06:06 【現在地:黒根隧道】
この区間に三本ある隧道のうち、最短の黒根隧道。
全長40mしかないが、それでもしっかりと地下の冷気を保持しており、藪に喘ぎながら、チャリさえ投げ出し辿り着いた私を祝福してくれた。
また、短く地被りも少ない割に非常にウェットで、壁も天井も路面もみな滴る水に濡れ、両坑口から差し込む緑光を反射していた。
ところで、隧道の内部、路面の一角を占める黒いものは何だ?
小屋か何かが崩れた残骸のようだが。
この南側坑口は既に一度崩壊しており、本来の坑門の意匠などは見る方もない。
現在は、天井より1mほどだけが辛うじて斜面に口を開けている状況で、進入時には自然と洞内を見下ろす事になる。
左の写真は、その崩れ残った開口部から、出発地の黒根崎を遠望したもの。
奥の出っ張っている岩場が黒根崎で、ここまで約300m、大きな弧を描く海岸絶壁沿いの廃道であった。
坑門を破壊した土砂崩れは洞内へと雪崩れ込んでおり、その重たく濡れた土の斜面を洞内の舗装路へと下る。
さらに冷気が濃くなると共に、いくらか風も吹いており、その居心地は外と比べるまでもない。
ポシェットからライトを取り出すと、壁やら床やらを見て回った。
しかし、それらには特別に変わった様子はなく、目立つ亀裂も見られない。当初から照明設備は無かったようだ。
記録では幅4.4m高さ4.5mで、3本の中では最も矮小な規格であった。これでは大型車が絡んだ離合は困難であったことだろう。
そしてまもなく私は、“例の黒い物体”の傍へ近づいていった。
それは、奇怪な姿に変貌した、一台の乗用車であった。
年中潮風が吹き抜ける場所で放置された車は、やがてこんな姿になってしまうものなのか……。
置いてきた俺のチャリ、 大丈夫かなぁ?
というのは冗談としても(笑)、この廃車の姿には衝撃を受けた。
しかし私はこの時、「なぜここに車があるのか」について、深く考えることはしなかった。
というのも、これまでにも廃隧道の中で廃車に遭遇したことは何度かあって、誰かが要らなくなった車を勝手に置いていったのだと(当然廃道になった後でだ)、そう思ったのだ。
ボディはものの見事に消え去り、周囲に大量の錆の塊が堆積している。
現在残っているものは、まず前・後シートと4つのタイヤ、プラスチックのホイール、枠がすっかり消滅して車内に落ちたフロントガラス。これらと、エンジンなど大きな金属パーツの一部である。
車は、北側出口へ前を向け海岸側の壁に沿って置かれており、つまりは対向車線に停まっている状態。現役の公道上で車を停車させる位置ではない。
私のクルマ力ではこれらの残骸から車種を特定することは出来ないが、見る人が見れば分かるのだろう。
私に分かるのは、この車が現在見ることのないような、とても古い車だと言うことだ。
右の写真は、エンジン部分である。
だが果たして、この道が廃道となった後に、不要となった車を持ち込むことは可能だったのだろうか。
この疑問に行き着いたのは、帰宅後に前回紹介した『東伊豆町誌』などを読み、ここを一瞬で廃道に変えた大地震の事を知った時だった。
これまでレポしたとおり、黒根崎からこの隧道までの道は、地震の一撃によって復旧不可能なダメージを受けている。
そして、これから紹介することになるが、隧道の先もまた大変な崩壊に満たされてた。
もう、言わんとしていることはお分かり頂けるだろう。
朽ちた廃車のフロントガラスに残された「検査標章」(車検の有効期限を示すステッカー)の年号は、昭和54年4月…。
地震の発生はこの前年、53年の1月だったから、この車は地震発生時に現役だった可能性が高い。
そして、地震の後に車を持ち込むことが出来なかったと仮定すれば(おそらくかなりの確率でそうだろう)、
この車は、地震で前後の道が崩壊したために閉じこめられ、そのまま二度と脱出できなくなったものだ という事になる!
