失望と共に幕を開けた主要地方道久慈岩泉線の旧隧道捜索。
残る一本である遠川隧道は、さらに長内川の上流約6kmの地点に擬定されていた。
はたして、今度は期待に沿うような廃景に遭遇できるだろうか。
…つか、レポートしてるくらいだから今度はばっちりだと思うでしょ??
果たしてどうかな?
ここは意外性に命を懸ける山行がですよ〜。
レポ続行である。
失望と共に幕を開けた主要地方道久慈岩泉線の旧隧道捜索。
残る一本である遠川隧道は、さらに長内川の上流約6kmの地点に擬定されていた。
はたして、今度は期待に沿うような廃景に遭遇できるだろうか。
…つか、レポートしてるくらいだから今度はばっちりだと思うでしょ??
果たしてどうかな?
ここは意外性に命を懸ける山行がですよ〜。
レポ続行である。
再び現道に戻り、チャリを駆って南下する。
しばらくは旧道の姿もなりを潜め、川べりぎりぎりに2車線のよく整備された道が続く。
これらは従来の道をそのまま拡幅しているのだろう。
滝トンネルから1km少しでダムの名前の由来にもなった滝集落がある。
滝集落外れの県道対岸に見えた民家。
まるで昔話のおじいさんおばあさんが暮らす家が、そのまま年老いたような姿。
青々と葉を茂らせるまで屋根の上に育った木に、廃屋として過ごした年月の長さを感じる。
それでも、周囲の畑にはまだ鍬が入れられているようで、それがどこか温かい景色に見えた原因だろう。
県道は、こんな景色を紡ぎながら、南下を続ける。
滝集落を通り抜けると、現道の左右に旧道が枝分かれしはじめる。
長内沢の屈曲に合わせて著しい蛇行を見せる旧道と、橋やトンネルを駆使して直線的に進む現道である。
私は丁寧に旧道を選んで走ったが、どの区間も比較的新しい鋪装に覆われた、生活道路になっている。
目立つ発見はなかったが、強いてあげれば、次の写真の橋くらいか。
たもの木橋という旧道上の橋の親柱は、これまで見たことのない特異な形状である。
橋の名前自体も変わっており、「たも」を漢字で書いてあるのだが、この字はパソコンでは変換できなかった。
(ちなみに、きへんに茂の字だ)
橋の欄干は新しそうなのだが、元々はどのような欄干が取り付けられていたのか、この親柱に釣り合うような欄干というのがイメージできず、不思議である。
銘板によると、竣功は昭和33年3月とあり、あまり形状に遊び心を持たせるような時期というイメージはないのだが…。
周辺にも橋は沢山あるものの、このような親柱はここだけであった。
たもの木集落を抜けると、旧道は現道の下をくぐる。
ここのボックスカルパートは、「おいおい規格内かよ?」と心配になるほど華奢な、現道の橋の橋台と一体化したデザインである。
断面の形もありきたりな物ではなく、特注っぽい。
珍しい。
芽吹いたばかりの緑が美しく、静かな旧道を走るにはうってつけのシーズンだ。
だが、一向に状況が悪くならない旧道の様子に、もどかしさも感じていた。
現道との合流と分岐をもう二度ほど繰り返した先の旧道にあるのが、目指す遠川隧道である。
しかしこの調子では、最後まで生活道路として淡々と続く気がする…。
旧道といえども、ちゃんと2車線の部分もあった。
この遠川橋はその規模のわりに親柱さえなく、いかにも高度経済成長期の機能重視のデザインだが、小さな銘板によれば昭和43年の竣功である。
旧道になって久しいのか、橋上の路傍にも草が茂るなど、道幅を持て余している感が強い。
好きな景色だ。
待ってました!
こういう展開を待ってました!
やっと来たキタ、やっと来た。
もうこれが最後の旧道区間であった、そして、遠川隧道が期待されるゾーン。
起死回生!
ショボネタにパンチのある発見がもたらされるか、最後のチャンスだ。
実際、探索している私の気持ちは全くそんな感じだった。
速攻でバリケードを乗り越えて侵入を図った私だが、まず行く手に現れた景色は、 ……。
やばい。
やっぱりつまんないのかも…。
ちなみに現道はこの区間を、旧隧道と同じ名前のトンネルで貫通している。
ここから始まる一連の旧道区間は、約900mの道のりである。
よっしゃ!
