まずは、前回のレポにて奥産道整備の仕組みについて、読者の皆様より情報を募ったが、その成果として判明したことが幾つかある。
現地の紹介を続ける前に、少しお付き合い願いたい。
奥産道、正式には奥地産業開発道路であるが、この道を整備するより所となっていた法律は、 奥地等産業開発道路整備臨時措置法 で、昭和39年に公布発効されている。
その条文の一部を抜粋する。
第一条
この法律は、奥地等における産業の総合的な開発の基盤となるべき奥地等産業開発道路の整備を促進することにより、地域格差の是正に資するとともに、民生の向上と国民経済の発展に寄与することを目的とする。
第二条
この法律において「奥地等」とは、交通条件がきわめて悪く、産業の開発が十分に行なわれていない山間地、奥地その他のへんぴな地域で政令で定める基準に該当するものをいう。
<中略>
一 森林資源が豊富に存し、かつ、その開発が十分に行なわれていない地域
二 酪農及び肉用牛生産の振興に関する法律(昭和二十九年法律第百八十二号)第三条第一項の規定により指定された集約酪農地域
三 農用地としての開発及び整備が必要とされる相当規模の開拓適地その他の地域
四 地下資源が豊富に存し、かつ、その開発の効果が期待される地域
五 水産物の集散地としての発展が予想される地域
六 観光適地でその開発が十分に行なわれていない地域
七 低開発地域工業開発促進法(昭和三十六年法律第二百十六号)第二条第一項の規定により指定された低開発地域工業開発地区、産炭地域振興臨時措置法(昭和三十六年法律第二百十九号)第二条第一項に規定する産炭地域その他の工業の発展が予想される地域
などと、規定されている。
昭和40年代の太田町や沢内村などを考えてみると、上記路線選定基準の「一・四・六」などに該当すると思われる。
この法律の施行された時期には他に、森林開発公団法による特定森林地域開発林道(別名:スーパー林道)や大規模林道(これらはいずれも現在では「緑資源幹線林道」と改称されて統一されている)事業が始められている。
奥産道やスーパー林道などは、高度経済成長時代の落とし子と言える、根は同じ道なのである。
そして、奥地等産業開発道路整備臨時措置法は、臨時法だけあって、平成15年にて失効している点も、お伝えしておこう。
それに、平成10年度以降には、新設線・区間もなく、保全・改修のみが全国奥産道で続けられてきたとのことである。
法律が失効した今後については、奥産道としての新設がないのはもちろんのこと、市町村道などに管理が移行した奥産道の行く末は、ますます暗い様に思われる。
この奥産道・太田沢内線(相変わらず正式路線名は不明)では、既に全線が太田町町道と、沢内村村道に移行している。
それでは、名実共に過去の道となってしまった奥産道。
つっづっきを、 どっっぞー!
かぶり岩
昭和32年に廃坑となった川口鉱山採掘は、真木鉱山と同時の宝永3年であった。
昭和25年の鉱石運搬鉄索架設までは、鉱石背負人夫が列を成した山道である。
わずかづつ幅員を広げられたが、奥地等産業開発道路着工までは、かぶり岩と呼ばれる岩が山道上に覆い被さっており、通る人は岩崩れを恐れて駆け足で通り過ぎたところです。
削り取られた荒々しい岩肌から当時が想像されます。
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