スノーシェッドで繋がった隧道が3発続いたが、外へ出るとすぐに旧暦5月を意味する皐月(さつき)を冠した橋が現れた。
何の変哲もない橋だが、おそらく日本全国において、この「皐」の字を用いた橋はここだけだろう。
一度見ると忘れられない文字というのがあると思うが、私にとってこの字がそんな一つである。
日本語ではおそらく、植物の皐(さつき、ツヅジ科の低木)と、「皐月」にしか使われない字だろう。
「皐」は「神に捧げる稲」という意味を持つ字で、皐月は稲作の時期であったことに由来するのだという。
こんなレアな字というのは、なんとなく気高い気がして、印象に残る。
橋自体にネタが乏しいので、ちょっと脱線してしまった。
おっと、忘れた頃におにぎり出現。
黙って左に取り付ければいいのに。おにぎりも日なたは苦手?
さてさて、行く手には、早くも次なる季節が見えて来た。
暑い夏。
もちろんそこには熱い道が欲しいところ。
さて、次はどんな隧道なのか!! ニヤニヤ
ちょっと雰囲気を変えて、今度はスノーシェッドから始まる。
入口には「水無月隧道」の文字が取り付けられている。
しかし、目の前にあるのは明らかにスノーシェッドである。
…もしかして、12に数を合わせるために、これを強引に隧道などと言う気なのでは…?
私の中に、しょーもない疑念が生まれた。
またも長いスノーシェッドであった。
始めはコンクリで始まったのに、200mほど行くと古めかしい鋼鉄製のものに入れ替わり、そのまま隧道が近付いてきた。
よく見ると、隧道の右側にもかつて道があったような気配を感じる。
もっとも、雰囲気的には車が通るようなものではなかったように見えるが。
これまでになく薄暗い坑口へ接近。
これは、いわば盛夏の前の梅雨演出なのか。
なんか、この隧道、かわいそう…。
だって、暗すぎだろ。
坑口から言って既に殆ど地下だし。
もちろん素堀。
昭和38年竣功の延長55m。
せめてもの救いは、隧道の名前がこれ以上なく美しいと言うことか。
つらいだろうけど、がんばれよ…。
いよいよ7月。
旧暦だから… などというツッコミは無用!
ビッシビシ行くよー!!
文月隧道も水無月隧道と同じ昭和38年の竣功で、延長は90mある。
かなり厳ついなりをしているが、これでもれっきとした女の子である。
ま、ボーイッシュガールと言ったところだろう。
最近はツンドラだかツンデレというのも流行っているそうだが、それにも通じるかも知れない。
え、写真が縦長だからコメントを水増ししようとしてないかって?!
そんなことは、ない。
この子は他の子にない特徴がある。
扁額が無いと思いきや、坑口から少しだけ入った内壁に、埋め込まれるようにして取り付けられていたのである。
元来からのものと思われる名札(扁額)を残す隧道は少なく、貴重である。
というか、もっと突っ込んで考えると、この扁額が当初はどこに取り付けられていたのかというのが気になる。
両坑口や内壁はいずれも素堀吹き付けなのだが、扁額を取り付けるような場所がイメージできないのだ。
ちなみに、扁額は表札のようなものにペンキで描かれている。
水無月と比較して、同じ照明機材に見えるのになぜか明るさが全然違う気がする。
これも、夏の陽射しを表現したのだと考えると合点がいく。
それにしても、国道隧道としてはお宝級の物件がこうも次々現れると、贅沢というか呆れるというか。
まあ個人的には、全国の幹線道路網は国道300番台まで一応整備されたと思っているので、400番台以降の国道は、国道が欲しい市町村への“サービスショット”のようなものではないかとも思う。
全部が全部というわけでは無いだろうが。
隧道からスノーシェッドへ繋がるのは、この辺りではデフォルトらしい。
そういえば、和風月名区間に入ってから殆ど道路外の景色を紹介していないと思う。
だが、実際に通行しても同じ印象であり、過半の区間が地下ないし半地下である。
阿賀野川が悠久の時をもって山岳を貫流し、そこに刻んだ急谷の底を、水面に片翼を濡らしつつ通り抜ける強烈な国道であるが、その景色は殆どドライバーの目に入っては来ない。
場違いなほど風流な名を持つ道路構造物達が、力を合わせてこの道を道たらしめているのだ。
なんだこれ。なんだこれ。
なんか、ゲージが上がってきたぞ。
この先、ドーパ再分泌の予感だ。
隧道内にカバーを被らされた信号機が取り付けられているのも気になるが、スノーシェッドのままかなり登っていくのがイイ!
