いやー、今日も一仕事終えたな〜。
そんな気分である。
喜多方で現国道より分かれて以来20km、高低差にして880m。
要した時間は、ぴったり3時間。
登りに登って、ようやく登り切りました。
あとは、もう峠を駆け下って、愛車の待つ現国道に戻るだけ。
山形側は相当に荒れているとは聞いているが、まあ、チャリならば越えられないことはないだろう。
とりあえず、やったった。
この大峠は、海抜1150m。
現国道が大峠トンネルで貫通している地点からは約5km南東に位置し、その高度は500m近くも違う。
まさに、山を乗り越えるというイメージにぴったりな、峠らしい峠だ。
トンネルなどという小手先の技には与しない…。
と、思いきや、
読者の多くもすでにご存じかも知れないが、
ここまで素直に山を登ってきたにもかかわらず、この最後の最後で、
三島は穴を掘った。
あともう、ほんの50mばかり上を目指せば、そこには藩政時代ゆずりの元祖・大峠の鞍部が待っているにもかかわらず、
最終最後、ここに来て、隧道なのである。
20000m登ってきて、たった118mの隧道一本で峠を越える。
これって、私の中ではかなり衝撃的。
なんというか、どうせトンネル掘る気あるんだったら、この酷い九十九折りをもう少し減らして、もちっと長い隧道を掘れば良かったんでないの?
素人考えだが、どうしてもそんなことを考えてしまう。
私だけだろうか?
12:12
最後のヘアピンカーブを切り返した瞬間に、私は遂にその時が来たことを、感じた。
なぜなら、霧の中に浮かび上がった直線は2車線分の幅が確保されており、その先にはうっすらと青看さえ見えていた。
路面には、なにやら消えかけた白いペイントが見えている。
ここまで、ただひたすらにカーブの先にはまたカーブと、それだけを繰り返してきた私には、この変化は峠を予感させるに十分すぎたのだ。
この路上のペイントであるが、白が失われた部分のアスファルトにもかすかな濃淡の違いがあり、解読できた。
その文字は、
シートベルト というものであった。
シートベルトの着用が義務付けられたのは、昭和61年11月のことであるが、このペイントはおそらく、この義務化以前のものだろう。
もし義務なのであれば、敢えて着用をペイントで促す必要もないだろうからだ。
まあ、この予想が外れていたにしても、私ははじめて見た。
道路ペイントの「シートベルト」というのを。
下り車線にのみ描かれている。
麓の白看がここ数年のうちに消失していたのは残念だったが、峠の青看は、無事そこにあり続けていた。
毎年、6m近い積雪に覆われるという山脈の頂上に、なお立ち尽くしている青看の耐久力に、敬礼。
それともう一つ、ここにもやや簡易な道路情報板が設置されていた。
夏草に半ば隠されて、通行止の表示のまま、時が止まっている。
その通行止めの「理由」は、「道路未改良及び落石等危険防止のため」などと書いてあり、こんなに長い文字列が理由としてあげられているのは初めて見た。
ある意味、素直で誠実な文言だと思う。
(大概は答えるのも面倒くさそうに「未改良のため」とかしか書いてないことが多いのにね。)
幅2車線の直線を過ぎると、緩い右カーブで、立ちはだかる稜線に正対するかたちをとる。
カーブを進むほど、両脇のコンクリートブロックは高さを増していく。
もう、登ることは諦めた…いや、登らないで済む解決策を見つけた道は、
止まらない!
だれしもが、次に来る景色を予感する瞬間だ。
脇見をせずカーブの内角を凝視するに違いない。
来るぞ、待ちに待った その瞬間が、
来る!
キターーーーーー!!
来ると分かっていても、
キターーー!!
