道路レポート  
国道343号旧線 笹ノ田峠 その3
2004.10.3


 

 眼前に現れた現国道の誇る、超巨大なループ橋。

ここに至りて、峠の登りはやっと半ばである。

舞台はいよいよ、廃道へ。



笹ノ田 大ループ 
2004.5.19 12:27


 ループの勇姿を前方の谷中に見ると、間もなく旧道上に古ぼけたロードサイドパークが現れる。
ここは、ループ橋記念公園とも言うべき施設で、まあ施設といってもループ橋の案内板と竣工記念碑が建っているくらいの狭いスペースなのであるが、とにかく、旧道の「第二区間」に現在でも存在意義を与え続けている貴重な存在である。
もっとも、この公園の存在は地図にも現地にも案内が無く、気がつくのはたまたま旧道を通りがかった者だけであるが。

いずれにしても、ループ橋を下手から眺めるにはここが最良のポイントであり、私も立ち寄ることにした。
休憩だ。



 公園から見えるループの勇姿。
そのループの向こうの尾根筋にも大規模な切り取りと橋が見えており、ここもまだ峠の半ばであることを知る。
また、旧道の頼りない影も、そのさらに上部にうっすらと見えていたが、私は敢えて見なかったことにした。

本ループ橋の概容を付近の案内板から拾えば、以下の通りである。
ループ道路は延長600m、半径85mのほぼ正円であり、ループの角度は約300度。
3つの橋と、橋を繋ぐ地上部とが一体となった複合ループであり、3つの橋は写真にも見えるとおりである。
その3橋は下から順に下標示合橋・ハタゴロバ橋・笹ノ田大橋で、最大の笹ノ田大橋は延長234m、最大地上高64mにも達する。 この高さは竣工当時県内一であったという。

この道路風景の感想は、一言で言えば

 「シンプル」

余計な装飾はなく、山河に穿たれた幾何学模様自体が魅せる、数学的美しさ。
地形の持つ複雑な要素を、一条の立体曲線が先鋭化し、その景観を芸術的な域にまで昇華している。

元来、道とは、通りであり、機能でしかなかったはずだ。
だが、そこを通るのが人である時とくに、機能よりも情感がその形にも影響を与える。
例えば、それは路傍の地蔵の形をとったり、神社仏閣のような石造物をもつ橋梁構造、隧道構造などとして顕れやすい。

笹ノ田の大ループは、機能に突出した道路風景だ。



 無法者によって悪戯書きの目立つ公園を後にして進むと、すぐに現道に合流する。
合流点は、ちょうどループ橋の上端である笹ノ田大橋袂である。


 すこし現道を引き返して、笹ノ田大橋へ。

平日の昼時の通行量は流石に少なく、静けさがパノラマを包んでいる。
ときおり、大型車を先頭にした短い車列が、駆け抜けていくばかりだ。

本ループ部分は、昭和58年から63年にかけて建設供用されている。




 橋から下を覗き込めば、ご覧の通り。

下標示合橋とハタゴロバ橋が一つの円弧上に連なっている。
それは、説明不要の美しさである。
恐らく東北最大のループ道路なのではないだろうか?
少なくとも、これ以上に美しいループを私は見たことがない。
この目では。

ループの美しさは、私に駆け下りたい欲求を与えたが、この欲求に呑まれれば、恐らく後悔するだろう。
ループは先に述べたとおり、ゆったりの600mであり、勾配は4.0%〜4.8%と微妙。
チャリの速度感ではさして爽快感、特にループらしさは感じにくいだろう。
そのうえ、登ってくれば、登り切った頃にはきっと嫌いになっていそうな、退屈な登りかも知れない。

