行きも怖いが、 帰りは地獄 2005.8.16 14:37
4−1 落差100mの斜面
おことわり
峠より九階の滝側へ下りる斜面はきわめて過酷な地形条件にあり、これまでおおくの遭難死亡事故が発生している危険地帯です。
山行がでは、読者の皆様が興味本位で入り込む事を望みません。
事故が起きた場合にも、一切の責任を負うことは出来ませんので、ご了承ください。
私が撮影した写真では、様沢の危険性の多くを伝えることが出来ません。
特に危険な箇所では、写真を撮っているどころではなかったというのもあります。
一般の読者の皆様が、このレポートを見て自分にも行けそうだと思われたとしても、実際にはかなり難しいと思います。
14:37
目と鼻の先に見えた「九階の滝」の大迫力に度肝を抜かれた私だったが、この先の道ゆきを憂うる気持ちが先立ち、正直、喜びはすぐに萎えた。
なにせ、地形図によれば九階の滝の滝壺と、今我々がいるピークとの高度差は150mにも及ぶ。
今夜の野営地は、九階の滝付近と決めていたのだが、嵩張り重い野営道具を持ったまま、この谷間に降りていくのは、憂鬱だった。
その上、確かな道など、何処にもないのだ。
滝までは道があると聞いていたのだが、それは我々素人に判断できるような程度のものではなかったのかもしれない。
結局、私は歯止めを効かせることが出来なかった。
私などよりも、はるかに危険を察知する勘に優れた現役自衛官は、明らかに乗り気ではなかった。
「降りてもいいけど、登ってこれるのだろうか?」
という不安そうな言葉が、耳に残った。
だが、私は引き返すのはいやだった。
チームプレーの合調ではとても恥ずべき事なのだが、私だったら下れるだろうという気持ちを抑えられなかった。
自衛官氏の口から、引き返そうという言葉が出なかったのをいいことに、私は半ば強引に下りに入ってしまった。
先のことなど何も分からず、不安だらけだというのに、「行けるところまで行ってみたい」という気持ちを曲げられなかった。
そして結局、我々は翌日、
ここを登り返すのに、死ぬ思いをしたのだった。
詳細は触れないが、野営地からピークまで戻るのに、四時間以上もかかっている。
二人とも無事で下山できたので良かったが、正直ここでの私の決断は、レポにするのも恥ずかしい、はっきり言って書きたくなかった失態だった。
実際に下り始めてみると、改めてその危険性が肌に感じられた。
上から見ると、単に急なだけの森に見えたが、実際にはその急さが洒落にならない。
水平距離100mで高度差100mを下るのだから、その勾配は単純に見ても45度。
いくら手がかり豊富な森であっても、容易でないのは明らかだった。
でも、下りは良かったのだ。
背負った荷物の重さが、嫌でも我々を谷底へ誘った。
私は不安をかき消そうと、努めて明るく振る舞っていた。
みるみる高度を下げていくなか、この斜面を登り直すのがどんなに難儀なことであるかを考えずにはいられず、焦りや不安は大きかったが…。
ただ、それでも引き返すことを考え、ルートをよく確認しながら下っていった。
道など無いのだが、地形的には小さな尾根と沢が入り乱れており、これから弱性の目印となった。
結論から言うと、帰り道では一時期まようという失態も見せたのだが…。
まあ、帰りは幸いにもレポート出来ない事情があるので、この恥ずかしさは私の胸に仕舞わせてくれ…。
考えが、甘かったのだ。
私たちは、はなから「残置ロープがある」という証言に、頼っている部分があった。
この写真の滝など、まさに素人からすればロープがほしい場所なのだが、ここにはロープは見あたらなかった。
我々がロープを見たのは、このさらに下流の一カ所だけであった。
つまりは、我々の脳内では、「残置ロープ=整備された歩道」というイメージがあった。
それが、たとえ危険な登山道のような状況だとしても、よもやそれ以下の、“プロたち”の世界だとは、思わなかった。
すなわち、このコース上に我々が見た残置ロープとは、別に後続の入山者の便宜のために設置されているものではなく、ましてや安全なルートを指し示すものでもない。
