私の前に現れたのは、目を見張るほどの断崖にえぐられた廃道。
そして、命がけでここを突破したその先で、遂に見た。
目にした全ての者に強烈なインパクトを与えずにはおかない、その隧道。
今こそ、攻略せん!
<地図を表示する>
遂に目の当たりにした目的の隧道。 そこへ至るために、廃道をつき進む。 あとわずかという所で、道を横切り落ちる滝に遭遇。 遥か見上げるほどの頭上から落ちてくる滝の姿は、あまりの美しさに息を呑んだほど。 一帯の地質的な特異点である玄武岩の露頭が作り出した芸術的な柱状節理は、圧倒的な存在感で見るものに迫ってくる。 惜しげもなくこれほどの景勝を見せ付けるこの廃道は、なかなかに贅沢な廃道だといえよう。 |
新鶴子ダム下を出発して、約2時間半。 やっと、当初の目的地であった“隧道”に到着した。 私がこの隧道の情報に始めて出会ったのは、相互リンクして頂いているとあるサイトでのことであった。 この隧道の姿を見た瞬間 「ここは絶対に自分の目で見たい。自分の足で越えたい!!」 という、抗えない衝動に駆られたのだった。 一目惚れといってよい。 今遂に、この隧道に、私の愛を告白することができる。 あまりの興奮のためか、後から写真を見て初めて、隧道に至るその最後の数10mが極めて危険な状況であることを知った。 さぞ軽やかな足取りで、この瓦礫の山を越えたのだろう。 …危険だったかな。 (ちなみに、の写真を見ていただければお分かりのように、この瓦礫の脇の断崖は優に100m を越えるものである。) | |
隧道の延長はわずか20mほど。 完全な素彫りである。 内部から見ると、まさに洞穴のようである。 しかしこれだけならば、ただの廃道にある廃隧道に過ぎない。 この隧道が私を悩殺した決定的なポイントが次の写真で明らかになる。 ご覧頂きたい。 | |
上の2枚の写真が何を意味するか、分かり辛い思うので、説明させていただきたい。 坑口のコンクリート製の坑門が、孤立している。 この奇天烈な状況の原因として考えられることは、唯一つしかない。 この隧道は天井が抜けたのだ! この事実のなんと衝撃的で、ドラマチックなことか! 隧道の生涯を考えた時、その“死”とは、崩壊し、閉塞することだろう。 しかしこの隧道に限って言えば、いまだに死んではいない。 これほどの崩壊を経験し、なおも、隧道として機能し続けているのだ。 感動した。 | |
どうして、坑口の一方にだけこれほどに立派な坑門が建設されたのだろうか? そもそもコンクリートの坑門など、この様な行き止まりの林道の素掘り隧道には到底必要とは思えないのだ。 見た目上、まるで延長30cmのコンクリートのトンネルのような、孤立した坑門。 それはいくら見ていても飽きることが無かった…。 | |
この写真一枚で、この隧道に起きた出来事が理解できよう。 それにしても… 不要に立派な坑門である…。 大変名残惜しかったが、さらに先に進んでみた。 |
第一の隧道を越えると、それまでの断崖絶壁の道が夢であったかのような穏やかな道になった。 現役の林道のように見える。 しかし、やはりまったく轍は無い。 確実にこの道は、廃道なのだ。 それにしても、穏やか過ぎて、それがかえって不気味ですらある。 |
思ったよりも早くこの道にあるもう一つの隧道がその姿を現した。 今度の隧道は、先ほどのものよりも長い。 それでもせいぜい30mくらいだが。 印象的なのは、特徴的な坑口の景観である。 まずは、この場所から眺められる景色だ。(写真右) 特徴的な形の山がそこには在った。 少し大げさかもしれないが、黒い影のような山々は、水墨画のような迫力があった。 この景色の只中にして、この隧道あり、である。 私の興奮ぶりを想像していただきたい。 やはり、愛でるような気持ちで隧道に進入する。 | |
入り口から受ける印象とは異なり、内部を見ると意外に巨大な隧道であることに驚く。 内部は、まるで鍾乳洞内のホールのように広い。 特に天井が高い。 しかし、故意にこの様な構造にする必要性は感じられない。 多分これも、先ほどの隧道よろしく天井の崩壊によるものなのだと思う。 それを裏付けるかのように、その天井の岩肌は非常に尖っており、また洞床には巨大な落石がごろごろしていた。 …この隧道は、頭上の岩体の容量が大きく、多分下手な崩落は閉塞を招くだろう。 やはり先ほどの隧道の景観は、奇跡的にまれなものなのだと思う。 | |
洞床に落ちていた標識。 登山道としては現役の道であるはずだが、山開き前のためか人一人遭遇しなかった。 「第二トンネル」は、正式な名のだろうか? “トンネル”というイメージではないが。 そんなイメージは私の勝手なものだが…。 | |
脱出すると、これまで以上に自然に還りつつある景色が広がっていた。 終点は、やはり行き止まりとしたい。 もはや、目的を果たした感はあったが、先に進むことにした。 |