まあ、あくまでも想像であるが。
とにかく、ループを後に、私は先へと進むことにした。
まだ峠は先だ。



 第三区間 いやらしい道
12:34

 第二区間の終了地点から現道を20mほど進めば、またも向かって右側に旧道が別れる。
深い切り通しが目立つので、間違えないだろう。
しかし、今回は今までの旧道入り口とは少し趣が異なる。
ロープゲートが設置されており、しかも閉鎖されているのだ。
この第三区間に入れば、恐らく峠の向こうまで現道とは接続しない。
長い独立区間の始まりなのだが、この封鎖ゲートの出現は幸先が悪いというべきなのか、良ネタの予感と言うべきなのか…。
 


 幾らも行かないうちに、標示合沢の深い切れ込みに行く手を遮られた。
舗装路は唐突にガードレールで塞がれ、しかもその先3mほどで、空中に消えている。
その先が高度差のある現道であることは、想像がつく。

まずった。

旧道は、ここに来て予想外の消滅を見たのである。
引き返してもタイムロスはほとんど無いが、このさき再び旧道への入り口はあるのだろうか…。
もし、峠の向こう側からしか旧道へと入れないとなると、そのタイムロスは相当である。
体力的にも、その様な往復はしんどい。

諦めきれず、ガードレールを跨いでみる。
ダメもとだ。

それはそうと、ガードレールに注目!
ぎゃはは、馬鹿だね。




 
 我ながら、かなり無茶をした。

今思えば、妥当な策では到底無かった。

私は、下見すらなく、おもむろにチャリを押したままで、もはや道路敷きの面影は全くないコンクリ吹き付け斜面の、その段差部分に進入したのである。
それがどれほどの長さ続くのかも分からず、その先に再び旧道に戻れるという保証もまったく無かったのに。
下手をすれば、堅いコンクリの斜面を滑落し、10mほど下方の現道に叩きつけられることになる。
滑落をしないまでも、冷静に考えれば、このような段差が道ではない以上、再び旧道に繋がる可能性がかなり低いことは、分かりそうなものだった。

愚かであった。



 現道を見下ろせば、現在地は標識柱よりも遙かに上方である。

時折往来する車からも、私の姿は見えていたはずだが、見て見ぬふり多いに結構である。
むしろ、誰何されても困る。

さて、私にとって重要なのは、この先のことだ。
進入してしまった私は、後悔する暇もなく修羅場に放り込まれた。




 あっという間に汗だくになる。
しかも、草汁だくにもなる。
さらには、不幸なことにトゲトゲのある植物が密集しており、痛すぎる。
チャリが邪魔だだが、チャリが無くても人の通る場所ではない。 明らかに。

だが、引き返せない。
それが道でないのは分かるのだが、平坦な部分が途切れないで続いているのだ。
引き返せない。
ハマった。



 距離は長くはない。
だが、とにかく進める速度は微速だ。
憎たらしいほどに藪化した段差部分以外に通行できる可能性はなく、しかも藪の主体は棘付きの植物であった。
しかも、すすむほどに段差の幅は広がり、滑落に恐怖することはなくなった代わりに、藪はさらに悪化した。

そして、もういい加減にチャリを捨てて単身偵察に進もうかと思った矢先に、希望が見えたのである。
次の写真。




 きたー!

お迎えのガードレールである。

私は、どうやら道無き道を突破することが出来たらしかった。

だが、まだ予断は許さない。

脱出した先の道も、様子が変だ。

まず、舗装されてない。

おかしい。




第三区間 怪なる旧道 
12:38

 まさか、別の道に脱出してしまった?

そんな疑念も生じたが、いやいや、そんなはずはない。

法面を通ったのは、わずか50mほどに過ぎず、その前後であまりに景色が異なるとはいえ、他の道とは思えない。

しかし、この変わり様は異常だ。

舗装はどこへ行った?
まるで草地だ。
草地の下の地面も、おぼつかない。
なんとかチャリに跨って進める程度だ。
どこへと向かっているのだろう?
まさか、未舗装国道だったのか…?



