道路レポート 十和田湖八甲田山連絡道路 その6
2004.7.13


 いよいよ地獄峠へ! 最後の登り 
2004.6.16 13:00


 午後1時。
入山から、7時間が経過した。

前代未聞の道である。

しかも、まだ登っている。
ゴツゴツした火山岩が登山道に変わった旧車道を覆っており、チャリに乗れないこともないが、ペースは上がらない。
そして、サドルに突き刺さったような尻が、もの凄く痛い。
登りの疲労よりも、尻の痛みの方が苦痛である。


 道は、南八甲田の主要な山に囲まれた黄瀬沢の源流部を、森林限界の上部で巻いている。
この「巻き」が終われば、そこが稜線。
すなわち、地獄峠である。

写真の鞍部が、それだ。
あと、これだけに接近した。
しかし、山での「これだけ」ほどあてにならない物はない。
すぐそこに見えていても、なかなかに辿り着けないのが、山道の怖さなのである。



 雪原も残る道を行く。
6月とは言え、休んでいると肌寒いほど、山の気温は低い。
今日など、この天気で最高の登山日和だと思われたが、平日のせいか、全く人とは出会わない。
思えば、枯木沼の傍で御鼻部側から入山したオヤジグループに遭遇して以来、ずっと一人だ。

南八甲田は静かな山だと、どのガイドブックにもあるけど、本当らしい。




 こっ、これはァっ!

おもむろに、期待していない遭遇があった。
嬉しい。
めちゃ嬉しい!

紛れもなく、これは橋台である。
石組みの橋台だ。
橋桁は見あたらないが、もしかしたらこの谷を埋める雪渓の底に眠っているのか?
橋台上は所狭しと藪が蔓延り、基本的に旧車道に忠実だった登山道も、ここだけは数メートル橋台の脇に迂回している。

この長大な車道跡に於いて、路傍の石垣すら松森ヘアピンで一度見ただけで、正直道路遺構の少なさにガッカリしている自分がいたが、思わぬ収穫である。




 松森ヘアピンで見た石垣は、精緻とはほど遠いものだったが、これは未だ原形を良く留めている。
橋の橋台ともなれば道の生命線であり、やはりプロの職人が作業にあたったのだろう。

この地点は、黄瀬萢(おうせやち)以降、地獄峠まで何度と無く渡る沢の一つであるが、おそらくは最大の流れであり、黄瀬沢の本源流である。
このあと、水を集めた黄瀬沢は黄瀬萢を経て一本の沢となり、松森ヘアピンの東側の駆け下って、途中日本の滝百選にも選ばれている松見の滝を落とし、黄瀬川となり、奥入瀬川となり、そして遙々太平洋に流れ出している。
そのはじまりの一滴は、古の橋台にあり。

今後、私は奥入瀬川を見るたびに、この橋台を思い出しそうだ。



 さらに行くと、また道は小さな谷に分断されていた。
この谷はとても小さな、幅2mほどのものだったが、やはり橋はなく、チャリを水の流れる谷底に下ろし、そして引き上げるという作業を要した。
この作業の途中、川底に多数の鉄筋があるのを見つけた。
まるで根のような複雑に湾曲した太さ1cmほどの鉄筋。
こんな小さな谷にも鉄筋コンクリート製の橋が架けられていた証人だ。

他に遺構はないのかと、濡れるのも気にしないで沢を見渡すと…。





 橋桁の一部だろうと思われる、平らなコンクリ塊を発見。
しかし、それらは沢底に瓦解し散乱しており、全容は掴めないばかりか、果たして本当に橋桁だったのかも分からない。
だが、この谷には多数の鉄筋と、コンクリ塊が残っているのは確かである。

そして、これが最後の谷だった。



 黄瀬沼や、黄瀬沼経由乗鞍岳方面への登山道分岐点。
直進が旧車道であり、猿倉への登山道である。

この辺は、なんとかチャリに乗って進むことが出来る道だった。



 地獄峠   地図で確認
13:21


 そこは、地獄峠などという厳つい名前に似つかわしくない、何とも平坦な場所だった。
遠くから見た峠の鞍部はそれらしい形に見えたのだが、いざそこに立つと、本当にここが峠なのだろうかと不安になるほど、平坦な場所だ。
峠には、小さな湿原が二つばかり道を囲むようにあって、旧車道は久々に本来の幅を取り戻している。
路面はフラットな土で、走りやすい。

ああ、走りやすい。
走れるって、幸せ。
これからは、下りなんだ。
やっと、終わりなんだ!