そして、出口の向こうには早くも次のシェッドが現れつつある。
この登り方は、夏らしい気温の上昇を表現しているのだと理解できる。
出たと思ったら次のシェッドが目の前に。
右側には崖、その下は蒼い大河。
道はここでやっと大型車の離合を許す幅となった。
一瞬だけね。
長い長いスノーシェッドの一部分と化した葉月隧道。
照明さえないこの隧道の延長は35mと短い。
竣功は昭和36年とこれまでより古く、道が福島側から延ばされてきたことを意味する。
夏は、期待ほどは熱くならず、終了した。
さっきの“予感”は、 外れた。
次なる季節に大いに期待せよ!!
再び長いスノーシェッドから解放されると、川面からはかなり高い位置まで昇っている自分に気づく。
そして、前方には尖った岩場を露出させる急斜面が控えており、いよいよ区間内最大の難所が近付いていることを予感させる。
まず現れたのは、細長い長月橋。
ちなみに、橋にはそれぞれ親柱に銘板が取り付けられており、風流な名前が開通当初からのものであることを教えてくれている。
橋を渡ると即座に10月。
北国の季節の移ろいは早いのだ。
特に秋は駆け足で過ぎていく。
にしても、この神無月隧道は出口が見えない。
全長81mにして出口が見えないとは、これはもしや… お宝出現なのか?!
車が勢いよく出てきたので、閉塞はしていないようだが…。
神無月隧道は久々のコンクリート坑口を持つ隧道で、扁額が取り付けられていた。
ただ、異様に小さい。
良い名前なのだから、もうちょっとアピールすればいいのに。
ドライバーからはまず確認できない位置に取り付けられているし。
すっげ!
めちゃ曲がってる。
隧道中にカーブミラーあるの
はじめて見たし。
うっお!
北国の冬の訪れの早さを、こんな形で
完全再現してくるとは…。
この道を設計した人は、神だ。
普通、そこまで凝るか?!
偶然じゃないって!
俺には分かるって。
俺の背後に付きまとう三島(三島通庸 1835-88)の霊もそう言ってるもの。
「コノ道開鑿セシハ稀ニ見ル粋人也、萌ス。」と。
神無月、霜月、師走の3隧道がスノーシェッドを間に挟みつつ、一直線に連なっている!!
それぞれ、延長81m、186m、95mの隧道が、全て一直線上に!!
しかも、全部素堀!
断面の形が揃って無いせいで、いつもに増して異様な光景だー!
隧道三姉妹! モエス!
スゲーマガッテンナー。
…。
ん?
あ、なにあの光?
ボワーー!
出たー!
洞内分岐だっ!
つーか、なにこれ?
元々は真っ直ぐだった隧道を、わざわざこんなに口曲げたのかヨ?
フツー逆じゃね? (岩手県大船渡市の白石隧道が同様の改修を受けているが)
福島側から来ると、カーブミラーの奥に小さな出口が見えるにもかかわらず、国道はそれを蹴って急カーブで左に曲がって脱出するという、かつて無い変則隧道!
なにこれ?
