一般県道178号山ノ相川下条(停)の地図上の不通区間は350mほどでしかなく、ここには予想通り、不通区間を連絡する小径と呼べるものが存在していた。
私はこれを利用して、川口町側へと無事に抜け出たのである。
だが、突破とほぼ時を同じくして、猛烈に発達した積乱雲が頭上を通過しつつあった。
思う間もなく雷鳴が一閃、刹那に大粒の雨が降り始めた。
晴天のうちに出発していた私は雨具の準備さえなく、これも真夏の通り雨と、諦観するに至ったのである。
長居する理由は何もない。
土砂降りの雨によって、既にびしょ濡れとなったサドルに跨ると、即座に漕ぎ始めた。
幸い、この先は県道の起点である山ノ相川まで下り一辺倒と思われる。
午前8時11分、出発。
下りはじめてすぐ、最初のカーブを過ぎたところで鋪装が復活した。
道幅は1車線しかなく、新設されたのはそう最近のことではないのかも知れない。
夏草によって、さして広くもない道幅は更に狭まっている。
地図上で見たとおり、川口町側はかなり険しい地形を連続したヘアピンカーブ、すなわち九十九折りで下っている。
四方を山に囲まれた山中の小盆地である山ノ相川へ向け、緑鬱蒼たる斜面を下っていくのだ。
したたかに路面を打ち据える大粒の雨、弾けたしぶきが風で舞上がり、凄まじい光景となっている。
そして、雷には余り恐怖を抱いたことの無かった私でさえ「おいおい大丈夫だろうな…」と不安を感じるほど連続して稲妻が煌めき、しかも光と音がほぼ同時なのである。
周囲には、私よりも背の高い木々が生えているとはいえ、平らな路面を自転車という金属に跨って走ることの恐怖は並々ではなかった。
実際、私は運良く打たれなかっただけなのかも知れないのだ。
これが「山行が」だ! →濡れすぎ動画!
普段の穏やかな空が普通のものだとするならば、この空は明らかに異常ではあろう。
目と耳を封じるほどの凄まじい迅雷が矢継ぎ早に煌めき、それに鼓舞されるかのように狂い降る雨。
既に全身、濡れていない場所など一つもないと言う状態。
この日の朝に買った新潟県の道路地図帳は、この一雨で粘土に変身してしまった。
そんな、空の異常な状態。
だが、果たして異常なのは、空だけだろうか?
私は、下り始めてからの道路の状況にも、何か異常なものを感じていた。
なんというか、廃れているなどという次元ではなく、なにかこう、滅茶苦茶になってやしないか?!
この路肩の亀裂は、単に夏草がどうのこうのというモノではないぞ。
カーブの先に、異常な光景が… →怪しい動画!
な、なんだ!?
路面が
滅茶苦茶!
平成16年10月23日 午後5時56分
震度7の激震がこの地を襲った。
新潟県中越地震
まだ、我々の記憶に新しい大震災。
震源となった小千谷市に近接する魚沼丘陵北部地帯でも、随所で地盤の崩壊が発生し、多くの道が不通になった。
それでも、2年を経た現在、震源に最も近い旧山古志村を通る国道291号がようやく再開通を果たすなど、着実に復旧は進んでいるようだ。
しかし、ひっそりと作りかけだった県道に、なんら救いの手が差し伸べられた形跡はない。
せっかく作った道は、開通の誉れを迎える前に叩きのめされてしまった。
九十九折れの道、その最下段と一つ上の段を繋ぐヘアピンカーブが、最も破壊されている。
地表自体が何メートルも流れたようで、細かく砕けたアスファルトが波打っている。
いかにも崩れやすそうな土の段差が何段も道を寸断し、細かな亀裂は数え切れない。
破壊からひと夏ふた夏と過ぎ、一度はアスファルトの下に封印された草の種が芽吹き、草の海を漂う小舟のように、黒いアスファルト片が散乱する。
それはまさしく、道の、死したる現場だった。
かつて、滑らかなアスファルトがヘアピンカーブを描いていたはずの場所。
いまそこに見渡せるのは、小島のように散り散りになったアスファルトたち。
この終末的光景を、悪趣味なアメリカンホラーのような雷光が繰り返し繰り返し照らし出す。
凄まじい雨は早くも地表を溢れ、拉げた路面に流血のような水路を無数に生じさせる。
流れは幾つも集まって泡立つ濁流を生み、低き低きへと吐き出されていく。
いまだかつて、こんなダブルパンチは初めてだ!