落石や倒木や残雪がほとんど隙間なく道路上を覆う。 スローダウンを余儀なくされる。 後どれ程の距離が(終点まで)あるのか分からず、焦りを覚える。 |
再び穏やかな道。 周囲には、手つかずの自然が広がり、気持ちいい。 しかし、この場所まで、いくつもの修羅場を越えて来たことを考えると、いい加減行き止まりになって、引き返し始めないことには、気持ち的に落ち着かない。 とても穏やかな気分ではいられないのだ。 帰りも危険な断崖は私の命を狙ってるのだろうから。 地図上では、そろそろ終点のはずなのだが…。 |
焦りが頂点に近づいたところで、やっと終点に到達。 そこは、開放的な広場であった。 ここからは幾筋の登山道が山頂へ向けて伸びている。 しかしそこはもはや私の領域ではないので、きっとそこにも印象的な景観が広がっていることだろうが、その道の専門家に譲りたい。 私の出番はここまでだ。 納得して引き返す。 に始まったこの「鶴子林道」は、まさに波乱万丈な道であった。 公証延長10.743mのうち、後半の3kmほどは、もはや林道としての機能を失っている。 しかし、これほどに“美味しい”道はなかなか無い。 僅か10Kmそこらで、こんなにさまざまな景観を楽しめる道はそうは無いのだ。 …楽しめるかどうかは、もちろん、その人しだいだと思うが…。 とにかく、私は楽しくて仕方なかった。 晴れ晴れした気持ちが天に届いたのか、突如雲が裂け、穏やかな日の光が木々の緑を一段と鮮やかに照らしだした。 じっくりと帰り道を楽しむこととしよう。 |
の場所まで無事戻ったとき、衝撃的な光景に出会った。 なにやら、重機が入ってるではないか! 一体何のつもりだ!? それよりなにより、私は通れるのか? きっかり車一台分の幅しか無い断崖の道だぞ。 やばい。閉じ込められたか?! 接近してみると、重機は赤と黄色の2台で、黄色のほうがすっかり作業中であった。 なんと、復旧は絶望的とさえ思えたこの場所の膨大な崩土やその下に大量に残っていたらしい残雪をショベルで掘り返し、取り除いている?! この道を蘇らせようとしているのか?! そんな無謀な!! とにかく、私はこの日一番怖い思いをしたのは、ここを通り抜けるときであった。 信じられないことに、私の姿を認めていないはずは無いにもかかわらず、操縦者はショベルの動きを止めようとしなかった。 ショベルが無造作に投げ出した雪と岩の混ざった非常に脆い足場上を、作業に巻き込まれないようにと、小走りでチャリを小脇に抱えての突破であった。 自然より、人のほうが怖いよ。 | |
突破後、冷や汗が噴出してきた。 それでもなんとかパチリ。 黄色い重機の右側に一体どれ程の幅があったかが、お分かりいただけよう。 「たのむから、少しだけ作業をとめてくれよ。」 と言いたい。 彼らにして見れば、まさか奥から人が、しかもチャリに乗って現れるとは思ってなかったのだろうが…。 それはそうと、この重機の作業に遭遇したことにより、この道で感じたいくつかの疑問。 というか、どうにも気になった不自然さ、に自分なりの解釈をすることができた。 たとえば、先に走った柳木沢林道の荒れ方に比べ、妙に状況が良かったのは、この様な重機による整備が年に一度でも入っていたのだ。 登山者の足だけでこれほどの道幅が維持されていると言うのが不自然でならなかったが、すっきりした。 また、いくら廃道とはいえ、まったくと言っていいほど轍が残っていなかったこともこの重機での整備を見れば納得がいった。 この光景は、この道の印象一変させた。 それまで、もはや廃れ行くのみの、未来なき道と思っていたが、 実はこの道は夏の間、御所山の登山道として今を謳歌する(?)、生きた道ではないのか。 そう思うと、これからも、意外と長く活躍することを期待できるような気がして、ホッとした。 「私の愛した道よ、永遠なれ!」 である。 | |
それからの帰り道は、ホントびっくりするくらい多くの対向車に出会った。 ほんと、下手な国道以上である。 乗用車から、ダンプ、それに重機まで。 次々と私があとにしたばかりの奥地へと吸い込まれていった。 御所山は、なかなかに味わい深い場所であった。 とくに、二つの隧道は生涯忘れないであろう。 今回紹介したこの道、私は無謀とも思えるMTB同伴で挑み無事に生還することができた。 しかし、整備が行き届いていると思われる夏場でも、本質的に危険な場所であることに変わりは無く、もしもあなたが一目ぼれしてしまったとしても、慎重な行動を期待したい。 | |
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END
今回の走破の情報源として本文中に挙げた“あるサイト”とは、「山形の廃道」さまのことです。
本当に、この様な貴重な道を体験する機会を与えていただいたこと、感謝しております! |