道路レポート
国道107号旧線 白石峠 その2
2004.5.26
白石隧道 埋没点
2004.5.19 5:54
谷を、旧道ごと埋め尽くす砂利。
余りにも無惨な光景に、もはや白石隧道というものは、完全に忘れ去られようとしているのだと言うことを悟った。
もう、幾つかの文献の中にだけ、その名を留める存在になったのだ。
安直に、愚かしい事だとは言えない。
人が、それぞれの生活を守っていくために、当然の経済活動をした結果なのだろう。
使われなくなった隧道を、埋めること、崩すこと、何も不自然なことではない。
チャリを置き、さらに山際へと迫る。
そこもかつて、砂利か、もしくは廃土を積み上げて作られた地形のようで、旧道の痕跡などは、ようとして知れない。
藪となった斜面に向かい、無言で隧道を探す。
こんな、有様では。
何も見つけられないかも知れない。
しかし、この場所であることだけは、間違いがないはずだ。
広場の隅から山際へと30mほどで、三方が斜面となり、それ以上は進めない。
そこにも、全く道の痕跡はない。
砂利がちな土壌には、今ひとつ植物の勢いもなく、藪は薄い。
山肌と言えば若い植林地で、そこにもやはり、道のあったような形跡はない。
錆びきったドラム缶や、重機のパーツのようなものが、所々に散乱する、廃臭漂わせる藪。
なにか、コンクリートの構造物が、目に留まった。
真っ先に、私の目に飛び込んできたのは、其の名を示す四字が、力強く刻まれた、巨大な御影石の扁額。
周囲のコンクリートが相応に朽ちているのに比して、失われた隧道の、失われぬ矜恃を代弁するかのように、一つの欠けもなく存在していた、御影石の巨大な扁額。
藪の中立ち尽くし、見とれる私。
5時55分、白石隧道に遭遇。
扁額の隅には、小さく縦書きで、『昭和二年十月完成』と記されている。
この扁額が、その当時に掲げられたものだとすれば、この保存状態の良さには、やはり神懸かり的なものを感じずにはいられない。
隧道は、明治一八年に初めてここに貫通し、そのままずっと使われ続けたわけではないようだ。
少なくとも、明治期に一度(これについては後述)、そして昭和初期にもう一度、扁額を変更するような改修が施されたらしい。
この、世田米側の坑門に示された昭和二年の文字、そして、予想に反してコンクリートに覆われた坑門の姿こそが、昭和の改修の痕跡だろう。
足元の土砂は、明らかに隧道を埋める意図で積み上げられたものだ。
それは、坑門直前だけではなく、その前に存在していたと思われる切り通しの全てを、地平と化してしまっている。
だが、坑門前は深さ五〇cm程度の窪地となっており、その下端が微かに、隧道内部へと視線を誘うのだ。
この、“地”ラリズムの妙に、私は参ってしまった。
いつの頃にこの様に隧道が埋め戻されたのかは分からない。
その工事は、内部へと入れなくする事が目的であったろうから、開口部を埋めるのは当然で、感情論を否定したとしても、作業量の問題から扁額までは埋めなかったと言う説明もつく。
だが、
何故に坑門の手前だけ窪んでおり、そこからは、腕一本だけが辛うじて入る空洞が覗いているのか!
当然のように、私の神経は全て、その内部へと注がれた。
持参したスコップでの土木作業も考えたが、まずは最新鋭のデジタルアイを利用して、内部の様子を確認しよう。
現在の地形では、残念ながら自身の目で内部を捉えることは出来ない。
こうして、デジタルアイ…デジカメを穴に潜り込ませて…撮影した写真が、これだ。
撮影後、自身でその映像を確認した時の衝撃は、忘れられない。
内部には、期待していた以上の空洞が、存在しているように見えたからだ。
もしや、大勢による土木工事によっては、一〇〇年の眠りから覚ますことが出来るかも知れない!
