ルートレポート 国道345号線笹川流れ 笹川流れ〜村上 
2003.4.15



   < おわり >

 道の駅「笹川流れ」が、国道345号線沿いに建つのは、地名的には笹川ではなく、その南の桑川である。
この桑川は、山北町最南端の集落であり、村上市に接している。

 村上市に入ると、海岸線と山地との隙間が少し広がり、それまでは山々に阻まれ断続的にしか現れなかった集落が、長さを持った帯のようになってくる。
国道も集落内を避たバイパスが続き、景色的には、やや単調になる。
しかし、大半の運転者(これは山チャリストに限らない)は、ホッとするだろう。
それほどまでに、この笹川流れに至までの15km余りの道のりは、険しく、神経を使うものであった。
無論私にしても、やっと目指す村上市に入ったという安堵感が大きかった。
すでに、前夜遅く出発した私のサイクルコンピューターの走行距離は200kmを越えていたし、睡魔と疲労の混ぜ合わさった独特の苦痛が、全身を包み始めていた。

 余談だが、この感覚、私の場合はどうも200km前後から表れ始める、なんと言うか…。
山チャリから離れていると、無性に味わいたくなる…そんな麻薬のような感覚なのだ。
実際は、もうチャリを放り出し、その場で眠りに付きたいと思うような苦痛なのだが…。
たぶん、私のの体力ゲージ点滅のシグナルなのだろう。

 
新潟県山北町 桑川
2003.3.6 12:19
 道の駅「笹川流れ」である。
沿線は「日本海夕日ライン」と愛称されており、この道の駅には、本日の日没時間の案内板があった。
残念ながら、今日は曇りであったが。
そもそも、夕暮れまでこんな場所にいるわけにも行かないのであるが。
 休憩もそこそこに、再び南下を始める。

 桑川には小学校もあり、これまでの中では大きめの集落。
その南の端、これまで何度も繰り返された景色だ。
海と山が一つの崖に収束し、そこに穿たれたトンネル。
ここから先の鳥越は、村上市に踏み込む前の最後の難関といってよい。

 とは言っても、現道は一本のトンネルでこの岬を貫く。鳥越トンネルである。
おなじみ『山形の廃道』さんの隧道リストによれば…、
…この部分に該当する隧道は記されていない。
昭和42年当時、この隧道を用いなければ攻略できそうもない崖を、どうやって道は貫いていたのだろうか?
旧道の痕跡は発見できず、これは謎である。
馬下
 トンネルを越えると、そこは村上市であるが、未だ険しい断崖が続き景色に変化は見えない。
間もなく馬下集落に至ろうかという場面で、再び私の前に“廃隧”が姿を現した。


 写真左、ありますね。

 この隧道は、やや特殊な立地にある。
海岸線すれすれにまで張り出した崖を、短い隧道で貫く旧道。
 一方、現道はというと、さらにその海側にある。
当然、その足元に陸はなく、海上を海岸線の形に緩やかに蛇行した桟橋で抜けているのだ。
派手さはない、というか、普通素通りしてしまうと思うが、よく見ると興味深い、大変珍しい構造である。
海上に道を通すなんて、設計者はコロンブスの卵的発想を成しえたな、と思う。
 で、この旧道の隧道、大正浦隧道といい昭和41年竣工の延長34m。
なんと、結構新しいのだ。
しかし大変な絶壁の麓を通したのが災いした。
危険ということなのだろう、平成に入って新道に付け替えられた上、厳重に封鎖されてしまった。

 内部はご覧のように、至って普通である。
この道にしてはね。
 これが反対側の坑門。
見てください。この致命的な絶壁を!
これじゃ、どんなにコンクリートを吹き付けても、坑門にロックシェードを設置しても、安心できない。
そういうことなのだろう。

 短命な大正浦隧道でありました。

 間島
 鳥越、馬下、早川、吉浦、柏尾と、小さな集落をポンポンと通り抜け、村上の市街地が近くなってきた。
海岸線からも、少し離れた山裾からも、さっきまでの険しさは息を潜め、長閑な沿岸の景色。
やっと、全ての難所をクリアしたらしい。
 長かった。
…思えば、本当に長かった。
しかし、マジ楽しかった。
もう、おなかいっぱいだおー。

 間もなく、地図上で区間最後の隧道となるであろう一本が現われる。

よしっ、気合入れてぐぐるぜぇーー!!!

 ! ごぶぅ ぅ …


 最後の隧道は、ご覧の通り、もう閉じてました。

 ショボン…

 ここも海側を現道が切通で貫いていました。
しかし、なぜにこんなに厳重に封鎖されているのでしょうか?
空気穴すらないじゃないか!(←そんなものは必要ない)

 なんか、納得いかないなー。
楽しめないなー。
…。

 ヒトハネ隧道、昭和16年竣工、延長120.8m、だそうです。

ひとこと、名前コワッ!
 いよいよ、レポートも終わり。旅もおわり。
13:30
 何事にも、最後の難関というのがありまして、この200kmを越える旅路のそれは、岩ケ崎の上りでした。
この岬を登って越えたら、そこはもう村上市街。
下って降りて、もうそこは終着だ。
しかし、この登りがー! 今の俺には堪えるの。

 このカーブの先、あとはもう下り。

こうして、私の初めての新潟行きは終わったのでした。
秋田県本荘から、新潟県村上市まで。
流石に遠いというのが本音だが、初めての道ばっかり丸一日走れるのって、ホンと幸せ。
廃隧道もたらふく食ったし、山形も新潟もサイコー。



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