秋田県一般県道200号 矢坂糠沢線 後編

公開日 2006.10.20
探索日 2004.04.21

 秋田県道200号矢坂糠沢線に存在するたった860mの不通区間(県道路調書より)。
起点の藤里町矢坂より走り始め、最初のうちは2車線の快適な舗装路だった道も、いくつかの廃村を過ぎる頃には狭まって、やがて砂利道となって、それでもどうにか峠の急坂に轍は続いた。
お供の秋田県県道専用キロポストが、それがどんな辿々しい道であっても、県道であることをはっきりと教えてくれた。
出発から1時間、峠は上りきった。
その頂上の切り通しを過ぎた。

 そして轍は消えた。


キリ番県道の憂鬱

挑め! 不通区間


 切り通しを抜けた先の広場で、砂利道はプッツリと途切れた。
周囲はまだ若い杉の林に覆われていて、視界が非常に乏しい。
車にとっては行き止まりの広場だが、その左右に、ほぼ同規模の小径が分かれていた。
手持ちの地図では、そのどちらも描かれていない。むしろ、このまま真っ直ぐ沢底へ下る点線があるのだが、実際にはそのような踏み跡は無ようだ。

 どちらを選ぶか、だいぶ悩んだが、ここは勘で右へ行くことにした。



 1kmにも満たない不通区間だが、未踏の山林を乗り越えていくことは現実的ではない。
まして今回はチャリ同伴であるから、無茶にも限度がある。
私が選んだ右の道は、目印の赤いテープが所々に巻き付けられており、県道不通区間を示す物ではないかという期待感を持たせた。
そして、幾らも行かぬうちに、稜線から直滑降に近い急坂で谷底へと下り始める。
チャリのブレーキだけでは滑りやすい土の道で止まることが出来ず、何度も脚で地面を押さえて減速した。
下って行き止まりだったら最悪である。
しかし、方向的にはばっちりだ。

 果たしてこれは、“不通”を攻略するための秘密ルートなのだろうか。



 鬱蒼という言葉がぴったり来る昼なお暗い杉林の底へ、まだ底へ、ぐいぐいと下った。

 下るにつれ道形は不鮮明になり、倒木が現れ視界はますます悪くなる。
嫌な予感が全身を包んだが、もう引き返せない。
はっきりとしたルートミスが確認できるまでは、引き返しようがない。

 更に下る。



 木々の向こうに、きらりと光るものが見えた。
その正体は、小さな窪地に溜まった水、名も知れぬ沼だった。

 折り重なる倒木に苦労しながらも、私は着実に谷底へ下りつつあった。
沼の出現は、そのことを教えてくれた。



 峠を出てまだ6分しか経っていなかったが、私はいよいよ谷底へと下り着いた。
目指す方向へ進んでいることは間違いないだろう。
あとこの沢伝いに下っていけば、この北秋田市側の県道端に辿り着けるはずだ。

 驚いたのは、ここにも車の轍があったことだ。
とはいえ、普通の車輪の物ではなく、キャタピラの痕だ。
小型のキャタピラが付いた土木作業車のものだろうか。
これが不通県道開通のためのパイロット道路だとしたら、新設工事はいよいよ現実の物になろうとしているのか?!



 湿地帯のような所に、ギザギザの轍が残っている。
それを頼りに下流へ向かうが、こんな事が容易に出来るのも春先のいい時期だからだ。
おそらく夏場など、この沢底は一面のススキや葦の原と化し、視界は全くないだろう。



 更に下ると、沢を僅かに流れる水と同じ高さにあった轍も、一段沢縁に上った。
そして、今度は沢を左に見ながら、崖伝いに進む。
この辺りも倒木やツタなどによって道は繰り返し支障を受けており、進行のペースは鈍い。
返す返す、時期が良かった。



 そして今度はたくさんの足跡が道の上に付いているのを見つけた。
峠からここまで、ずっとカラーテープが道を誘導してくれてもいた。
側溝くらいの小さな沢を横切る部分には、丸太を二本置いただけの極小の橋が。

 やはり、現在進行形でこの山に人が入っている気がする。
おそらくは、県道を造るために。



 再び杉の林に入ると、今まさに測量の最中のような有様で、器具が置かれたままになっていた。
作業員の姿は見えなかったが、下山する途中の道に車が置き去りになっていたので、たまたま行き違いになっただけだろうか。
突然チャリに会ったら驚かせてしまったと思うので、遭遇しなかったのは小さなラッキーだったかも。

