道路レポート  
秋田県主要地方道12号線 黒森峠と笹峠
2004.10.26


 

 県道大曲花巻線は、その名の通り秋田県大曲市と、岩手県花巻市とを結ぶ、全長90kmほどの主要地方道である。
その主要な中継地は、秋田県仙北郡六郷町、岩手県和賀郡沢内村などであるが、その路線のほとんどが、奥羽山脈の横断に費やされている。
路線全体が奥羽山脈とのバトルと言っても過言ではない、筋金入りの山岳路線だ。

峠は大きく分けて二つあり、一つは六郷町から県境を越えて湯田町に至る笹峠(海抜620m)と、沢内村から花巻市に至る中山峠(820m)である。
昭和43年に主要地方道に指定された当時は、この両方の峠が不通であり、ほとんど名前だけの県道だったが、平成12年になりやっと、中山峠に近代的なトンネルが開通し、夏期の往来が可能となった。
だが、笹峠については、平成16年現在でもまだ、未開通の不通区間となっている。

笹峠は県境でもあり、中山峠よりも標高は低いものの、脊梁越えである。
この道を初めて拓いたのは、旧六郷町長の畠山久左右衛門氏であり、明治16年に2000円余りの私費を投じて開通させたとされる。
当時は、荒川街道と呼ばれていたようだが、盛んに利用され、かの正岡子規もまた、明治26年にこの峠を越え、湯田温泉郷へと向かっている。

この峠の約10km南方に、国道107号線が僅か海抜300mの巣郷峠で県境を越えている現在では、険難な笹峠越えを敢えて開通させた意義を見いだすことは難しいが、当時はまだ国道の元となった平和街道もまた、白木峠という難所を抱えており、620mという笹峠も、秋田岩手県境部の奥羽山脈の中では比較的低い鞍部であると言える。
荒川街道の往来は、平和街道の整備が進むにつれ衰微し、昭和の車時代の到来と共に、表舞台から姿を消してしまったようである。


 なお、レポート中には、「六郷町」の名を使用していますが、平成16年11月1日より、六郷町は周辺町村との合併により113年の歴史を閉じます。
新町名は「美郷町」です。



秋田県仙北郡六郷町六郷 
2004.10.7 5:04


 この日の朝は、通常よりも早い出発をした。
私の目的は、笹峠の現状を解明することである。
笹峠の前後の区間では、県道を新設する工事が行われているはずで、この工事はもう十数年も続いているものだが、とにかく、工事が始まる前に工事区間を突破せねばならないと考えた。
そのためには、おそくとも午前7時までに、工事区間の入り口にたどりつきたい。

まだ未明であるが、私は密やかに県道12号線の起点に立った。
正確には、起点は大曲市内であるが、そこからこの六郷町六郷までは、国道13号線や県道11号線に重複している。



 古い街並みの六郷町は、湧水の町として知られている。
町内の至る所に、清水の湧く泉があり、それらは町民の生活に深く馴染んでいる。
これらの清水は、六郷町の町域全体が、奥羽山脈から流れ出す沢の複合扇状地上にあることに由来する。
県道12号線もまた、一面の田圃と点在する集落を繋ぎながら、扇状地を遡って山に近づいていく。
進むにつれ、急速に山並みの輪郭が赤みを増し、朝を準備し始める。
しかし、さらに近づくと、今度は深い朝霧に閉ざされ、山は見えなくなった。

県道の入り口から約6kmで、写真の九十九折りが現れる。
ここから先が、峠の道である。


 短い九十九折りを越えると、右には潟尻ダムが現れる。
これは、1963年に完成した灌漑用のダムである。
この日は水量が少なく、通常は湖底となる部分に、いくつもの立ち枯れ木が見えていた。

 5時42分、ダムの上端付近で、県道は何の前触れもなく1車線となる。
ここまでも、数個の県道標識が立っていたし、青看もあったが、青看の行き先は「町民の森」などとなっていた。
この道が、湯田まで繋がるようになれば、書き換えられるのだろうが、いまは袋小路の寂れた県道そのものである。

この辺りで、海抜は200mほど。
笹峠まではまだかなり距離があるが、笹峠の前に、実はもう一つの峠が待ち受けている。
その名は、黒森峠。

笹峠とは、開通の由来も同じ、双子の兄弟である。



 一車線になった途端に、道の規格も明らかに変化する。
勾配が増し、カーブもキツい。
それでも、しっかりと舗装はされており、無理な県道というわけでもない。
このまま、あと7km程登ると黒森峠になるのだが、流石に広大な仙北平野から迫り上がる山脈を真っ正面から登るだけあって、登りは容赦ないし、景色の変化も早い。

