13:16
高畑ゲートから約1.4kmで、この清川トンネルへ達する。
モミジの葉と降り注ぐ陽光を絵画的に意匠とした、シンプルでありながらセンスの良さを感じさせる坑口であるが、扁額のない所に未完の悲哀を感じさせる。
銘板によれば、全長653m、幅5.5m、高さ4.5m、1995年の竣工である。
これは、ダムの試験湛水開始の3年前、ダム完工に対しては5年も前の竣工年であり、また起工者が村ではなく「関東地方建設局」となっていることからも、ダム建設に関する村への補償として国で建設したことが窺える。
トンネルは全くの直線であり、650mも離れた出口が点のように見えていた。
これだけの長さでありながら照明設備は設置されておらず、当然中は真っ暗に近い。
混じりっけナシの、純粋なトンネル?である。
この650mには、カーブも、分岐も、照明も、待避坑も、非常設備も、何も全くない。
ただ、ただただ長いだけの650m。
廃隧道という感じでもないので、正直自転車でなければ飽きるに違いない。
洞内には見るべきものが乏しいので、代わりに、対岸の県道から見た外部の様子をご覧頂こう。
先ほど掲載した地形図とも併せて見ていただきたいのだが、この淡々とした650mのトンネルの外は、もの凄い事になっている。
水面から一挙に落差100mくらいまで、ガチガチにコンクリートの「フリーフレーム工」で固められてるのだ。
おそらくは軟弱地盤のため、地上に道を通すことが不可能だと判断されたのだろう。
それでも、山腹が崩壊してダム湖へ土砂が流入する危険を避けるため、これほどの大工事が成されたのだと思う。
まったく、「自然破壊」という言葉がちゃちに聞こえるような光景である。
この日は冷たい北風が吹いていた。
トンネルの北口は、南に向かって湖面が窄まるその岸壁に口を開けているから、漏斗の口に勢いよく水が落ちるように、もの凄い風が吹き込んでいた。
よって、このトンネルをチャリで北上する行為は、エスカレーターに逆乗りするような徒労感を私にもたらした。
出口は、なかなか近づかなかった。
残り100mほどのところで、コンクリートの路盤に二枚の工事看板が転がっていた。
ますます未開通の雰囲気だが、工事期間を見ると現在(平成19年1月18日まで)も含まれていて、しかも工事の内容は道路工事ではない。
「森林工事」となっていた。
なぜトンネル内に転がしておく必要があるのか、疑問に感じながらようやく長いトンネルを脱した私は、目を疑った!
来ないー!
オワッター!!
道が無い。
まだここ なのに、道がない?!
もう700mかそこいらは進めると思っていたのに、どう見ても道が途切れている。
はじめは崩れ落ちたのかとも思ったが、道の途絶えた先の斜面にそんな痕跡は少しもない。
やはり、もとより道はここまでしかなかったようなのだ。
それこそ、国でトンネルとトンネルまでの道は作ったけれど、その先は村で勝手にしてね…。
そんな状況なのだろうか。
いずれにしても、湖畔の案内看板も、地形図さえも、オオマチガイということになる。
湖岸にぽっかり口を開けている北口。
ヤマユリを意匠した瀟洒な坑口も、いまだ工事関係者や私のような道路趣味者だけのもの。
酸性雨によって黒く汚れた姿が痛々しい。
13:23
トンネル内に看板を残した工事関係者は、この奥にいるのだろうか…。
車も停まっていないので、今日はお休みなのだろうか。
村道土山高畑線としては坑口先で完全に終わっていたが、その先にも湖畔の斜面に人一人ようやく通れる小径が続いていた。
わすれじの「道と繋がっていない橋」。
それは、この先にある予感がする。
どこにあるのかは分からないが、この歩行路が私をそこまで連れて行ってくれる可能性が高いと考えた。
チャリをどうするか悩んだが、とりあえずチャリも押して連れて行くことにした。
今思うと、ずいぶん無茶をしたものだ。
作業路に入ってすぐ振り返り撮影。
坑口前の狭さが分かるだろう。
これは、県道からの入口で確実に車止めしていて正解だと思う。
地図を見て通り抜けを確信したドライバーなどが入り込めば、勢いよくトンネルを出て眩しさに目の慣れないその瞬間、もう空を飛んでいることだろう。
現実に復ったときには、もう “湖の中にいる”。
危険極まりないのである。
う、 うひ──!
道はあるけれど、
やばそうだ!
果たして、
この奥に目指すモノはあるのか?!