 確かな手応え(県道予定線上に自分はいる!)を感じつつ、徐々に鮮明さを取り戻しつつある轍を拾っていく。



北秋田市 田子ヶ沢


 下り始めて約15分で私は戸草沢の林道へ下ることが出来た。
距離的には、やはり1km弱だったと思う。
地図ではこの先の道も、集落のある田子ヶ沢まで県道色は塗られておらず、林道のようにしか見えない。
だが、実際には現役の県道という扱いのはずだ、少なくともこの先は。
そうでなければ、県の公示している不通区間の860mという距離の辻褄が合わない。


 合流地点を振り返って撮影。
左の日陰へ折れている道が県道の予定線(地形図では点線)で、この探索の当時で測量が行われていた。
その後も順調に工事が進められているとしたら、あれから2年以上経つ現在では、実際に道が建設されているかも知れない。
(少なくとも、まだ開通したという話は聞かないが)

 ここから、砂利の県道を戸草沢沿いに下っていく。
私の目的地はもう、近い。



 下り始めて幾らか行くと、耕作されなくなった田んぼが路傍に現れ始めた。
藤里町側同様に、かつての鷹巣町の辺境であるこの辺りも多くの集落が無人となって、当然耕作されなくなった田畑も多い。
そんな寒々しい景色の道端に、ともすれば見過ごしてしまいそうな一本の鉄の棒が立っていた。

 私はピンと来るものがあって、その根本の辺りを丹念に探した。
そして、目指す物を見つけた。




 そう、これはキロポストの支柱だった。
肝心のプレートはなぜか外れ、地面に落ちていたのだが、私は枯草の中にそれを発見し、取り付け直したのだ。(もっとも直したとは言っても、ただネジを使わずに嵌めただけだが)

 嬉しい発見である。
これで、この北秋田市側の砂利道もまた県道であったことが確認された。
さらに、距離の連続性も確かめられた。
峠の直前で見つけたのは9kmポストだったから、あれから2kmという僅かな距離しか、まだ離れていないと言うことだ。



 見えてきた見えてきた。
これでまた一つ、不通県道を自分の物に出来たのだと思うと、嬉しくなった。

え? 自分の物?

いや、チャリ乗ってると、こういう感情って普通に持つよね?
越えた峠が、まるで自分によって征服され、それを手に入れたような誇らしい気持ちを。
余り知られていない道だと余計嬉しくなる。

 閑話休題。
行く手に目的地である田子ヶ沢の家並みが見えてきた。



 集落のギリギリまで砂利道が続く。
ここまで一緒に山を下りてきた戸草沢は、この直ぐ手前で本流の綴子川と一つになっている。
この橋は、そこを渡る。
しかし橋の状況は余り良くない。親柱がどれも傾き、一つは落下し消滅している。
これでも、一応は現役の県道の橋なのだが。
残る銘板によれば、橋は戸草沢橋、竣功は昭和40年である。(偶然か、県道指定と同じ年だ)



 橋を渡ると、綴子川を左手に最後の100m。
行く手に舗装路を橋が見えてきて、不通区間に続く砂利道が終わる。
距離的には、峠から不通区間を約1km、その先ここまでが1.5kmといったところだ。
 その気になれば、いつでも車道が通り抜けそうな小さな峠であったが、いままでそうならなかったということは、それだけ必要に迫られなかったということで…。
地域の人口が減り続けている今になって改めて造る必要があるのかという議論は、当然、ある。
個 人的には、やはり道はあった方が良いと思う。
行き止まりの集落に漂う得も言われぬ閉塞感は、そこに住む人にとって大きなストレスだろうし、防災上の意味からも、道は通り抜けられた方がよい。
ただし注文があって、どうせ造るならちゃんとした舗装路を、最後まできっちり造って欲しい。
造ってもすぐに使い物にならなくなるような、一昔前の峰越林道の悲劇は、もう見飽きている。



 不通区間の入口を振り返って撮影。
こちら側も冬期閉鎖の看板が出ている。
当地点から群境までということのようだ。
まあ、冬期に限らず通行は出来ないのだが。



 田子ヶ沢から先は、長閑な1車線の舗装路が綴子川沿いに下っていく。
もう十分に谷間は広く、川べりの沃野は一面の田んぼとなっている。
1kmほど下った所で、県道200号のヘキサが久々に現れ、また分岐地点がある。
このまま川沿いに下れば国道7号にわずか3kmで合流できるが、県道の方はここからもう一度北東の山間へ戻る形になる。
それでも、10kmでやはり国道7号に合流して本当の終点だ。
ちなみに、この区間は、今回走行しなかった。(不通ではない)

 写真は、分岐地点を下流側から撮影。
向こうから下ってきて、右の道へ県道は続いているのだ。



当初目的を無事に達したので、レポートはここで終了とする。
少し古い探索でしたが、最後までお読み頂きありがとうございました。