道路レポート  
仙岩国道 工事用道路 その5
2004.4.18



大平沢橋から山紫工事用道路へ
2003.11.14 9:39


 前回は、大平トンネルに発見した横穴が、外部へと通じていることを突き止めた。
しかし、その先に進む道はなく、トンネルに戻り、先へと進むことにした。
大平トンネルを出れば、そこは大平沢橋。
現前には、仙岩トンネルが現れる。
そして、目指す山紫工事用道路は、ここが起点だ。



 今回紹介するのは、左の図の白い囲いの部分である。
すなわち、大平沢橋から、大平トンネルを迂回するように大平沢沿いを山紫橋まで戻る区間だ。

それでは、ご覧頂こう。
なお、今回の探索は全て、徒歩による物ものである。

 大きく右にカーブする大平沢橋と、その先のスノーシェード、そして仙岩トンネル坑口だ。
昭和52年に開通して以来、未だに秋田と盛岡を結ぶ殆ど唯一無二の道である。
同年代に開通した主要な峠では、最近になって次世代の道の建設が始まっている場所も少なくない。
この仙岩峠も、将来的には地域高規格道路「盛岡秋田道路」に一部となる計画だが、現在の所仙岩峠の工事が始まっているという話は聞かない。工事の緊急性が低いのだと思う。
現在の道が既に、充分に先進的な道なのだ。
お世辞じゃなくて、走ってみれば分かる。
この道が、周囲の景色の急峻さと比較して、どれだけ絶妙な線形で、峠を貫いているかを。

秋田県で、最も美しい道をもし選べるなら。
…機能的に洗練された美という点で、私はこの仙岩峠(現道)をチョイスしたい。


 地上から30m以上も離れた空中を進む大平沢橋だが、下を覗き込めば足がすくむだけではなくて、不自然な地形が目に入ってくる。
流れる水は大平沢だが、その斜面は、どう見ても自然の物ではない。
見慣れたコンクリート吹き付けの壁ではないか。

実は、この谷底こそが、山紫工事用道路の始まりなのである。
今は美しい玉石の河原だが、かつてはそこをダンプが往来していたのだ。





 反対車線側から川下を見下ろせば、広い河原を蛇行する美しい流れがある。
そして、やはりその一部はコンクリートで不自然に固められている。

この場所は生保内沢の谷底からは100m以上も高い位置にあり、一見穏やかそうな大平沢も、視界の向こうで滝のような急流となり注いでいる。
いわば、この景色は嵐の前の静けさ。
偽りの、平穏だ。

その事実は、実際に工事用道路へと降りた者であれば、誰もが理解するだろう。


 大平沢橋、仙岩トンネル側の袂から谷底を見下ろすと、そこには道の跡らしい物がある。
しかし、それは余りにも急な斜面であり、とても工事車両どころか、自動車が通れるような角度には見えない。

このあと、私はこの踏み跡を伝い、谷底へと降りることになる。
 

 間近から見る仙岩トンネル坑門。
車道は、右のスノーシェードの中を通っている。
さすがに元一級国道であり、ひっきりなしに往来がある。
この2544mのトンネルを越えれば、そこは岩手県雫石町となる。
このような、県の極まれる地に徒歩で居る私の姿は、ドライバー達には奇異なものと写ったことだろう。
歩道もない仙岩峠を歩くなど。



 片隅には幾つかの記念碑が佇んでいた。

「仙岩新道」という呼び名は、いかにも古くさくて、むしろカッコいい。



 さて、峠のトンネルに背を向け、今度は工事用道路を使って、帰還を試みる。
山紫工事用道路は、最終的には生保内沢沿いの林道まで続いているはずである。
廃道なのは免れないだろうが、果たして歩くことが出来るか。
そして、忘れちゃならない、「当時の写真に写っているオリジナル警戒標識」達に出会えるだろうか?
というか、むしろ積極的に出会いたい!