単に、誰かが設置し、置き去りにしただけの、置き去りロープという性格のものだったのだ。
確かに、これに命をかけるのは、あまりにも、安易だ。
我々も、立派にロープを持ち込んでいたものの、使い方に不慣れであり、十分に活用できたとは言い難い。
結局は、ロープを出す手間を惜しみ、己の脚力と天運を信じ、上り下りしてしまったのだった。
…ここも、反省だな…。
最初の断崖を落ちるように下る。
身軽であるならば、我々も脚力や登攀力にはそれなりの自負がある。
現役自衛官の力は言わずもがなだが、私も、遊びとはいえ「ランドエクスプローラー」などと自称する矜恃があり、明らかに無装備では太刀打ちできないような場所でもない限り、踏破する自信もあった。
しかし、繰り返すが我々はこのとき、全く身軽ではなかった。
重さもさることながら、大きなリュックを背負った状態は、重心が後ろに寄りがちで安定感の乏しいこと甚だしい。
写真は、下りの途中で稜線を振り返って撮影。
奥に見えるスカイラインとほぼ同じ高さから降りてきている。
しかし、下っても下っても、急角度の谷筋は、まるで擂り鉢の底へ向かうように、深い深いスラブへと分け入っていった。
斜面は何処も急であり、荷物を置いてじっくりと休む場所を見つけることすら難儀である。
ここで自衛官氏が一言。
「もう、引き返しても、明るいうちには戻れない。」
…。
当たり前のことだ。
山で泊まろうとしているのだから、その状況自体は、当たり前の、べつに特殊でも何でもない状況。
しかし、このときの心細い我々にとって、その一言には、現実以上の重さが、感じられたのである。
4−2 不安の谷
15:18
やっと「地面に足をつけられた」と感じたのは、落差100mほどを下った先にあるスラブの底に至ったときだった。
そこにいるだけで緊張のため動悸するほど、細く深く薄暗いスラブの、底。
この区間、下りは40分。
戻りは…、3時間を要している。
8月16日時点、なおも大量の残雪が残っていた。
もしかすれば、この雪の一部はそのまま次の冬を迎えかねない。
雪渓越しに見る行く手は、これまで以上に険しく見えた。
恐ろしいところへ、来てしまった。
居心地の決して良い谷ではない。
あたりまえだ。
無事に戻れる保証がない場所に深くまで潜入しているとき、いつも私は、不快な気持ちでいる。
探索が楽しいのは、己自身の力加減でどうにでもなるような、ある程度の余裕がある時に限られる。
たとえば、戻り道が駄目なら、こっちの道もあるとか、そういう状況なら、それは余裕があるといえる。
しかしこの谷には、私の知る限り、今我々が降りてきた崖以外に、脱出路はない。
仮に、この場所で軽い捻挫をしただけで、おそらく自力下山は出来なくなるだろう。
そんな、クリティカルな場所である。
見えた!
遂に、様ノ沢本流を囲む大スラブが間近に見えた。
あの正面に屹立する断崖は、九階の滝のすぐ左に見えていた崖だ。
このまま谷を下れば、もう九階の滝との合流点は、遠くないはず。
だが、
とりあえず今日の行程は無事に終えられるかと安心したのも束の間、
我々が倒木を避け、雑草を掻き分けながら下っている細い谷の行く手に、
妙な空虚を感じた。
紛れもない滝の音と、 共に。
4−3 落差10mの2段滝
15:38
まだだったのか…
そんな、落胆と、焦りが混じり合ったため息が、漏れた。
滝はスラブを落ちる2段のもので、中段には深い滝壺が睨みをきかせている。
推定落差は10mを下らず、落ち口に立っていると、軽く恐怖を感じる。
私は、この期に及んでなお、どうやって荷物と共にこの斜面を下るか、そして戻るかを、考えていた。
しかし、自衛官氏は冷静に、滝の上に野営できるスペースがないかを観察していた。
二人は、殆ど言葉も交わさぬまま、互いに思考に耽っていたのだが、先に動い(てしまっ)たのは、私だった。
私は、下流へ向かって左手の茂みに、際どく付けられた、一本のロープを見つけた。
正確には、それはロープではなく、ワイヤをビニルで巻いたものだったが、渡りに船とばかりに身を預け、まずは中段へ降りたのだった。
中段の滝壺から、さらに下流を望む。
結果から言うと、この先、様ノ沢本流との合流点までは、もう一つの滝がある。
