道路レポート  
国道107号旧線 白石峠 その1
2004.5.26


 岩手県で、最も古いトンネルとして記録されているのが、これから紹介する白石峠にあった、白石隧道である。

過去形で記さねばならぬのは辛いが、現実に、今はもう、存在しない。
この隧道が掘られたのは、記録によれば明治18年。
この時代にはまだ、東北地方に自動車など殆ど存在せず、鉄道といえば唯一釜石にあったのみ。
国道県道といったような道路行政もまだ未成熟で、江戸時代から続く「街道」の名が人々に行き渡っていた。

この、県内最古の隧道が掘られたのは、盛街道。
いまの大船渡市と水沢市とを繋ぐ北上山地横断の道の途中、白石峠という場所だった。
現在も、この峠には国道が通い、三陸中部の主要な交通路となっている。
かつて、平泉黄金文化を支えた鉱山ヤマのみちであると同時に、沿岸と内陸の文化交流のみちでもあった盛街道に、今は無き隧道の痕跡を求める。



岩手県気仙郡住田町 世田米せたまい
2004.5.19 4:50


 住田町世田米から東の白石峠を越えれば、そこはもう大船渡市。
かつての盛街道と、現在の国道107号線の終点は、近い。
そんな、最後の難所の白石峠に挑む手前の集落である世田米は、四方を山に囲まれた静かな、そして古風な街だ。

私は、前夜の終電で北上に降り立った後、殆ど夜を通して走りここへ来た。
未知の興奮に眠気はないが、寒気はある。
もう5月も後半だというのに、朝靄の盆地は凛冽だ。



 世田米は、現在でも交通の要衝であり、北上山地を南北に縦断する国道340号線と、横断する国道107号線とが出合い、分かれる。
家屋が連担する区間のみ重用しているが、集落を出ると再び、国道は二つに分かれる。
白石峠は、国道107号線上にあり、道路標識が「大船渡」を示す方へと曲がることになる。

街を出ると、すぐにゆったりとした登りが始まる。



 朝靄なのか、雲なのか、はっきりしない霞の向こうに陽が昇る。
時刻は、午前5時30分過ぎ。
日本海沿岸に住む私には見慣れない、太平洋から浮かんだばかりの太陽である。
国道は峠に向けて東進を続け、しばし日の出に立ち向かうように進むことになる。
嫌でも旅の気分が盛り上がる一瞬だ。

国道は、城内地区で大きな砂利工場の脇を通る。
勾配は、急になりはじめる。


 分岐から5kmほどで、大きく道が左にカーブする。
これは、平行する中沢川が曲流しているせいであるが、このカーブ以降、峠への登りはスパートが掛かる。
ただし、二車線の幅広い国道は良く整備されており、直線的である。
そろそろ気仙都市圏の通勤の時間に差し掛かり、通行量も目に見えて増えてきた。
自動車には快適な見通しの良い峠道も、チャリには、意外にしんどい。

写真の場所は、旧道敷きらしき部分が大きくカーブの外に広がり、ロードサイドパークとなっている。
その奥に見える鞍部が、元来の白石峠である。
目指す隧道は、その直下にあるはずだ。
まだ、ここからは直接向かう道はない。



 特徴的な谷は、見通す限りに続いているが、幸いにして、現道の峠はそんなに辛抱を強いない。
この次の右カーブで、これ以上遡行することを諦め、そのまま対岸の山肌に突っ込む。
峠の、白石トンネルである。


 脇を流れる中沢川も瀬のように細くなった。
その対岸も、此岸同様に険しい斜面であり、谷全体では峻険なV字峡を示す。
緑の崖の所々に、古びたガードレールが見える。
それが、旧道である。

 


白石トンネル
5:42

 世田米から約6km、国道107号線の白石峠である。

大きな右カーブからそのまま広い坑門にアスファルトが続く。
初めてのドライバーには、ちょっとトンネルを予感しづらいし、心の準備が出来ないので、冬期間などは危険な道のような気がする。

しかし、そんな私の素朴な感想だったが、ほんの数年前までは、もっと深刻な危険を抱えたトンネルであった。



 現在の坑門の左、沢の奥にある採石場へと向かう専用道路の脇に、小さな四角い坑門がある。
実は、これが元の白石トンネルであったという。
昭和41年から、つい数年前まで利用されてきた旧トンネルは、その出口が直角のカーブという、現在の急カーブでも十二分に改良されたと実感できるほどの、危険箇所であった。
そして、この白石トンネルは、トンネル改良としては稀な部類に入る、坑口付近のみの新規掘削という施工を用いた。
よって、現在の坑口からトンネル内に入って50mほどすすむと、旧トンネルに合流し、あとは大船渡側の出口へ向けて一直線となっている。
その様子は、後ほど詳しくレポートしよう。



