神奈川県道515号 一般県道 三井相模湖線 最終回

公開日 2007.1.17
探索日 2007.1.10

津久井湖北岸の廃県道

続出するバリケード 脱出への苦難


8:28

 いよいよ地図の上からは廃道区間も残り少なさそうだ。
だが、景色はそれを感じさせない。
道は相変わらず際どい斜面に、ぎりぎり車一台分の幅だけをもってへばり付いている。

 それにしても、関東へ来て一発目の廃道としては出来すぎな感あり。
なんというか、これほど廃道然としていながら、かつ自転車にほぼ乗ったままに走れるという好条件。
ありそうでいて、なかなかこういう道は少ない。まして、なにかの旧道というのでもなく現役の県道なのだから珍しい。 はっきり言って楽しい。
どこへ行っても舗装路は車で溢れている。
それが関東へ来て数日間の感想だったが、ここは例外だ。



 ここで振り返ると初めて、“幻のダム”こと沼本ダムが、その姿を見せた。
今日は津久井湖の水位が高く、沼本ダムはまったくダムとしての用を成していない。堤体の越流水位よりも湖面が高いのだ。
よって、この日の沼本ダムはダム湖に架かる不思議な橋か、あるいは水門のようにしか見えない。
従来、ダムは対岸の沼本側から木々の間に俯瞰できるだけの見つけにくい場所にあり、それもまた“幻”たる由縁であろうが、この廃県道からは鮮明に、しかも正面から俯瞰することが可能である。



 ここで一句。

法面に たわわに実る 牛の乳房ちち 

 ところで、レポ開始当初は、津久井湖北岸の道は全て城山ダム完成前後に造られたのだろうと思っていたが、三井や名手の集落が、実はダムが出来る以前から現在地にあったとの情報を読者から頂き、この県道515号のルートも意外に歴史深い生活道路だった可能性が出てきた。
確かにこの写真の石垣などは、昭和初期の物だとしても不思議はない。
今後、昭和40年以前の地形図などで確かめたいと思う。



おっ!
   終わりですかー。

 予想はしていたが、久々にバリケードが登場。
位置的に見て、このバリケードが千木良側の封鎖ゲートであろう。
バリケードの向こうにも轍の気配がないのが少し気になったが、どちらにしてもこれを超えないわけにはいかない。



 しかーし!



 ちょっとこれ、厳重過ぎね??


 えーー。

 ……チャリは、

  チャリはどうすればいいのでしょうか…?l






 こーするしか
  ねっちゃ!

 あわわわわ…!

 こえぇー。

こえーが、こうでもして向こうへチャリを連れて行くよりあるまい。

私は、チャリを宙ぶらりんに片手で支持し、体も路肩から中空に乗り出し、なんとしても通すまいと張り出したバリケードを回り込んだ!



 ばー!


 まだ終わりでねし……。

 ばー!!

バリケードがあったということは、昔はここまで開放されていた時期もあるのだろうか…。



 朝日に照らし出される、たくさんのジャガイモ(型落石)たち。

 これまで数箇所の道幅を完全に埋め尽くした大崩落があったが、その中でもここが最も甚大でかつ新しそうだった。
しかし、ここさえ越えれば行く手には植林された杉林が見えている。
おそらく、これが最後の難関だ!
もうさっきみたいなバリケードは止めてくれ!!
さっきはヒヤっとしたぜ!



 薄暗い林の中に入ると、今度こそ、廃道脱出のバリケードが現れた。
向こう側には、落ち葉のたまっていないアスファルトが見えている。

 だが、ここも突破には一苦労させられた。
路肩側には今度はチャリを逃す隙間さえなく、そこをチャリ持ちで越えるのは先ほど以前に危険そう。
となると山側だが、こちらも斜面の数メートル上までバリケードが延長されており、突破させまいという気合いが感じられる。
歩くにはちょうどいいくらいの道なのだから、途中に滝もあることだし、歩道として整備する手もあるだろうに…。
いや、ものが現役の県道なだけに、そう易々と用途変更は出来ないのかも知れないが。



