右図は北海道のある地点の道路地図(2019年版のスーパーマップルデジタル)のスナップショットだ。
国道229号が海岸線を走っており、途中に虻羅トンネルがある。
トンネルが貫いている海岸線に、小さな文字で二つの地名が書かれていることに注目。
“クズレ”
“蝦夷親不知”
なんだこの慎みのない地名!
前者はあまりにも直情で、一秒たりとも噛みしめる余裕を与えない。「クズレ」ってなんだよ! しかも漢字は忘れたのかよ。中学生じゃねーんだぞ。
後者は今度は節操がなさ過ぎる! その地名は十中八九あの北陸道の有名な難所のパクりだよね? それに蝦夷を足しただけって……。
……この二つの地名から読み取れることは、たったひとつ。
険阻。
それ以外の印象はない。もし観光名所なら少しは地名にも風流が滲むものだが、その余裕を感じない。
また、この地図に虻羅トンネルの旧道は描かれていないが、あったことは確定している(後述)。
ここを訪れたのは、2018年4月に行った自身初の北海道遠征の5日目(最終日)だった。
この時の探索は、5日間のほぼ全てを国道229号(小樽〜江差)の旧道群に捧げており、どの探索でも海は近くにあり、険しい崖があり、廃隧道があった。
同じような探索ばかり5日も続けるとか、端から見れば修行僧のように思えるかも知れないが、実際の印象では、それぞれにみな違っていて、とても飽きする余裕はなかった。
既に紹介済みの尾花岬、藻岩岬、雷電岬などのレポートを読み比べていただければ、そのことは分かるはずだ。
この探索は、藻岩岬の探索を終えて尾花岬へ移動する途中に行った。
5日を捧げても沿岸の全ての旧道を走破する時間はなく、計画段階での取捨選択があったのだが、ここは優先順位が高かった。
なんとしても、「クズレ」や「蝦夷親不知」の地名のリアルを見なければならないという思いがあった。
そのため、珍しく読者様からの情報提供によらない、完全に自己の中にきっかけを持った探索でもあった。
大正6(1917)年の地形図を見ると、虻羅トンネル開通以前の道路(府縣道の記号)が海岸線を通っている姿がはっきり描かれていた。
傍らには既に、“クズレ”の文字も。 なかなか歴史ある、“クズレ”である……。
なお、よく見ると私が“青ピン”を付けた地点の南北で道の描かれ方が変化している。
いずれも府県道であることは変わらないが、北側は片破線であるから、「荷車を通ぜざる府縣道」ということを意味している。
そのため、ここにあるのは私が一番好きな車道廃道ではなく、この図の北側にある藻岩岬旧道のような徒歩道の可能性を疑いたくなるところだが、多分ここにはちゃんと車道の旧国道があるはずだ。
なぜなら、現道の虻羅トンネル(全長1065m)の竣工年を『平成16年度道路施設現況調査』で調べると、昭和47(1972)年竣工という数字が出ているのである。
さすがにそんな遅くまで車道が通じていなかったとは思えない。
この北側には須築の他にも美谷(びや)というそこそこ大きな集落もあることだし。
チェンジ後の地図は最新の地理院地図だが、スーパーマップル同様、旧道は描かれていない。
しかし、わざわざ2列に表現された崖の記号が、それらに挟まれた位置にかつて道の記号があった名残を留めてしまっているのである。
間違いなく、古い版ではここに旧道が描かれていたと思う。(そのことは後の机上調査で確かめる)
……あと、完全に表記が消えているという点に嫌な予感は当然あった。間もなく現地の景色を見たら、みんな腰抜かすぞ……。