 旧坑口の正面はT字路となっていて、一方は国道、他方は、採石場の入り口になっている。
地図上では、この採石場内の道が、峠を越えて反対側の採石場に通じているが、これは旧峠道ではない。
紛らわしいが。



 なぜか、融雪剤散布車が停車している旧坑口。
かつてのトンネルは、ここから大船渡側坑口まで一直線の770mであった。
ちなみに、四角い坑口から推測できるとおり、落石よけが接続されて延伸されているようだ。
元来の坑門は、さらに30mほど奥にあったと思われる。

写真右に見える支柱の曲がった標識は、白看だった。



 坑門を塞ぐ金属のシャッターは、完全に閉塞しているわけではなく、窓に取り付けるブラインドの様な構造になっている。
よって、排ガス臭い風が、洞内の爆音のような走行音と共に、ゆるゆると流れてくる。
しかし、ブラインド似だけに、どうしても内部は見えない。

そのブラインドを背にして、住田側の坑門前を撮影。
短い橋の向こうはT字路である。
そこには、白看が残されたままになっていた。




 こうやって全体を見ると、元来の坑門がどの辺にあったのかも想像が付く。

ちょっと藪が濃そうだが、行ってみることにした。



 威風堂々とした坑門は、実は“張りぼて”だった!

とは言いすぎだが、裏に回ってみると、何とも情けないほどに薄っぺらな壁ではあった。
この壁の裏には、もう土に覆われていて判然とはしないが、蒲鉾上の盛り上がりがあり、コンクリ一枚下には旧トンネルが眠っているようだ。




 既に植生が回復し、進入は困難となった、トンネル上部の様子。
正面の額のような大きなコンクリの吹き付け面の下に、本来の坑口があったのではないだろうか?
なおも藪をかき分け進むものの…。




 それ以上は斜面となっており近づけなかった。
というか、この斜面の様子から見て、やはり旧坑門と延伸部との接続部分は中に埋没されている。
これ以上進んでも、発見は難しいとの判断だ。

しかし、その斜面の一画に、ほんの僅かだが、古そうな落石防止フェンスの一部が露出していた。
よく、道路脇の法面上に設置されたりするやつだ。
ちょうど、道路敷きの限界付近に、道路と平行する向きに設置されていて、想像がふくらんだ。
無論、元来の坑門の直前は切り通しになっていて、このフェンスは、切り通し部分に有った物の一部ではないだろうか、という想像だ。

今となっては、確かめようもないが。


旧隧道へ…
5:47

 白石トンネルも、数奇な改良を経たトンネルであり興味深いが、なんと言っても主役は、これから向かう県内最古の隧道である。

書籍などから事前情報として、「埋め戻されている」とは聞いているものの、この目で見るまでは諦めきれない。
痕跡が残っていることを期待し、旧道と言われている道を、今度は中沢川を挟んで、国道とは逆方向に登っていく。
余り利用されている様子はなく、道はガレ気味だ。



 急な登りは、崖に張り付くように蛇行しており、路肩の浮いたガードレールの向こうには、国道の白い路面がまぶしい。
ガードレールの様子を見ると、国道として旧隧道が利用されていた時代のものなのかも知れない。



 旧態を色濃く残すように見える道に興奮度は一気に高まるが、それも永くは続かない。
むしろ、短い。





 旧道へ入り僅か2分。
ほんの100mほどの登りで、景色は一変する。

そこに、東京ドームほどの大きさの、巨大な砂利捨て場となっていた。
写真奥に見える稜線に、かつて隧道が貫通し、また隧道以前には峰越の峠があった。
しかし、そこへと至る道は、沢ごと、地形ごとに砂利の底に沈んでおり、もはや想像することも出来ない。

最悪の結果を覚悟させられた。
少なくとも、此方側の坑口は、痕跡すら諦めねばならないかもしれない。
そんな気分だ。




 谷を埋め立てて広大な更地となっている。
しかも、肝心の稜線も、全山若い植林地となっており、情報がなければ、まさかここに隧道があったとは誰も思うまい光景だ。
風情もないに等しく、はっきり言って、失望。
一つは、遠くここまで遠征してきたのに、と言う消沈。
もう一つは、岩手県には道路を文化財として敬うという気持ちが全く無いのか、と言う軽蔑。

寒い。
あまりにも寒い景色だ。







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