辛いけど、山チャリ的に面白い道という印象だ。



 さっきの写真には、秋田県ではお馴染みの県道距離標の「11km」が、そして今度の写真は「10km」が写っている。
ダムの先で1車線になった地点には「12km」があった。
どうやら、この距離標は県境までの距離であるっぽい。
すなわち、目的の笹峠が、おそらく「0km」だ。

秋田県で設置した、県道の距離標だけに、秋田県の果てが0kmポストなのだろう。



 6時12分、潟尻ダムから4km地点の潟尻沼に着く。
ここは、沼を中心にした歩道が整備されており、町民の森と呼ばれている。

この潟尻沼、海抜450m程の場所にあり、立地的には自然の沼のようだが、実は人工池である。
しかも、その歴史はめちゃくちゃ古く、江戸初期慶安元年(1648年)に遡る。
麓一帯の灌漑の為に七滝用水が建設されたのだが、その端緒となったのが、この潟尻沼だという。
もちろん、現在の形は大分異なるのだろうが、既に350年以上も昔から、この地に大規模な土木工事が存在したのだ。
感慨深いものがある。



 沼を過ぎると、さらに勾配は厳しさを増す。
黒森峠の現在の車道は、先に述べた畠山翁の築いたものではなく、大体位置は近いが、別ルートである。
いつ頃にこの車道が建設されたのかは不明であるが、林道として昭和初期には建設されていたきらいがある。
舗装は、おそらく平成に入ってからのことだろう。

この写真の道路擁壁だが、変わった造りをしている。
しかも、かなり傷んでおり、この擁壁自体が危険物な気がする。



 メーンの支柱が撓っている。
これはコンクリであり、撓って良い訳がない。
一帯は県下有数の豪雪地であり、冬季は積雪深5mを超えることもある。
道路構造上の弱い部分を悉く、雪圧が砕くのだ。



 潟尻沼より先には、いくつもの九十九折りが連なる。
そうして、一気に高度を稼ぐのだ。

県道の南に聳えるご覧の山が、峠の名の元となった黒森山だ。
条件が良ければ、山頂から遠く男鹿半島まで望むことが出来るという。
六郷町民歌にも謳われた、郷土の山である。


展望台へ
6:24

 絶景である。

仙北平野を絹のような朝霧が覆い隠している。
その様は、闃然たる湖面の如きだ。
そして、島のように浮かぶのは、平野の向こうを成す山々である。

写真は、出羽丘陵の末端である神宮寺山から姫神山へと連なる連山。
他にも、太平山が壁のように秋田市方向に立ち上がっていたし、微かな陰影としてだが、鳥海山の端正なシルエットも見ることが出来た。

この景色は、特別な展望地から見たものではない。
ガードレールの向こうが、そのままこの景色なのだ。
奥羽山脈に対し、出羽丘陵から登る道は、いずれも絶景を堪能できるが、この県道もまた、例外ではない。



 二つ前の写真と良く似た景色。
しかし、キロポストの文字はまた一つ減算され、「8」となった。

九十九折りが続くので、景色も規則的に似たものが現れる。
峠を走ることが好きな人には、その足がチャリであれ、車であれ、かなり喜んでもらえる道だと思う。
舗装されているし、通行量も非常に少なく、ドライブを堪能できるだろう。

まあ、チャリだと、それなりに汗はかいてもらうが。


 午前6時33分、麓の潟尻ダムから約6km地点の、黒森山展望台である。
ここには、高台に展望台としての東屋が設けられており、またトイレもある。
走り屋さん達もここを根城にしているのか、無数のタイヤ痕がうねっている。
延々1,5車線のこの峠を攻めるなんて、命知らずだなー。
この駐車場の片隅には、こんな文字の刻まれた質素な木柱が立っている。

 「大曲-花巻線歩く会 六郷町登山協会設立 二〇周年記念碑」

…歩く…20年。

年季の入った不通県道ではあるが、歩きならば突破できる道ということも示している。
少し安心したような、引っ込みが付かなくなりそうな、微妙な心境である。

分かりますよね。この気持ち。
同業者さんなら。


 わざわざ急な石段を十数段登って東屋に行かなくても、ガードレール越しの景色は相変わらず素晴らしい。

足元の濃い緑の中に、薄い緑の一画があるが、それは先ほど過ぎた、潟尻沼である。

車道からの景色なのに、しーんと静まりかえっている。
朝の山の空気を独り占めだ。




黒森峠 そしてその先へ
6:50

 展望台の先も、また九十九折りだ。
勾配は中腹に比べて安定しており、体も慣れてきているので、さして辛くはない。
体に溜まった熱を、朝の冷気がどんどん奪ってくれるのも好都合だ。
アスファルトにありがちな、熱射地獄が無いのは、大変に助かる。

そして、峠まで1km程の地点で現れたのが、この看板。
ここまで一度たりとも工事車両などに会わなかったし、まあ、工事に遭わないようにと未明に発ったのではあるが、ともかく事前情報として工事中だと言うことは聞いていたけれども、現地での具体的な通行止情報はこれが初めてである。

予想済みとはいえ、ショックではある。

山チャリストを最も駆り立てる挑発台詞ナンバーワンが、その締めくくりである。

「この先は行き止まりです。」

なんぼのもんじゃい!