天と地、両方が同時に牙を剥き、私を懼れさせた。
この時ばかりは、両足がしっかり大地に付いているにもかかわらず、恐怖に身を固くしたのだった。
全体が気持ち悪く膨らんでしまった、巨大な法面。
もう、この道は駄目だと思う。
復旧させるのも、同じ場所に道を新設させるのも変わらないくらいに、手間とお金がかかるだろう。
まずはこの粉々になった地盤が安定するまで、手を付けられないかもしれない。
不通県道に、開通の希望をもたらした延伸区間。
だがもう、諦めかも知れない。
これは、道の死んだ場所… →guro! 死体動画
死んだ道を踏みつけて… →生還への走行動画
午前8時28分、九十九折りの道を経て、一本の橋に下り着いた。
ここまできて、やっと雨が小降りになり始め、相変わらず激しい雷光はちらつくものの、音の方は随分遅れてやってくるようになった。
どうやら無事に下山できそうだと言うことを、ようやく理解。
路面の状況は相変わらず荒れているが、橋の少し峠側までは車が入っていた。
道端に一台のユニック車があった。
だが、周囲にまるっきり人の気配がない。それがまた、寂しさを誘った。
橋自体は無傷のようだが、橋と両側の路面との間に段差が発生したらしく、砂利で段差を埋める応急処置してあった。
2車線の幅がある橋の竣功年は銘板によると、昭和51年である。
不通箇所に通じるだけの橋にしては立派で、当時から開通に向けての工事が続けられていたのかも知れない。
また、他の銘板も健在だったが、肝心の橋の名前は、一番上の一文字が割れていて読めなかった。
『●(←一文字読めず)相川橋』とある。
また、銘板としては珍しく、この橋を供する路線名も記されていた。
『一般県道 明神下条停車場線』とある。この路線名は、現在のものとは異なる。
明神は、この直ぐ先で合流する主要地方道58号の通過地点の名であり、昭和51年当時には今と異なる路線配置だったことが窺える。
橋から200mほど、幅の広い砂利道を進むと、やや上りに差し掛かったところで、T字路に突き当たった。
ここが、この県道の起点である。
午前8時34分、当初の走行目標を達成。
…うら寂しいところである。
文句なく、寂しい。
天候のせいばかりじゃないだろ。
辺りに人家はまるで見えず、四方を山に取り囲まれた場所。
異常なほどの寂しさの理由は、すぐに分かった。
目の前にある道は、格上の主要地方道「小千谷大和線」である。
それなのに、車が全然通っていない。まるっきり動く物の気配がない。
主要地方道側から、178号の入口を見る。
正面の上り坂は主要地方道、山越えで小千谷市の国道252号に通じている。
右が、いま来た県道178号だ。
交差点に信号はおろか、青看一つ無い。
それ以前の問題として、明らかに通行不可能、路面も滅茶苦茶という道の入口なのに、それを示す警告も、立ち入り禁止の柵も、何もない。
無さ過ぎる。
さらに、この場所が異常に閑散としている理由の一つは、この交差点の主役であるはずの主要地方道がまた、“魚沼丘陵不通ファミリー”の有力な一員である事にもよる。
右の地図の通り、いま越えてきた県道178号の不通区間を遙かに超える大規模な県道58号の不通区間が、この直ぐ先から口を開けている。
いや、閉じていると言うべきか。
この県道は、主要地方道でありながら、小千谷市への交通路としては全く用を成さず、事実上はこの山ノ相川を経由地点として、同地が起点の県道209号にバトンを渡しているに過ぎない。
私は、この県道58号の不通区間の“入り口”を確かめるべく、県道209号との接点まで北へ進んでみることにした。
正確な場所は、地図にも記載が無く不明なので、現地調査が頼りだった。
2車線の舗装路として、主要地方道としての面目を保っているかに見える道。
だが、北へ下りはじめると、幾らも行かないうちに、片側1車線を潰して建つプレハブ小屋が見えてきた。
その手前には、転がったままの「通り抜けできません」の警告看板。
県道209号への通り抜けさえ、危ぶまれるというのか?
いったい、この周辺はどれほど痛めつけられてしまったというのか。
あの峠に達する直前までの長閑な田舎の空気が、全くここでは感じられない。
いまだ災害現場のまっただ中であるかのような、異様な雰囲気。
無人のプレハブ小屋を横目に、更に下っていくと、再びT字交差点が現れた。
先ほどの交差点からは、100mほどしか来ていない。
一切何の標識もないので、ある程度推測を含む物言いになるが、おそらくここが主要地方道58号と、一般県道209号「山ノ相川内ヶ巻(停)線」の分岐地点なのだろう。
この分岐は地図にも記載がないが、左折してすぐに橋を架けているのが主要地方道(写真左上)で、見ての通り橋の先に道がない。不通区間の“入り”だろう。
一方、正面に続く道が川口町中心地や小千谷市、魚沼市方面へ下る一般県道だ。
交差点は、山側から流出してきた砂に埋もれており、とても現役の道とは思えぬ有様。
まさか、209号も……?
