この意味深な名の峠を紹介する前に、その歴史に触れねばなるまい。
主寝坂峠。
この道の歴史は、近代交通以前、佐竹藩主義宣の時代に遡る。
それまで羽州街道は、国境を標高1000m近い有屋峠で越えていたが、主街道としては甚だ危険な道であった。
そこで、佐竹義宣は街道をより低い西側へ移す工事に着手。
こうして、1630年頃に生まれたのが、現在の大幹線国道13号線にも引き継がれている、雄勝峠と、主寝坂峠であった。
 峠の名の由来は、こうだ。
この道が開削されてそう経たぬころ、矢島藩の姫君が従者の侍と共に、この峠に差し掛かった。
そこで雷雨に見舞われた二人は、止むを得ず、峠で一夜を過ごす。
深夜、二人きりの心細さから、主従の一線を越え、男女の関係となってしまう。
 時代が移り変わり明治となると、羽州街道は国道の名を与えられると共に、その交通への要求はさらに大きなものとなった。
そして、初代山形県令三島通庸の号令の元、大規模な改修を受けることとなる。
このときの道は、昭和30年代、トンネルを供する現道が誕生すると相次いで廃止され、現在に至る。
峠の主寝坂隧道は、昭和34年竣工。
すでに現役を半世紀近く張ってきた隧道は、増大した通行量にパンク寸前となっており、遅ればせながらも現在、新トンネルの開削工事が進められている。
もう数年で、旧旧道となる定めの主寝坂峠を、紹介しよう。
真室川町 及位
 新及位を過ぎるとまもなく旧及位に至り、県道は国道13号線にぶつかり終点となる。
 右折すると、すぐに登りが始まり、一路峠を目指す。
現道の登り
 実は、これまでもこの主寝坂峠は何度と無く通行している。
 高度が上がるにつれ、右手の視界が開け、新及位集落から更に西の大滝方面が見渡せる。
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