本編は国道156号に関する当サイト最初のレポートであるので、まずこの路線の全体像について、簡単に記しておきたい。
一般国道156号は、岐阜県岐阜市と富山県第二の都市である高岡市を結ぶ、全長213kmあまりの路線である。起点である岐阜市から長良川沿いを北上し、郡上市ひるがの高原附近で中央分水嶺を越え、庄川沿いを高山市荘川、白川村、南砺市五箇山、砺波市庄川などを経由し、日本海岸の高岡へ達するのである。
列島を横断する幹線国道のひとつだが、深い谷間やダム湖の水面を縫って走る風光明媚さや、合掌造り民家が世界遺産となっている白川郷や五箇山、国立公園の白山一帯を沿道とすることから、「飛越峡合掌ライン」の愛称のもと観光路線としても知られる。
しかし地形の険しさと冬期の積雪の多さから、改良の遅れた路線でもあり、昭和54年に岐阜〜富山県境の「飛越七橋」と呼ばれるバイパスが開通するまで、この区間は冬期5ヶ月間通行止めになっていた。
また、落石や土砂崩れによる通行止めも珍しくなく、路線番号にかけた「イチコロ」線という有り難くないあだ名で呼ばれた。
この路線が国道の指定を受けたのは昭和28年で、当初は二級国道「岐阜高岡線」といった。また、全線を自動車が通れるようになったのは昭和29年である。
特に北半分を占める庄川沿いの車道建設は、関西電力などによる庄川電源開発の進展とともに、地元補償や工事用道路として進められたもので、最も古い小牧堰堤(小牧ダム)は昭和5年の完成と、国内でも有数の歴史を誇る。
オブローダー的視座に立ったときのこの道は、旧道の多い道であるといえる。
昭和20年代までに一旦完成した国道と、昭和54年に改めて「全線開通」と盛んに喧伝された路線とでは、随所でルートが変わっている。もっとも、経由地が変わるほどの大きな違いはなく、あくまでも区間旧道を多く持つということである。しかし、小規模の旧道は沿道集落や施設を持つことも少ないから、必然的に廃道となった部分が多いのも特徴である。
そんなわけで、地図を眺めるだけで“たまらなかった”この国道156号の「旧道巡り」を、平成21年4月30日に、「越中第一次探索」の4日目行程として、自転車を用いて行った。
この日に巡った旧道は、庄川が砺波平野へ流れ出る地点にある富山県砺波市庄川から、南砺市五箇山の県境を経て岐阜県白川村の中心部までの、現道ベースで約50kmの区間である。
それらを紹介する多数のレポート群の第一陣を切るのが、終盤近くに挑んだ、この内ヶ戸旧道。
そこは廃橋、廃隧道、ハイリスクという、“廃道の3H”を備えていた。
そして後日知ったことには、この旧道のある場所は「内ヶ戸歩危(うちがとほき)」といわれ、白川三大歩危に数えられる昔からの大難所であったのだ。
これが内ヶ戸旧道の全体地図である。
現道旧道ともに椿原ダムの湖畔にあるが、現道はその大部分を内ヶ戸トンネルで地下化しているのに対し、旧道は2本の小トンネルで湖岸の屈曲に耐えている。
この旧隧道のデータは、お馴染み「隧道リスト(道路トンネル大鑑)」にも収録されており、北から順に「内竹二号隧道」「内竹一号隧道」とある。
いずれも竣工年は昭和23年となっており、これは椿原ダムが出来る5年前(国道指定も同じ)であるが、当初からダムの完成を見越した位置に道路も造られていたのである。
これは前述したとおり、庄川沿いの旧道の多くが、電源開発を進めた関西電力やその前身によって、周辺地域への(特に庄川は筏流しによる重要な木材輸送路となっていたので、それらへの)補償事業として進められたせいである。
それでは早速、北側からこの旧道を攻めてみたいと思う。