(主)米沢南陽白鷹線 大峠  <リベンジ編> 後編

所在地 山形県長井市上伊佐沢
探索日 2005.10.8
公開日 2007.8.27

近くて低くて… そして困難な「大峠」

 大峠南側に残された古道痕


 大峠の天辺は長さ20mほどの浅い掘り割りの直線として、明確な道の跡を留めていた。
そして、そこから南側へと下っていく道もまた、幅2mにも満たない極狭い傾斜路として続いているのだった。
分厚く腐葉土が堆積した路面には、若い木々が密生しており、もちろん踏み跡は全くない。
通行人が途絶えてかなりの年月を経ているのは明らかだ。

 ここから、既知の車道に下るまで、その距離は約700m。
地形図には今も点線の道が描かれているが、それがこの道であろう。
紛れもない廃道である。



 峠の南側もまた、北側同様にU字型の谷地形を示しており、如何にも湿潤なその谷間は鬱そうとしたブッシュになっている。
また、あまり手入れされていない印象の杉植林地となっており、高低差がさほど無いこともあって、北側以上に視界は利かない。
峠の先の道は、この急な斜面に小刻みな九十九折りを描いて谷底まで一気に下っているが、脆い土の斜面は随所で崩れ、痕跡は断続的なものに留まっている。



 本来、このようなガイドの線を示さなければ道だと分からない写真は良くないし、出来るだけそれ無しで分かるものを撮りたいのだが、雨天ゆえ使用しているこの「デジタル現場監督」というカメラは、余り細かな色彩の表現が得意でないので地平の凹凸が掴みづらい上、森の底の薄暗い状況では手ぶれさせないことで精一杯になってしまう。
わざわざ三脚を持ち込んで撮影するのも私の性に合わないし。

というわけで、このあとしばらくガイド付き写真で勘弁して欲しい。
現地を歩いた私の目には、ガイド無しでも微かに道の姿を見て取れるが…。



 全部で九十九折りが何段あっただろう…。
谷底までの斜面が高低差30mくらいだから、そこを4段くらいの九十九折りで下っていたと思う。
ちょっと正確なラインは憶えていないが、とにかく急な斜面である。
路幅は1.5m程度で、勾配は10%くらい。
この道のかつての利用状況が分からないが、馬車は通らなかっただろう。
せいぜい、荷物を背負った馬や牛が通るくらいか。
県道らしいものは、なにも見あたらないのが残念だ。
谷底の植林地まではいざ知らず、この峠への斜面については人がまるっきり入ってない感じがする。



 斜面のほぼ底まで下ってから、峠を振り返って撮影したもの。
ガイド無しでも分かるくらいに、比較的鮮明に道が写っている(一番下の段だけ)。
この上にも数段の道があるが、ちょっと写真からは判別が付かない。







 急斜面を下りきると、幅の広い谷底を左手に見ながら、斜面の裾の部分を南に進み始める。
路面であるはずの足元には、杉の倒木や枯れ枝が堆積しており、思いのほか歩きづらい。
雨は止んでいるが、掻き分けた藪から飛び散った水滴で、合羽の外はびしょ濡れ、合羽の中も蒸し暑さで汗だくだ。

結構辛い。



 幅の広い谷底には、石垣のような畝の跡が点々と続いている。
明らかに廃田とわかるが、畝に石を使っているなど、近年の工作物とは思えない。
現在ではあらゆる人里から深く途絶された山中であるが、古くは耕しに来る人がいたのだ。
地形図で見ると、この沢は麓まで平坦で幅が広くて、一反でも多く耕す必要があった昔人は見逃さなかったとしても不思議はない。
置賜地方には、江戸時代に繰り返された飢饉のたび悲惨な状況となった歴史がある。



 おおよそ人手が感じられない廃道の現状。
美味しそうな色合いと形のきのこが、路面に無数に生えだしていた。

 しかし、さらに進んでいくと、一本のプラスチック製の境界杭が現れた。
周囲の杉林の境界標だろう。

 特に景色に変化が無く、道跡も不鮮明で、歩いて余り楽しいところではない。もっとも、天候次第で印象も変わったろうが。




 この辺りでは比較的鮮明に道の跡が残っている部分。
奥が峠方向で、振り返って撮影している。
右手の谷底には、廃田の畝が続いている。

なお、この辺りで一カ所大きく道が崩れている箇所があり、なぜか写真を撮ってないようだが、太い朽ち木の腐って滑りやすくなっている上を渡って突破して、それがとても大変だった記憶がある。
今頃はさらに悪化しているかも知れない。



 あらら…。

峠から500mほど下ると、道を見失ってしまった。
というか、この谷底の広大な廃田で、今や一面ススキの繁る中にそれはあったに違いない。
周辺も探したが、どうにも道の跡はこの草むらに突っ込んで終わっているようだ。

地形図を確認すると、のこりは車道まで200m少々と思われた。
私は、あまり深く考えずここで撤退した。
「エッ」て思うかも知れないが、テンションが低かったのだろうと思う(笑)。


…というわけで、なぜか大峠に達しておきながら、午前6時○分、通り抜けをせぬまま撤収開始。



 GPSなどで確認したわけではないが、周囲の地形から考えてこの地点まで進んだと思う。

今後、もしこの大峠に車道を建設するとなれば、峠はトンネルで越えるのが良かろう。
鞍部は両側を谷に深く削られており、薄くてかつ急傾斜で、200m程度のトンネルで十分用を足りるだろう。

逆に言えば、さして困難事とも思われぬこの峠に未だ槌音の響かぬ事実にこそ、本道の今日的必要性が問われるのだろう。
残念ながら、人口の減少に歯止めのかからぬこの山村地帯に新しい県道を通すことが経済的とは思われない。
数年前に開通した置賜西部広域林道は、山道ではあるが舗装も完備しており、この山域の開発道路としては十分機能している。(この探索日には生憎通行止めだったが)



 車道としての開通が全く見込まれない道を、長年県道として指定しておくことには、一考の余地があるのではないか。
2度にわたり、現地では全く空気のような存在の県道を、しつこく山中に探し歩いた私は、帰りの峠で、ふとそんなことを思った。

或いは、並行する林道を代替として県道に指定するなども、考えるべきだ。

全国各地には、このような全く開通の見込みがないままに半世紀近くも放置された県道。
特に重要な路線として指定されたはずの「主要地方道」が少なくない。
それらは、我々道路趣味者にとって慰みにもなるが、どうにもスッキリしない気持ちが残る。

私がもしこの道だったら、言うだろう。


 「はっきりしてよ。いい加減。」



 峠の北側のイバラの茂る斜面を、悲鳴とともに下る私。

余りの苦痛で仰ぎ見た空に、透き通った青空が広がり始めていた。

大峠での、どことなくスッキリしない探索も、これで少し慰められた。


──さらばだ、大峠。