道路レポート 十和田湖八甲田山連絡道路 その3
2004.6.25


 枯木沼  地図で確認
2004.6.16 9:15


 ここは、枯木沼と呼ばれている場所だ。
前谷地を底に、広大な大谷地湿原を経て徐々に高度を上げてきた湿原地帯も、ここで終了となる。
この先は、地図上でもヘアピンカーブが目立つ急登攀路となり、一気に地獄峠直下にある黄瀬萢(おうせやち)の海抜1200m付近まで登る。
地図上での黄瀬萢(おうせやち)までの距離は4.5kmほどだ。
この区間はまた、数少ない踏破情報において、最も廃道化が進む難所であるとされている。

誇張を一切省き正直に申せば、直前の大谷地を突破するのに要した1時間で、私はかなり疲弊してしまった。
大谷地の僅か2km区間は本当に辛く、一度は道を失いかけたり、それ以外も殆どチャリを押すか担ぐかしていたので、まださらに登りが続き、しかも難所だという現実に、参ってしまった。
この先の道が、再びチャリに跨がれる展開であることを祈るばかりである…。
正午までに突破という“余裕の計画”すら、ちょっと危うい雰囲気になってきたばかりか、これ以上道が荒れるようならば、本当に「断念!」というおそれも出てきた。


 枯木沼という名は、ぴったりだと思った。
年中低温の高地であるが故、水底の枯れ草や枯れ木も分解が進まないようで、水中に地上と変わらぬような草原が続いている。
無論、それらは茶色く変色しており、間違いなく枯れている。
立ち枯れした幹も幾つか湖面に突きだしていて、あの上高地を彷彿とさせる景観になっている。

野鳥が遊ぶ池を後に、再びチャリに跨る。
午前9時17分、再出発。


 これまでは湿原地帯の直線的な道だったが、この先は「松森のヘアピンカーブ」と呼ばる屈曲ゾーンだ。
このカーブの存在は、殆ど目印のない廃道探索に置いて重要な道程標となるばかりでなく、モチベーションの維持にも有効な存在なのである。
それで私は、この先のカーブの数と大体の位置を暗記して望むことにした。
枯木沼から100m程の地点にあるこのカーブが、最初のカーブである。
このカーブを含む一つのS字カーブを越えて、ひとつ、ふたつ目のヘアピンカーブが、松森のヘアピンカーブと呼ばれるものだ。
とりあえずは、このヘアピンカーブが当面の目標となる。


 枯木沼出発から10分。
S字カーブの最後のコーナーに差し掛かる。
上の写真もそうだが、枯木沼以降道の状況は奇跡的に復活している。
雰囲気としては、の「954ピーク」付近の道に似ている。
そうえいば、標高も同じくらいである。
無駄に広い轍に深く落ち葉が積もり、決して走りやすいとは言えないが、これだけ道幅があるとホッとする。
なんといっても、チャリに乗れるのが嬉しい。

この先暫くは湿原も現れないと思うので、もしや意外に楽?



 道の脇には所々小さな沢が走り、それらが道にぶつかる場所に、小湿地が形成されている。
この道の沿線では珍しくもないが、ミズバショウが瑞々しい葉っぱを広げている。
大きなものなど、直径1mくらいに葉を広げている。

この写真を撮影している私に、森の先から音が聞こえてきた。
それは、まるで人の話し声のような音だ。
しかし、まさかこの場所で人に出会うとは思えない。
枯木沼から先は、道中でも一番使われていない道だと聞いていたが…。


 この道に入ってからこれまでも二度、奇妙な音を聞いているので、(地点で聞いたオカリナの様な音は、「アオバト」という鳥の声ではないかというご意見を賜ったが)あんまり深く考えず先へ進むことにした。
しかし、速度のでない急登攀に喘ぎながら進んでいくと、ますますその音は大きくなってきた。
もはや、すぐ傍から発せられている。
しかも、明らかにラジオの音である。
私の前方数十メートルの森から絶えず聞こえているのだ。

私は確信した。
「この先に人がいる!」
そして、ここまでの道の険しさ(あの大谷地の不明瞭な道を歩いてくる人がいるとは思えない)を考えれば、きっと猿倉温泉から大谷地辺りを目指して下りてきた登山者なのだ。

 やった!どうやら道は在るらしいぞ!

