道路レポート  
国道283号線 仙人峠 最終回
2004.8.28

仙人隧道 釜石側坑口
2004.8.11 10:41


 仙人隧道の釜石側坑口の姿。

遠野側以上に、ゴテゴテと色々なものが取り付けられ、美観を損ねている。

上のような評価が一般的だろうが、私から見れば、老いてなお使命を全うせんと踏ん張る、イカした外見だと思う。
山形県金山町にある国道13号線主寝坂隧道に似通ったものがある。

刹那の静寂が戻った仙人隧道だったが、撮影している最中に、遠く反対側の坑門に突入してきた車の気配を音の変化で感じた。
この坑門に長居は出来ないようだ。



 坑門のすぐ傍に、一枚の看板が設置されていた。
びっしりと注意書きがしたためられているが、文字は小さく、とても走行中の車からは見えないだろう。
字体も古くさく、恐らく開通当時のものだと思う。
有料道路として開通を見た昭和34年当時には、通行量は一日270台前後だったと言うから、その気になれば坑門に車を止めて、注意書きを読む余裕もあっただろうか。
ちなみに、現在の通行量は、一日数千台はあると思われる。

なお、文中には「信号(トンネル内)」という文字が見えるが、かつては存在していたのか?

余談だが、昭和55年頃までは待避口だけではなくて、本坑も素堀だったとの情報も頂いた。
それが事実だとしたら、有料道路なのに素堀という前代未聞の隧道だったのだ。



 私は、全身にアツいものが駆けめぐるのを抑えられなかった。
これが、興奮という奴だ!
駆けめぐっているのは、ドーパミンに間違いない!

これほどに、私を刺激する素敵な景色は、そうはなかった。
私が恋い焦がれてきた、想像上の景色に、かなり近いものがあった。
おとぎの国のような和やかな遠野から、重工業の鉱山都市釜石へと、舞台が移り変わると同時に、周りの景色も一変したように思えた。
何よりも、道路上にある数々の標識が、この先のワンダーゾーンを十二分に予感させるではないか!!

もう、この先は私一人で興奮させてもらう。
これは、私の自慰的なレポで結構だ!

うーおーーー!
なにがそんなに良いのか分からないでしょ?!

最高じゃないか!
この標識の山。
ドライバーを蠱惑する、この標識の山!!



 脳と全身の孔という孔が直結し、脳内興奮物質がその孔という孔から垂れ流された。

そんな異常事態になった私の背後で、さらなる興奮の一瞬が繰り広げられた。
短いクラクションに振り返った私が見たもの、 それわ!


うおおーーーー!!

くっ 車が詰まっている!!
坑門に詰まっている!!!
無理もない。
坑門が、そのまま直角コーナーになっているのだ。
アウト側に広大な駐車スペースがあるが、ご覧の通りガードレールで頑丈に区分けされており、少しもはみ出しは出来ない。
もう少し道を広くすればいいのに、敢えてそうはしない。
そこが、釜石の漢らしさなのだ。

大型車同士が坑門の直角コーナーで詰まっている。
その景色の手前には、国道標識のおにぎりと、新道の建設を訴える看板。
まさに、現在の仙人峠を象徴する一枚が撮れたと思っている。
今回の、一番お気に入りの一枚である。



興奮の坩堝
10:51

 坑口をあとに、いよいよ釜石へのラスト20キロへと漕ぎ始める。
今回は、あまりの興奮で端折りそうになったが、坑口の前には道の両側に大きな駐車スペースがあり、それぞれ小さな噴水や、トイレ、宮沢賢治の歌碑、仙人トンネル開通の顕彰碑などが設置されており、休憩に適している。

直角コーナーの外側には、ご覧の景色。
眼下に見えるのは甲子谷の底を走る、往く道だ。
ほんの2km先は、あの高度なのだ。
当然、この先の勾配はすごいことになっている。




 やばい…
ふたたび全身が勃起状態に!!
下り始めると、国道らしからぬ10%近い急勾配が待ち受けていた。
しかも、その角度は緩まらず、断崖にへつるような蛇行を繰り返しつつ、一気に甲子谷に下りていく。

私を興奮させたのは、見たことのない「オレンジの標識」である。
イラストなどという手ぬるいものはなく、そのものズバリ

 『 急勾配 あと 5000M 』

うーーおーーー!!
漢!




 谷底を見ると、そこは一面ズリの斜面だった。
ズリというのは、鉱山で発生する、鉱石以外の要らない残土だ。
ズリに覆われた斜面にも、僅かだが植生が復活し始めていた。
国道の周囲は全てが鉱山の世界なのだと言うことを感じさせる、異様な光景だった。



 これを見て興奮しないのは、もはや道路好きとは言えない!

