秋田と山形を結ぶ交通の要衝雄勝峠には、昭和30年に拓かれた、1世代前の道が現道のすぐ近くに眠っている。
この旧道は、残念ながら、どうしても通り抜けができない。
なぜなら、峠を貫く隧道が、ある会社の所有物となっており、低温貯蔵庫として、活用されているためだ。
不要となり、自然に還ってしまう旧道が多い中、珍しいケースと言えるが、本来の目的と違う用途で生きながらえることが幸せなのか否か…。
チャリの故障により断念せざるを得なかった秋田県雄勝町側の区間を、2002年6月6日に、探索した。
以下はその際のレポートである。
<地図を表示する>
院内から緩やかな直線主体の道を、JR奥羽本線の複線に沿って5kmほど進むと、峠と言うには少しあっけなく、現道の県境である雄勝トンネルに到着する。 ここでも、鉄道の隧道とは、仲良く隣あっている。 | |
高度成長期に誕生したトンネルっぽい、存在感を極力抑えたデザインであるが、嫌いではない。 というか、むしろこういう、機能性を重視したデザインは好きだ。 道と言うのは、こうでなくちゃあ。 スマン、…脱線しました。 ここの保守施設(写真のの右に写っている)の前にある公衆電話は、昔お世話になったことがあり、思い出深い。 絶望的に利用者は少ないだろうが、いつまでも存続してほしいものだ。 | |
さて、肝心の旧道は、ここから左に入る。 場所が場所だけに、非常に見落としやすい入り口で、私も以前何度か通っていたにもかかわらず、このとき探してはじめて見つけた。 状況はよさそうである。 いざ、攻略開始! |
20mくらいで、いきなりゲートがお出まし。 南京錠で封鎖されており、事実上、自動車の通行は不可能だ。 なにやら路面には、稚拙ないたずら書きがはびこっており、悲しくなる。 こういうときこそ、小型人力のチャリが役立つときである。 真室川側が私道であるとの事で封鎖されていたのは、突入にためらいを禁じえなかったが、こっちにはそういう事情はなさそうであり、堂々と突入できる。 |
ゲートを越えると、すぐに木漏れ日のさす道になる。 路傍の植物や木々は伸び放題で、だいぶアスファルト上を侵食しているが、舗装自体は非常にしっかりしており、ひび割れなどもほとんどない。 直線的な登りは、勾配も緩やかで、とても線形に難が有って現道に付け替えられたとは思えない。 |
緑の道を進むと、突如暗がりが現れた。 一瞬トンネルかと思ったが、見覚えのある台形の断面は、紛れもなくスノーシェードのものだ。 旧道とくたびれた隧道というのは、まさしく、冷やし麺にいなり寿司のような(?)ベストな取り合わせであり、スノーシェードは現役のものはあまり楽しくないが、旧道ともなると金属の腐食ぶりなど、なかなか味わいがあり好きだ。 | |
1975年竣工「雄勝峠スノーシェッド」である。 こういう銘盤を味わうのも、旧道探索の楽しみの一つである。 そもそも、読む者がいなくなった文字を読むというのが、なんとも、愉快ではないか。 走る者がなくなった道を走る快感と一緒である。 |
ある意味、この道が現在まで現役でいられなかった最大の原因と言ってもよさそうなのが、ここの異様な線形である。 曲率半径20mをも割り込んでいそうな、なかなか国道では見られない180度ヘアピンコーナーである。 そのアウト側には、高さ50cm厚さ50cmほどの、重厚なコンクリの擁壁が、普段の脆弱そうなガードレールの代わりに設置されており、このコーナーの厳しさを物語っている。 | |
この存在感ありまくりの危険極まりないスノーシェードだが、なんと、チャッカリ(?)名前まである。 洞門ならいざ知らず、スノーシェードで扁額付って、珍しい。 その名もまんまの、「雄勝第二なだれ覆」。 “なだれ覆”とは、そのままスノーシェードの事だろうが、聞き慣れない。 今でも現役なのか、この言い方? 「なだれおおい」って読むのかを含め、情報をお持ちの方、教えてください。 | |
で、内部の様子。 かなり長いスノーシェードである。 しかも、なにやら、奥のほうには小屋のようなものまであるではないか!! まずい! 人がいる?! 進んでみればわかることよ! …この場所にはもともと、柵が取り付けられていた形跡があった。 写真でも、その一部が写っているので、お分かりいただけよう。 この奥に、一体何があるのか、期待は膨らむばかりである。 | |
しつこい様だが、この場所が気に入ってしまったので、さらにもう一枚。 振り返って撮影したものである。 スノーシェードを出たその場所がまさしく急コーナーであるのが、お分かりいただけよう。 危険すぎだと思う。 |