山で人に出会うことを嫌う私が、この時ばかりは遭遇を心待ちにしていた。
そして、「チャリで走っていることを窘められるかも知れないな」「引き返せと言われたらどうしよう」などと、普段の小心者全開の思考をする余裕すら生まれてきた。




 そして、期待通りそこには人の姿があった。
しかも、思っていた以上に大勢である。
期待と違ったのは、彼らが明らかに登山者ではない出で立ちであること。
山菜採りか?
そして、その人数に呆気にとられながらも、彼らが陣を張っている場所が道の中央であったために、避けるわけにも行かず、そのままチャリに跨って進入していく。

彼らが私に気が付いたのを見計らい、私は努めて笑顔で「こんにちわー」と、乾いた挨拶を放った。
そのスマイルは普段ローソンの制服の中にあるものに同じで、勢い「ポイントカードはお持ちですか?」と問いかけそうな程であった。
彼らも、この珍客に驚きはしたが、比較的にこやかに反応してきた。
まずは先制パンチ成功といった手応えである。

彼らの中でも、特に世話焼きが好きそうな親爺が、驚いた顔で問いかけてきた。
 『どさいぐ?(どこへ行くのだ?)』
私:「猿倉までー」(努めて笑顔かつ、平常を装いながら…辛い顔をしていれば、もうこの先は止めた方がよいなどと要らぬ事を言われそうなので)
 『この先だば、いがいねや。(この先へは行かれないぞ)』
 『この奥だば道もこんた感じになってで、とでもいがいねー』
そういって、オヤジは道の外の笹藪が密集した一角を指し示した。
ちょっと、このオヤジの攻撃には私もたじろいだ。
そんなに酷い笹藪なのだとしたら、確かに行けないかも知れないな…。一気に不安な気持ちが高まる。
しかし、ここで弱気を見せれば、確実に引き返させられる。
多少不利になってきたのを感じた私は、オヤジとの笑顔の会話を続けながらも、そそくさとオヤジの先へとチャリを進めた。
一応オヤジ軍団よりも先へと進んだ事を確認し、私は振り返って聞いた。
これだけは、聞いておきたかった。

「皆様は、この先から来られたんですよね?」

 『でね。下からだ。』 

 『やめとげ。歩いてでも通る奴いねや。』
 『自転車だばまず無理だと思うや。』

 期待していたのとは違う答えに、完全に息を乱した私に、オヤジ軍団からの苛烈な帰れコールが集中する。
もう、これ以上は耐えられない!
私は逃げるように彼らに背を向けると、強ばった笑顔を作り、努めて明るく言い放った。
「もし行けないと思ったら、戻りますから。」
「まだ昼前なんで、昼になっても越えられなかったら戻りますので大丈夫です。」
私は、必死に平静を失い、聞かれてもいないのにベラベラと今後の無事な帰還計画をアピールした。
完全に、敗北である。


逃げ出すヨッキれん。




 松森ヘアピン地帯 
9:35


 オヤジ軍団から逃げるようにその場を離れる私の背中に、世話焼きそうな丸顔のオヤジから、極めて重要な情報が。
なんていいオヤジなんだろうかと、私はいたく感動したのだが、その話を要約すれば以下のようになる。

 オヤジ達は、御鼻部山から歩いて入り(そういえば、入山時に既に二台のバンが駐車場に止まっていたのを思い出す)、この登山道の刈り払いをしているという。
この先15分ほど進んだ場所までは刈り払いしたのだが、そこから先は全然手つかずで、とても自転車では進めないという。

…15分といえば、歩いて15分という事だろうから、1kmよりも手前と言うことだろう。
それは、ちょうど二つあるヘアピンの中間地点付近と思われる。

オヤジの優しさに触れた私は、ムキになって突破する気がなくなった。
あのオヤジ達になら、「やっぱ駄目でしたので引き返しましたー。」と、今度は素直な笑顔で戻るのも、なんか心地よい気がしてきた。
私は、思った。

山のオヤジ達が無理だといった言葉は真であるはずだ。
15分ほど進んでみて、そしてこの目で確認して…

 そして、 納得したら  
            …戻ろう。



 オヤジ達の喧騒から離れ、再び静寂を取り戻した森の中を進むこと数分。
期待通り車道幅のヘアピンカーブが、新緑の森に姿を現した。
第一のヘアピンカーブだ。
道の外は深い藪となっているが、刈り払われた小枝が散乱する路面だけは、ひとときの安らぎを提供してくれる。
私はここでチャリから下り、荷物を放って、道の脇の草むらに座った。