流石に、私はここで脱力してしまった。
一時期の藪漕ぎほどではなかったが、黄瀬萢に出てからも、峠に立つまでは緊張の連続だった。



 いま来た道を振り返る。
左の山が南八甲田の最高峰の櫛ヶ峯、右の山は駒ヶ峯だ。
7時間以上前より、ずっと行く手の背景となっていた山を、いま逆側から臨むまでになった。
いよいよ、私の八甲田攻略も大詰めとなった。
私の生還で八甲田計画の幕を閉じるため、ここから猿倉温泉までの残り8km、高低差400mを、全力で攻略する。

まだ、8kmもある。





 いま、下りが始まる。
大谷地以来ただの一度も下らなかった道が、峠の平坦路を経て、遂にその高度を数センチ落とす。
それをきっかけにして、加速度的に下りの角度は増していく。
峠から100m程進むと、もうそこは急坂と言って良い下りになっていた。

もう、二度と戻らぬだろう地獄峠。
私の10年を越える山チャリの中で、最も辛かった峠との、別れ。
なんか、下るのが勿体ないよ。

アオモリトドマツの怪しい巨木が見下ろす峠直下の下り坂に、汽笛のようにブレーキの軋みが響き渡る。
私は、雄叫びを上げ、峠との別れを果たした。


 道は、酷く抉られている。
これは「洗削」と呼ばれる現象で、登山道の荒廃する原因である。
多くの人が歩いたことによって地肌が露出し、さらに人の重さによって掘り下げられると、そこが図らずも水路として機能するようになってしまうのだ。
一度この洗削が始まると、何もしなければどんどんと抉られていき、ついには登山道敷き全てを深いV字の谷に変えてしまう。
好天時ならそれでも歩けるが、雨天時などは全く通行出来なくなる場合もある。

チャリとっても、洗削の進んだ道は、走りにくいことこの上ない。
殆ど、押しになってしまうのが実情だ。



 峠では、今ひとつ「峠越え」の実感を得られなかったのだが、少し下ってきた場所からは、初めて八甲田の北を見る事が出来た。
写真左の迫り上がりの先にあるのが北八甲田連山で、正面の牧野の点々と見える辺りは、七戸町や天間林村の方向だ。
遂に、「南八甲田を越えた」 と感じた瞬間だった。

この先、南北八甲田山の間に挟まれた谷底にある猿倉温泉まで、眼前に広がる緑の樹海に落ち込んでいくことになる。

ここで、微かに車道の音を聞いた気がしたが…。
空耳だったのだろうか?
まだ、国道までは直線距離でも2.5kmは離れている。
 

 直線的な下り坂は一気に高度を落とす。
峠から1kmで、雪渓に囲まれた凹地に出た。
ここは、海抜1200mの「乗鞍岳入り口」と呼ばれる幕営地だ。


 矢櫃沢へ下る  
13:44


 乗鞍岳幕営地はその名の通り、乗鞍岳への登山道との分岐点である。
しかし、地形図を見てもここから乗鞍岳山頂へ至る道は等高線を串刺しにする直登であって、しかも北側斜面のため、未だ雪渓に道は隠されたままである。
まあ、私にはあまり関係ないのだが、登山畑の人間の健脚というか、強引な道の引き方に驚きを感じた。

私は、ここから再び森林地帯に入り、延々の下りに復帰する。


 旧車道はしっかりとした踏み跡となって続いているのだが、その踏み跡が沢に落ちてしまった。
また橋無き沢渡りかと覚悟して、それに追従して沢底に下りると、ちょっと威圧感を感じるほどの水量であった。
先ほどの大雪渓から集まった雪解け水が、この狭い谷に集中していて、噴き出すように流れ落ちている。
足を突っ込めば流されかねない。
一足で飛び越えれるほど狭いが、チャリ同伴という不安材料があって、油断できなかった。

