「山形県公式サイト>近代化産業遺産>真室川森林鉄道」より転載。
右の写真は、山形県公式サイトにある近代化産業遺産を紹介するコーナーのうち、「真室川森林鉄道」のページに掲載されているものである。
掲載されている本文によると、この写真は「真室川町立歴史民族資料館に保管されているもので、写真は「鉄道友の会秋田支部」からの提供
」だという。
私は、このサイトではじめて写真を目にしたのだが…
あの真室川森林鉄道に、これほどショッキングでアグレッシブなシーンがあったのかと驚いた!
当サイトの古い読者さんであれば、私が以前にも真室川森林鉄道を何度か探索しているのをご存知かもしれない。
これまでに掲載したレポートとしては、以下の4本がある。
公開順 | 初回公開日 | 探索日 | レポートタイトル&初回リンク |
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レポ@ | 2003/12/31 | 2003/11/30 | 廃線レポ 真室川森林軌道 |
レポA | 2004/2/15 | 2003/11/30 | 隧道レポ 真室川林鉄安楽城線 二号隧道 |
レポB | 2004/4/19 | 2003/11/30 | 隧道レポ 真室川林鉄安楽城線 一号隧道 |
レポC | 2006/9/2 | 2006/5/21 | 隧道レポ 真室川林鉄安楽城線 二号隧道 再訪編 |
このほか、レポート化していない探索も多少あるが、基本的に真室川林鉄に対する私の印象は、東北の他の多くの森林鉄道と同じく、比較的穏やかな地形を舞台に活躍した路線である。
だが、この写真のシーンを知っていたならば、印象は少し変わっていたはずだ。
こんな場面が真室川林鉄にあったのか。
これはどこなのか。果たして今も遺構はあるだろうか。この規模である。道路になったり、ダムに沈んだりしていなければ、十分に残っているはずだが…。
ならば、こんな凄まじい絶壁の風景と共に、まだ見ぬ隧道が2本も存在することになるのである!
私が最後に真室川林鉄の探索をしたのは2006年であり、だいぶ時間は空いてしまったが、再訪する必要があると考えたのは、写真に気付いた2013年春のことだった。
同じ写真を見て興奮していた人物は、もちろん私だけでは無かった。
そして、私よりも素早く行動を起こした人物がいた。
この時のメールのやり取りをきっかけに、以後何度も貴重な情報を提供してくださることになる尾花沢市在住の酒井氏もその一人である。
以下に同氏から2013年5月に戴いたメールの一部を転載する。
早速情報ですが、山形県ホームページ近代化産業遺産真室川森林鉄道の6番目の写真(隧道と隧道の間を運材車とDLが走行)が気になり、地形図から高坂ダム付近に在るのではないかと思い、雪解け直後に現地にて隧道があるのを確認しました。 雪解け直後は遠目での確認だったので、間近で写真を撮りたいと思い、本日ダム見学ということで高坂ダム管理事務所の許可を得て職員の方と同行し、ダムすぐ下流の橋の上から撮ることができました。内、1枚写真を添付いたします。
添付されていた画像は携帯で撮影されたものか、サイズが小さく鮮明では無かったが、確かに白黒写真と同じ地形の場所は現存していて、さらに隧道が口を開けていることが見て取れた。
加えて、「現場は高坂ダムすぐ下流」という、極めて有力な情報!! これで探索の決行が決まった。
…というような流れで探索へ向かったのであるが、その本編を開始する前に、舞台の説明をしておこう。
幸い、最近になって「近代化遺産 国有林森林鉄道全データ(東北編)」のような優れた資料が入手出来るようになったので、過去のレポートよりも正確に概要を説明することが出来る。
右図は真室川森林鉄道と称される路線網の全貌を示したものである。
幹となる本線は、奥羽本線の釜淵駅に隣接していた貯木場を起点に、最上川水系鮭川の源流である大川入に至る全長約30kmで、他にいくつかの支線があった。
山形県内では最長規模の路線で、管轄は秋田営林局に属した真室川営林署である。全路線が現在の山形県真室川町の区域内にあった。
本線の大きな特徴は、起点から中間地点の大池にかけて、3回も峠を越えていたことで、それぞれの頂上が隧道になっていた(以前の探索で解明したのも、これらの3本の隧道が中心)。
林鉄の多くは、順勾配といって終点から起点に向かっての一方的に下り勾配になっているが、峠越えは逆勾配になるため運材列車を走らせる上での大きな障害になる。そのため可能な限り避けられるのだが、本線にはそうした峠越えが3箇所も存在していた。
ただし、右図のような全ての本線と支線が同時に存在していたわけではない。
次の図は、本路線網の消長を時系列順に7枚の地図で示したものである。上部のタブをクリック(orタップ)すると画像が切り替わる。
真室川森林鉄道の全体路線史
1935年 | 1939年 | 1943年 | 1950年 | 1956年 | 1958年 | 1965年 |
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真室川森林鉄道と呼ばれる事が多い本路線であるが、秋田営林局の林道台帳に記載された正式な路線名ではないようだ。
この森林鉄道の始まりは、昭和6(1931)年度に、釜淵貯木場から大池付近の間の安楽城(あらき)林道と、三滝で分岐する小又川支線が相次いで着工し、同9年度に開通したのが始まりだ(当時この一帯を安良城(あらき)村といった)。
同12年度から14年度にかけて、本線はさらに高坂を通って鮭川源流の大川入に伸び、全長30081mとなった。
このように路線が秋田県境の丁(ひのと)山地の奥地まで達し、大量の森林資源に手が届くようになると、峠越えが多い本線では輸送力が不足したため、昭和18(1943)年度に小又〜大池間を廃止(牛馬道に格下げ)して、鮭川流域の材木は新たに設けた滝ノ上の貯木場に集めることにした。こうして安楽城林道は東西に大きく分断され、鮭川流域の本線部は大沢川林道へ改称された。
以後、大沢川林道とその支線は固定化されて黙々と仕事を続けるのだが、鮭川流域で多発した春先の融雪洪水を解決するべく、昭和20年代から高坂地区に大規模なダムを建設する計画が進められた。そして昭和33(1958)年、山形県は大沢川総合開発事業を決定し、現在地に高坂ダムが建設されることになったのである。
このダムに建設に伴って大沢川林道や支線は8.9kmにもわたって水没することから、同年内に高坂以奥が廃止され、付替林道(車道)に切り替えた(ダムは昭和38年着工、42年竣工)。
最後まで残った下流側6390mの軌道も昭和40(1965)年に廃止され、前年に廃止された小又林道(安楽城林道の分断された釜淵側区間の末裔)と合わせて、30年余りの歴史を刻んだ真室川営林署の森林鉄道は全廃された。
この地の人々にとって、林鉄の思い出はかけがえのない重さを持っていたようだ。
昭和60年頃、真室川町歴史民俗資料館において、秋田営林局管内の別の路線で使用されていた機関車を譲り受けての動態保存運転がスタート。この活動が発展して、現在では梅里苑という町営温泉施設の一角に約1kmの線路が敷かれて、乗客を乗せた定期保存運転が続けられている。東北地方では恐らく唯一、“走る林鉄”に乗れる場所である。
2013年6月9日、今回の探索の一環で試乗した、梅里苑の保存車輌。
ナロー好きには非常に楽しい体験なのでオススメだが、乗り心地は覚悟して欲しい(笑)。
それでは本編スタート。