オヤジとの戦い…初めはそう思っていたが、オヤジはいいオヤジ達だった…。
なんか、私は肩の荷が下りたのを感じていた。
たったひとり、1ヶ月以上も前からこの日を待っていた。
胃が痛くなるほどのプレッシャーを感じ、昨夜の夜行など、はっきり言って苦行のようだった。
ここまでの道のりでも、確かに景色の美しさは心に届きはしたが、それ以上に、「もし次のカーブの先に、進めないような難局が現れたらどうしよう」 かと、そればかりを恐れていた。
楽しくは、なかった。

山チャリは楽しくなくていい。

それは私の持論だ。
無事帰り着いた後の充実感だけが在ればいい。

だが、本当にそうだろうか?
素朴なオヤジ達は、私の憑かれたような責務感を取り除いてくれた気がする。

 「時には気持ちよく戻る日も、在っていいよな。」
そうひとりごち、私は再びチャリに跨った。





 9時43分、オヤジ地点から8分ほど進んだ。
第一のヘアピンカーブを過ぎた先は、勾配こそ思っていたほどキツくないものの、藪の中に残された踏跡の幅は一気に狭まった。
これまでは大谷地の僅かな場所を除いて、道を失うような危険性は感じなかったが、この辺は元々の道幅が殆ど分からないほど旧車道敷き全体に木が密生し、残された部分にも笹が蔓延り、慎重に慎重に足元を確認して枯葉の路面に踏跡を求めて進む。
これでも一応刈り払われているのだろうが、小さな枝や笹の葉は放置され、それらがいちいちチャリに干渉する。
またしても、殆ど漕いで進めないようになってしまった。

この調子で本当に刈り払いが途切れたりしたら、万事休すだ。


 低木を中心に密集した森は視界が利かないが、明らかに地形はそれまでの平坦さではなくなっている。
なだらかな南八甲田連山に於いて珍しく厳しいのが、第一のヘアピンが接触していた黄瀬沢と、この先の第二のヘアピンが接触する田堰沢のV字峡谷である。
このヘアピン地帯は、南八甲田で最も難しい地形を突破していくものといって良い。
そして、当然廃道化して久しい道の状況も危うさが目立ってくる。
写真のような路肩の欠けは頻出し、藪が深いだけに、もし滑落した場合の落ちどころが全然読めない。
おそらくは、二度と戻って来れない場所に引き摺り落とされることだろう。

チャリが、邪魔だ。
とにかく、邪魔だ。




 9時48分、オヤジ地点から13分経過。
殆ど歩きか、チャリが足手纏いな分、それ以下の速度となってしまっていたが、小さな広場に着いた。
そこには、最近たき火をした形跡があり、その先の道は、一面の笹藪に埋もれ、消えていた。

遂に、来てしまった。
忠告されていた、刈り払いの終点だ。
先ほどは悟りを開いたかに見えた私だが、いざ引き返しを考えると、悔しい。
その悔しさは並みではない。
もう3kmほど先には黄瀬萢があり、その先については比較的登山者もいるという。
完全な廃道に苦しめられるのは、後もう3km程なのだ。
しかも徒歩とはいえ、昨年にこの道を完全縦走した人物の「歩き通した!」という誇らしげな言葉が、思い出される。

ここを歩いた人物がいるのだ。
チャリがたとえ足手纏いになろうとも、それを覚悟して入山したのではないか。
本当に進めないと実感しないのに、引き返すことが、本当に「気持ちの良い撤退」なのか?
自分に正直になれ。
今まで積み重ねてきた山行がのやり方にも、意味があったはずだ。

まだ、諦めるには早い!

 

 無茶を覚悟で藪にチャリを押し込んだ。
案の定、漕いで進むことなど出来ない。
漕ぐのは、ペダルではなく、藪だ。
刈り払いのない山道は、想像以上にチャリの移動の妨げになる障害で一杯だ。
歩きならばせいぜい視界の邪魔になる程度の小枝や笹も、チャリの露出した駆動部に絡み付いてくると、そのままでは進めない。
いちいち立ち止まり、絡んだ分を手繰り寄せるか、強引に力で千切るかを選択しなければいけない。
どちらを選んでも、とにかく時間がかかる。
10m進むのにに1分かかることも、ざらなのだ。





