これから紹介する国道135号の旧道は、東伊豆町稲取の南で現道から分岐している。
県道稲取港線と重なり合いながら東伊豆町役場附近、稲取漁港付近を通過の後、伊豆急行電鉄線路と平行して海岸線を進む。そして、入り口から約2.6kmで黒根崎に着く。
地形図や最近の道路地図で道が描かれているのはここまでだが、かつて道は続いており、トモロ岬の北側で現道に再合流するまでさらに1.4kmほどあったことは、旧版の地形図などにより明らかだ。
去る7月25日の早朝、私はチャリに跨ってこの区間の走破を目指した。
これは、自身にとって初めての伊豆探索となったが、予想外に印象深いものとなった。
2007/7/25 05:07
前夜のうちに近くまで車で入った私は、旧道分岐点近くの駐車場に車を置きチャリを下ろした。
そして、まだ空が明け切らぬ午前5時、期待とともに出発。
今回は、久々に愛車へとタップリと注油してみた。お陰で変速の音もいつも以上に軽やかだ。
そして、すぐに第一チェックポイントとなる新旧道分岐地点へ着いた。
直進は現道で、右折するのが旧道である。
現在は旧道側が大きくカーブさせられた上で接続しているが、手前からの道が元々は真っ直ぐ旧道へ繋がっていた形を想像できる。
この区間に現道が出来たのは昭和42年に有料道路の「東伊豆道路」(稲取区間)としてで、無料開放される昭和57年頃まで旧道も平行して国道指定されていた。
「今日はいい旅をしような。」
そう、さっき誓い合ったばかりだというのに、なんと愛車と信じていたチャリが、ここで反抗。
突然チェーンが変なところに噛んでしまい回転不能に。
がっちり食い込んでなかなか手では直せない。
朝から蒸し暑いこんな日に、路肩に座り込んでの悪戦苦闘。
数分で直したが、出発直後からもう汗だく&手がオイルでベタベタ…。
チクショー、チャリめ! 今日は覚悟しろ!!
旧道はまず、小さな半島と湾とが作り出す稲取の町場を通過する。
現道分岐点から東伊豆町役場までの1kmほどは、一般県道114号稲取港線に指定されており、国道ではなくなった今も県の管理下にある。
しかし、地図をよく見ると(左図)、水色の点線の県道と青い実線の旧道とは、一部で経路が異なっているのが分かる。
これは地図の誤りではなく、本当にこのように指定されているのだが、普通に広い道を走っていくと旧国道を通ることになり、この県道区間には絶対に気づかない。
右の写真で、銀色の車の向こうに左へ折れる小道があるが、それが県道らしい。
ここを奥へ折れるのが、県道のルートだ。
旧国道はこのあと少し先で再び県道と合流するまで、特に見るべき所のない車線無しの2車線幅道として続くので、敢えてここは旧国道から外れ、この極細県道へ行ってみたいと思う。
説明を繰り返すが、旧国道は左から来てそのまま右へ進むが、県道稲取港線は左から来て、奥へ逆鋭角に折れる。
ここに何ら道路標識はないし、県道を示す物は見あたらない。
1車線路肩無しの両側壁という、圧迫感のある道。
すぐに稲取小学校の角に突き当たるが、ここで右折するのが県道だ。
当然、ここにも何ら表示はない。
そして、小学校前は幾分広くなって、1車線プラス両側白線歩道となる。だが、学校前を過ぎるとまた歩道はなくなる。
狭い県道を進んでいくと、向かって左側の建物に見慣れない門構えを発見。
建物は今風な2階建ての事業所のようだが、門柱がごつい。
左には「元祖稱牧牛社鈴木かめ寮」、右には「東京築地役所牛馬會社改」とある。
これがなんなのか、農には疎い私には見当も付かないが、明治の臭いがする。
建物の全景。
かなり圧迫感のある建物に見えるが、ここではこの建物だけでなく、狭い道の両側に家屋や商店がギュウギュウになっている。
写真左には、古い建物の基礎の上に乗る形で、「牧」と大書きされた巨石が写っている。
さらにその上にも、「元祖牛●乳大熟取散」(●は読めない字)と刻まれた石版が、現在の建物の壁に半分埋まった形で存在している。
まるっきり意味不明だが、とりあえず随所に「元祖」の文字が見られることから、かつてどこかと老舗争いをしていたのだろうと想像できる。
読めない字が気になる方は、こちらの画像をご覧下さい。読めます?
