車を使って不通区間の反対側へ回り込んだ。
わずか700mほどの不通区間があるために、国道と県道を迂回せねばならない距離は約6km。
大人の足でたっぷり一時間の距離だ。
そう考えると、この峠にトンネルを掘って行き来したいという隣村同士の思惑は頷けるものがある。
特に、上小国村の方は峠を下ったすぐの場所に村の中心部と役場があったわけで、トンネルが開通すれば福島市街へ出る利便も相当に向上しただろう。
そして、もし実際に開通していれば、今日まで廃止される謂われもなかったろう。
今日でも、未開通でありながら県道に指定され続けていることは、県も一定の価値をこの峠に認めているはずなのだ。
しかし私の車は、この迂回を10分も要さず成し遂げた。
昭和30年代にはまだ十分浸透していなかったマイカー社会は、この程度の迂回を迂回と感じさせないほどに時間距離を縮めてしまった。
いつものようにチャリを使っていたなら、この迂回はもっとトンネルを渇望させるものとなったに違いない。
2007/12/8 7:37
ほぼ一年ぶりの染屋橋である。
ここまで至って平凡な2車線道路であった県道318号は、標識もないまま突然左折しこの橋を渡る。
前回訪問時と奥の果樹園の様子も山並みも、全然変わってはいないようだ。
虎の巻を握りしめ、ここからは徒歩で踏み込む。
今回は、県道を完璧に辿り尽くすぞ!
この辺りは前回探索の追体験でしかない。
右手は枝だけになった果樹園。
左手は道から一段下がって畑がある。
これら圃場に出入りする車だけが轍を道に残しており、それも最初のT字路で全て直進方向へ誘導される。
県道は右に入る細道であり、これも前回辿ったとおりだ。
ちなみに、台帳では染屋橋から既に「交通不能区間」扱いとなっている。
轍なき小道に入り、左手に小さな溜池を見ながら進むと、すぐにまた右にカーブする。
これもまた前回同様。
台帳もこのルートを道なりに県道指定して見せている。
だが、その先が間違っていた。
前回の私は素直に進むことをせず、奥の鞍部(写真の杉林の裏手)が峠だとあたりを付けて、赤いラインの踏み跡を登ってしまったのだった。
もっとも、そのルートにも県道としての根拠が一切なかったわけではなく、最新二万五千分の一地形図や電子地図帳などに記載された峠越えの歩道は、鞍部に向かってやや左手の山腹を登り詰める感じであった。
そこに、微かながらも現実の踏み跡を見つけたのだから、私がそれを県道だと疑わなかったのもやむを得ない。
なまじ藪化した県道を多く経験してきただけに、違和感をさほど受けなかったのだ。
だが、それは誤りであった。
再び道路台帳を見ていこう。
前回辿ったルートは黄色のラインだが、そのほとんどが台帳上では里道でさえない、全く道無き道であったことが分かる。
では、あそこにあった道は何かと考えれば、それは電柱の管理道だったと考えられる。
ずっと電柱に沿っていたので。
一つだけ腑に落ちないのは、あの道沿いで何本もの「福島県」の標柱を見たことだ。
このことについては、後ほど一つの仮説を立てることが出来た。
ちなみに、最初の訪問時、切り通しの手前で別の道が合流してきたのを覚えているだろうか。
その道は、台帳に里道としてはっきりと描かれていた。もし本県道に旧道を仮定するならば、むしろこちらの方が正統な気がする。
台帳の県道ルートを忠実に辿るべく、その“写し”を片手に持って見ながら進む。
なぜそこまでしなければならないかといえば、そうでもしないと見逃しそうな極めて不可解なルートになっているためである。
左の写真に書き足した2本の赤い矢印は、いずれも里道である。
手前の矢印は、前回私が苦し紛れに辿ったミスルートの入口。これは論外だった。
そして、道なりに進むことで入り込むもう一本の赤矢印は、やや迂回して峠へ繋がる(らしい)里道である。
黙ってこれが県道でも良さそうなものだが、あくまでも建設放棄されたトンネルルートを県道にすべく、極めて不可解なルートが指定されている。
レポートしても別に誰の役にも立たないと思うが、自分自身が忠実に県道を辿りきりたいということで、この部分は徹底的に図と現地を見比べて歩いた。
県道(赤いルート)が左に直角に折れる地点の目印は水路で、それを渡って1mほど(笑)先へ進んだ地点と言うことだ。
この精度で地形を見れば、どんなルートでも追認は可能なはずである。
…それが、 現存するならば。
左の盛り上がった所は堤のようで、その向こうには小さな水面が見えていた。
そこから稀に水が落とされるのか、僅かだが道を横断する凹みがあって、これが図面上の水路であろうと推定された。
前のカーブからの距離などを考えれば、まず間違いないはずだ。
道 …あるか?