 うわっ。

やっぱり、ここが国道だったっぽい。

酷い変わりようだ。

現道とは、ほんの50m程度しか離れていないはずだが、気配を感じない。
森が深いせいもあるが、なにより、現道はここで短いトンネル(黒森トンネル L=97m)に入っていたのだ。
あとから知ったことだが。


 山肌に沿って蛇行を繰り返す草の道は、かつて国道として往来があったことが信じられぬほど、路面の締まりもない。
そんな状態の果てに現れたのは、致命的な土砂崩れである。

それほど古い崩壊では無さそうである。
道幅一杯まで大量の土砂が流入し、瓦礫の斜面を形成している。
地表に生えていた木々ごとに滑り落ちてきたらしい。
いずれはこんな崩壊が、「道ないよ」と探求者を途方に暮れさせるようになるのだろう。

今はまだ、チャリを担いで突破できる。

国道343号旧線 笹ノ田峠が、そのオゾマシイ本性を現し始めた。




 うぎゃー、激藪。

実際の走行から、このレポの執筆まで時間が経っており、写真を見ながら記憶を呼び戻しつつレポを進めているわけだが、本当にこれが路上を撮影したものなのかと自信が無くなったほどの激藪カットである。
しかし、どうやら本当にこれが道だったようである。
道でなければ、何を撮影しようとしたというのだろう(笑)

そして、この直後、いまだ忘れがたい景色が現れる。




 ま、まだだ。
この景色も印象的ではあったが、まだだ。

ここの法面には、現道の工事によるものであろう再施工の跡が見られた。
ここまでは、20年内に車両の通行があったのだろう。
この先は、いくらかだが、藪が浅くなる。
さっきの激藪のままでは、アノ“ 印象深い景色 ”にも、恐らく出会えなかった。



 旧道直下には黒森トンネルの西側坑門。
そして、緩い曲線の先には標示合トンネル(L=97m)が。
わずか標高450mの峠越えに6つものトンネルを持つというのも、意外に珍しい。
峠へのアプローチとして沢沿い区間が長かったりすれば、それなりにトンネルも増えるが、このように登りながら短いトンネルを幾つも繋いでいるというのは、レアケースだ。
少なくとも、私は良く似た道を知らない。

ルートは「この一本以外はあり得ない!!」というわけではなくて、ループの位置や規模を含め、設計の時点での自由度は高かったような印象を受けた。
地形的な許容度がほどほどにありそうだし。
しかしむしろ、このような状況で安全性や施工性、もちろんコストも踏まえてルート選定するというのが至難であろうことは、素人にも想像がつく。
建設よりも設計段階で苦労が大きかったのではないだろうか。





 なんだか、この光景に遭遇して、一挙にこの峠の印象度は高まった気がした。

どこがどうだと説明しにくいのだが、なんとなく、私の心の琴線に触れるのだ。
触れるどころか、かき鳴らすのである。

時期も良かったのだろうが、ポヤポヤと生え出た新緑のジュータンと、可憐な白いフラワー。
もはや轍の影も形もない路面であるが、周囲の草むらとの微妙な陰影から、判別できる。
そして、ワンポイントは忘れ去られたようなグネグネカーブの警戒標識。
本当に忘れ去られているでしょ。ここ。
確かに、ここはまだ峠越えではなくて、しかもあんな崩落地や損部部を後背に持つ旧道だ。
訪れる者が少ないことが想像できる。

 未舗装の上、法面に施工はなく、道路構造物は標識だけ?!

そんな旧国道が、私は堪らなく愛おしい。



 そして、道は二手に分かれる。
地図にはない、予想外の展開。

しかも、下る左道のみが舗装されている。


もう賢明な山行が読者様なら予想がつきますでしょ。
左は現道との接続道路。
本当の旧道で、マジで峠に挑むのは、右です。

右に行きましょ。
さらなる素晴らしい景色を求め。
アツき鼓動の高鳴るままに。








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