もう、なんと言って良いのか…
現場では「廃車を勝手に捨てやがって」くらいにしか思わなかったのだが、実際にはほぼ間違いなく、地震によって道と運命を共にした、非業の車なのであった。
持ち主も、どんなにか無念であったろう。
この隧道の短さを考えれば、隧道内を走行中に地震に遭遇した可能性は低いだろう。
この附近のどこかで地震に遭遇し、ひとまずは車を落石や雨を避けられる隧道内に納めてから、避難したように想像する。
道が復旧したら当然、車は持ち主の元へと帰るはずだったに違いない。
だが、二度と道は復旧しなかったのだ。
これまで、幾つもの廃隧道と出会ってきたが、こんな体験は初めてだった。
災害によって道が封鎖され、復旧されずに廃道となるケースは稀にあるが、そうした道に罹災者の残した車がそのまま残っているというのは、私の想定の範囲外。
レポを書きながら、私はいま凄く興奮している。
逆に、現地での私はそこまでテンションは高くなかったが、ともかく黒根隧道を通過し先へ進む。
この写真は、北側の坑門である。肉眼では扁額の存在や、コンクリートブロックでアーチが組まれている状況が把握できたが、あいにく背後には猛烈な藪が迫っており、これ以上カメラを引いて全体像を撮影することが出来なかった。
(写真左)
同坑門の胸壁部分に面し、道路標識の白い支柱が立っていた。
そこには、補助標識の「両向き矢印」だけが付いたままになっていた。
元々は速度制限の標識でも付いていたのだろうか。
(写真右)
法面の崩壊こそ南側ほど酷くないが、やはり凄まじい藪に埋もれた北側坑口先の道路。
また、藪こぎですか…。
06:12
ふーっ。
藪からときおり覗く海は、やっぱいいねぇ。
心が洗われるようだよ。
道の状況は、黒根隧道までと比べたら格段にましになった。
アスファルトの路面が半分くらいは露出しており、道の形状がはっきりと残っている部分が多い。
このくらいなら、蜘蛛の巣ラッシュにさえ耐えられれば自転車でも通行できるだろう。
もっとも、わざわざ連れてくる気にはなれないけれど。
隧道から初めの50mほどは藪が酷かったが、そこから次の50mは歩きやすかった。
写真は、一連の廃道の中で最も良く原形を留めていた区間。来た方向を振り返って撮影している。
路幅もここでは2車線分が広く取られ、黒根隧道に対する大型車の離合予備スペースと考えられる。
路面の藪が無ければ、おそらくここからでも隧道は見通せたはずだ。道自体はほぼ直線である。
だが、注目はこの比較的まともな部分でさえ、アスファルトを突き破って巨大な木が生えている事である。
なんたる生命力か。
人の手を離れた道は、南国譲りの伊豆ジャングルの前で余りに無抵抗だ。
カーブミラーもそのままに残されていた。
白く濁った単眼は、この道の哀れな最期を見届けたのだろう。
残されたあらゆるものが、今は哀れに思える。
より便利な新道へと単純に役目を譲った廃道にもある種憐憫を感じない訳ではないが、それはつまり発展的解消であって、旧道の魂は受け継がれていると思える。
しかし、このように災害などで突然に役目を奪われた道の場合、結果は同じであっても、文字通り、道が死んでしまったのではないかと思えるのだ。
さらに進むと、路面には流水の痕跡が顕著となる。
また、頭上から自動車の走行音が頻繁に聞こえるようになった。現道が近いらしい。
路上を流れた水が堆積させた土砂により、中央の僅かな部分を除いた路面には背丈よりも高い葦科の植物が茂っている。
アスファルトが所々露出している中央部は、増水時に水が流れる部分であり、藪もほとんど無い。
そして、その先には明るい部分が近づいてきた。
非常に嫌な予感がする。
次の城東隧道の南口まではまだ100m以上あると思うが、日当たりのよい藪ほど、この時期に通りたくない場所はない。
6:25
明るい部分の始まりから、一本の急な細道が山側へ向け直角に分岐していた。
それはコンクリートの舗装がはっきりと残った道で、これを横切る溝の存在が、旧道にもかつて側溝があったことを教えてくれている。
ここからだと、現道を走る車の音がすぐ頭の上から聞こえる。
現在地は大体想像が付くが、手許の地形図にこの道は描かれていない。
まあ、旧国道も付いていないのだから当たり前か。
分岐する道はものすごい急勾配で始まっており、行く手を見上げるとその上を大きな橋が渡っていた。
言うまでもなく、この橋は現在の国道のもので、この旧道とは昭和42年から53年まで共存した「東伊豆道路」の、57年に無料化した姿である。
分岐路も車が通れる幅はあり、どうやら現道との接続線のようだ。
これは思いがけずに助け船が出された形となった。
ここで私は急遽、チャリを回収しに戻ることに決めた。
そして、改めて今度は反対の白田側から、現在地点を目指す形で残る旧道を辿ってみることにした。
ただ右の写真の通り、分岐より白田側も猛烈な藪であり、やはりチャリでの通行は不可能である。
白田側からの攻略も、チャリで深追いする必要はないと言うことだ。
現在地は、一連の廃道区間(全長1.2km)のほぼ中間地点にあたる。
ここから現道へのアプローチとなる枝道が分岐しており、いまから現道を経由して黒根崎に戻り、放置してきたチャリを回収する。
その後、現道にて白田側の旧道入り口へ移動し、そこから白田・城東の2隧道を探索突破して、現在地へ再び戻ってくることにしよう。
余りチャリと離れると後で回収のために要する時間が増えるし、率直に言って、ちょっと暑さと虫の多さに参って来たので、一度まともな道へ脱出し、願わくは冷たいジュースにでもありつければと思っての、“逃げ腰”(笑)の計画変更だった。
次回、仕切り直しにて、
今度は北側から、残る2隧道へのアプローチを図る。
やがて私は、さらに驚くべき崩壊の光景に遭遇する!
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