ないぞ。
図面では、この窪地(かなり深く水が溜まっていた)のほとりに県道が存在することになっているのだが、そこは雑木林の急斜面でしかない。
踏み跡一つないのである。
もっとも、図面に“ある”という道も、注記に「勾配24.5%、幅1m、全長35.6m」とあって、車道とかそういう次元ではないようだ。
7:46
二度の失敗は絶対に避けたかったので、徹底的に斜面を探ったか道など無く、ましてほんの僅かな距離であるから見逃しということは考えられない。
やはり、図面の道は実存しないのだ。
そして、道無き斜面を図面通りに30mほど歩くと、意外な光景に辿り着く。
道が現れたのだ。
どこにも繋がっていない、完全孤立の道である。(写真は来た方向を振り返って撮影。里道の赤いラインも、この笹藪の中で行き止まりである。)
もちろん、前回はここへ来ていない。
前回はさっさと山を登ったから、このような溜池の裏になど来ているはずもなかった。
当然、ここに道があるなんて思いもしなかったし。
足元の地面には、人工的に均されたような雰囲気がある。
それも手作業ではなく、ブルドーザーか何かで均したように広い。
また、そこにはこれまでの路面で見られなかった、大粒の砕石が散乱していた。
河原でもないこの場所に、もとより露出しているとは考えにくい。
これも、路面舗装用の資材であった可能性が。
山奥でも何でもない立地だが、嫌に胸が騒ぐ。
もとより未成道路は大好きだが、他の道から切り離された存在だというのが特にそそる。
そして、帳簿上では現役の県道だというのが、さらに熱い…。
ハッ!
「福島県」 !!
またしても、県有地を示す標柱が発見される!
しかも一本だけではなく、辺りに数本見つけたが、その位置には疑問も残った。
なんというか、単純に一本の道の両側に立ち並んでいるわけではないらしく、それこそ、道跡らしい窪地の中央部から端まで、無作為に打ったような配置だった。
また、ここの標柱群は、昭和30年前に立てたにしてはコンクリートの色といいつやといい、新しすぎるように見えた。
それに、前回の探索で電柱沿いの道に見つけたものと酷似している。
記憶半分の大雑把な図だが、図中の赤い点の様に前回および今回見つけた標柱は配置されていた。
なんというか、前回見つけたものも、全てこの谷底の県道に関連する標柱だったのではないかと思えるのだ。
法面工事などで実際の路面よりもかなり外側まで道路用地(県道の場合は県有地)が広がることはままあることだ。
期待を胸に、谷底を埋め立てたような道を登りはじめる。
どこまでが自然の地形で、どこからが人工的であるのか、良く区別が付かない。
平坦な路面があったと思えば、次は波状の起伏が谷全体を覆っていたりした。
ただ一つ言えることは、その中にも点々と県有地標が立っていて、人工の薫りを感じるということだ。
ぎょっ とした。
行く手に突然、生々しい木の肌が現れた。
周りは杉林が青々と茂っている中にあって、同じような直立系の幹でありながらこの一角だけ全く枯れ払っているのが、とても奇妙に見えた。
そこに、呪いであるとか病であるとか、何となく不吉な事をイメージして気持ち悪いと思ったのだ。
しかも、上を見上げればまだかなりの量の枯れ葉が枝に残っている。
私の訪問を前にして、唐突に枯れたような錯覚を覚えた。
だが、よくよく考えてみると、この木は唐松である。
唐松は針葉樹の中では珍しく、毎年冬枯れするのだ。
だから、この景色は何も不吉ではなかったことになる。
…そう分かっても、やはりちょっとは気持ち悪いが…。
当初は道の真ん中に邪魔しているように見えた唐松の樹群だが、実際の道は直前でこれを避けて、いよいよ人工的な谷…掘り割りを刻み始めた。
図面通りの光景が展開しているようだ。
地元の人も敢えて立ち入らないらしく、刈り払いのあと一つない谷底。
徒花に終わったこの道の痕跡など、ほとんど忘れ去られているのだろう。
そんな現実に反抗するかのように、道は、進むにつれ鮮明さの度合いを増していくのだった。
再びの終着地を目前にして!
7:49
伊達市側以上に道の痕跡をはっきりと留めたままの、福島側行き止まり。
図面上は、ここから真っ直ぐ山を越えて向こう側の行き止まりに下っている。
その間約150m。
間違いなく、隧道の予定地である。
杉の木立の合間に、前回の探索で越えた切り通しのシルエットが見えていた。
上から見たときには、この谷は本当にただの沢登しか思えなかったのだが、道路台帳は偉大だった。
行き止まりに立ちはだかる岩壁は、伊達市側と同様にいつでも隧道を掘り始められそうに見えた。
しかし、その手前は土砂崩れでもあったのか、かなり厚く土砂が堆積して埋めている。
「昭和30年前に隧道工事をしたが中止した」
その言葉は衝撃的だったが、さすがに痕跡は残っていないようだ。
まあ、隧道工事といっても実際に掘っていたかは分からないのである。
隧道直前までの準備工事で中止になったとしても、一般には「隧道工事をしていた」と認識されることもあるだろう。
ん?
このパイプは?