 いよいよスパンの短い九十九折りが現れると、峠間近だ。

路傍に嫋やかなススキの穂が揺れる様は、紅葉以上に私の愛する秋の景色なのである。

幸せだニャー。



 午前6時43分、ダムから7km地点の黒森峠だ。
海抜は約650mで、僅かに笹峠よりも高いように思われる。
峠はちょうど、黒森山や御嶽山への分岐になっており、登山道入り口の小さな鳥居が見下ろす、切り通しだ。

この先、これまで以上の細やかな九十九折りで、一挙に150m近く海抜を落とす。
下りきった先は、黒森山と笹峠を繋ぐ稜線上の鞍部になっており、六郷町と沢内村の行政界にも重なる。
黒森峠と笹峠は、直線上で約4kmの距離がある。
県道は、黒森峠と笹峠の中間付近の最低地鞍部まで、一般車の往来を許す。





 峠の東側斜面の九十九折りは非情に厳しいもので、勾配もきついし、見通しも悪い。
しかも、この時間はちょうど朝日が笹峠の向こうに昇ってきており、眩しい。
日に向かって下っていくような、一種異様な感覚に酔いしれるも、下りの急さ故、ブレーキを握る手の感触がその恍惚を許さない。

というか、私のブレーキはどうしていつもこんなに利きが悪いのだろう。
そう言えば、ブレーキパッドから火花が散ったことがある。
あんまりすり減らしていて、基部の金属とリムが接触したのであった。
今はそれほど減ってはいないはずだが、異常に利きが悪い。
速度の乗った下りではとても制動できず、写真どころではなかった。




 峠からの激しい九十九折りの下り坂は、約1500mで打ち止めとなる。
地図で改めて数えてみたら、ヘアピンカーブががこの間に8つもあった。
そして、この下りの珍しいところは、稜線上が行政界なのは先にも言ったとおりだが、九十九折りがちょうど行政界と幾度と無くぶつかっていることだ。
大縮尺の地図で見ると、この1.5km間で、道は六郷町と沢内村を7度行き来している。 七回ですよ。 言うまでもなく、九十九折りの南側は沢内村、北側は六郷町という風に、行ったり来たりするのだ。

お金は無駄だけど、ここに沢山の境界標識を置いてくれたら、秋田の誇る道路特異点になったのになー。

それはさておき、写真は鞍部上の景色。
道の左側が六郷町へと落ちる湯田沢の斜面で、右側は沢内村に落ちる黒森沢だ。
そして正面の山が笹峠である。
笹峠は、鞍部ではなく、むしろ山越えだ。



分岐閉鎖
6:50

 黒森峠から2km地点、舗装路は稜線を右へと反れて一気に沢内村大松川地区への下りへ入る。
しかし、県道はそっちではない。
下っていくのは、今や全線舗装も間近の大松川林道であり、現時点では県道の代わりの重要な路線となっている。

私は、この分岐を直進し、未踏の笹峠に挑みたい。
大松川林道へと下ったことはかつてあった。4年前の当時はまだ、工事中と言われればそれに素直に従った。
だが、今回は確信犯的に策を弄してきた。
すなわち、工事が始まる前に、突入である。

これで、お咎めナッシング!!

果たして、そう上手くいくかは、やってみてのお楽しみー。

(今さらですが、このような行為は道路法第46条に違反します。自己責任でも、リスキーなので、覚悟して!)


