11:08 【J地点】
交差点を過ぎると、すぐに大きな橋に行き当たる。
これが、街の中心を流れて海に注ぐ湊川であり、橋はその名も湊橋である。
一般的に、ある川を跨ぐ橋が複数ある場合には、その中で最も主要な道の橋が、川の名を橋名に充てることが多い。
その経験則から言っても、この湊橋は主要な橋であったと言えるだろう。
なお、広大な房総半島を、南北に「南房総」「北房総」という風に分ける場合、古来より、この湊川が境界とされてきた。
初代千葉県令柴原和が明治初頭、「南房総は地形が嶮しく思うように道路建設が進められない」と憂慮したのは、ここから先の領域のことである。
覚悟して、臨まねばならない。
なお、本橋には昭和46年の銘板が取り付けられているが、その割に狭い。
昭和20年代には既に現道が存在していたので、旧道の橋として架け替えられたものなのだろう。
【L地点】
そこから100m少々で、現道と再び合流する。
ちょうどここが湊の街の外縁で、ここから先は、次の竹岡まで山道となる。
写真は振り返って撮影しており、右が旧道だ。
しかし、進めばまたすぐに、旧道は分かれる。
【M地点】
旧道は、すぐに右側へ離脱していく。
ここから、【S地点】までの一連の現道は、完成した時期がはっきりしている。
昭和18年だ。
それは、途中に存在した天神山隧道の記録された竣工年から分かる。
まさに、あの「特34号国道」、今日では“幻”といっても差し支えないであろう“軍事国道”として、完成させられた区間である。
今日我々の前にあるその道の姿は、至ってありふれた普通の道なのであるが、歴史を知ると感慨深いものがある。
【N地点】
椿の花弁が無数に落ちた、狭い道を行く。
こちらは、昭和18年以前の旧道である。
過去に国道として過ごした事のない道である。
かなり狭い。
【O地点】
入り口にも予告の看板が建っていたが、旧道にあるこの「海良踏切」は、恣意的に幅員を狭められており、自動車の通行が出来ないようになっている。
この小さな踏切の上に立って、山側に線路を見通すと、奥に現道の立体交差が見える。
かつて、天神山隧道が存在したのは、あの橋から左へ続く部分である。
最近の地図では全くその形を失っており、開削されているとの事前情報を得ていたが、一応に見に行ってみる事に。
【P地点】
ご覧の通り、綺麗さっぱりと切り通しになっていた。
周囲には、他に道形と思える遺構はなく、間違いなく隧道を開削して、拡幅、現道としたのであろう。
資料に拠れば、在りし日の緒元は延長60m、竣工年は昭和18年。コンクリート覆工と舗装があったという。
おそらく、先の小山野隧道と良く似た隧道であったろう。
帰宅後、その消息を歴代の地形図より追ってみたが、昭和42年度版までは健在、しかし、次の昭和61年版ではすっかり消えていた。
【Q地点】
踏切を過ぎた旧道は、一旦現道のすれすれにまで接近する。
だが、そこには築堤上下間の高度差があり、写真の斜路を利用して相互に連絡している。
本来の旧道は、写真右端下方より始まり(そこに踏切がある)、斜路と合して、奥へと続いている。
この辺りの字名は十宮という。
築堤の一部には、奇妙に盛り上がった箇所があり、遠目にも不自然であったが、近づいてみると、それは巨大な自然石であった。
旧道は、その大岩の一部を包丁で切ったようにして、そこを通っている。
そして、その岩に寄り添うようにして、白御影の石柱が建っている。
まるで近年建立したかのような美しさだが、刻まれた文字は歴史を感じさせるものだった。
君津郡竹岡村
君津郡は、平成3年に袖ヶ浦町が市制を施行したことで地図上から消えているが、かつては袖ヶ浦、木更津、君津、富津を包含する広大な地域を有していた。
その中の竹岡村は、昭和30年に合併して天羽町となり、やがて富津町、富津市という変遷を今に辿っている。
この標柱は、何を示しているのだろう。
かつては、この場所が村の境界であったのだろうか。だとすれば、道路標識の一種なのか?
真新しい草鞋が括り付けられ、明らかに信仰の対象となっているこの石柱。
…気になる存在である。
【R地点】
小さな集落を通過し、道は高台を経て小さな掘り割りへ続く。
そして、この掘り割りは、まさに窓。
旅をしていて、思わぬビューポイントに出会うと、気持ちがすうっとして、それまでの疲れも吹っ飛ぶ事が良くあるが、ここはそう言う新鮮な喜びに満ちた場所だった。
掘り割りを抜けると、一面の海原が広がった。
道ばたの小さな赤い鳥居が、和やかさを醸し出していた。
ここに神を奉ろうと考えた古人に、強く共感を憶える。
道ばたから、浦賀水道を眺める。
この方向は東京湾の奥、まさに首都の方角であるが、信じられないくらい綺麗だ。
遠くに張り出した陸地の裏側には、メガロポリスが広がっているのであるが、マジで空が青い。
その空を反射する海は、なお青い。
房総半島も、いいもんだ にゃー。
【S地点】
1車線ギリギリの狭い道を進むと、ほどなく現道と合流した。
ここまでで、一連の旧道は終わりだ。
現道を1kmほど南下すれば、今度は竹岡地区の旧道が現れる。
そして、この終始和やかに進んでいた探索に、
絶句
の場面が、 やがて 訪れる。