした。
13:28
作業路に切断された軌道は、幅2mほどの断絶を経て、向こう側に変わらぬ姿を見せてくれていた。
我々は、森の底を這うような、その浅い掘り割りへと進んだ。
進路は、再び北向きである。
これより下段の軌道敷きを再三破壊し埋没せしめた巨大な土砂崩れも、幸いこの4段目までは伸びていなかった。
特段の障害物に出会うことなく、“最高の状態”の軌道跡を歩くことが出来た。
…レールがあり、藪は浅く、崩壊も少なく、かつ人の痕跡に乏しい。
これが、我々の考える林鉄跡の「ベストコンディション」である。
予感。
この景色…
最初に出会ったヘアピンカーブの口に似ている。
掘り割りへと誘うカーブ軌道。
その先には…。
またキター!
そして
寒い!
さらに、今度は…
深い!
未確認のものも含め、西沢橋梁より数え4番目のヘアピンカーブである。
うち、3つのカーブについては断続的ではあるが辿ることが出来たので、はっきりと言える。
ここには、
九十九折りの軌道が実在したと!
13:44
4つ目のカーブを過ぎ、第5段へ入る。
進路は再び南向きに変わり、もう林道との高低差は20m程度しかない。
地図の等高線を細かく観察すると、ここから先はいままで以上になだらかな地形となっていることが分かる。
どうやら、「西沢の谷を渡る」という、本軌道にとって重大かつ困難なタスクを無事に終え、西沢左岸の源流部軌道として、再出発を図るステージへと入ったようだ。
目前に広がる穏やかな森の景色が、そう感じさせた。
ヘアピン一つでこのくらいの高度を稼ぐ事が出来るという見本。
この写真にも、一段下の軌道が写っている。
軌道には滅多に車道では見られない「スイッチバック」という高度稼ぎの荒技があり、これは林鉄に限らず工事軌道から鉱山軌道、果ては旅客用の鉄道にさえ、かつて盛んに使われていた。
スイッチバックはヘアピンカーブよりも格段にコンパクトであるが、なぜか敢えて、この軌道はヘアピンカーブを選んだのである。
先ほど見たように、あれだけ大規模な掘り割りを掘削してまでだ。
馬車軌道としては、スイッチバックが不適であったと考えることも出来なくはないが、本当のところは分からない。
ほぼ等間隔で切り返しのヘアピンカーブが続いてきた軌道だが、どうやら性格が変わったというのは本当で、無理矢理流行言葉に当てはめれば、ツンデレの“デレ”の部分がキタというべきか。
いや、別にそんな喩えは誰も求めてないですね。(笑)
ともあれ、かなり緩やかな勾配で直線的に敷かれた軌道が向かう先に、妙に明るい場所が見えてきた。
遂に、林道に合流か。
森の途切れた所にあったのは、小さなコンクリート造りの建物で、周囲をフェンスに囲まれていた。
明らかに軌道とは異質な建物は、それを象徴するかのように、敷地内の軌道をご丁寧にも剥がし、撤去してくれていた。
フェンスには「広瀬ダム西沢雨量観測所」とプレートが取り付けられており、この建物の正体が分かった。
建物の脇まで林道が来ているのではないかと、周囲を観察してみたがそれはなく、ポツンと林に囲まれて建っていた。
ここで軌道が分断されていることから、このまま復活しない、或いは見付けることが出来ずに終わってしまうのではないかと、かなりヤキモキされられた。
だが、幸いにも敷地を離れるとすぐに軌道は復活してくれた。
そして、相変わらず真っ直ぐ南へ向けて続いている。
それもかなり古いものと思われたが、ビニール袋のコミがあった。
先ほどの雨量観測所といい、いよいよ近代的なものが散見され始め、林道が近いことを物語っていた。
なだらかに見えるのはあくまでも軌道の周辺だけなのであって、徐々にその終わりがにじり寄ってきた。
再び軌道敷きの片側には、足の竦むような谷底真っ逆さまの斜面が現れ始めたのだ。
追々、軌道もこのままの進路をとり続けられなくなることが予感された。
と同時に、前方には再び明るい草むらが見え始めた。
今度は何だろう。
そこにあったのは、ポイントで分岐するレールの残骸だった。
しかし、なぜかこのポイントの前後でレールは撤去されており、しかも、ポイントの先で二度と、我々がレールを見ることは無かった。
普通に考えればこれは終点のようである。
だが、記録はそれを否定する。
この西沢林鉄はまだまだ続く。
その起点までは、少なくとも、もう4kmはあるはず。
全長14.5kmという記録があるのだ。
この辺りはようやく、終点の広瀬から10kmの地点だ。
ポイントの残骸を最後に、レールは消えた。
しかし、それまでのレールを延長する方向に平坦な道の跡らしき空間が続く。
そこは幅が広く、直前のポイント跡といい、複線のレールが敷かれていたに違いない。
それにしても、もとよりレールの無い軌道跡を辿っているときなら、おそらく何の躊躇いも無く歩けるこの程度の藪なのに、今は不安が一杯で妙に疲れる。