12:23
大峠隧道は、常時風を通しており、山脈鞍部から50mだけ低い風穴となっている。
その山形側においては、繋がっている道がなんと、未だ未舗装である。
平成4年まで現役の国道であり、いや厳密にはいまも国道指定を解除されてはいない道が、未舗装なのである。
山形県内には、全国有数の未舗装国道458号線十部一峠があるが、つい最近まではそんな不名誉が二つもあったわけだ、一つの県内に。
これでは道路ペイントがどうのなどという事を話題にすることも出来ない。
ま、それは置いておくとしても、隧道を出た先が未舗装であるだけでなく、いきなり10mも行かないうちにT字路に突き当たるというのも、やってくれる線形だ。
まさに、この日の天気だと、
トンネルを抜けると、そこは空だった。
そんなノリである。
今だから笑っているが、現地では、かなり心細い思いをした。
この霧の海に向かって、単身下っていくのかヨ、と。
寒いヨ と。
もし、大峠隧道を福島側から勢いよくかっ飛ばしてきたドライバーがいたと仮定しよう。
彼は、トンネルを出た瞬間、自動車学校で習ったと思うが「明順応」という効果によって、一瞬目つぶしを食らったように、目が明るさに慣れず見えずらくなる。
そのうえ、突如路面は砂利道で、慌ててブレーキを踏んだとしても、もう遅い。
ジャリっと滑ってT字路をどちらにも曲がりきれなかった先は、この谷底へズドンである。
幸いというかなんというか、一段下にも舗装路があり、死なないかも知れないが、まあ、無事では済むまい。
大峠隧道の山形側坑口というのは、こんなおかしげな場所に口を開けてしまっている。
さて、この下に見える舗装路の正体だが、当然国道の行く手でしょ? と思うのは、早とちりである。
大峠の福島側道中を思い出すと、途中にあったものといえば、せいぜい廃村跡くらいなものであった。
しかし、山形側には、福島側には見られなかった物が存在する。
鉱山跡である。
このような海抜1100mを越えた高所に、昭和のある頃まで鉱山が稼工していたようで、この下に見える道を含め、一帯には複数の鉱山の作業道が存在している。
鉱山もとうに廃止されており、もはやその全ても廃道であるが、それぞれの行き先については不明であり、今後の調査が待たれる部分でもある。
私は、以前からここに来たらぜひとも見たいと思っていたある物が、すでに存在しないことに気がついた。
最近まで、確実に存在していたようなのだが…
それは、この場所が大峠という名の県境であることを示す、「福島県」の県名標識である。
かの標識は、隧道を出た真っ直ぐ前の路肩に、半ば崖側に倒れたような、相当に微妙な角度で長らく存在していたのだが、今回、無くなっていた。
代わりに、その成れの果てと思われる標識の支柱だけが、ぐったりと、萎れたツクシのようにコンクリの崖に張り付いていた。
これはもう、絶望か…。
だが、私は諦めず、その下段にも鉱山道があることを活かして、落ちてしまったらしい標識本体の捜索を行った。
結果、草むらとコンクリの法面の隙間に、裏返しになった標識らしきものを、発見!
アターーー!!
あった!
まだ、ありましたー。
隧道内には、何か工事資材のような物が使われぬまま放置されていたが、この山形側坑口の傍の草むらにも、くちゃくちゃになったトタンの標識が発見された。
もはや、読めない場所もあるが、ともかく、図と判読できる部分から判断するに、大峠隧道から山形側にかけてかなりの区間が、「当分の間」通行止めということのようだ。
すでに現道の大峠トンネルが描かれているので、やはり現道開通後にも、ここではなにやら工事が行われたのだろう。
果たして、何をしていたというのか…。
工事をしてもなお、道は再び通れるようにはならなかったのだろうか?
そのあたり、非常に気になっているので、レポ執筆時点では関係各所に問い合わせ中である。
もし、何か判明したら、追記したいと思う。
さて、峠を境に、呆気なく未舗装になった国道121号線。
現国道まで、あと10km。
下らねば、長い長い引き返しの運命であり、もはや、行くしかない。
勿論、行きたい。
行くぞー!
己を奮い立たせ、またも、冷たい霧の中へ、前進開始。
写真は、4輪車で福島側から入った場合の、最終到達地点。
広場になっており、車の転回も出来る。
この先は、4輪の方は引き返すか車を置いてもらうしかない。
これが俗に言う、
大峠バイクゲージである。
いつ誰が設置したものか、小ぶりなテトラポッドのような物が、道を塞ぐ形で、二つ置かれている。
これは意図したものではないのだろうが、ちょうどのその隙間が、徒歩や、自転車、サイズの小さなバイクならば通れる程度空いており、これまた想定外なのだろうが、多くのオブローダー達が、今までこのゲートを、期待と不安を胸に通り抜けてきたのである。
そして、その数は定かではないが、勇んで踏み込んで数分後には汗だくで、あるいは青ざめさえして戻ってきた者もいるという。
大峠攻略者ならば、誰しもが通らねばならぬ、踏み絵である。
このゲートで、人は誰しも、チャレンジャーになれるのだ!!
次回、一挙に下りきってしまいます?!