大平沢橋の袂から、谷底へと踏み跡を伝って降りる。
この橋は車道としては珍しい「RCラーメン高架」という形状を含んでいる。
写真の部分がそれだ。

このつくり、どっかで見たような気が…。

そうだ! 新幹線だ。

 大平沢に降りてみると、実際は上から見る以上に険しい場所だ。
土砂の流出を防ぐためのブロックが川岸に幾つが置かれている。
そこが車道であったような痕跡は、もはは崖に吹き付けられたコンクリ以外に無い。
ただですら廃道なのに、川の浸食を直接受け続けたのだから、路面に痕跡を求めるのも無理がある。

長靴装備でないので、河を飛び石で何度も渡りながら、先へと進む。
暫くはこの様な河原を歩くことになる。


大平沢から山紫橋へ
9:49

 この脇は固められている。
たしかに、かつてここは車道だったのだろう。
いまは、清流が深く砂利を抉って流れているのみだ。

直上には、全長155mと長大な大平沢橋。
大型車が通る度、「カタン」「カタン」とテンポ良く、繋ぎ目を越える音が響いてくる。

見上げて思う。
凄い場所に、国道を通したものだ。
素直な驚きを覚えた。



 橋の下を潜り進むと間もなく、国道の喧騒は頭上の大平トンネルに呑み込まれ届かなくなる。
秋枯れのため視界がある程度確保できるものの、枯れ草は目線の高さまであり時期によっては歩けまい。



 そこからさらに歩けば、あっという間に景色は一変する。
砂防ダムの先の大平沢は殆ど滝のような流れで、あっという間に眼下遙かに消えていく。
切り立った崖に工事用道路だけが取り残される形となる。
一気に、全身に緊張感がみなぎる。
一歩踏み外せば死ねる道が、再び始まっているのだ。



 たしかに、かつて道があっただろう地形が、崖の一画に続いている。
しかし、至る所が決壊し、まともな幅が残っている場所は少ない。
残念ながら、標識はおろか、ガードレール一つ残ってはいない。

写真は、道の下に埋め込まれていたはずの通水管が、路肩と一緒に流出してしまった光景。
こういった部分からも、、適当な作業道ではなく、充分な規格を持った道が存在していたことが分かる。



 人が潜り込める以上の、巨大な土管である。

今は一滴の水も流れていない涸れ沢も、時にこれだけの流出を引き起こすほどに荒れ狂うのか。





 さらに進むと、さっき大平トンネルの中間付近で横穴から脱出した先の接合部が、まるで巨大な土管のように、山肌にへばりついているのを見た。
そこからは、コンクリの急な水路が工事用道路の方へと伸びて来ていた。
これを辿れば、戻れないことも無さそうだが、上からはこの存在に気が付けなかった。

写真からは、工事用道路と現道との位置関係が分かるだろう。



 じっくりと歩く分には変化に富んでいて楽しい工事用道路だが、徒歩以外の探索手段は考えられない状況といえば、その荒廃ぶりがお分かり頂けるだろう。

笹藪の向こうに、一段と強固な法面が見えてきた。
そして、視界が開けるとそこには。




 さっきはあんな頭上にあった現道がすぐ脇に迫っていたのだ。
これは、初めて見る大平トンネルの坑門の延伸部(スノーシェード)の横っ腹である。
問題は、工事用道路はこの巨大な現道に完全に押しつぶされ、行く手を失っていることだった。

進むにつれ、見る見るうちに崖とコンクリとの隙間は狭まり、あっという間にこれ以上進めなくなってしまった。
この現道を乗り越えねば、現道に合流することすら適わない。
実際の開口部は、まだ20mくらいは先にある。
さらに、その坑門はすでに山紫橋の橋上にあるのだ。
どうやっても、そこまで地面が続いていない。



 ご覧の通りだ。

ここは、残念ながら工事用道路のトレースを一旦諦め、急な雑木林の斜面を慎重に進み、迂回した。
大平トンネルから続く山紫橋の下を潜って、
やっと工事用道路へと戻れる …とおもいきや。




 ご覧の通り、山紫橋の下は急な斜面である。
ここを登っても、工事用道路の痕跡は消えたままだった。
現道の工事によって、地形が変わったらしい。




山紫橋の袂で、現道にやっと戻った。
ここから先にも工事用道路が続いており、いよいよ現道とはお別れとなる。
このまま、私がチャリを置き去りにしている生保内沢の谷底まで、降りていくからだ。

次回は、いよいよ最終回。

そして、感動の発見へ。






最終回へ

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