エピローグ …役目を終えぬもの

8:36[地図

 結局ここは山側を迂回して、つまりバリケードの上まで斜面をよじ登って突破した。季節柄、薮が浅かったのには救われた。
廃道区間は全部で約1.2km。通過に要した時間は、途中の休憩や寄り道を含め25分ほどだった。
距離は短かったが、現役県道の廃道という珍しい道を満喫出来た。
山行がでの過去の例では、宮城福島県境の山崎峠が挙げられる。

 写真は、通算3度目のバリケードの千木良側の様子。
ここまでは千木良から車で来れる。



 廃道でない区間(変だなこの言葉)に出るも、まだここは赤馬(あこうま)集落の端。
民家も現れていないので、道は相変わらず寂しいムード。
果樹畑のような敷地に、なにやら悩ましげなシルエットの高木が何本も生えていて、少し不気味。これはカシワだろうか。
このすぐ先で治山工事をしていて、数台の車が路肩に駐まっていた。



 バリケードから500mほど走ると、仰々しい道路情報板とゲートが見えてきた。
これは、あの激狭区間に入る前にも見たやつと一緒だ。
ついに、一連の“険道”区間が終わろうというのか。
バリケードからここまでに赤馬集落があるのでゲートは開いているが、おそらくこの立派な道路情報板は死んでいる事だろう。

 そう思って、正面へ回り込んでみると…。



すっげーしつこさ!

一体幾つおんなじ落石危険!全面通行止の看板が建っているのか?!
            その答えは3つ。

だが、もっと驚いたのは(写真では分かりにくいが)道路情報板の信号機がちゃんと点滅しているという点。

十年以上も同じ表示のまま、ひたすらに明滅を繰り返しているのかと思うと、なんか泣けてきた…。



 ピコーン ピコーン …

昼夜問わず、ただ黙々と交互に点滅する2つの黄色信号。
最近に道では見かけなくなった、表示幕タイプの情報板である。
この道幅には立派過ぎるくらい立派だ。


 まさしく、この道の王だ。

 裸の王様だ…



 赤馬は小さな集落で、県道沿いに数軒の民家があるだけ。
そこから終点へ向けて、再び短い山間区間となる。
だが、こんどは1車線とはいえ何ら不安のない道。
途中には、妙に大きなサイズの道路標識が取り付けられており、その必要性は疑問である。
(大きな標識は、高速で走るような道での視認性アップのために使われることが多い、田舎道では??)

 写真は赤馬から更に500mほど走ったところ。
もう既に千木良(ちぎら)の街外れに入っている。



 そしてすぐに大きな交差点に突き当たった。
十字路になっており、私が出てきた道を除いては全て2車線の道だ。
県道515号はここを直進し、国道20号千木良小前交差点(終点)へ向かう。距離はあと1.3kmだ。
また、左の道はここが実質的な起点となる県道517号奧牧野相模湖線で、左折するとすぐに桂橋という立派なローゼ桁橋で津久井湖上端部を渡っていく。



 来た道を振り返ると、侘びしくなる(笑)。
交差点に達した時点で、何か仲間はずれだし。
汚れたままの通行止予告の標識が、全てを物語っている。

 奧で逆光に輝く山並みは意外なほど鋭く見えたが、通り抜けてきた津久井湖北岸の道こそ、その足もとをすり抜けるアクロバティックルートであった。



 一度県道517号へ左折し、交差点を振り返って青看チェック。

 なんだか、意味深な形で描かれた正面の道には、次の探索へ繋がるヒントが隠されていた。






 青看に少し書き足してみた。
実は、青看に描かれた不自然な細いラインは、かつての国道20号である。
そしてその先をまっすぐ延長した方向には、青看には描かれないが、都県境である大垂水(おおだるみ)峠への明治旧道が眠っている。


 私もここから大垂水峠の旧道探索へ機首を向けたが、県道515号の終点も最後に紹介しておこう。


 ここが、現在の国道20号(左)と県道515号(517号重複)の三叉路「千木良小前交差点」である。
なぜか古銭のモニュメントが置いてある。

 この県道、あまり重要な道とは思われていないのか、国道側に青看などは設置されていなかった。
変なモニュメントはあるのに…。 また、ここはちょうど現国道の大垂水峠の登り口でもある。

 県道515号三井相模湖線。
たった全長7kmの道だが、その三分の一が天下稀に見る激狭県道。
また三分の一が現役でありながら荒廃まっしぐらの廃県道と、さながら“オブ専門道路”の様相を呈している。