 さて、周りをひとしきり伺って、誰もいないことを確認の上、進入である。
そう言えば、集落を離れて以来、ただの一度も人にも車にも会わなかったな。
なんて寂しい県道だろう。
そして、この奥にも、槌音は感じられない。
まだ、工事が始まる時間では無さそうだ。

無事、ゲートを突破し、砂利道に入ります。



 私の地図では、分岐から1.5kmほどは県道が描かれているが、その先は点線である。
点線は、「工事中」の二重点線ではなく、「歩道その他の道路」の単点線である。
そのような点線区間は、笹峠の秋田県側に2.5kmほど、岩手県側にも1kmほどある。
すなわち、予想される未開通区間は、約3.5kmだ。
この区間が、どのようになっているかが、そのまま、私の笹峠突破の鍵を握っている。
或いは、既に路盤工事は終わって、意外に楽に通り抜けられるかも知れないし。

まだ、分からない。
いまは緩やかな砂利道が、トロトロと登っている。
砂利の合間にポヨポヨと草が生え、建設から結構経っている雰囲気だ。




 久々に意識して見つけたキロポストだった。
路傍の草むらに埋もれかかっていたが、結果的に、これが秋田県内で見た最後のキロポストであった。
まだ未供用の県道にも設置してあるのが、少し意外だった。



 さらに進むと、路肩が大きく欠落していた。
しかし、山側に迂回路が造られ、通行できる。
初めは草が砂利の合間に見えたりしていたが、進むほどに、砂利も真新しくなり、今に重機でも現れそうなムードになってきた。

さっきから、盛んに背後と、時計を気にしてしまう。

もし今、工事のおっちゃんに発見されたら、言い逃れ不能だな。
そして、即追放だろうな…。
現在時刻6時54分。

何時から工事が始まるのだろう…。



 笹峠の西側は、どこも緩やかな斜面に見える。
県道も、ゆったりとしたカーブを描きながら、稜線に沿って登っている。

ひとしきり進んで振り返ると、さっきの崩壊地のブルーシートが、目立っていた。
その向こうに見える頂は、黒森山に他ならない。
その山頂近くにまで、先ほど勢いよく下った九十九折りが見えている。

また、ここからは南の大松川方向の景色も良く開けている。
奥羽山脈の山懐にありながら、この県道12号線は眺望のよい場所を選んで走っているかのようだ。
県道が開通すれば、それなりに人気のドライブコースになることが、予想できる。



 砂利の上には、真新しい轍が残る。
おそらくは、工事関係者のものだろう。

県道は、500m、1kmと、順調に距離を稼いでいる。
分岐時点で笹峠の方に二つ見えていた頂のうち、手前の頂が眼前に迫った。
奥の頂が笹峠なのだが、今は見えなくなった。

まずは、この峰を巻いて、峠を目指すのだろう。
なんとなく、道筋が頭に浮かんだりもしたが、その浮かんだ道筋を眼前の山肌に見つけることは出来なかった。

もしや、そろそろ…。



 路肩には、真新しい側溝が設置されている。
所々に現れる、工事用の木札。
あからさまに、作ったばかり、或いは造り途中の道らしい景色になってきた。
そして、現れた大量の砂利の山。

カーブを曲がれば、そこに飯場があったりしそうなムード。
相変わらず誰にも会わなかったのは幸運だったが、車道の終点が強く予感される展開である。

これだけ鮮明な、そして近代的な道が割り込んでいるだけに、峠に至る古い荒川街道の道筋を見つけられるだろうかという懸念があった。
もしかしたら、この何の変哲もない法面の上に、その道が分かれているのかも知れないし、このまま終点まで行っても、先へと進む手立てがなかったら、すごい素っ気ない終わりになっちゃいそう。
かといって、車が通ったこともないだろう街道を、この広大な山中に見つける自信はない。

頼むから、車道終点からすんなりと、旧街道に繋がっていて欲しい。
かなり得難い、贅沢な願いな気は、したけど。



 カーブの先にも、道は続いていた。
登りが。

しかし、いよいよ建設途中の道だ。
もう、先は見えた気がした。


 ドキドキ。 
   ドキドキ。


 分岐点から1700mほどで、遂に建設途中らしい道は、終わった。

その終わり方を見るに、今は工事が止まっている雰囲気。
とりあえずはここまで作って、後は次期工事を待っているのだろう。

さて、どんな終わり方をしているのか。
それが重要だ。 果たして、峠への道筋は、見つけられるだろうか。

 


 午前7時3分、県道終点。

盛り土は唐突に終わっており、嫌ーなムード。

上下段二段に道が分かれるような形で終息しており、上段はあからさまに藪でドボン。
下だけが頼りだが、あの先端まで行くと景色はすごく良さそうな感じはするが、それで終わりっぽい。

少しだけ期待していたんだけど、「峠はこっち」というような立て札とかがないし、先へと続くような足跡もない。
この様子だと、「大曲-花巻線を歩く会」の活動は、最近どうなっているのか、余計な心配をしてしまう。

とにかく、その見えている先端へ行くしかない。
チャリごと、土の上に踏み出す。




 うおっ!

これは僥倖!!

道だ!
終点の先にも、いかにも踏み固められたっぽい道が続いている。
これなのか?!

これが、不通県道の道なのか!



次回、チャレンジ笹峠!






その2へ

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