断面は異常に狭いし、崩壊が酷く本来の洞床などは既に瓦礫の底に埋まってしまっている。
まさか、これが昭和36年に新しく建設されたものとは思えない。
だって、車通れっこないもの。
となると、この地には以前にも馬車が通る程度の道があったと言うことなのだろうか。
藩政時代にはこの辺りは越後裏街道と呼ばれ、越後街道(国道49号沿い)の間道として機能していた。
しかし、厳密には街道は川沿いを避けて通っていたらしい。
すれば、この隧道は明治や大正に入ってから建設されたものではないかという想像が出来る。
ちなみに他の隧道についても注意深く観察したのだが、旧隧道の痕跡を留めるのは、この神無月隧道のみのようだ。
10mほどの廃隧道を潜り抜けると、そこは阿賀野川支流の深沢が刻む谷に面しており、あるべき橋の痕跡さえない。
木橋だったとしても、橋台くらいは残っていそうだが、対岸にもそれらしい物は見られず(おそらく対岸側は現道長月橋の橋台に一致するのだろうが)、この先の道の手掛かりは完全に潰えている。
谷は深く、適当な橋では跨げっこ無いのだが……。
こ… これが元来の神無月隧道の姿…。
地形が険しすぎて、これ以上カメラを引いて撮影することは出来ない。
足を踏み外せば深沢へ落ちてしまう。
昭和中頃より前には、おそらく… いまの“酷”道でさえハイウェイに見えるような、強烈至極の道が、この谷間を縫うように続いていたのだろう…。
見てみたかった……。 そして、萌えたかった。
旧坑口から現道までは、このくらいの距離がある。
そこには、幅1mほどの平場があると言えばあるような気もするし、たまたまなような気もするし…。
もしかしたら、当時の技術では隧道内で橋へ向けてカーブすることが難しく、隧道出口が直角カーブで、橋はかつてから現橋の位置にあった可能性もあるな。
ちなみに、現橋の袂に戻る部分は短いが崖で足場に乏しいので、注意して欲しい。
危ないと思ったら旧隧道を戻ればよい。
いやー。
呼吸するのも忘れるほどアツい思いをした。
だが、それももう、目の前の連なる3本の隧道をくぐれば終わってしまう。
こんな道ならずっと走っていたいが、楽しい一年が過ぎるのは早いものだ。
随分スピード出して入っていく運ちゃんよー。
この隧道、大変なことになってるよ。
それ、知ってんの?
出るんだよ。
…ドーパミンが。
問題の神無月隧道を抜けると、後半戦では最も長い全長181mの霜月隧道が即座に現れる。
近付いてみると、かなり長く感じる。
相当暗いし。
ちょっと振り返ってみると…・。
このスノーシェッドって… なんか、トラス橋みたいだな。
よく見ると、この下を暗渠が通っているし、殆ど橋みたいなものだ。
にしても、前後の隧道が貫通している岩場は水面までほぼ垂直に落ち込んでおり、とてもとても隧道以外の迂回路は考えられないような地形だ。
元々は、あんなに狭くて…しかも、かなり長い隧道が連続していたのだろうな…。
凄すぎる。
トラスの隙間から見る阿賀野川の深緑色の流れ。
谷が深いために空色を反射できず、両岸の緑だけが水面に落ちているかのよう。
この道中で私はときおり、時代錯誤の屋形船がすらすらと通っていくのを見た。
「阿賀野川ライン下り」は観光名所になっているのだ。
川面から見る国道459号も、いずれ体験してみたいものだ。
もの凄く暗い霜月隧道を走る。
内部はこれまでのどの隧道よりもウェットで、水滴が路面を叩いている。
一般のドライバーにとって、ガイドブックなんかに「ちょっとした探険気分」なんて書かれていれば喜んで来そうな雰囲気だが、私もこう言うのは好きだ。
これでも現役国道なのだから、恐れ入る。
国道だけにそこそこの通行量もあるし。
路線バスや大型の観光バスも通るし。
そして、再びスノーシェッドで覆われた場所に出ると、最後の隧道が目の前にある。
これは和風月名の中でもいちばん有名な月名、師走。
師走隧道である。全長は95mだ。
最後だからと言って特別な何もなく、ちょっと断面がいびつすぎる事を除けば、普通の素堀だ。
って、素堀な時点でおかしいけど。(慣れてきた…)
そしてこれにて、隧道9門橋梁3本による、和風月名12姉妹物語も、オーラスとなる。
濃厚な物語だった。
もう、出ない。 (←なにが)
師走隧道を終えると、あとは長いスノーシェッドがお見送りしてくれる。
メイドも驚きの慎ましさだ。
っつーか、このレポって5年後に見たら、陳腐化してそうだな(笑)。
メイドって何だよとか、萌えって_? とか。
まあいいや、俺のドーパミンだけは不滅だし。
ふぅ。
これで本当に終わり。
角神温泉からここまで、約3000mの道のりであった。
その大半がスノーシェッドが隧道の中という、穴・穴・穴のハードな一年だったわけだ。
…ダメだ。なんかネタが下品気味だ。
でも、安心して欲しい。
この先の国道459号はとりあえず、しばらくはまともな道なので、県境まではね。
ちなみに、最後の扁額は「師走スノーシェッド」だが、
「ェッ」は、なんかおかしくねえか?
そこで切るなよー。