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いま、まさしく夢にまで見た場所に私は立っているのだった。
正直、初めて対岸から見たときには辿り着けるものではないと思っていた。
そもそも、これがかつて一般の人が普通に通っていた道路だったとは少しも思わなかった。
鉱山関係の特別な道だと思った。
だが、調べていくうちに、旧都道でさえかわいく思えるようなその道が、昭和27年まで都道だったことを知った。
大正時代に切り開かれ、それまでずっと使われてきたのだ。
この、ガードレール一つ無い、シンプル過ぎる道が!
勢いで“死亡遊戯”と名付けた不毛の絶壁道から始まった、“とぼう岩”の古道歩き。
前回探索の不到達地点かつ今回の最終目的地まで、おそらく残り100mを切っている。
いよいよ、この短かくて長い旅も、最後の場面が近い。
当たり前の事だが、対岸の採石場では我々が探索をしている最中にもずっと作業が続いていた。
気にしすぎだったようだ。…対岸の岸壁に人がいたからって、誰も気にするものか。
落ち着きを取り戻した私は、普段見ることの出来ない採石場の中を、鳥になったような気持ちで見下ろした。
それ自体はもの凄く大きな特殊車両達も、ミニカーみたいだ。
外にいる人なんて、ゴマ粒みたいにしか見えない。
ここで大々的な石灰石の採掘が始まったのは戦後間もない昭和21年だが、総埋蔵量数億トンと言われる日原鉱区の採掘は以来一時も休まず続けられている。その証拠に、もうここにあった山が一つ以上消えている。
記録にあるだけでも、全山石灰石の大岩峰「油面」は、戦後間もなくしてすっかり姿を消したという。
また、江戸時代に書かれた書物などを見る限り、とぼう岩は両岸の岩峰が川を挟んで睥睨していたようだ。(北岸は“蜻蛉地山”、南岸を“一の通り巌山”と呼んだ)
だが、現在北岸にそのような高さの岩山は存在しない。
日原川の谷底からせり上がる谷は当時のままであろうが、その中ほどから上は真っ平らな採石場になっている。
自然破壊などと言うのは容易いが、こうやって地球から石灰石を強奪しなければ、我々がコンクリートの街に住むことは出来ない。
私をこの地へ誘った発端となった旧都道の最終地点。道の消える場所。
当然、こっちからもよく見える。
真・天空回廊…
ここを語るのに、この写真以上の言葉はどうやっても思い浮かばない。
ただもう、もの凄い所に道がある。
それだけ。
先人の偉業にただただ呆然。
ここは地面なのか、或いは空なのか。
これぞ本当の、空中回廊 だ!!
(写真右)
路肩から見た、路外の崖。
約百メートル下の谷底へと、垂直の崖が切れ落ちている。
法面も路肩も、どっちも垂直。
路肩の駒止めに向かって、その手前の路面に跪き、カメラと首だけ路外へ出して見る。
これだけ路肩に近づけるのは、ここにだけ駒止めが設置してあるから。
それでもこの未体験の高さは恐ろしく、高所には耐性が出来ているはずの私でも、すごく腰が引けた。
ともかく、そうやって撮影されたのが左の写真。
垂直の崖というのが言葉の綾などではなく、本当にそのままの意味であることがお分かり頂けるだろう。
見下ろしていると、耳の辺りがひゅーひゅーした。 ひゅーひゅー。
さて、「一転び即死に」の道が先ほどから続いているが、その中でも、背の低い駒止め如きとはいえ転落防止の柵が設置されているのは、この場所の前後30mほどだけ。
それは、なぜだろうか。
もちろん本当の答えは分からないが、歩き通して気づいたのは、この場所がとぼう岩越えの峠なのである。
樽沢からここまでずっと上り坂だった、だが、ここから先は緩い下りに転じる。
そして、そのピークがちょうどブラインドカーブとなっている。
この道を通ったのは記録上荷車どまりだが、それでも出会い頭の衝突事故はあったかも知れない。
カーブミラーでもあれば良いが、そんなモノがまだ無い時代の道である。
おそらく、この小さな駒止めは、とぼう岩越え日原古道の“良心”である。
■動画■ とぼう岩の道を (ちょっとだけ) 歩く
というわけで、いよいよとぼう岩の峠を越した。
ここからは下り。氷川方面への下り坂となる。
崖伝いに少し進むと、行く手に、頭上を斜めに渡る2本のワイヤが見えてきた。
もっと近づくと、ワイヤの他にも路上には鋼鉄の鉄板が何枚も置かれているのが見えてきた。
そして、路肩には一度消えた駒止めが再び見えてきたのだが、ちょっと様子がおかしい。
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そこにあったのは、解体されたポニートラスの部材だった。
それが路面一杯に置かれている。
また、ワイヤーは道の上から降りてきて、谷底へそのまま消えている。
路肩には駒止めというよりは欄干のようなコンクリートの柵があるが、おそらくここは小さな桟橋なのだ。
だが、トラスはここに架かっていたものではないだろう。
先の“神の橋”もトラス橋だったとは思えない。
ここへ運んで来る労力を考えれば、トラスはすぐ近くにあったものだと考えるより無いのだが……。
欄干に接し、そのまま谷底へと消えていく2本のワイヤー。
その行く先は、不明…。
「これを伝って降りれば“江戸道”へ行けるかも知れない…」
一瞬だけそんな考えが浮かびはしたが、明らかに馬鹿な考え。即却下。
ここまで到達している。
あともう少し!
