神奈川県道515号 一般県道 三井相模湖線 序章

公開日 2007.1.10
探索日 2007.1.10

新章 はじまる

夜明けの旅立ち


 物音を出来るだけたてないように注意しながら、玄関の扉を閉める。
砂利敷きの駐車場に置かれた、我が愛車ルーキー号。
狭く短い坂を下ると、そこは北野街道と名の付いた県道だ。
ここでは、分からないことだらけだ。まだ。
何故この辺りの住人は、県道や国道に「街道」の名を付けたがるのだろう。
お陰で、青看板と道路地図帳での探索では、たびたび戸惑いを覚える。

 件の北野街道を西に向かう。
時刻は午前6時より前だが、道路端に敷かれた複線の線路には、既に幾度も列車が駆けていた。
しかも、その編成はどれも長い。始発はいつなんだろう。

 6時をまわる頃、有料道路になっている高架のバイパス道路と交差した。
巨大な高架の上からは、獅子の咆哮にも似た騒音が絶え間なく聞こえてくる。
ここまで、行く先々、ひとときも車通りは途絶えていない。

 街は日のあがる前に、もう目覚めの時を迎えているのだった。



 さらに西へと進んでいく。
やがて、何の標識もないまま一つの交差点が現れた。
私の地図では、ここを左に曲がるこの道も、県道であることになっている。
しかし、一般道路でまず見かけない20kmの速度制限標識が物語るのは、ここから先の道が、俗に言う“険道”の類であろうと言うこと。
その路線番号は506。
こんな番号の県道は、見慣れない。

 …あっ、 いけない。
これも、ここまでの“街道”も「県道」じゃないんだった…。



 私が目指す場所は、自宅から南西の方向にある。
そこまでの移動手段は、チャリのみ。

 こんなの、いったい何年ぶりなんだろう。
電車のシートや、車の運転席に身を預ける暇など無く、家を出たその時から、もう、山チャリが始まっていた。
ワクワクの旅。
見たことのない景色、道の連続。
青看の地名一つ一つに、胸が高鳴る。
そうこうするうちに、たいした起伏もないまま隣県へと入っていた。
まだ出発して20kmも走っていないが…狭い県なのだな、ここは。

 街の目覚めから大分遅れ、今ようやく朝日の来臨。



 もう、お察しの通り、ここは我が第二の故郷たる秋田ではない。
むしろ、第一の故郷にこそ、よほど近い。

 私は、さる1月5日をもって、東京都民の仲間入りをした。
僅かな家財と山道具、これまで集めた主に東北に関する資料を持って、一人暮らしという新天地へ。

 その引っ越しの目的はずばり、
もっと興奮できる道との出会いを求めて。

 私は再び、人生的な決断を「廃道歩き」に委ねた。



 東京都日野市の自宅アパートを出発した私は、北野街道を西へ。
八王子バイパスの下を潜り、途中から都道506号を南下。
県境を越えて、現在地は神奈川県城山町。
国道413号からいま、神奈川県道513号に右折する場面だ。

 まだ都会の片隅、いや、私の感覚ではまだまだ都会なのだが、大規模ダムによる人造の湖、津久井湖はここにある。
そして、神奈川県を代表する廃県道の一つで、私が東京に来て最初の廃道歩きに選んだ道は、その湖畔に存在した。





 というわけで、私は東京都内へと引っ越しました。
さいわい、こちらにも旅の仲間は少しだけおりますが、自身が都会暮らしに不慣れな事もあって、「山行が」もリセットボタンを押されたに等しい状態です。
衣食住、仕事、お金… …解決すべき問題は、目の前の廃道ばかりでなくなりました。
正直言って、恐ろしい。
これまでに得た経験だけでは、どうにもならぬ事がたくさんです。

 いままで、同郷の人として応援して下さった秋田の皆様、東北地方の読者様。
その全てを解き明かせぬまま(そんなことは到底不可能なわけですが…)の転戦、どうかお許し下さい。
もっとも、土地勘に勝る東北への愛着は相変わらずで、これからも遠征と称して東北行脚は欠かさないでしょう。
かけがえのない旅の朋との縁も、これで途切れるわけはありません。
引き続き、山行がをよろしくお願いします。

 そして、関東地方の皆様。
また、ぐっと身近に感じられるようになった東海、中部地方の皆々様。
この地では新参もいいところではありますが、偉大な先人達の足取りも参考にしながら、徐々に行動範囲を広げていければと思っています。
しばらくは、東北の道路事情との乖離や、盲信によって、誤った解釈を述べてしまう事も多かろうと思います。
どうか温かいご指導のほど、よろしくお願いいたします。
また、とんがった道の情報提供や、今後の活動へのご協力を、どうぞお願いいたします!


 山行がのセカンドシーズン、始まります。