そして、我々は二つの滝に挟まれた場所。
ちょうど、写真の下方に写っている茂みにて、夜を明かしたのだった。
さて、まだ足下は滝の途中だった。
下段はいくつもの甌穴が段々になっている滑らかな滝で、ここも左側にロープの切れ端があったが、長さが足りず、地上まで届いていない。
むしろ水を浴びながら滝と一体になって下った方が、容易だった。
2段滝を下りきった。
黙って、この滝の上で野営していれば、翌日にこの滝を何往復もして荷物を小分けに運ぶ必要など無かったのだが…。
とりあえず、疲労困憊の二人はこの滝を下りきり、さらにすぐ下流に本流との合流地点に落ち込む小さな滝があることを確認した段階で、これ以上進むことをやめ、テントの設営を開始した。
これが、様ノ沢との出合いにある、落差5mほどのやはり2段の滝である。
この滝自体は難しいものではないが、重い荷物を持ったままこれ以上下ることは、明日への自殺行為になりかねないとの判断である。
それに、どうせ沢底以外で野営できないなら、水量の少しでも少ない沢の方が安全だろう。
見たところ、様ノ沢本流にも、さして野営に適したような広い場所はなさそうであったし。
なお、この地点まで、九階の滝の発する轟音が、届いていた。
出合いから滝までは、もう50m程度の距離しかない。
明日の朝最初に九階の滝を見ることだけが、楽しみだった。
正直、もうこれ以上危険な谷間を歩いて、“あの谷”へ“穴“へ挑む気力は…
このとき既に 失っていた。
谷底の夜 2005.8.16 16:20
5−1 谷底に訪れた夜
16:20
我々は、二つの滝に挟まれた狭い河原にテントを張った。
大雨の時には水が流れるだろう涸川の粗い砂の上は、藪の中にテントを設営するよりもなんぼも楽で、また砂の上は意外に寝やすかった。
雨の予報ならば絶対に設営しないような場所だが、まあ、今晩も明日も予報は快晴。
イケルだろう。
肩に食い込んだ荷物を放り出し、身軽になると俄然わいてきた気力に任せ、さっさと設営をすませる。
時刻は午後4時を回っていたが、まだ周囲は十分に明るく、活動するには不便がなかった。
手際よく設営をすませ、乾いた衣服に着替えると、食欲よりもまず、横になりたい気持ちになった。
17:40
日の入りにはいささか早い午後5時過ぎで、すでにこの峡谷には夕闇が訪れていた。
このようにして、一日の中でも日の差し込まない時間が長いからこそ、連日25度を超える日が続いているこの夏も、今まで雪が残ってこられたのだろう。
テントの中で、二人横になって、それぞれ朝にコンビニで買った本を読んでみる。
たった半日前の事が、もう何日も前の事に思える。
大した距離を歩いたわけでもないのに、もう十分に、仕事をした気がする。
はじめは、テントの周りに集って、進入の機会を伺っていた虻たちも、暗くなるにつれ数を減らし、ヒグラシの声と小さな滝の音だけが響く中、我々のテントは滑らかに闇にとけ込んでいった。
私は、知らずのうちにうたた寝をしていた。
18:43
すっかり夜闇に覆われた谷底で、小さいけれど頼もしい灯りを囲みつつ、ささやかな夕餉。
暖かな即席みそ汁が、しんみりと染み渡る。
今日の一日を振り返って、遠き千葉の地から、わざわざ生死を共にしに来てくれた朋と談笑。
生を噛みしめながら、私たちは早々に、床に就いた。
今になって冷静に見れば、反省点の多い旅路だったけれども、そのただ中にあった我々にとっては、そこを生きているだけで満足な気持ちだった。
それが、旅の興奮というものであり、良かれ悪かれ、私の大好きな”時”なのだった。
困難な一日を終えたという満足感、
そのためだけに、私は、困難に挑み、耐えている!
最終回へ
お読みいただきありがとうございます。 |
当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口
|
このレポートの最終回ないし最新回の 「この位置」に、レポートへのご感想などのコメントを入力出来る欄を用意しています。 あなたの評価、感想、体験談などを、ぜひ教えてください。
【トップページに戻る】
|
|
|
|
|