一体ここには何があったのだろうか。
ネットで調べても何も出てこなかったが、カオスな空間を演出している。
道は牛乳屋(と言うことにしておこう)を過ぎると下りに転じ、しかも進むほどの急勾配になる。
向こうから自転車を押すおじいさんが現れるなど、街路としては現役だが、県道というにはかなり…キビシー。
一応車も通れる道だが、普通車で通ったらかなり気を遣うだろう。
だが、敢えて幅の広い隣の旧国道ではなく、この細道を県道に指定したのには、何か理由があるのだろう。
単に県の予算で拡幅してほしいと思っただけなのか… いや、先ほどの重厚な門構えや沿道の家屋・商店の密集ぶりを見るに、旧国道よりもさらに古い街路なのだろう。角に道祖神の石碑も見られるなど、古道の雰囲気は強い。県道指定時に、敢えて原点回帰したのかもしれない。
05:20
そして、この角に出てくる。
奥から来るのが県道で、手前の道が旧国道である。
ここで県道は旧国道と合流し、右の道へ進む。
こちら側にも、県道だと教えてくれるようなものは何もない。
地元民と県道マニア以外には、敢えてこの道へ入る人はないだろう。
ともかく、これにて県道114号のはみ出しレポは終了。再び旧国道へ。
旧国道は、稲取の街のメーンストリートとしてその中心部を通過し、最後は稲取漁港へ出る。
海岸沿いにももう少し民家が続くが、すぐに伊豆急行の築堤が山を伴って海岸まで接近してくるので、これ以上街は広がれない。
旧国道はいよいよ海蝕崖の険しい地形に身を置くことになる。
と、その前にもう一カ所チェックポイントがある。
写真右端の真っ直ぐ続く道が旧国道だが、ここから左へ登っていく細道は、伊豆急行のガード下を潜って急坂を登り、高台を通る現道に繋がっている。
それだけ書くと「ふ〜ん」で終わりだが、実はこれ、旧国道よりももっと古い、昭和4年以前に白田へ続いていた道である。
現国道とクロスした先も、トモロ岬の山上にある旧稲取灯台跡までは道があるようだが(行ったことはない)、白田側現道からの入り口を確認できなかった。
もっとも、この世代の道は江戸時代以前から続いてきた「街道」であって、自動車はおろか馬車の往来も無かったという。
昭和4年当時、稲取村と城東村(白田)にとって旧国道の開通は、有史以来両村を隔ててきた絶壁の海岸沿いに初めてバスが通るという、生活の変容をももたらす一大事件であったのだ。
05:28 《現在地》
旧街道とも分かれ、海岸沿いに残った道は旧国道と伊豆急行の鉄路だけになった。
写真は、稲取方向を振り返って撮影。
稲取漁港前を最低標高として、この後黒根崎附近まで道は上り基調となる。
民鉄である伊豆急行線は、国鉄伊東線の終点駅伊東から伊豆東海岸沿いを下田まで45km余りを、昭和36年の暮れに全通させている。
全線が国道と平行しているが、駅の周辺を除けば大部分がトンネルか或いは海岸沿いで、比較的山間を通る国道や旧国道の車窓から見える場所は、思いのほかに少ない。
そんな中で、この稲取付近の旧国道は数少ない線路と近接した区間である。
しかし、長くは続かない。
鉄路は何かを予感したのか、まだ岬は遠いのにもかかわらず、さっさと地下へ消えていく。
この海岸線を通る道として最良の解は、長大トンネルで一気に岬の向こうまで抜けてしまうことだろう。
旧道はもちろん、一段上に造られた現道でさえ、これまで何度も土砂災害での不通を被っている。
鉄道の黒根隧道(全長約1350m)は、鉄道のメリットを生かし(隧道の断面が小さくても済む、換気設備も簡素でよい)、先読みを効かして旧道の難所を一気に貫通してしまう。
さて、独りになったぞ。
と思いきや、旧道の路上は意外に人通りが。
車通りではなく、人通りだ。
しかも、じいさんばあさんばかり…。
稲取の住民にとって、この海岸沿いの静かな旧道は、毎朝の良い散歩コースになっているようだ。私が黒根崎に着くまで、僅かな時間で10人以上とすれ違った。
写真は、旧道に架かる黒根橋。
海蝕崖を横断する規模の大きなコンクリート桟道で、銘板曰く昭和55年の竣工である。つまり、旧道化した後の建設だ。