レールに頼った軌道探索は、色々と悪影響があるかも知れない。(少なくとも想像力は弱まりそうだ)
結局我々は、目指す林道に出会えぬまま野山に放たれてしまった感じだ。
どうしよう・・・。
時刻は既に午後2時近い。もう、余裕は殆どない。
地形図と睨めっこをしながら、一行は藪の道を辿った。そのまま50mほど進んだところで、藪の植生が突然ガラリと変わって、あたりはアザミが目立つ草むらとなった。
紫や白い花をつけるアザミは綺麗だが、ご存知のとおり鋭い棘が全体にある。藪漕ぎの対象とは絶対にしたくない植物の一つである。
結局、我々はこのアザミ畑というべき一帯で、確固たる軌道の痕跡を見失ったまま、進路を反転することに決めた。
どうやら、林道の終点が進行方向の右側150°の方向に来ているようだからだ。(左図)
無論、そこに微かだが、踏み跡のようなものを見付けたのも大きな理由だった。
すぐに答えは出た。
アザミの藪にチクチクやられながら少しだけ進むと、その踏み跡は、路面に砂利が見える明らかな車道跡へと変わったのだ。
まだ車の轍は見えないが、これはもう、間違いなく車道である。
我々が目指してきた林道であり、ここから先は現時点では推定の域を出ないものの、おそらく軌道跡とも重なっている。
最後の最後でレールが消えてしまい、確実に軌道跡が林道と繋がっていたという確証を得られなかったのは、多少心残りではあったが、ともかく時間ギリギリにて目標地へとたどり着いた!
我々は、とりあえず少しだけ林道を先に進んでみることにした。
こんな山奥に、まともな道があることが不思議であり、今は無性に嬉しかった。
さらに50mも進むと、遂にはっきりした轍が路面に現れた。
終点には車止めのようなものがあるでもなく、ただ自然に両側の藪が深さと厚みを増す形で、あのアザミ畑に繋がっていた。
…そうだ。
つまりは、レールが撤去されていたポイント跡までは、ある時期車道化されていたのだろう。
そう考えれば、全て納得がいく。
となると、林道と軌道とは極めて合理的に接続していたことになり、イコール、この林道が軌道跡であると考えて良い事になる。
現時点での林道の終点であり、車の転回地となっている地点を、振り返って撮影。
午後2時ジャスト。
我々は今回目標としていた区間の、片道踏破を完全に終えた。
遊歩道と分岐する「滝の上展望台」から、西沢橋梁までで約2km、さらに林道終点まで500mほどの距離があったが、盛りだくさんな内容であったことから、困難さ以上に時間を要してしまったと思う。
その分、帰りは寄り道せず帰らねば、日暮れに間に合わくなる。
まあ、遊歩道に出てしまえばどうにでもなるだろうという安心感はあったが。
上の写真と同じ地点(林道終点)から北を見ると、林道脇にご覧の立て札と、そこから分岐する小道がある。
この道は、来るときに遭遇した軌道を分断する作業道と重なり合いながら、西沢橋梁跡へと続く。
一見ハイキングコースみたいだが、西沢渓谷までの道は、今までレポートしてきたような廃軌道跡に他ならない。こんな標識に騙されて山には入ってはいけない(笑)。
我々は、九十九折りの軌道跡をショートカットしているこの作業路を利用して、途中急斜面に苦労しながらも帰還した。
キター?
アザミにとまる蝶を見つめる、夢見るメルヘン・オブガール。
レポ中にトリ氏の画像が適度に無いと、彼女、不満足そうな顔をするんですよね(笑)。
さて、夢見るのは私も一緒で、やはりここまで攻略したからには、次は西沢林鉄の“本当の奥地”を、この足と目で確かめたいと思う。
思わず溜息が出るが、西沢林鉄の“本当の奥地”は、まだまだこれだけの物量をもって訪問者を待っている。
地図中に赤い点線で示したものが、まだ我々が未確認な林鉄である。
とりあえず本線がもう4kmほど。西沢源流第一の沢である「本谷」に分け入っており、途中までは林道と重なると想像される。
続いて、「京の沢支線」は全長2kmと記録があるが、歴代のどの地形図にも描かれたことがないので、点線は完全に想像だ。
アザミ沢には「アザミ沢支線」の存在が記録されており、全長は2.8kmに及ぶ。林道と重なっていると考えるが、想像に過ぎない。
これらの踏査について最大のネックが、スタート地点である今回最終到達地へのアプローチの面倒さだ。
塩山市街から車道が延々40km余り続いているが、直前の15km余りが一般車通行止めのフルゲートアウト林道であり、チャリによるアプローチを考えているものの、途中に海抜2154mの峠があって…、こんな道を往復して現地入りしたうえで林鉄の探索とは…… ひ・ひでぶー。
まあ、いずれ挑戦したいとは思っているので、全く期待せずに待っていて欲しい。
谷を越え 山を潜って |
15:42
滝の上展望台へ到着。
ここで15分ほど休憩した。
17:52
夕暮れ迫る西沢駐車場へと、
無事帰還。
全行程15km近い、 長い探索となった。