良いムードだー。
これは、本当に来たか?! 廃隧道が来るのか?!
期待感が急激に高まる。
マッディ! マッディ!
鋪装はされているが、路上を落ち葉が転じた土砂が覆いつつある。
やがてこの土の上に小さな木が生えるようになると、道は一気に森へ還っていく。
廃道としては、成長過程(衰弱?)の道路である。
いずれにしても、もう現役に戻る予定は無さそうな道である。
これは、本当に貰ったかも。隧道はもう近いはず。
待ちに待った廃隧道との遭遇の瞬間は近そうだ。
「落石の恐れあり トンネルの出入り口 走行注意」とイラスト入りで書かれた大きな看板が、傾きながらも残っていた。
隧道を、遂に捕捉するのか!
どんな隧道が、現れるのか!!
隧道、来たー!!
崩壊も、来たー…
ごっそり道ネグなってる!!!
これはひどい。
どうやら、長内沢の氾濫で道路下の土砂が大量に持って行かれてしまい、ついには陥没。
ここにあった道路構造物は全て流されてしまったようである。
道幅が半減するような崩壊はよく見るが、寸分も残さず全て消失しているというのは、珍しい。
よくぞここまで綺麗サッパリ持っていったものだ。
隧道を目の前にして、 さてどうする。
当然!
突破より他にない!
後先を余り考えず、チャリを降ろし、後先を余り考えずチャリを押し上げようとする、私であった。
陥没地に下りると、すぐ脇で淵が渦巻いている。
なんとも香ばしい立地に素堀の隧道、遠川隧道は現存していた。
既に道としての機能は失っており、自然の造形たる大岩盤に穿たれた人為の所作、遺跡の様相を呈する。
チャリは、肩車にてどうにかこうにか押し上げた。
遂に獲物を仕留めた!
今回は、やきもきさせられたが、ようやくだ。
遠川隧道。
記録に拠ればその延長は18m、幅員と高さは共に4.0m、竣功年は不明である。
また、内壁はコンクリートで覆工されていることになっているものの…。実際には素堀にしか見えない。
並行する現道の遠川トンネルが平成8年の開通なので、この旧隧道もそれまでは現役だったことになる。
その頃にはもう下流の大滝第一第二は廃止されていたので、本県道最大の難所となっていたことは想像に難くない。
気がつけば、ぼこぼこに崩れた足元のアスファルトの隙間から、可愛らしいスミレの花が覗いていた。
簡易鋪装だったことが分かる。
坑口前には、高さ制限の標識が倒れて棄てられていた。
まだ使えそうだが…。
洞内の鋪装に、一体何が起きたのだろう?
なにか、大規模な天変地異でも起きたかのように、ずたずたに崩れて散乱している。
或いは一度は剥がそうとしたのだろうか?
また、内部は岩泉側の坑口付近のみコンクリートで巻かれている。
両側坑口のシルエットがあんまり違うので、異様である。
特に久慈側は天井がかなり崩れたのか、妙にのっぽになっている。
いい!
め、目が醒めた!
まさか、こんな田舎道の、見るからに鈍くさい素堀隧道に、斯様な石造坑口が有ろうとは、思いがけない展開であった。
岩泉側から来ると、久慈市の玄関となるこの地に、或いは土地の有力者ならば威厳を持たせようと思ったのかも知れない。
坑門だけが石造であることを考えれば、、強度的なメリットよりも、意匠的な意味を重視して建立されたものであろう。
アーチ天辺の要石の形が、隧道建築の古風な拘りを感じさせる。
田舎道といえども、風流心は忘れていないのだよ。 都会の諸君!
狭い隧道の岩泉側の坑口前は、かなり幅が広く取られており、往時はここで車の行き違いがされたのだろう。
長内沢の渓流美と相俟って、絵になる石造隧道である。
うん、ここはいい。
気に入った。
赤茶けた路肩注意のミニ標識。
道幅は3m少々で狭く、険しい旧道である。
だが、終わりも近い。
ふたたび道路は大規模に川に持って行かれていた。
今度はまだ道幅がだいぶ残ってはいるが、いずれこちら側も不通になるに違いない。
その先には、造林作業道の傷跡も痛々しい禿げ山が連なっている。
そして、その麓で新旧道は合流し、レポートの終地点となる。
岩泉側の旧道入口は、寄せることが出来る簡単なバリケードで塞がれていた。
ふぅ。
なんとか形になる発見を修め、レポ完了!