2014/9/1 14:27 《現在地》
私にとっては既にお馴染み、しかし「山行が」では初めて紹介する景色だと思う。
ここは生鼻崎トンネルの東口で、男鹿市脇本脇本にある。
集落は砂丘海岸に立地しており平坦だが、その西側は厳然と生鼻崎の山脚に画されており、集落を貫通した国道もその地平面のままにトンネルへ突っ込んでいく。
左に見えるのが従来からの生鼻崎トンネルで、右に見えるのがまだ新しい第2生鼻崎トンネル。
私が立っている場所は、4車線化(上下線分離)に伴って作られた集落への出入り用の側道である。
自転車ではまだ通ったことのない第2トンネルを脇目にスルーし、より馴染みの深い(第1)トンネルへ近付く。
この日はたまたまこのトンネル内で何かの作業をしており、1車線が規制されていたが、本来は秋田では珍しい一方通行2車線のトンネルである。
(以前はそうではなかったので、脇道から進入したドライバーが勘違いして逆走しないように、写真のような注意書きがある)
そして、このトンネルの入口で左に分かれるのが、現在の地図では記載されなくなった生鼻崎回りの道だ。
確か「サイクリングロード」だったような記憶があるのだが、この記憶も確かで、調べてみると、ここは「秋田男鹿自転車道」という名の大規模自転車道(以前探索したここと一緒)で、昭和63年に一般県道403号秋田男鹿自転車道線に認定されていた。(ちなみに秋田県道のラストナンバーである)
つまり、地図から消えた道は県道である。
(冒頭で紹介した地理院地図でも、ちゃんと県道の色で塗られていた)
昔の写真フォルダを漁っていたら、平成14年7月25日に撮影した生鼻崎トンネル東口の写真を見つけた。
これは懐かしい当サイト初期のレポートである男鹿林道へ向かう途中だな。
当時は探索と言うよりは純粋な“山チャリ”だったから、「道路レポート」ではなく「走破レポート」であった。
写真のタイムスタンプも午前5時18分だから、日が登る前から当時の自宅があった天王町出戸浜(現:潟上市)を出発していたことが分かる。
残念ながら、この時の私はこのままトンネルへ向かってしまい、海岸沿いの道には入らなかったのだが(既に通った事があったからだろう)、今の写真と比較するとわずか十数年とは思えない違いがある。
当時まだ県道だった道が片側1車線だったのは無論のこと、側道は存在せず、現在は単なる歩道となっている部分にも、暗にサイクリングロードであることを示す白線が描かれていた。ここが歴とした県道403号だったわけだ。当時からトンネル内に歩道はあったが、サイクリストは生鼻崎を回るのが普通であったと思う。
“現代”に戻って、これがサイクリングロードの入口だ。
地形図から抹消されている道なので、入口に「通行止」を示す何かがあるかとも思ったが、そんなものはなく、別に変わった様子もない。
おそらく工事関係者のものと思われる乗用車が停まっていて奥が見えないが、とりあえず問題は無さそうな感じだ。
ちなみに、生鼻崎トンネルの坑門はその上下で色が違うが、これも昔は無い意匠だった。
昭和53年生まれで少しだけ古びてきた坑門を、観光地の玄関口らしい姿を目指てし化粧直ししたものだろう。
上半分は白く塗られ、下半分はまるで石垣のようなイラストが施されていた。また、なぜか金属製の立派な銘板が消滅していた。理由は不明。
あ……れ?
なにあの緑。
嘘だろ?
道、あったはずだぞ、ここ。
14:28 《現在地》
これが現実。
微かに見覚えのある道は、その見覚えの中にある防波堤だけを地上に残して、私の目の前から姿を消していた。
これが、地形図から抹消されるという現実なのか。
破線さえ残さず消えていたのは、こういうことだったのか。
…俄には信じがたい。
私は確かにこの道を通った憶えがあるのだ。
それだけに、目の前の光景を素直に受け入れられなかった。
道を塞ぐ“緑の壁”としか形容しようがないものの正体は、腰くらいの高さまである土砂の山を苗床とする夏草だった。
ここには確かに道があったはずだから、腰丈の土砂はどこからもたらされたのか。
余りに完膚無きまでに道を埋めていたので、人為的に道を埋め戻したのかとも思ったが、現実はそんな甘い物ではあり得なかった。
やはりこれは、自然に発生した土砂災害の結果なのだった。
…私が目を離した数年の間に、馴染みの道が死んでいた…。
私は“緑の壁”の先を知るために、路肩にある腰丈の防波堤に登った。
防波堤の向こう側には、波消しブロックも砂浜も無く、直接に青い海が広がっていた。
ゾクッと来て、ヒヤリとした。
そしてその海の向こうには、平穏な砂浜がどこまでも続いていた。
間近に見える脇本漁港の小さな突堤が、まるで人里から私に送られた小さなエールのようだった。
しかし、そんな気休めではとても支えられないほど、先行きに対する私の不安は大きかった。 な に せ …
防波堤の上から見る先行きが、こんなだったから。
私は、“緑の壁”の裏側に、見覚えある道が眠っている事を期待していた。
決してそれが甘い期待であったとも思わない。
普通は、崩落を抜ければその裏側に道があるのだ。
しかし、見ての通りここに道はなかった。見える限りに。
まるで初めから道なんて無かったかのように見えるし、そう思っても無理はないだろう。
ここには、昔から防波堤だけがあったのだと。
そんなバカなことがあるものか!
私はこの道を通った事があるのだ!!
私は騙されないぞ……!
私と道との再会は、まだ手遅れではないと信じている。
私は、諦めない。