道路レポート  
秋田県一般県道312号線 長岡冬師城内線 その1
2003.7.3



 一般県道312号線は象潟町から仁賀保町を経て矢島町に至る、全長17km余りの路線である。
平成7年に指定された同路線は、鳥海高原の只中を東西に縦貫するが、途中目立った集落もなく、寂しい。
まあ、はっきり言ってマイナーな路線であり、山チャリの舞台としても、とくに代わり映えはない。標識に従って走っている限りは!

   

象潟町 長岡
2003.6.26 8:20
 入梅後、二度目の木曜日となる6月26日、天気予報は曇り一時雨。
しかし、この1時間ほど前、羽越本線仁賀保駅に下り立った私と愛車へ激しい大粒の雨が降り注いだ。
その後、やや内陸よりの進路で象潟町長岡を目指したが、ここまでは生憎の雨。
ここが県道312号線の起点となるのだが、いやーなムードなのである。

県道289号線から左折するのが、県道312号線である。
青看の行き先は、「矢島」とある。

象潟町 大森
 時折強まる雨の中、2車線の道を田んぼの中進む。
県道312号線といえば、秋田県では比較的若い番号だが、この道は新設線ではない。
もともとは、本荘由利広域農道の一部として整備された路線のようだ。

まもなく、この大森集落に至る。
写真の三叉路は、右が現道、左が旧道のようだ。
県道に指定される以前の、おそらくは里道としての起源を持つであろう、旧道のほうへ進路をとることにした。
狭い道

 現道とこの旧道は大きく進路が異なる、旧道は鳥海高原方面へ進むことを諦めたかのように、鳥越川の支流のひとつである小さな沢(古い時代の水路かもしれない)に沿って下りはじめる。
しかも、この道はえらく細く、農道としてのみ利用されている様子だ。
 分岐から約2km。
大竹集落のやや上流の広大な田園地帯に差し掛かる。
此の先間も無く大竹と県道312号線とを結ぶ町道にぶつかる。
旧道はこの十字路を直進するのだ、が。
白雪川の渡り
8:43
 先ほどの町道を渡ると、突然道は怪しくなり、そのまま行き止まりとなる。
ここには、平成のはじめ頃までは橋が架けられていて、対岸へと道も続いていた。
しかし、いつのことか正確にはわからないが、近年の地図ではこの橋は削除され、代わりにやや上流に県道の通る橋が描かれている。
橋の直前はもともと未舗装だったようだ。

 これが行き止まりの図。
時期もあるのだろうが、もはや此の先に橋が架けられていたという痕跡はない。
親柱なども全く残っていないというのは、一帯どんな橋が架設されていたのか気になる。
もしや木橋であったろうか?
 失われた痕跡を求め、叢に分け入った。
ほんの数歩進むと、そこには原形を失いかけた石垣の残骸と思われるものが遺されていた。
これが橋の一部であったのかは分からないが、ちょうど橋のあった場所にのみにあった。

ちなみに、余りに深い叢と、河原と思しき一帯にも木々が生い茂り、全く河道は見えなかった。
白雪川と並行する水路の二本を一跨ぎにしていたであろう大きな橋だが、もう当時の姿を想像することも出来ない。

この場を離れ、現道に戻り、先へと進むことにした。
対岸の痕跡も気にはなったが、今回は見送った。
 金浦温水路
8:50
 町道を県道に向けて走りはじめると間も無く、奇妙な川が寄り添ってきた。
見通しのよい傾斜地がずっと遠くまで続いており、本来ならその斜面の向こうに巨大な鳥海山がそそり立っている筈だ。
この日は全く遠望が利かなかったが。

さて、この幅の広い川。
見れば見るほど、奇妙な姿である。

 上流に向かうと、余り利用されていなそうな橋が架かっていた。
この日は見ての通り雨だったが、水位はあくまでも低く、水量も僅かだ。
これは、どう見ても水路である。
ただ、ふだんよく見る水路とは異なり、非効率的としか思えぬ幅の広さである。
コンクリの函のなかを透き通った水が静かに流れていた。
また、傾斜に応じて低い人口滝が設けられており、その周りだけはせせらぎが聞こえる。
まあ、こんな天気では水の音などうんざりだが、夏場などまたとない親水空間ともなりそうだ。

これは一体なんだ?
 その橋から下流を眺めるとこんな景色。
4車線の道路が水没してしまったかのようにも、見えなくも無い。
さらに上流に向かうと、この奇妙な水路の名が明らかになる。

