押角峠を越えた私は、究極の秘境鉄道岩泉線の、その究極たる由縁を見せ付ける光景に出会う。
今回は、その場面だ。
<地図を表示する>
押角峠から続く急なくだりが一段落する場所が、峠の名の元となった押角地区である。 ここは、現在では集落も消え去り、無人の地区であるが、それでも駅が存在している。 その名も、押角駅。 じつはここ、その方面(?)では有名な秘境駅なのである。 私は、事前情報がなかったので、何気なく「凄いところに駅があるなー」と思って立ち寄ったのだが、帰宅後に調べてみると、ネット上には多数この駅についてのレポートが存在していた。 | |
国道には、一応駅のあることを知らせる青看が設置されているが、上の写真の通り、大変に目立たない。 しかも、速度を出していれば、たとえ標識に気が付いたとしても、どこが入り口なのかさえ分からないであろう。 上の写真にもその入り口は映っているが、お分かりいただけるだろうか? ボケッとしていたら、絶対に気が付かない駅なのである。 入り口に立って、駅のあるほうを見ても、そこには駅らしい物は何も見えない。 そのかわり、車数台が駐車できる草むら(駅前駐車場である)と、その奥に線路に向かう階段が見える。 線路があるから、駅もそこにあるのだろうか? あまりに不案内なので、これは保守用の道なのではないかという不安を感じた。 | |
よく工事現場なのでの足場に用いられる、鉄パイプで補強された幅50cmほどの歩道橋で、刈屋川を渡る。 欄干は片方しかなく、酔っ払いなどはまず間違いなく落ちる。(付近に酔える店など一切ないが) 当然、ノーマライゼーションなどという物は、全く考慮されていない。 狭い橋から、狭くて急な10段の階段に繋がっている。 この階段も、工事用の足場のような物で補強されており、元々の橋と思しき朽ちた材木は足元に散乱している。 この橋と階段で、既に岩泉線の主要な利用者である年齢層の大半は、乗車を諦めることだろう。 |
階段を攻略しても、そこにはホームはない。 今では利用されていないらしい錆びたレールが敷かれている。 来た道を振り返ると、駅前の様子を一望できる。 電気は来ている様だが、駅前にはそれを利用した施設は一切ない。 | |
錆びたレールの一方の先は叢へ消えているが、もう一方は本線に繋がっている。 どうやら、ちゃんと岩泉線の線路には到着できた。 しかし、ここから電車に乗れというのか? 『お降りの際には、ホームが一段低くなっておりますので、お足元にお気をつけください』ではすまないだろう。 一瞬、マジでそう思ったが、本線の方に目を遣ると、遠くにホームらしき構造物が見えるではないか。 っていうか、ほんとに遠い。 50メートル以上先だ。 | |
枝線が本線と合流した先に、やっとホームがあった。 ちなみに、写真が大きく傾いているが、実は、傾いているのはホームである。 木製のホームは腐りきっており、一部は歩くとぺこぺことへこむ上、水を含んだ部分は良く滑る。 一応ユーザビリティを考慮してのことか、ホームのにぼる傾斜部分には滑り止めの処置がなされているが、もうそんなのはどうでも良いほどの状況だ。 まるで、廃線跡にかつての駅を見つけたかのような情景だが、これで現役である。 |
木製ホームの下は空洞である。 どう見ても、仮設駅のようだが、これは正真正銘の押角停車場である。 この駅は昭和19年の開業であり、押角トンネルの開通によって峠の向こうの宇津野駅まで鉄路が伸びるまでの3年間は国鉄小本線(現:岩泉線)の終着駅であった。 現在では無人の押角集落だが、その当時から無人とは言わないものの、十分な旅客収益が上がるほどの場所では到底無かった。 それなのに、ここにいち早く駅が開業したのは、付近に耐火粘土を産出する鉱山があったためである。 その積み出し用に、貨物専用駅として開業したのがはじまりである。 | |
ホーム上には、駅名標の他、この時刻表と運賃表が風雨に晒されているのみで、待合室はおろか、ベンチ一つない。 絶対に、こんなホームでは電車は待ちたくない。 しかも、飛び入りでこの岩泉線に乗ろうとしたら、日中でさえ、半日以上待たされるおそれがある。 上りも下りも、朝の電車が行った後は、夕暮れまで次はないのだから。 | |
一体、押角駅は何度私を驚かせれば気が済むというのだろうか。 腐りかけたホームだなとは思ったが、まさか、本当にキノコが生えているとは思わなかった。 なぜ、ホームの真ん中にポツンとキノコが生えているのだろうか? 不思議としか言いようがない光景だが、考えられる理由は一つ。 キノコがこんなにでっかくなるまで、誰もこの駅に来なかったのだ。 だって、こんなキノコが足元に生えていれば、普通、蹴って壊すでしょ。 えっ、壊さない? 壊すでしょー。 | |
ホームにいても、すぐにやる事がなくなったので、帰ることにした。 当然、キノコは蹴り倒してきた。 ちなみに、この足元の留置線のようなレールは、当初はスイッチバック用の線路の一部だったそうな。 昭和47年に貨物の取り扱いを廃止し無人駅となるまでは、ここに全国でも大変珍しい“Z字型”のスイッチバックがあったそうである。 その頃のホームは現在では叢に消えてしまったが、先ほど目の当りにしたホームよりも遥かに立派な物であったらしい。 以前は無人駅でなかったというだけでも、驚きであるが…。 | |
スイッチバック跡の線路を辿ってゆくと、すぐに行く手は深い藪に消えている。 二条のレールの間に生えた木の太さに驚かされる。 JR押角駅を満喫した私は、再び無人の駅前広場に戻ると、愛車に跨り漕ぎ出した。 長かった旅に終止符を打つべく、痛む尻にカツを入れた。 いよいよ、次回でレポート完結! |
お読みいただきありがとうございます。 | |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口 | |
このレポートの最終回ないし最新回の 【トップページに戻る】 |
|