信じられないほど細く、そして長い、真っ暗闇の隧道をぬけると、道はさらに続いている。
しかし終点は近い。
どんな終点が待っているのか?
刻一刻と迫る日暮れを前に、駆け足で探索した。
<地図を表示する>
あたりの景色は開け、それまでの断崖に沿った道とは大きく趣をことにしている。 そこで目の前に現れたのが、この写真の施設である。 大きな調整池を主とした施設は、一見浄水場のようだが、多分、先にで見た送水管に関連した、電源施設なのだろう。 時間が無く、近くに寄れなかったので、詳細は不明である。 申し訳ない。 | |
この場所から振り返って撮影したのが左の写真。 あれほどの隧道をぬけてやっとたどり着く場所とは思えないような、穏やかな地形である。 ちなみに、道を正面で遮る山を、先ほどの隧道が貫いていたのだ。 |
さらに進むと、再び道は深い森の中に入る。 脇には薄暗い沢筋が伴うが、その沢筋、明らかに人為的に掘削されたように見えた。 まるで用水路のように。 しかしすでに水は流れていなかった。 このあたりで、なにか、普段の林道とは違うものを感じていた。 先にあるものが、なんとなく予想できた。 そして、その予感は的中する。 すぐに森は途切れ、そこに現れたのが…。 |
再び辺りに広い平地が現れると、この土地の素性を理解するのに、最も分かりやすいものが見えた。 廃屋である。 地図では、この地の名「袖川」を記載しないものが多い。 穴場系の観光マップなどでは、この一帯を上流の著名な観光地“法体の滝”から繋がる『袖川峡』として、“みちのくの上高地”などと称して紹介しているものもあるが、その実態は、すでに住むものの無くなった小さな集落であった。 そこには、荒地の目立つ耕作地の中に、ただひとつの白壁の廃屋…半ばほど崩れてしまっていたが…が、ヒグラシの音に包まれ、立ちすくんでいた。 いや、立ちすくんでいたのは、寂しさに感極まった自分のほうか…。 袖川について帰宅後、この廃村について、上記のような情報を得たが、どうやら、私が見た廃屋は、昭和43年まで学び舎であったもののようだ。 この地を実際に訪れるまで、森林軌道がこれほどの長い隧道をもってしてまで、行き止まりの山中にその線路を延ばした必然が感じられなかったが、かつて人が住まう地であり、発電所が稼動し(現在もあるが)ていたともなれば、納得できなくもない。 |
ほとんどの耕地が、荒れ果ててしまっていたが、一部は今でもかつての住人が耕作を続けているようで、元気に育った稲を見ると、少し、気持ちが明るくなった。 しかし、寂しさを味わうには極限的な好条件といえる。 なんせ、最寄の集落からは5キロを隔て、しかもさらに隔絶間を深めるのが、あの狭隘隧道である。 その上時間は夕暮れ。 切ない。 それ以上先に進むことに少しためらいも感じたが、終点は近い筈であり、黙々と進んだ。 |
集落跡と思われる平野部を過ぎ、再び雑木林に入るが、すぐに終点となった。 道は、青色の吊橋を前にして広場となり、吊橋の入り口には、ロープが張られていた。 対岸には傾いた太陽が長く伸ばした影に入りこみ、シルエットだけになった発電所の重厚な建物が見えた。 今回のたびの最終地点が定まった。 この橋を超えたところを、それと定めた。 |
確かに美しい。 袖川橋から眺める子吉川の流れ。 たしかに上高地といっても通じるであろう(背後にアルプスはないが)、清楚な渓流美である。 この日、写真にも写っているが、藤の花が満開となり、文字通り景色に花を添えていた。 この上流6Kmには、名勝法体の滝を有する玉田渓谷が存在するが、そこに至る道は、少なくとも車の通える道は、存在しない。 この地は、正真正銘の陸の孤島であろう。 その証があの隧道であり、そして、集団離村…廃村という現実だろう。 実は、こんなに風光明媚な子吉川だが、これより上流になお、人の住まう集落がある。 それは、法体の滝にも程近い百宅であるが、末永く存続してほしいなどと言うのは、便利な生活に慣れ親しんだ部外者のエゴかもしれない。 しかし、いずれにしても、県内でも有数の驚き立地の集落と思っている。 そこは、これまた県内有数の長大林道「奥山手代林道」の起点であり、いずれ、このレポートにも登場するかもしれないが。(1999年一度実走済) |
昭和60年に竣工した比較的新しい袖川橋(吊橋)。 無人となりし袖川発電所。 こういう施設が、人知れず、みんなの生活を支えている。 直根林道は、長いとは言えないその5kmに、盛りだくさんの見所を満載した、非常にゴージャスな道だ。 それ故に、いちどこの道を走ってしまうと、その他大勢の道は、多少無味乾燥なものと感じてしまうかも知れない、危険な媚薬のようでもある。 幾多の道を走った末、少し退屈を感じ始めた倦怠期の御人にこそ、お勧めしたい。 引き返しに取り掛かったとき、既に16:30を回っていた。 焦りに任せ、慎重さを欠いた私の帰りの走りは、転倒という形で、戒めを与えてくれた。 その話は、次の機会に…。 | |
END
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