国道46号旧旧道 仙岩峠(秋田側) 第3回

公開日 2006.12.29
探索日 2006.09.26

突如遭遇 ロストポイント

あやしい明るさ


AM 11:55

 現在地は、峠の茶屋から約3km、明治道の入口からだと1.7kmの地点。
いま感動的な堀割りを越えた2人の行く手に、夏真っ盛りのヤブが!
水戸黄門のエンディングテーマの如き展開!

 この先、峠まではさらに3km近い道のりが想定され、この薮の突破は不可欠である。
立ち止まっていると、例の黒い小虻に集られるので、熊になった心持ちで豪快に突入した。



 猛烈に深い薮は杉の植林地に入るまでの短い区間だったが、その先も決して状況は良くない。
平坦な部分は殆ど無く、倒木や枯れた枝、大量の夏草で足下を取られる。
気温は25℃を超えており、ほぼ無風状態下の藪漕ぎは非常に体力を消耗する。
立ち止まれば、たちどころに虫たちが寄ってくる。

 ここで心穏やかにいるのは難しい。



 そして、更に進むと再び道は消失してしまった。
厳密には、道はもうずっと前から消えたままだ。あの堀割りだって道ではなかった。
道は、そこを通る人がいるから道なのであり、道の形を僅かに留めていたとしても、既に造営者である人の支配下にないなら、それは自然地形の一部でしかないだろう。
そこを探しあて選んで歩くことで、道は道として復権するのである。
すこし大袈裟だけど、私はそう思う。

 私の目の前には、道の名残りを微かにとどめた斜面が、どこまでも続いていた。



 ルートをロストしてしまった。
杉林の中にいたときには、確かにその痕跡はあったし、その直前の堀割りは、もちろん明治道だったろう。
となると、いままさにこの斜面で道とはぐれたのだと考えられるが、斜面は一様に傾斜しており、困ってしまった。

 だが、どうやらここで細々と道探しをすることに、あまり意味はないようだ…。
というのも、我々のいる斜面のすぐ先は、木々の一本も生えずに日光が燦々と降り注ぐ一角だった。
それは大規模な土砂崩れの跡らしく、ここで道を見失ったのも失敗などではなく、必然のようだった。
地形自体が、すでに大きく変化してしまっていたのだ。




 パーフェクトロスト

<1.7km地点>12:09

 近付いてみて事の重大さを思い知ると同時に、その光景に我が目を疑った。
海抜800mも近い山腹にて、明治道は完全に絶たれてしまった。
眼前には、痩せた砂礫地にススキが生える急斜面が広がっていた。
この先の道は正面のお盆型の山の中腹を右に迂回し、その裏手の堀木沢筋へと下るという読みだったが、この斜面を突破しなければ先へ進めない。。

 木が生えていないというのが、一番問題だった。
これまでも道の落ちた斜面を渡ったことは何度もあるが、頼れる手掛かりや足掛かりがあってのことだった。



 見下ろしてみても、または見上げてみても、有効な迂回路は見いだせなかった。
下に迂回するのは、這い蹲って進む覚悟があればあるいは可能とも思えたが、それもどこまで迂回すればいいかは分からず、どうせ危険を冒すなら正面突破を狙っても変わらないのではないか。

 少し遅れて後に到着したトリ氏。
流石に困ったという表情。
意外に負けん気の強いトリ氏のこと、「進めない」とは口にしないが、結局は私の決断一つといったムードだ。

 彼女はまだ経験が浅い。
ここは、確かに私が決断するべき場面だ。


  う む …





   今回は、女性もメンバーにいることだし……












 俺は、GOだ!

「 トリ氏。
 もし自分には行けないと思うなら、
  ここで引き返して欲しい。 」

非情のようだが、スタンドプレーの集合が山行が合調のポリシー。
それは、探索前にも説明済みである。
行けると思うなら行き、ついて来れないと思うならいつでも引き返す。
(無論、相談はして欲しいが)

 そして、トリ氏の選択もまた、 GO!