以前のルートは素直に山側の崖に沿っていたと考えられるが、その崖は一面コンクリートの吹きつけと落石防護ネットで固められており、全く道の痕跡はない。
黒根橋を渡り、いよいよ黒根崎の入り口となる右カーブが見えてきた。
この辺りは、片側が海、片側が崖と、クリティカルに切り分けられており、コンクリ吹きつけの法面も高くなっている。
そして、その法面の一角に、右の写真の銘板がはめ込まれているのを見付けた。
この「道路災害復旧工事」は、昭和53年度の事業だったことが刻まれている。
そして、この探索の時点で私は知らなかったが、昭和53年は伊豆大島近海地震が起きた年。
これから向かう黒根崎〜トモロ岬〜白田の旧道を廃絶せしめた、その地震の年である。
05:32 【現在地:黒根崎入口】
さて、微かに路面に白線が復活してきたら、旧道が右に別れる合図だ。
この写真の分岐を右に行くのが旧道で、左に行くのは…今となってはやっぱり旧道なんだけど…前回の「導入」でお話しした「稲取白田バイパス」である。
私の向かう旧道の取り付け状態は悪く、普通車がギリギリ入れるくらいの幅しか残さずに、後はガードレールと段差で塞がれている。
ともかく、右へ進もう。
これが反対側から見た旧道とバイパスとの分岐地点。
とてもまともな交差点ではない。
というか、旧道はもう道として扱われていないのでは…。
狭い入り口から入ると、いきなり広い。
これが本来の路幅だったのだろうが、片側は釣り人や奥の建物(バンガロー?)の駐車スペースのようになっている。
このカーブが、黒根崎の突端である。
ここまでは簡単に来られる。
はたして、この先はどうなっているのか。
地図から道が消えるのは、ちょうどこのカーブを曲がりきったところだが…。
消えている。
地図見事。
いや、マジで道無いじゃないの…。
ナニコレ、遊歩道っぽい?
でも、奥に道無くないか?
え? え? 何か俺間違ってる?
チャリ…
ちょうど行き止まりの手前は、かつて路肩だった部分が花壇や砂利にて小公園として整備されている。
そこからは、これから進む海岸線が一望された。
遙か高みにずどーんとリゾートマンションみたいなのが建っている姿は、ここが天下の行楽地伊豆である証のように見えたが、それ以外は至って原始的。
険しい海と山だけの景色。 ( …道は?)
海岸線でひときわ海に突き出しているのが、トモロ岬。
旧道も現道も、かつてのバイパスも、みなこの岬を越えていた。
それぞれの経路は全く違うが。
旧国道が岩場すれすれを、現国道は山腹を、バイパスは山上の峠にトンネルを掘って。
ヤバイ
…かも
昔の地形図と照らし合わせてみると、間違いなくこの崖に道はある。
(カーソルを画像に合わせてみてください)
「こんな感じ」で道と隧道が並んでいたはず。
夏草のせいも多分にあるだろうが…、これは考えていた以上にヤバイ状況かも知れない。
道の見えなさが… 異常。
公園の植え込みの中に置かれていた、作者不明の詩の碑文。
ええ、 遊んでますけど何か?
…平日の朝っぱらから廃道の私ですよ… ドンマイ俺ッ。
……。
昭和50年代まで現役の国道だったんだよな?
手持ちの地図だと、当時は現役国道になってるぞ。
な に こ れ …?
…
わざとか??
馬鹿な。
たった30年でこんなになるかよ。
コレ、 危険防止のため、
わざと廃道にしてるだろ…?
路上に信じがたいくらい巨大な岩塊…。
へし曲げられ、宙ぶらりんになりながら、尚そこにあり続けるガードレール…。
足元に伝わってくる、微かな舗装の感触…。
…マジでした。
この道は、本物の廃道。
実はこのトモロ岬の旧道、こちらの廃道好きの間では結構有名な場所だったみたい……。
この先の3本の隧道の中には、未だに未確認の坑口もあるとか…。
さらりと通過するつもりで居たのだけど、こいつはただ事ではない道!
…ちょっとでも勉強してきたら、きっとこんな時期には来なかったろうな…(涙)
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