そんな暴言を吐きそうなほど、アツすぎる仙人峠。
特に釜石側下り。

トンネル坑口のある海抜560mと、仙人峠の釜石側起点である大橋地区海抜300mでは、直線距離が2kmしかない。
この間に車道を通すにあたり、極めて険しい地形に邪魔をされ、通常の九十九折りなどの線形では高度を稼げなかった。
そこで、全国でも数少ないループ道路が採用されたのである。
ループの採用により、延長4500mほどの登攀路が確保され、開通に至ったのである。

当時には、橋自体で大きなループを描く技術力もなかったのか、ご覧の通り、地上部を主体としたループとなっている。
橋の名は、仙人大橋という。



 ヘアピンカーブで甲子谷に下りる。
このカーブの先は、甲子川の転じた放水路に沿って、1km先の仙人大橋を目指す。
勾配はひととき緩む。

このヘアピンカーブのアウト側から上流へ延びる道は、仙人鉱山の施設に繋がっており、一般車侵入禁止だ。



 別アングルから、上の写真のヘアピンカーブ。

これまで国道のヘアピンカーブといえば、秋田県西木村と阿仁町を繋ぐ大覚野峠の大ヘアピンと、山形県金山町の国道13号線中田の大ヘアピンが印象的だったが、ここも良い線を行っている。
日本離れしたダイナミックなヘアピンカーブは、人をマッチョマンにする。
(馬鹿なことを書いているが、事実だ。)



 峠からも見えていた二つの落石覆いは、比較的新しい。
これを潜り抜けると、また勾配が増し始める。

チャリでのレポートは、上りでは、車ではまず気が付けないものまで見つけられるというメリット、低速ならではの特典があるが、下りに於いては、速度も出るし、カメラを構えるのは危ない。
とは言え、いちいち立ち止まっていたのでは、時間もロスするし、なにより、ストレスがたまってしまう。
チャリでのダウンヒルは、上りで蓄えたストレスを開放してグラウンドに持っていくための、大切な存在なのだ。
さらに言えば、走りっぱなし漕ぎっぱなしでは一日を走り通せないので、下りは動きながらにして休息を取れる、山行がに欠かせない時間なのである。

そして、私はいつも、よほどの発見のない限りはブレーキに手をかけず、片手をグリップから放し、その手でカメラをホールディングしながら下っている。
ファインダーを覗きながら走ると事故るので注意!(あたりまえだ) それ以前に、安全な運転をする義務を怠っていると、逮捕されるかも知れないので、注意!(注意しろよ自分!)



 反対車線のガードレールの向こうから、さっきまでそこに見えていた水路が消えていた。
代わりに、青々とした対岸の山肌が見えるようになる。

反対車線に寄って、崖下を覗いてみる。


そこには、さっきも見たようなヘアピンがあって、タイヤの軋みがいまにも聞こえてきそうな光景が繰り広げられていた。

言わずもがな、これは一段下の道。
ループ橋を下った先にある自分自身だ。
 


そして間もなく、
目の前の道は気でも触れたかのような直角のカーブで、
谷へと目がけ一直線!





 直角カーブの終わりには仙人大橋が待ちかまえている。
この橋で、甲子川水路と自分自身をまとめて一跨ぎにする。
橋は、仙人隧道に負けず劣らず、狭い。



 しかも、車が通る度にぐらぐらと、明らかに揺れる上に、
谷を渡る風も強い。

下を覗いても、背丈ほどもあるフェンスに視界を邪魔され、恐怖感はそれほど無い。
この橋の上に立ち止まっていると、チャリ一台でも邪魔なのがよーく感じられるから、もし景色が良くても長居しようとは思わないだろう。
大型車がすれ違えないので、写真でも、奥の直角カーブでバスが立ち往生している。
仙人峠は、国道としての型落ちも良いところなのだ。




 釜石側の袂もまた、鋭い直角カーブになっている。
振り返り橋を撮す。
フェンスが高いのは、自殺の名所などによく見られる景色だが、ここでは単純に跨道しているからだと思う。
わざわざここまで来て身を投げる人も無さそうだし…。



 さきほど上から見下ろしたヘアピンカーブから、下りを臨む。
この先が最後の大きな下りであり、私の脳内のドーパミンの再生産の速度よりも早く、めくるめく興奮の景色が現れた。

行ってみようかー。
興奮度、マキシマムステージ


 仙人大橋の下を潜るあたりから、続々と現れだす黄色い文字標識。
このかなり前から、度々「エンジンブレーキ使用」を訴える看板があったのだが、下りもいよいよ終盤となり、万が一ブレーキが効かなくなってしまった車輌の救済地が、この先設けられている。

最近では滅多にお目に掛からない、あの“砂坂”が、こんな場所にもあったとは?!




 殆ど連続シャッターのような状態で、車列から極端に遅くない速度で走りながら、撮影をしている。
だから、上の写真と左の写真は、写真のタイムスタンプを見ると18秒しかずれていない。
さきほど200m先と案内された砂坂が現れると同時に、、下りに入って何度目かの「急勾配9.5%エンジンブレーキ」の表示。
砂坂に突入していく車を見てみたかったが、そうそう居ないと思うのでスルー。




さらに18秒後には、この景色。

写真では読み取れないだろうが、奥の黄色看板には『急勾配あと2000M』とあった。

この先、まるでシケインのようなカーブが続く。
それに合わせ、黄色看板も『エンブレ』『急カーブあり』が交互に現れるようになる。
次々と目に飛び込んでくる標識達。
ドライバーを威嚇するかのように、警戒色の標識が出現しまくる!!