真剣に、そう考えた。
だが…。
帰宅後、様々なアングルで撮影した内部写真を全て確認し、左のように明度処理を施した結果、残念だが、坑門付近だけの埋め戻しではなく、相当に奥まで土砂が埋め尽くしていること、さらに、全方位に亘って、約五mほど奥で天井にまで土砂が届いてることを、突き止めた。
結論、
住田側は完全に死んでいた。
窪みから外を見る。
ここに嵌っていると、、決して踏み込めぬ隧道の中から外界を覗いているような気分になる。
隧道を埋めて新しい地平となった砂利の林には、土砂運搬用の鍋トロが一基、放置されていた。
写真左のシルエットがそれだ。
ツタが酷く、扁額より上部を露出させている坑門ではあるが、その全体像を写真に納めることは適わなかった。
露出している部分から推定すると、坑門は開口部の両側に重厚な壁柱を置く、典型的な明治期の構造だったようである。
その全体が、ひびや苔に覆われたコンクリートに包まれており、それ自体は大して面白みのある遺構ではない。
だからこそ、その扁額の輝きに神聖さを感じたのだ。
埋められてなお、隧道はそこに有ろうとする意志を持つかのように、微かな空洞を覗かせる。
白石トンネルを通過し大船渡市へ
6:07
現道へと戻り、今度は大船渡市側へと向かう。
白石トンネルの現在の坑門は、線形改良工事によって新設されたものであり、旧来の坑門が左に写っている。
坑門に埋め込まれた緒元には、改良後のスペックが記されており、その延長も昭和42年開通時のものではなく、807mと記されていた。
次々と車の出入りする坑口へ、私も入っていく。
改良後だというのに、歩道がないというのには、ちょっと驚いた。
現在の坑口は、進路を90度変える長いカーブの丁度真ん中付近にあって、ナトリウムライトに照らされるようになっても、外と同じ角度でカーブが続く。
この急なカーブの端が、元来のトンネルとの接点であり、この先大船渡側坑口までは、未改良のトンネルをそのまま利用する。
つまり、元々は直線のトンネルの住田側出口に急な直角カーブを設けていたものを、トンネル内で新道を分岐させ、緩やかなカーブによって住田側へと放出しているのである。
トンネル改良のアイディアとしては省コスト性に優れており、面白い。
接合部を振り返る。
右の鉄の壁の向こうに直線の旧トンネルが、あと40mほど続いているはずだが、たった一カ所の扉には南京錠が取り付けられており、アクセスできない。
ここから先は、昭和42年製のトンネルをそのまま利用しており、狭い。
改良部分にも歩道を設置しなかったのも頷ける。
どうせなら、このまま全体の幅も広げてしまえば良かったと思うのだが、実は新トンネルの話も数年前から出ており、その辺の兼ね合いがあるのかも知れない。
いずれにしても、白石トンネルの大部分は旧態依然としたものであり、車列に混ざって走るだけで命の危険を感じる、チャリにはオススメできない道なのは確かだ。
残り600mほどの長い直線を、やや下り気味に通り抜けると、そこは大船渡市である。
この狭さ、作り。
秋田市横手〜山内村〜岩手県湯田町の、同国道を知るものには、「国道107号線ぽいな」と思えるものだ。
こういう懐かしさって、秋田と岩手の恥というものなんじゃ? と言う素朴な感想が…。
白石隧道へ再び登る
6:12
白石トンネル、大船渡側坑門。
住田側とは全く構造が違うのも、トンネルに起きた改良の歴史を知れば、納得できる。
こちらは、昭和中期らしい作りである。 シンプルなコンクリートの坑門だが、笠石を模したワンポイントから、まだ旧来の坑門の概念を捨て切れていないような印象を受ける。
埃を被った金属製の扁額は、初代隧道のそれとは比べるべくもない。
緒元は、やはり住田側とは全く異なる内容で記述されている。
気になったのは、この数字は「山形の廃道」サイト「全国隧道リスト」記載の、昭和42年当初のものとは異なっている。
リストでは、幅員6.5m、高さ4.5mとなっている。
延長は770mで共通しているが、これが現状とは異なることは既に記した通りだ。
平成の大改良以前にも、改良を受けていたのだろうか。
旧隧道へのアプローチが、この看板の左の砂利道から可能であることを、事前に提供頂いた情報より知っていた私は、迷わずこれに入る。
ここからは、現トンネルの上を目指す、急な登りとなる。
現トンネルの坑門を右に見下ろしながら登っていくと、今度は進路をやや左に変えて、架設道路っぽい大変な道になる。
この先200mほどは、勾配が20度を超えており、しかも崖を削ったままの荒すぎる道だ。
林道ネタから遠ざかっている私だが、久々に、林道エンジンが強制始動させられた。
子供じゃ有るまいし、別に押しても誰も責めないだろうに、チャリから降りることを敗北のように錯覚し、とにかく一気に登り切ろうと躍起になる、今年で27になる私。
馬鹿チャリストの血は、幾たびチャリを置いて林鉄の人となろうとも、薄れるものではないのだろうか。
ふぅ、疲れた。
無茶な登りのお陰で、一気に稜線が見通せる場所まで登ってきた。
果たして、旧隧道はどこだ?
私有地として管理されているのか、有刺鉄線に囲まれ、チップ(無論木のチップだ。ICではない)で埋め尽くされた沢を渡ると、道は行き止まりとなった。
そこは広場になっていて、左手には峠の稜線がだいぶ傍に見える。
大体、住田側で稜線を見た時と、同じくらいの比高感だ。
車道はここで行き止まりだが、広場の片隅に、浅い切り通しが左から右へと下っているのを見つけた。
その幅は広く、明らかに旧道、いや、古道と言った方がしっくりと来る様子ではあるが、道の痕跡である。
足元は枯葉の海であり、しかも切り株が散乱しており、チャリを押して切り通しを進む。
もちろん、山の方へと。
下り先がどこなのかも気になったが、まずは、隧道の姿を捉えることが先だ。
切り通しの道に入って僅か50mほど進むと、両側に好ましい石垣が残る道。
その瞬間は、意外にすぐに訪れそうである。
もう、次のカーブを曲がれば、きっとそこに…。
私は、この景色に呑まれた。
隧道を迎えるムードとしては、これ以上はない、最高のものだ。
一体、どんな出会いが待っているのか…。
生涯忘れられない出会いが待っているような、そんな、イイ予感が私の体温を上昇させた。
次回、最終回。
その3へ
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