 広かったかつての道路敷きは、斜面上に続く幅5mほどの平坦地としてのみ、その痕跡をとどめている。
しかし、所構わず木々が根を下ろし、笹が覆う。
日陰となっている場所で写真のように藪が途切れる箇所もあり、ちょっと安心するのだが、長くは続かない。
しかも、こんな場所でも朽木が路面の落ち葉に埋もれていたり、切り株ならぬ「折れ」株が散在しており、チャリに跨る事は出来ても漕いでは進めない。
無理に漕ごうとしても、チャリに跨ったり降りたりを繰り返すだけ時間と体力の浪費と考えるようになった。

ここがもっとも困難な区間なのはほぼ間違いないと思うので、急がなくてもいいから、とにかく一歩一歩確実に進むことにしよう。
ここで体力を使い果たしてしまえば、悲惨な最期は硬い。


 路肩が大きくえぐれており、その崖の底は相変わらず藪に消えていて見えない。
これは、とても心理的に圧迫感がある。
落ちたらどうなるのかが分からないほうが怖いということも、あるのだ。
このような場面でも、落ちずに残っている道路敷きは3m以上もあるのだが、唯一の踏跡がどういう訳が崖沿いに続いていて、危険極まりない。
そして、この踏跡をそもそも誘導してるのが、要所要所に現れる赤テープの誘導標だ。
道自体は広いので見失いにくいのだが、そこに付けられた踏跡は、その道幅の範囲内で右に行ったり左に行ったり、崖沿いに行ったと思えば、今度は山際と、旧道上の倒木などの障害を避ける意図があるのだろうが、とにかく落ち着かない。
それらは全て、赤テープにしたがっての蛇行なのである。
赤テープに気をつけて走ることに慣れてからは、格段とルートファインディングが容易になったのは事実だ。
しかし、自分でコースを選べない圧迫感は、ストレスに繋がった。



 10時23分… ああ、どんどん時間は経過している。
自分でも、こんなに進めないとは思ってなかった。
とにかく、時速1km程度しか出せていない。
この調子では、黄瀬萢まで正午に辿り着けるかすらも、怪しい。

久々に木々の間から遠くの景色が見通せた。
確実に高度の上がっていることを実感できるこの眺めには、少し勇気づけられた。




 今度こそは決定的な終局か。

そう思わされる藪は、度々私の前に現れた。
そして、その都度私はチャリを担ぎ上げたり、放り投げたり、或いは駆動部に絡みつく笹を巻き取ったり、または力任せに引きちぎったり、涙ぐましいほどの地道な作業が続けられた。
何度目かもう分からないほどの、この笹藪地帯で、私はデジカメのボイスレコードに声を吹き込んでいる。

「あたりの廃道ぶりは凄まじいものがあります。」
「笹を主体にした藪は、とにかく進みにくいです。」
「もうそろそろ、ふたつめのヘアピンだと思うのですが。」





 その8分後、10時31分。
またも吹き込む。

「ハァハァ…  久々に、チャリに跨がれる場所が現れました!」

「ハァハァ… 沢の音が近づいてきました。」
「今度こそ、ヘアピンが近いと思われます。」


私の気力の限界は、遠くなかった。



 無情である。
自然とは、かくも非情である。
挑むものには、どこまでも薄情である。
期待を裏切る事に長けている。
要らぬ期待を抱かせ、その期待をへし折ることに、非常に長けている。

自然は、無情なものである。




 藪の丈よりも急な傾斜が谷側に落ち込むようになると、やっと周りの地形が見通せるようになった。
この場所は、いよいよ田堰沢の左岸上方に間違いない。
深い谷間に水の流れこそ見えぬものの、確かに轟音が山間に響いている。
思っていたよりも、かなり大水量の沢らしい。
それは登る者もない、人跡未踏の沢のようである。
この廃道の厳しさを知るにつけ、よもやこんな沢に降りる者がいるとは思えないのである。

得てして、沢歩き人間達の行動は、常人の想像を絶するものではあるが…。



 それまでで最も沢音が近づいた時、長い笹藪が途切れた。
そして、木陰となり藪のない数メートルの先、右側の木に3本連続して赤テープがつけられていた。
今まで見たことがないサインである。
だが、私はそもそもテープに頼る登山者ではない。
廃道探険者だ。
連続赤テープで登山者に道間違いへの注意を促しているこの場所は、すなわち、進路が変わる場所だろう。
しかも、通常の登山路では余り見られない、180度進路が変わる地点。

廃道探険者には、テープなど不要である。
その独特の雰囲気が、かつての道形を教えてくれるから。

こここそが、第二のヘアピン。

 通称:
  松森のヘアピンカーブ

 10時42分、枯木沼からの約2kmに1時間25分を掛け、やっと、辿り着いた。






その4へ

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