地面から、何か意味深に突きだしている。
覗いてみても、もちろんそこは土だった。
しかし、 …なんだか…
近づけば 近づくほど…
奥の崖が気になりますな……。
……残 念。
さすがに穴が開いていたりは、していないようである。
だが、明らかに人工的に削られた岩場であろう。
谷地になっていることもあり、岩肌を水滴がしきりにこぼれ落ちていた。
この辺りの水は、阿武隈水系から太平洋に流れ込む一滴となる。
…おいおいおい。
おいおいおいおい!
これって
隙間じゃねーの?!
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嬉しさと悲しさが、
同時に来た。
60年以上も前に工事が中止された隧道が、僅かな岩の隙間ではあったが、口を開けていた。
何より嬉しい発見!
ある意味、台帳にさえ載っていない県道の部分を見つけ出したとも言える。
たった一通の読者からの感想メールが、黙っていればこのまま忘れられたに違いない隧道を、見つけ出さしめたのだ
…しかし、その内部状況は、これまで目撃してきた隧道の中でも最悪の状況。
なんと言っても、踏み込みようがない!!
これらの写真にしても、岩の隙間の前に四つん這いになって、濡れた地面で腹を冷やしながら撮影したのである。
片手にライトを、もう片方の手にデジカメを持って、闇の中を手探りで撮影したのだ。
坑口の隙間は狭く、この頭一つねじ込むことは出来ない。
だから、肉眼では洞内を少しも見ることはなかった。
デジカメのレンズがその代わりとなった。
色々な角度へカメラを向けて闇雲に撮影を繰り返した結果、内部空洞はかなり奥まで通じていることが分かった。
最低でも、光の届く範囲、おおよそ5m位までは確認できた。
だが、坑口を埋める土砂により、洞内は鏡のように澄んだプールになっていた。
水面は光の反射のせいで、その深さはよく分からない。
坑口の土砂を寄せれば中は水だけなのか、内部も土砂が天井近くまで充填されているのか。
ともかく、この坑口は人為的に埋め戻されたように見える。
やはり、貫通まで掘り進められては居ないのだろう。
そして、もう二度と工事を再開する見込みは無かったのかも知れない。
しばし坑門前で這い蹲ってモゾモゾしたが、入れないものは入れない。
スコップでもあればいくらか排水できるだろうが、この隧道がそれなりの規模だとしたら、内部の水深は人の背丈以上もあるだろう。
坑口前にはよく締まった土砂が山をなしており、これを排水するほどに掘り下げることは、単独では不可能に近い。
……いつか、発掘してみたいが…。
どこにも通じていない隧道を掘る空しさは、 …拭えない。
現実に掘ることはおそらくないだろう。
しかし、これは予想以上の成果だった。
半世紀以上も前に工事中止となった隧道が、人知れず山の中に残っているというシチュエーションは、私の好みのストライクゾーンど真ん中。
まして、読者情報と行政資料という二つのチカラを最大限活用して発見に至ったという興奮は、忘れがたい!
7:59
写真の地点まで戻った。
帰りは、ここから正面の里道へ進んでみた。
なぜならば、この笹藪の下に、築堤のような道路の気配を感じるのだ。
それは周囲にある他の里道とは明らかに違う…、この県道工事の一部分として造成されたもののような気がする。
笹藪の下に、確かに平らな路面のあることを確かめつつ20mほど進むと、前回の探索で通った踏み跡を横断。
そのままほぼ平坦に北へ向けてもう20mほど道は続いていた。そして、唐突に終わった。
これが里道だというのなら、一体どのような意図があって存在しているのか全然分からない。
車も通れる幅があるのに、どの車道にも繋がっていないのだから。
やはり、これは県道の新道として建設されつつあった道の名残だと思う。
終点から下手を見ると、下染屋の集落や、そこから折れて向かってくる県道318号の畦道が見えた。
先ほど歩いた道であるが、視座と下界には思った以上の高低差がある。
この高低差を埋めるためには、隧道工事以外にも完成させなければならない新道があったように思われる。
もう、この辺りは身勝手な妄想だが、例えば下の溜池の堤にある轍と、現在地とを結びつける大きなヘアピンカーブが描けたとしたら、そこには比較的緩やかな勾配の車道が生まれるだろう。
今の妄想を図に示すと、ピンク色のラインとなる。
こうすれば、不自然な行き先なき里道も、県道の一部として説明が付く。
そもそも、点線で示した部分の県道は、本当に痕跡一つ存在しないのだ。
地形的にも、あそこに道をつけることは勾配が急になり過ぎると思う。
やはり、この里道はくさい。
終点から、福島市方面に続く立派な県道318号の現道区間を望遠で撮影。
あの立派な路面が、この小さな峠を越えていたかも知れないのだ。
もし隧道貫通まで漕ぎ着けていたなら…、工事は中止されなかったかも知れない。
その場合、未来は何か変わっていただろうか。
それとも、変わらなかったのだろうか。
間もなく私は、朝靄の残る現地を後にした。