峠を過ぎると、途端に林の気が強くなる。
しかしよく見れば地面の殆どは土を被らぬ白い岩肌である。
ピークは過ぎたとはいえ、まだまだ予断を許さぬ状況。
現に、路面の横断勾配は再びきつくなってきた。
縦断…すなわち進行方向と直角の向きの傾斜だ。
例によって山側が高く谷側が低い…路上にいながら滑落の危険を伴う危険なゾーンの再来。
見よ! この恐ろしい路肩を!!
派手な岩場を突破したように見えて、実は転落時のリスクはこれまでと何ら変わらない。
その上、湿った路面には滑りやすい落ち葉が堆積しており、しかも嫌なことに足場は土っ気が少ない。
いかにも滑りやすそうだ。
そう。
ここは、紛れもなく最後の難関。
楽には越えさせてくれない。
…そして、この恐ろしい斜面からの眺めがまた、凄いのだ…。
ハイライトシーンが1つである必要が、あるか?
否 。
上の写真の一部拡大。
前回辿り着いた吊り橋がよく見える。
上の写真と併せて見て貰いたいが、ほんっとアホな高さだ。
吊り橋が高いというか、谷が深すぎる!!
幅の3倍は深い気がする。
“U字峡”“V字峡”を通り越し、これはもう、
W字峡。(形から言ったら“I”か)
…そして、この谷底に前回の“見えてしまったもの その1” “その2” が存在しているのだ。
もーどーにでもして。
日原の破天荒ぶりにはもう大笑いだ。
前回最終到達地点到達。
14:00 現在地点
出発から約4時間をかけ、日原集落の古道入り口から前回引き返した“とぼう岩”北詰めの斜面まで歩き通した。
そのルートは複数代の古道の中から歩きやすい道を臨機応変にチョイスしてのものだったが、総じて日原〜樽沢間は江戸時代以来の第3期道、樽沢以降は大正以来の第4期道(第5期道と重複)を歩いてきた。
距離はおそらく2〜3kmの間で、これはたいした距離ではないが、要した時間がその密度を示している。
「あー… 終わったな〜」
それが感想だった。
万感の思いというほどでもなかった。
なんか、俺… さみしいよ。
この道に本当に惚れちゃったみたいだよ…。
もうデートは終わりですか? サヨナラですか…?
すぐ先には、前回命まで取られそうになった斜面や、その近くの口を閉ざされた坑口も見えている。
間違いなくここで終了。
厳密にはもう20mほど未踏区間はあるが…
下れるかも知れないけど、戻ってこられなくなったら泣く!
やめておこう。
少し遅れてやって来たトリ氏に、ここが我々の終点であることを説明する。
彼女にはその実感が無いらしく(前回来ていないのだから無理はない)、私を退けた斜面を少し名残惜しそうに見ている。
或いは彼女の心中も私と一緒…この道に魂を揺さぶられてしまったのかも知れない…
そう。
ここはそういう道。
都会に生きる我々現代人が興味本位でやって来ても、自分の命と向き合うことで古の営みを知る。
そして苦楽をひととき共にする。
そんな道だ。
都内にも、こんな凄い道があった。
私は心から惚れ込んだ。
命懸けを承知の上で、1ヶ月後に再訪してしまったほど。
そしてまた、これからも行きたいと思っている。
三島よ…
おれ、東京に新しい友達が出来たよ…。
……だよね?