名前こそ付いていないようだが、位置関係的には、雄勝第三から第四のスノーシェードが連続して出現。 ちなみに、第二スノーシェード内の小屋は無人でした。 このあたりは、センターラインもしっかり健在。 当然、ずっと赤の「追い越し禁止」ですね。 季節のせいだろうが、とにかく周りの緑が青々としており、密林のようでさえある。 こんな景色の中に、豪雪と戦った“遺跡”が次々と現れると言うのも、アンマッチの妙である。 |
4本目のスノーシェードをくぐると、見慣れない鉄塔が天に向かって伸びていた。 電線なども一切なく、一帯なんのための塔なのかは不明。 現在は利用されていないような気はしたが…。 その鉄塔を目印にして、道は再び、急なヘアピンコーナーとなる。 このコーナーを曲がりきると、そこには、意外な景色…目指していた峠が現れる。 |
再びスノーシェードが現れるが、その先に光がない。 スノーシェードが、そのままトンネルに接続している。 この景色を見た瞬間に感じた、何ともいえない異様さは、忘れ難い。 なんというか、普通は、現役の道であれば、こういう感じは受けなかった事だろう。 うまく説明できないので、この次の写真を見ていただきたい。 | |
これでもまだ分かりにくいかも知れないが…。 次の写真は、この水色のスノーシェードが終わった部分で撮ったものである。 | |
この景色が、私は忘れられない。 隧道へ向けて、徐々に、暗く、そして狭くなってゆく。 もしこれが現役であれば、トンネル内部には、明かりが灯り、これほど怪しい景色にはなっていなかったように思われる。 周りが、晴天の下の初夏の日差しに包まれているだけに、この場所の薄暗さと、ひんやりとした、動かぬ空気が、異様に感じられたのだ。 そもそも、トンネル好きと言うのは、異様なものへ惹かれていることの現われだと思った。 本来は、地中など人の与り知らぬ世界であるのに、そこにあるトンネルと言うものが、唯一人に許された地中の空間である。 日常から見たら、そこが異様な空間であるのは納得が行くというものだ。 また、廃道趣味も、一時は栄えたものがその形をとどめたまま打ち捨てられ、自然の摂理に飲み込まれて、本来とは違う形に変わってゆく、その様が、異様であり、惹きつけるのだ。 “廃隧道”というのが、もっとも惹きつけるのも、これで自分なりに合点がいった。 |
威圧されつつも、ゆっくりと先へ進む。 どんどんと薄暗くなり、先にある空間がどんどん減っている事が、直感的に感じられる。 なんというか、全く空気の流れがないから、行き止まりであろうと言う事が、もし事前情報なしでも、分かったように思う。 さらにすすむと、いよいよ、半円筒形のスノーシェードの両脇にあった明かり窓もなくなり、周囲はより一層暗くなった。 | |
ついに、フラッシュを焚いて撮影。 どこで行き止まりになっているのかがまだ分からない。 しかし、錆が進行した鉄の壁は、まるで生き物の胎内の様な不気味さである。 この奥の隧道部は、真室町側で見てきたように、倉庫として利用されているのだが、こちらからはアクセスされている気配がない。 | |
はじめの水色のスノーシェードの入り口から、500m程も進むと、ついに、行き止まりだった。 結局、石の壁(つまり隧道本体)が現れると同時に、そこには鋼鉄製の巨大な両開きの扉があった。 左の写真は、これを撮影したものだが、あまりに暗いので、PCでめいいっぱい明るく画像修正している。 扉が写っているのがお分かりいただけるだろう。 そしてこの扉だが、…だめもとで押してみると…開かない。 当然だよな、と思いつつも、一応引いてみると…。 | |
開いてしまったのです! これ以上進むのはさすがに犯罪(不法侵入)と思い、躊躇いはあったが、ちょっとだけ、中を覗いてみた…。 正直言って、10mほど先に今度は木の扉があって、今度こそがっちりと施錠されており進めなかった事にホッとした。 もしこれも開いていたら、ついに、前科者になってしまったかも知れなかったから(笑…えない) | |
これがこの道で撮影した最後の写真である。 行き止まり付近から振り返って撮ったものだ。 帰りはほんとホッとしたのを覚えている。 内部が閉塞している隧道が持つ(…それはもう隧道とは呼べない、ただの地下道かもしれないが)異様な空気が、心に残った道であった。 2回にわけ、この旧国道13号線の旧雄勝峠を攻略したわけだが、さして難度が高い場所もなく、自動車では接近できないとはいえ、自転車なら楽勝だし、徒歩でも十分楽しめそうな、いやいや、真室町側は私道と言う表示がしっかりとされており進入はできないと見るべきだが…、いずれ、なかなか味のある旧国道であった。 でも…、一度でいいから、この隧道を貫通して走ってみたかった!! 補足: 帰りの下り道はえらい気持ちよかった! 次々とスノーシェードを潜り抜ける直線的な下りは、貸切のゲレンデのようでありました! | |
END
|