前代未聞の急勾配でヨッキれんの足をガクガクにしてしまった寄り道から、辛うじて生還。
引き続き、旧道の探索を続ける。
その4では、一気に峠まで攻略するぞ。
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仙岩峠の旧道の秋田県側は、大きく分けると2つの部分に分けられると思う。 田沢湖町の市街地から、六枚沢沿いを九十九折で一気に上り詰める、急峻なここまでの区間。 そして、稜線直下の懸崖に沿って少しずつ県境の主稜線に上り詰めてゆく、この先の区間である。 本当に景色が、がらりと変化する。 この観湖台からは、その名の通り、水鏡のような田沢湖を見渡すことができる。 田沢湖は、外輪山に囲まれており、実は外輪山の外側から湖面を見渡せる場所は、そう多くない。 自動車でたどり着けるような場所となると、なおさらであり、多分この仙岩旧道がかつて、余り知られていない事実だが、『南八幡平パークライン』という愛称までつけられた「観光道路」でもあったことも頷けよう。 それほどまでに、立派な景色である。 | |
またここにはかつて、現在は湖山橋の袂にある、「峠の茶屋」が営業していたらしい。 現在でも、ひとつの廃屋が残る。 |
いよいよ、峠までの長い長い稜線伝いのみちが始まる。 ここに来て、この道に意外な変化が起きていることに気がついた。 それは、この写真にも現れている。 ひとつ、アスファルトに、何かを埋め込んだような工事の跡ができている。 そして、道に散乱していた土砂や、岩石隗が著しく減っている! 前回(99年だった)来た時や、他のサイトで見た景色と比べて、その違いは一目瞭然であった。 廃道となる定めに、ただただその身を任せているだけと思われていたこの道に、この期に及んで、まさか『道路工事』の手が及ぶとはっ! 正直驚いたと同時に、嬉しくもあった。 それは別に、走りやすくなっていたからというのではなしに、…この道は、余りに不幸であったと思ってたから。 奥羽山脈縦貫の使命を受け、突貫工事の果てに、遂に生み出された道であったはずだ。 しかし、その道路生命は、わずかに十数年に過ぎなかったのだ。 さまざまな事情があったと言われるが、これ程の巨費を投じてまったく新規に開削された延長10Km以上の道が、このように放置されている例は少ないはずだ。 第二の人生があってもよかったはずだ。 われわれのような、好き者に愛でられるだけでは…気の毒では無かったか…? …そう思ってきた。 その道に、なんかしら、現実的な価値が見出されたからこその、この工事であるはずだから、嬉しかったのだ。 |
これは現役の道といっても通用するほどに、状況は改善されていた。 道路には、後ほどわかったことだが、光ケーブルを埋め込んだようだ。 もしこの「IT事業」がなければ、この道の破壊が更に進んでいたと思うと、…交通量の増加と言った「近代化」の波を乗り越えられなかったこの道が、近代的(というか、現代的)な事業によって、延命されたのである。 この写真の、ずっと右端のほうに鞍部があるが、そこが仙岩峠である。 まだかなり距離があるのがお分かりいただけるであろう。 それにしても、景色がすばらしく、疲れを感じにくい。 だから仙岩旧道って、スキ。 |
この一帯から、右の方を見下ろすと、JR田沢湖線の鉄路が見渡せる。 写真では丁度秋田行きの秋田新幹線こまちが映っている。 緑色のスノーシェードがいくつも見えるが、奥の方はそのまま仙岩トンネルへとつながっていく。 |
このあたりは、前回来たとき、道の半分近くが崩れ落ちた土砂で埋まっていた。 今回は、写真でもその跡が目立っている道路工事のために、ほとんど除去されており、走りやすかった。 それでも、激しく波打つ路面や、押しつぶされたガードレールが豪雪地帯であることを感じさせる。 この道の通年交通の確保は、絶望的であったろうな。 |
この峠道で、最大の見所が、この「空中回廊」である。 すこし、オーバーな言い方かもしれないが、標高800mを越えた、目を見張らんばかりの断崖地帯には、ふさわしいと思い、私はこう呼んでいる。 峠のある尾根の直下は高低差200m以上の直角に近い崖であり、この場所にかつての国道が張り付いている。 コンクリの吹きつけは長年の風雪の影響からか、無残にもはがれ落ち、落石は道路の半分近くを埋めている。 (それでも、今回はだいぶ状況が改善されていたが。) それ以上に圧巻なのが、路肩側である。 この直角の崖には、ガードレールがないのだ!! さすがに、現役時代は、多分何かしら墜落対策がなされていたとは思うのだが…。 「空中回廊」と呼びたい理由のひとつが、この墜落の恐怖である! |
恐怖の空中回廊を抜けると、峠は近い。 丁度この仙岩峠のある一帯は、秋田と盛岡を結ぶ盛秋幹線の通り道に当たる。 実は盛秋幹線とはこの写真にも写っている、鉄塔のことなのだが。 この盛秋幹線だけでなく、多くの電線がこの付近で山脈を越え東西を結んでおり、これらの保守用に、旧道は利用され続けてゆくだろうと思う。 路面上の右のほうに、黒いマンホールの蓋が写っているのがお分かりだろうか? このマンホールこそが、最近旧道を掘り返して行われた工事の賜物である。 こんなところに何のマンホールかと思えば、…。 | |
『情報』である。 |
やっとこさ来ました、仙岩峠。 海抜約830m。 一年のうち半分を雪の下に眠る、奥羽山脈脊梁越えである。 この場所には、見所も多い。 まずは…。 | |
旧道マニアなら、まずはこれでしょう。(笑) すでに、そのみちでは名所にもなっている(?)旧標識ですな。 | |
立派な開通記念碑。 当時の建設大臣の直筆ですよーー! すごい期待を背負っていた道なのだと、実感できる。 ほかの場所では、なかなか見られない、高さ3mを越えるような、巨碑である。 | |
そして、この「南八幡平パークライン」としての最大の見所が、この山上の湖「ヒヤ潟」である。 八幡平や、秋田駒ケ岳、岩手山といった、八幡平火山帯に属する山々の山頂部にはお決まりともいえる、お花畑や湿原といった地形が、標高1000mには満たないこの場所でも見られる。 規模は大きくは無いのだが、観光資源としては、十分なものと思う。 しかし、前後の道は完全に封鎖され、意図的と思えるほどに、この一帯についての案内は少ない。 それだけに、この美しい景色は独り占め感が強く、ことのほか、満足できる。 | |
道に戻って、今来た方向をみると、どこにでも良くあるような「工事案内板」を発見。 観湖台付近から延々と道路に埋められていたのは、光ケーブルだったのね。 マンホールに彫られた『情報』の文字の意味もこれで判明。 私は考えた、 かつて、人や馬が通った峠道を、それらの代わりに、通うものがある。 無数の電線が天空を渡っていた。 そして今まさに、0と1の羅列が、光の速度で地下を通わんとしていた。 日夜、年中無休で、この峠は利用されているのだ。 道路としては、“失敗作”であったろう…、が、今やこの峠道にあるものは、峠を人が通う代わりとなるに十分な価値を持ったものであった。 仙岩峠恐るべし! …である。 | |
第二の人生を歩んでいた、仙岩峠。 その探索は、更に続く。 |
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