この沢にて、またも橋台を発見した。




 ここの橋台は両岸ともにしっかりした石垣を残していた。
沢の細さに対し、橋台は幅が広い。
上を塞ぐ橋げたの無い今、まるで石垣に囲まれた水路のような眺めだ。
この橋台の幅広さは、かつて存在した車道の幅が現在で言う「フル規格」とまでは行かないものの、2車線を取れるものであったことを伝える。
海抜1000mを優に越える山野にとり残された石垣は、まるで夢の跡のようだ。
今は蘇った緑が、あらゆる遺構もろともに上空から地表を覆い隠している。




 今渡った沢は、地獄峠直下から東側に流れ出す沢のひとつであり、それらが集まり矢櫃沢となる。
矢櫃沢は下流で鳶川となり、奥入瀬川に呑み込まれて、いずれは太平洋へ。
旧車道は、この矢櫃沢が悠久の時で刻んだ巨大な凹状地に、幾つかのヘアピンカーブで下りていく。
こうして、猿倉温泉までの下りの大部分を稼ぐのだ。

その一つ一つのヘアピン同士が1kmも離れており、ここがあの松森のヘアピンと同じ道なのだと再確認させられる。
下りだしチャリに乗れないこともないが、とにかく地肌がゴツゴツしており、倒木も少なくないから、その乗り降りに疲れてしまうし、尻も痛い。
押した方が、体力的にも時間的にも効率的だった。



 真っ直ぐに続く下り坂には、いつの時代に埋め込まれた物か、平石が多数埋没していた。
一見、歴史ある街道の石畳のようでもあるが、昭和の車道工事以前にここに道があったとは聞かないので、登山道としての再整備の結果なのか?
或いは、車道時代のもの?
石畳の車道など、聞いたことがないが…。
ここの石畳は、下り全体に広く見られる登山道の洗削を防ぐために撒かれた玉石とは異なる様相であり、気になった。
 

 もう、いい加減冗長で緩やかな下りに飽きたが、やっと一つめのヘアピンカーブに辿り着いた。
結局、乗鞍岳分岐からここまでの1km余り、殆ど押す羽目になった。
乗った方が足は楽だけど、ケツは痛いし、摩擦熱でグリップが外れやすくなっているので、ハンドルに力を入れられず、この状況では暴れ馬に振り落とされる危険が大きかった。
思っていたよりも、下りなのに全然楽じゃない。
時間も掛かっている。

…どこまで、ストレスを溜めさせるのだ、この道は。



 180度方向を転換して、再び矢櫃沢の谷底を目指す。
この辺りまで来ると、登山道の道幅は車道時代を彷彿とさせるほどに広がる。
相変わらず全然人にも、動物にも出会わないが、もしやこのまま誰の目にも留まらずチャリで突破してしまうのか?
それが一番無難だろうけど…物足りない?
いやいや、登山道の木々を刈り払っただけで社会問題になるほど神経質な愛好家が多い南八甲田ゆえ、こんな姿を見られたら叱られるかも知れないし、誰にも見られないに越したことはないのだが…。
流石にここで引き返せといわれたら、殺っちゃいそうだし。

そういえば、枯木沼のオヤジ達は、まさか私が突破してしまったとは思ってないだろうから、今ごろ遭難したかと心配していないだろうか…。


 真っ直ぐな下り坂は、次第に鮮明になる沢音を前に、再び残雪に阻まれた。
しかも、刈り払いはされているのだが、道路上に伸びている木々が邪魔だ。
歩くにはさして気にならないかもしれない枝も、チャリには邪魔で仕方がない。

相変わらず、殆ど乗れず、押しが続く。


 こんな低い法面も、しっかり石垣がカバーしていた。
地獄峠より此方側は、進むにつれて石垣が目立つようになった。
現役当時に最も難所だったのは、広大な湿原を進むような御鼻部側ではなく、この急な谷間を往く猿倉付近だったのだろう。
その後の荒廃は、モロに登山者の通行量に左右されて、いま最も通行が難しいのは御鼻部と猿倉の中間付近だったが。

苔に覆われた石垣は、いまだ決壊も少なく、地形と一体化している。
この先に現れるものも合わせれば、万世大路にも引けをとらない施工量だと感じた。


 いよいよ激流の轟音が崖下に迫った。



 

 あっ、アレは!





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