 GO!GO! が発令された我々は、慎重にススキの斜面に進み出た。
初めのうち20mほどは傾斜も45度より緩く、余裕だった。
だが、そこを過ぎると傾斜は一段と厳しくなった。
もはや手掛かり無しでは滑り落ちる危険が高く、しかも腕の方はススキをたくさん握っていればそれなりに安定するとしても、草地ゆえ足を留めておける場所がないのが辛かった。

 どこからも、誰の目も届かない、深山の一角。
思いがけず遭遇した日向の斜面にて、2人は苦闘した。
後続のトリ氏を頻繁に振り返り、必要あれば手を貸そうと思ったが、むしろ狭い足場で2人の行動が交錯することの方が危険であった。
彼女もほぼ独力で、ススキの斜面を前進していた。

 しかも、行く手には予定外の岩場が!



 最初に見た印象よりも、遙かに嫌らしい斜面だった。
ススキが茂る斜面がずっと続いているのだと思っていたが、実は中程から先は岩場なのだった。
一歩一歩確かめながら、確実に前進。

 この写真だと、そんなに危機的に見えないかも知れないが……

 私のいる地点から下を覗き込んでみると……




 かなーり、 怖い事になっています。


 …下、迂回した方がよかったのかも……。




 そうそう… 

着実に 一歩ずつ 一歩ずつね……


正直、自分が歩いているのより、他人が歩いているのを見ている方が辛かった。
なんか、背中がむず痒くなった。




 よし! 岩場は越えたぞ。

あともう少しで、森へ抜けられそうだ。

あの森の中にちゃんと道があるかどうかは、まだ、分からないが……。


頼むぞ〜。
もう、戻れないかもだぞ、これは。



 森の縁まで辿り着いた。
汗だくなのは元々だが、嫌な汗もプラスされた。
だが、どうにかここまで来た。
酷い道だ。
いや…、道なんてもんじゃなかった…。

だが、まだ予断は許さない。
見てくれよ…この崖。 酷い仕打ちだよ。
これを登れと言うのか。
確かに、ススキの斜面に入るときも少し下ったし、元々の道がずっと変わらぬ高さにあったのだとしたら、このくらいは登り直させられるのも頷けるが…。
本当にこの上は道なのか。
違かったら、最悪だ。
というか、ここまで来て道を見つけられなかったら、悲惨すぎる。

 まだ背後のススキと格闘しているトリ氏を尻目に、私は祈るような気持ちで、よじ登った。



 やったー!

 ほーーー… 助かったーーー…

そこに平場の存在を確認すると、私はすぐに、崖下で休んでいるトリ氏へ向かって「道あるー!」と叫んだ。
少し迂回しつつ、トリ氏も平場へ登って来た。
我々は、どうにかこうにか、最大の難所を突破したのだった。
斜面との格闘は22分にも及んだ。



 私は、このわざとらしいような平場を見て、思った。

  これは、お決まりの罠なのだ  …と。

我々オブローダーを誘う、危険で甘い誘惑。

そして重要なことは、私がいまだかつて一度もこの類の罠を見抜けなかったということだ。
いや、見抜けていてもその懐へ飛び込まないわけにはいかないのだ。


 ここでは、少し休息を取った。
虫が集ってくるのも構わず、体の熱が引くのを待った。
崖に面しているためかここにはときおりそよ風があって、我々をなだめてくれた。

 写真は、振り返って撮影した、崖際の道ロスト地点。
高さ50m以上幅50m以上にわたって、地表にあった全てを巻き込みつつ崩壊したのだろう。
完全に道は寸断されており、もう二度と通る者もないことだろう。







 やっぱり、罠だったよ(涙)。
数分後再出発した我々は、10歩も行かぬうちに現実を知った。
再び道は斜面と同化の度を深め、今度は沢の一部となってしまいそうだった。
行く手には、やはり水の殆ど枯れた、妙に明るい沢が近付いてきた。
これも渡っていくのだろうか。
橋はあるのか?

 写真右は振り返って写す。
道が鮮明にあったのは、命からがら辿り着いた奧の尾根から、この沢の手前までの5mくらいだった。
それでも、我々に与えた安心感は小さくなかった。
まずはともかく、ちゃんと道を辿り続けていられたことは分かったのだから。
逆にもし、この僅か5mの道跡が見つけられなかったとしたら、不安に負けて引き返していた可能性も否定できないくらいだ。




橋は再び無かった。

だが、ここに橋が架かっていたという確証だけは得られた。
これは、桂巣沢よりも大きな成果である。

緑に覆われながらも、その白い石積みの一部を垣間見せた橋台跡。
それは対岸にのみ存在し、此岸には何の跡もない。

苦労の末に発見したという贔屓目は避けられそうもないけれど、

その満足感は計り知れなかった。