正面の県道の安否も気がかりだったが、まずは橋の方を先に見てみた。
この地図にない橋を、将来の主要地方道のために“予約”された橋ではないかと考える理由は、3つある。
1つ目は、左の写真のように、橋台だけが2車線幅であること。(それなのに掛けられている橋桁は1車線分しかない、開通したら拡幅するのだろうが、何か無駄っぽい。)
2つ目は、右の写真の通り、橋にはしっかりした銘板が取り付けられていること。
ちなみに橋名は「山ノ相川橋」とある。
そして3つ目は、左の写真の通り、橋の先には何も無いという、この明らかな不自然さ。
今はその先にまったく道の気配はないものの、将来的には、約1km離れた稜線上で結合を待つ片割れの元へ延伸されるのだろう。
橋の架けられている方向は、ぴたりと一致する。
ただ、この橋についても、幅を広げるなどという以前に、著しく陥没した路面の復旧が求められるところだ。(写真右)
そんなこんなを観察しているうちに、ようやく雨が止んだ。
風もおさまっていたが、ゴロゴロという空の唸りだけがいつまでもしつこく続いた。
後に残されたものは、濁流と化した川、真夏とは思えぬほどに冷え込んだ空気、ずぶ濡れの私とチャリだった。
最後にとっておいたものを確認することにした。
県道209号である。
だが、そこには道など何もなかった。
道はなかった。
午前8時49分、山ノ相川と外界を結ぶ道は、もはやこの主要地方道一本の他にないことを理解した。
これでは、人気がないのも当たり前、ましてこの天候。
私だけがまるっきり取り残されていたのだ。死地に。
ここから国道252号との合流地点までは、約3.6kmの峠越えとなる。
地図を見ると、細々としたカーブがたくさん並んでいる。
その始まりには、ようやく県道らしい標識が立っていた。
幅員の3.4m制限と、連続雨量140mmでの区間通行止めの告知。
入ってすぐ、路肩を豪快に掘り下げて、復旧工事を行っている現場があった。
この日は土曜日だったせいか工事は休みのようだったが、久々に生気のようなものを感じたのである。
主要地方道だけあって、ちゃんと復旧工事が行われているのだ。
嬉しかった。
今一度、山ノ相川の全貌を振り返ってみる。
近くに見えるT字路が、県道178号の不通区間へ通じる道。将来は十日町市へ繋がる。
ただし今はまだ、絶望のさなか。
ずうっと遠くに白く小さく見える橋が、県道58号の不通区間の始まりの橋。将来は小千谷市に繋がる。
ただし今はまだ、夢のなか。
どこまでも真っ直ぐ行けば、県道209号の道。地図上では何事もなかったかのように、川口町へ通じている。
ただし今はまだ、傷つき伏したまま。
山ノ相川、苦しい道の集う場所。
周辺の拡大地図を作成したので、ご覧下さい。
県道58号の峠区間。
もともと1車線の狭い舗装路だったようだ。
いまは所々で鋪装を剥がし、路肩や法面の復旧工事をしていた。
まさに、満身創痍と言える状態だが、一応一般車両も通れることにはなっている。
工事の合間を見て。
先ほどの雨のせいか、どの現場にも動く物は何もなかった。
峠もいよいよ近付いてきた辺りで見かけた、変わったプレハブ小屋。
ススキを天井にどさっと乗っけており、まるでどっかの南国の家みたい。
暑さ除けなのだろうか?
午前9時08分、川口町から魚沼市へ遷る無名の峠に到着。
この辺りでは一番高い峠だと思われるが、余り眺望はきかない。
というか、雲に煙る似たような山並みしか見えない。
峠には、グニャグニャに変形してはいたが、堀之内町の標識があった。
数年前までは魚沼市のこの一帯は堀之内町と呼ばれていた。
また、災害復旧工事の看板には、“復興”の文字が力強く躍っていた。
がんばれ〜。
峠を越えると、勢いよく下りはじめる。
何度かスパンの大きな九十九折れを経て国道まで一気に下降するが、その途中で越えたばかりの峠の稜線が目に入った。
地層がはっきりと見て取れる褐色の露頭が出現していた。
おそらくこれも地震で土砂崩れが起きたためではないだろうか。
痩せ細った土色の稜線上に、手摺りのついた怪しげな歩道が見えた。
峠付近では治山復旧工事をしていたので、その工事用の通路だろうか。
あの震災で土砂災害が特に多く発生した根本的原因は、魚沼丘陵の地質にあったという。
専門用語では、「ランドスライド災害」と呼ばれる、巨大な地滑りが多発したのだった。
さっき見たバラバラのアスファルトなども、道路を乗せたままに地面が大きく滑り落ちたという、まさにランドスライドを起こした痕跡なのかもしれない。
下りきると田河川を高い橋で渡って、そのまま国道252号とぶつかる。
この橋の銘板にも、かつての路線名である「明神下条停車場線」が記されていた。
明神というのはこの辺りのことで、私は明神下条停車場線を全線走ってきたことになる。
路線指定当時から不通区間のあった道が、路線名は変わっても、まだ不通のままなのである。
国道側の県道入口に立っていた看板。
右の細かな字の看板を読むと、時間雨量30mmで通行止めとある。
さっきの雷雨の時、もしかしたら通行止めだったのかもね。
工事もすべてストップしていたみたいだし。
こうして、短いようで濃密な、激しい激しい県道探索が、一つ終わりを迎えたのである。
雷に打たれないで済んで、ほんと良かった〜。
今思い出しても、恐ろしい。