え?
江戸道はどうした??
無理。
いや、もともと欲深な私ですから探しましたとも。
もしかしたら隧道があるかも知れないとなれば、血眼と言ってもイイくらい探しましたよ。
ですが… 無理。
そもそも、道から離れて探すこと自体が危険すぎる。
おそらく江戸道が眠っているのは、左の写真の崖の下。
これ、素人にはどうにもならないから…。
新旧道の分岐地点のようなものも探したけど、それらしいものはなし。二人の目で探しても、全く見つけられなかった。
悔しいけど、このくらいの成果で満足しておかないと命獲られかねないから…。
撤退します。
撤退の号令を、トリさん! お願いします!(涙)
…ということで…お願いします。
帰路。
来た道を戻り始める。
全般的に危険な道のりだったが、特に最初の辺りが要注意。
その最大の危険ポイントは、すぐに現れた。
明確な踏み跡はなく、来たときに通ったはずのラインでさえミスルートのように見えてくる、恐ろしい場所。
それは感じ方次第というわけでなく、登るにはイイが下るのは危険というルートは確かにある。
実際に私はここで、来るときのルートが信じられず、より高い位置を巻くルートを選択した。
その事が、小さくない発見を私にもたらすとも知らず。
この斜面、何所を通っても楽ではないが、と同時に何所でも歩けそうに見える微妙な角度。
しかも、一日中大岩の影になっているせいで、雪がまだ残っていて、余計に恐ろしい。
私はここで進路を上の方にとった。
トリ氏もそれに倣った。
崖は登る方が降りるよりも大概は容易い。
一番危険な場所を少しでも巻いてしまいたいと思った。
5mほど本来の道のラインから上ると、来るときにもちらりと見えた木枠の様なものが間近となった。
だが、ここまで近づいてみてもそこに人為を感じることはなかった。
不思議な形をしてはいるが自然の枯木なのだろう。
或いはさらに山の上の方から落ちてきたのか。
しかし、私は見つけてしまったのだ。
その木枠から視線を水平に5mほど左へ。
灌木の木陰にぴょこんと飛び出した、赤茶けたレールを!
見間違えではない! あれは間違いなく、廃レール!
上に何かある!!
私は、細い灌木と風化した岩場に身を託し、夢中でよじ登った。
どひー!
穴ー!
レイルー!
あわわわわわ
あわわわわわわ!
くそ! 坑口だ!!
出会いたくなかったのに!
えー! まじ??
レールでてんぞ!
幻と断じて置きたかった“地下鉄道網”なのか?!
だって、ここめっちゃくちゃ高いところだぞ!<現在地>
えー!
だって、この足下のレールは、穴から出てどこにも行ってないじゃん!
なんなのこれ! 死亡遊戯なの!?!
坑道!
この腐れレール!
釜石佐比内の絶壁通洞(←公開禁止なってます)にも匹敵する怪しさ!
へろへろだ! あまりにへろへろレール!
そして、冷たく黴くさい風が僅かに流れ出る坑口!!
… 撤退しまつ。
撤退!
そして…
目的達成につき
完
このあと、夕暮れ迫る山中、未知の坑道に何を見たのか。
それほど深くまでは行きませんでした。
おそらく縦坑を駆使なければ奥には行けないと思われました。
しかし、ここでその多くを語ってしまえば、これまでのレポート共々公開停止に陥る危険性があります。
それは避けたいので、このレポートはあくまでもとぼう岩の古道探索にチャンネルを絞って完結とします。
それに、穴は確かに衝撃的でしたが、私が一番好きなのは一般の人たちが通った道の廃道。
私にとっては、この日の最大の収穫が“とぼう岩”の古道踏破であったことは間違いありません。
一ヶ月後、私たちは再びこの地を訪れました。
さらにその一ヶ月後にも、仲間達と、また。
その都度、少しずつの成果が上がっています。
今後の更新をお楽しみに。