一般国道465号(茂原市〜富津市)は、房総半島の中央部、最も肉厚な部分を横断する路線だ。複雑な起伏を有する房総丘陵を長い距離を使って横断するため、いくつもの峠を越える。いずれも峠としての名を持たない低い峠だが、まだ十分に整備の行届いていない区間もあり、変化に富んだ豊かなワインディングが楽しめるので、走って楽しい国道である。
この国道の大多喜町と君津市の境にも、やはり無名の峠がある。
半島の二大河川というべき小櫃川水系と養老川水系の分水嶺を越えるものだ。
素直に峠を越えたとしても230mくらいの高さに過ぎないが、国道は標高200mに掘られたトンネルで抜ける。
そのトンネルを、黄和田隧道(きわだずいどう)という。
峠の西口が君津市黄和田畑(きわだはた)なので、そこから名付けられたのだと思うが、正式に「隧道」を名乗るだけあって、明らかに最近のものではない。
外観と内部の写真を右に掲載したが、飾り気のないコンクリートの坑門を覆い尽くす苔の色や、コンクリート吹き付けの凸凹した内壁など、多分に年季を感じさせる姿をしている。
そして、国道の現役トンネルとしては稀なことだが、現地にはトンネル名を表示した標識や銘板などが全くない。そのうえ、地形図や市販の主な道路地図、さらに各社のオンライン地図に至っても、なぜかトンネル名を記載しているものが全く見当らない。トンネル自体はとてもありふれている房総半島だが、国道のトンネルとしては謎の冷遇ぶりだ。
とまれ、この隧道は先述のとおり、黄和田隧道という名で行政発の資料にはちゃんと記録がされている。なお、近くの県道上にもやはり古い「黄和田畑隧道」があるので、混同に注意。
資料名(データ年) | 隧道名 | 竣功年 | 全長 | 幅 | 高さ |
道路トンネル大鑑 (1967年) | 黄和田隧道 | 昭和13(1938)年 | 154.5m | 4.5m | 4.5m |
平成16年度道路施設現況調査 (2004年) | 昭和49(1974)年 | 157m | 7.5m | 4.5m |
(→)
黄和田隧道のデータを、時代が異なる2つの資料から拾ってみた。
お馴染みの『道路トンネル大鑑』と、国交省が作成した平成16年度の『道路施設現況調査』には、全長はほぼ同じだが、竣工年と幅が大きく異なる黄和田隧道が記録されている。
後述する地図上の表現のされ方や、全長の変化の小さいことから、拡幅改良によって生じた同一のトンネルのデータ違いと考えられる。
すなわち、黄和田隧道は昭和13(1938)年に竣工し、昭和49(1974)年に大規模な改良を受けて、現在に至っていると判断している。
だが、この黄和田隧道には、さらなる旧隧道の存在を疑わせる資料が存在!
@ 地理院地図(現在) | |
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A 昭和55(1980)年 | |
B 昭和19(1944)年 | |
C 明治36(1903)年 |
その資料というのは、歴代の地形図のことだ。
右図は4世代分の地形図を比較している。
新しい@から順に見ていこう。
@は最新の地理院地図である。
黄和田畑と筒森を結ぶ区間に1本のトンネルが描かれているが、これが黄和田隧道だ。
旧道らしい道は特に描かれていない。
Aは昭和55(1980)年版だ。
国道465号の指定は平成5年であり、それ以前は(現在も当区間の国道465号と重複している)県道市原天津小湊線のトンネルだった。現在と同じ青矢印の位置に黄和田隧道があり、旧道は見当らない。
Bは昭和19(1944)年版だ。
道は「府縣道」を表わす太い二重線で描かれており、赤矢印の位置に峠を貫くトンネルが描かれているのだが、@やAと比べると、明らかに短いし、北側に寄っている?
昭和19年という年代的には、『大鑑』が昭和13年竣工としていた現トンネル(改修前)が存在していたと思われるが、その地形図への反映が遅れていた可能性も…。
Cは明治36(1903)年版なんだが……
既に隧道が描かれている!
その位置は、Bと一緒だ! (これにより、Bは新トンネルの完成を反映していないだけの可能性が大きくなった)
以上の@〜Cをまとめると――
現在の黄和田隧道のやや北寄りの山中に、短い旧隧道が存在した可能性が大! ――となる。
新道と旧道を同時に描いている地図が見当らないので、両者がどのくらい離れているのかよく分からないが、とにかく現地へ探しに行く価値は十分ありそうだ!
同時期に、房総エリアのエキスパートである「トンネルコレクション」管理人まきき氏からも、旧隧道および旧道の存在を示唆する情報提供メールをいただいていた。
平成22(2010)年2月5日、現地探索を決行!