 これは県道に合流し間も無く渡った、先ほどの水路に架かる橋である。
これは、「金浦温水路」というらしい。

温水路、ご存知だろうか?
この鳥海高原の麓の一帯は、温水路の全国的な発祥の地であり、最大の密集地でもある。
これは、鳥海山が涵養する年中10度を下回る低温の河川水が、流域の農作に冷水害という打撃を与え続けてきた事実への、住民の知恵の産物である。
浅い河床と、日光を沢山受ける幅広の河道、摩擦熱で水温を上昇させる人口滝の連続。
この奇妙な水路は、一見恵まれた農地に見えた周辺の、苦労の歴史そのものであったのだ。
同様の温水路は、昭和初期から次々に竣工されており、徐々に規模の大きなものが誕生してきた。
この金浦温水路も、比較的あたらしい、規模の大きな物の一つである。

 県道には温水路の橋と、並走する白雪川の橋が連続している。
そしてこれが、金浦温水路の流れである。
この方向には鳥海山が望めるはずのあのだが…。
 つづいて、こちらが天然の川である、白雪川だ。
雨の為増水しており、見慣れた景色である。
こんな対照的な二つの流れが平行しているというのも、不思議だ。
横森集落
8:56
 すぐに横森の集落が現れる。
此の先は、広大な鳥海高原に登るための急な山地となる。
そこにも、一本の温水路が走っていた。
 岱山温水路だ。
金浦温水路よりも規模は小さい。
 集落は大きくなく、すぐに登りが始まる。
その直前で、如何にも旧道と思われるような細い道が左に分かれていた。
地図には無い道だが、気になったので追跡してみることとした。
旧道?の上り
 鳥海高原は象潟・仁賀保・由利・矢島の4町に跨る広大な領域である。
そこへ至る道も各町から伸びているが、象潟町からの道はこの県道312号線一つである。
象潟町や仁賀保町といった西側からアクセスする道は、海抜0mに近い海岸線近くからののぼりであり、それだけ険しい。

横森の集落から、旧道のようにも見える細道に入ると、間も無く登りとなった。
その上り坂はすぐに急な勾配を伴い、ぐんぐんと集落から離れた。
余りの急勾配の為か、簡易なコンクリ舗装が成されている。
左右には段々の水田が広がり、この道も農道として利用されているようだ。
これが旧道なのかは、はっきり言って分からない。


 わずか1kmほど進んだ時点で、もう集落は足元に遠くなってきた。
耕地も尽き、直線的な登りはますます急になった。
聳える鳥海山は間近だが、それどころか50m先の山肌も、雲に隠され見えない。
もう間も無く、道はあの雲に飛び込むだろう。

 一気に高度を稼いだこの道からは、少し離れた場所を登ってくる県道と、寄り添うその旧道がよく見えた。
やはり、この細道は旧道ではなく、別の道なのかもしれない。
この時点で引き返そうとも思ったが、地図に無いこの道がどこに通じているのか、また、せっかく稼いだ高度が惜しく、このまま進むことにした。
桂坂集落
9:04
 依然厳しい登りは続いていたが、耕地が再び現れた。
そして、墓と、電柱も現れた。
集落が近いようだ。


 大山祇神社の脇に出た。
出た先の1車線の道は、この桂坂集落の集落道であると同時に、今度こそ県道の旧道(正確に言えば県道化される以前の道だが)だ。
現県道は2車線で集落のやや南寄を迂回している。
結局、先ほどの道が旧道であったかは分からないが、途中に墓地や神社があったことを考えると、集落誕生の頃からある古道と思える。
でもこの横森・桂坂間に関して言えば、この細道を利用した方が早いかもしれない。
自転車や徒歩の場合ならばだが。

 これが、桂坂集落だ。
高原の中腹の斜面に張り付くように南北に細長い集落で、近くには古くから石油を産した桂坂油田が近い。
此の先の旧道は、この油田を通り、約300m上空の高原へと続いてゆく。
もちろん、私は進路に旧道を選んだ。

 集落の上部は雲の中。
これを登っていかねば、高原には出られない。
久々に、いや、久々でもないのだが、これはなかなか、もえる眺めだ。


 集落の端に近付くにつれ、廃墟の姿が目立ってきた。
そして、道は二手に分かれる。
その分岐点には、通行止めを示す看板が立っていた。
私の行く手は、果たしでどっちだ?

 秋田ではお馴染みの「新奥の細道」の標柱は、左に仁賀保高原を示していた。
そして、毒々しい色の通行止め看板の指し示すのも、左…。
はっきり言って、通行止めなんて、山チャリには御馴染みだし、別に気にも留めていなかった。
この時点では、それも無理はなかっただろう。


しかし、この先で私が体験したのは、かつて無い地獄だった…。
その2へ

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