 さらに6秒後、この景色。
二カ所目の砂坂と、その直後に鉱山鉄道のガードを潜る。
ここは道が一段と狭まる上に、ガードを潜ったその先が、再びシケインと、トンネルだ!

なんて、面白い峠なんだ!
失禁やむなし。





 トンネルは、短い。
しかし、なかなかの年代物である。
竣工は、昭和34年6月。




 名前は、中出隧道




なに笑ってる!そこ!

何にも可笑しくないだろう。
なかだし隧道だ。
なにか、可笑しいのか?!






 中出隧道は、一応隧道の形をしているが、地山はほとんど無い。
延長も28m(『山形の廃道』様「隧道リストより」)と、立派な姿の割りに超短小だ。
おそらくこの隧道が切り通しにされなかった理由は一つ、
この僅かな地山の上にも鉱山鉄道が通っている為だと思う。




 いよいよファイナルゾーンだ。

中出隧道直後のS字カーブ。
その出口はブラインドカーブになっており、まあ並んでいること。
標識の山、山、山さ行がねがー!


なお、道路外に見える建物は、いまは殆ど廃墟状態の釜石鉱山の選鉱場。
奥の“ありえないような“壁は、谷を堰き止めて作られた堆積場の堤防だ。
釜石鉱山の景色は、日本有数の金属鉱山だけあって、常軌を逸している。
日常生活とはあまりにかけ離れた景観が、各所に点在しているのだ。

その辺の詳細はお伝えしきれないが、すこしは『釜石レポ三部作#3』でつまびらかにしたいとは思う。



 <excitement>ああ、標識に囲まれて昇天しそうなほどに萌える。</excitement>

変なタグが文字列を囲んでいるように見えるかも知れないが、それは貴方の興奮度が足りない証拠だ。
このタグがちゃんと“興奮を現すようなムードの文字”に装飾して表示しているPCは、興奮度が高いと言って良いだろう。

ああ、もうなにを言って居るんだか、自分でもよく分からないが、そして、何でこんなに興奮しているのかもよく分からないが。
とにかく、

 <excitement>アツイ!!!</excitement>


 斜面に張り付いて折り重なるような屋根。
選鉱場の姿だ。

この上部の山中には、幾多の遺構が眠っており、当然、

 隧道もある。



『#3』をお楽しみにね。


 仙人トンネル道路の終点は、この最後の隧道を潜った場所である。
隧道の名は大橋隧道。延長252mだ。

相変わらず歩道もないが、仙人・中出の2隧道に比しても、幅が広い。
照明も2列に設置されており、独特の重厚感を持つ。
直角に近いカーブの直後にあると言うことで、なんぼか配慮した広さなのだろう。




 って、よく見たら、坑門だけは広いけど、内部は二段階の縮小を経て、すぐに他の2隧道同様の狭さに戻っていた。
とんだはったり隧道だ。




 脱出すると、もうしつこいが、また直角コーナーで。





 体液垂れ流し尽くした私は、やーっと、JR釜石線大橋駅のある大橋の集落に着いたのであった。
もっとも、ここは集落といっても、殆ど鉱山施設ばかりで、それらも多くは人気がないが。

国道283号線は、まだもう少し続く。
釜石まで、あと15km。
かつての鉱山街をすり抜けるように、徐々に広がっていく甲子川の谷を下っていく。

なお、この時時刻は14時07分。
仙人隧道から3時間以上が経過していた。
なにをしていたかは、最終章の『#3』で明らかにしたい。





 なだらかな下り主体の道になると、私の意識は急激に弱まっていった。

そして、…。


   Zzz…。





 運転士仮眠中の自動操縦モードで走行中、現在建設中の仙人峠道路が見えた。

この写真を撮ったのを最後に、次に私が意識を取り戻したのは、10kmほど下った先の、ホットスパーでアイスを食らったときだった。
流石に、前日の仕事を終えた直後から徹夜で150km以上走り続けた私の疲労は、大量のドーパミンの放出によって、限界を超越してしまったらしい。
冗談抜きで、寝ていた。
寝ながら、10km走っていた。


 …笑っちゃった。









当サイトは、皆様からの情報提供、資料提供をお待ちしております。 →情報・資料提供窓口
今回のレポートはいかがでしたか?
「読みました!」
コ メ ン ト 
(感想をお聞かせ下さい。一言だけでも結構です。いただいたコメントを公開しています。詳しくは【こちら】をどうぞ。
 公開OK  公開不可!     

「読みました!」の回数 1047人

このレポートの公開されているコメントを読む

【トップへ戻る】