< おわり >
道の駅「笹川流れ」が、国道345号線沿いに建つのは、地名的には笹川ではなく、その南の桑川である。
この桑川は、山北町最南端の集落であり、村上市に接している。
村上市に入ると、海岸線と山地との隙間が少し広がり、それまでは山々に阻まれ断続的にしか現れなかった集落が、長さを持った帯のようになってくる。
国道も集落内を避たバイパスが続き、景色的には、やや単調になる。
しかし、大半の運転者(これは山チャリストに限らない)は、ホッとするだろう。
それほどまでに、この笹川流れに至までの15km余りの道のりは、険しく、神経を使うものであった。
無論私にしても、やっと目指す村上市に入ったという安堵感が大きかった。
すでに、前夜遅く出発した私のサイクルコンピューターの走行距離は200kmを越えていたし、睡魔と疲労の混ぜ合わさった独特の苦痛が、全身を包み始めていた。
余談だが、この感覚、私の場合はどうも200km前後から表れ始める、なんと言うか…。
山チャリから離れていると、無性に味わいたくなる…そんな麻薬のような感覚なのだ。
実際は、もうチャリを放り出し、その場で眠りに付きたいと思うような苦痛なのだが…。
たぶん、私のの体力ゲージ点滅のシグナルなのだろう。
道の駅「笹川流れ」である。 沿線は「日本海夕日ライン」と愛称されており、この道の駅には、本日の日没時間の案内板があった。 残念ながら、今日は曇りであったが。 そもそも、夕暮れまでこんな場所にいるわけにも行かないのであるが。 休憩もそこそこに、再び南下を始める。 | |
桑川には小学校もあり、これまでの中では大きめの集落。 その南の端、これまで何度も繰り返された景色だ。 海と山が一つの崖に収束し、そこに穿たれたトンネル。 ここから先の鳥越は、村上市に踏み込む前の最後の難関といってよい。 とは言っても、現道は一本のトンネルでこの岬を貫く。鳥越トンネルである。 おなじみ『山形の廃道』さんの隧道リストによれば…、 …この部分に該当する隧道は記されていない。 昭和42年当時、この隧道を用いなければ攻略できそうもない崖を、どうやって道は貫いていたのだろうか? 旧道の痕跡は発見できず、これは謎である。 |
トンネルを越えると、そこは村上市であるが、未だ険しい断崖が続き景色に変化は見えない。 間もなく馬下集落に至ろうかという場面で、再び私の前に“廃隧”が姿を現した。 写真左、ありますね。 | |
この隧道は、やや特殊な立地にある。 海岸線すれすれにまで張り出した崖を、短い隧道で貫く旧道。 一方、現道はというと、さらにその海側にある。 当然、その足元に陸はなく、海上を海岸線の形に緩やかに蛇行した桟橋で抜けているのだ。 派手さはない、というか、普通素通りしてしまうと思うが、よく見ると興味深い、大変珍しい構造である。 海上に道を通すなんて、設計者はコロンブスの卵的発想を成しえたな、と思う。 | |
で、この旧道の隧道、大正浦隧道といい昭和41年竣工の延長34m。 なんと、結構新しいのだ。 しかし大変な絶壁の麓を通したのが災いした。 危険ということなのだろう、平成に入って新道に付け替えられた上、厳重に封鎖されてしまった。 内部はご覧のように、至って普通である。 この道にしてはね。 | |
これが反対側の坑門。 見てください。この致命的な絶壁を! これじゃ、どんなにコンクリートを吹き付けても、坑門にロックシェードを設置しても、安心できない。 そういうことなのだろう。 短命な大正浦隧道でありました。 |
鳥越、馬下、早川、吉浦、柏尾と、小さな集落をポンポンと通り抜け、村上の市街地が近くなってきた。 海岸線からも、少し離れた山裾からも、さっきまでの険しさは息を潜め、長閑な沿岸の景色。 やっと、全ての難所をクリアしたらしい。 長かった。 …思えば、本当に長かった。 しかし、マジ楽しかった。 もう、おなかいっぱいだおー。 間もなく、地図上で区間最後の隧道となるであろう一本が現われる。 よしっ、気合入れてぐぐるぜぇーー!!! | |
! ごぶぅ ぅ … | |
最後の隧道は、ご覧の通り、もう閉じてました。 ショボン… ここも海側を現道が切通で貫いていました。 しかし、なぜにこんなに厳重に封鎖されているのでしょうか? 空気穴すらないじゃないか!(←そんなものは必要ない) | |
なんか、納得いかないなー。 楽しめないなー。 …。 ヒトハネ隧道、昭和16年竣工、延長120.8m、だそうです。 ひとこと、名前コワッ! |
何事にも、最後の難関というのがありまして、この200kmを越える旅路のそれは、岩ケ崎の上りでした。 この岬を登って越えたら、そこはもう村上市街。 下って降りて、もうそこは終着だ。 しかし、この登りがー! 今の俺には堪えるの。 | |
このカーブの先、あとはもう下り。 こうして、私の初めての新潟行きは終わったのでした。 秋田県本荘から、新潟県村上市まで。 流石に遠いというのが本音だが、初めての道ばっかり丸一日走れるのって、ホンと幸せ。 廃隧道もたらふく食ったし、山形も新潟もサイコー。 | |
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