道路レポート  
国道107号旧線 白石峠 最終回
2004.5.28


林間旧道
2004.5.19 6:32


 白石隧道大船渡側坑門は、五月蠅い虫さえ愛おしく思えるほどの、絶佳の地であった。
されど、行き止まりの地にこれ以上長居できるほど、私の時間は多くない。
この日は、さらにもう100km近く走破・探索する役目がある。
今夜の終電までには家につき、勤務先でお弁当の注文をしないことには、今後の私のおまんまに響く。

後ろ髪引かれる思いだが、そこをあとに、チャリへ戻る。
 


 来る時に、初めて旧道に出会った広場から、真っ直ぐ森に下っていく道がある。
来た時には、現道のトンネル脇から、アツイ登りの架設道路を通ったが、そこを戻るのも面白くない。
この廃道が、必ずしも私を期待する場所へ運んでくれるとも限らないが(なんせこの道、地形図にもない)、惹かれるものがある。

行こう!



 再び、私は魅せられた。

旧隧道に至る道として、古くからあった道ならばこれ以外には考えられない。
これこそが、旧国道なのだ。
道は、隧道前の切り通しに負けず、充分な幅がある。
また、かつて轍が刻まれていたはずの部分には、落ち葉が厚い層を成し、その丈は膝にも掛かるほどだ。
不思議とここの道路敷きも、全く利用されている形跡はないにもかかわらず、植生は薄い。
降り積もった落ち葉すら分解されぬ、何か不可思議な力でも作用しているのか。
道の痕跡と言えば、その地形以外には認められないが、荘厳なムードを纏う。





 余りにも轍跡の落ち葉は深く、チャリに乗れない。
そこで、木々の根が浮き上がった路肩を走行することに。
明らかに路床より一段高くなっており、ガードレール代わりの天然の転落防止柵だったのか。
この路肩には、砂利が散乱しており、かつて砂利敷きの道だったのかもしれない。
また、この路肩の外は、非常に急な斜面となっており、登りに利用したアプローチとは谷を挟む形になっている。
このままでは、アプローチ道路の入り口には向かいそうもない。
もう、この下り坂に身を任せてみることに決めた。

こんなワクワクする道、日暮までだっていたい。




 大きく路肩が抉られ、道幅はチャリ2台分くらいになっている。
しかし、一切の補強などが認められぬ崖道であるにもかかわらず、この様な致命的な崩壊はほとんど無かった。
地形を大切にし、元よりある木々を、根を生かした施工の勝利なのかも知れない。

この道が、国道として機能した期間は、おおよそ4年。
昭和38年に秋田県本荘市から大船渡市までが一般国道107号線に認定を受けているが、同42年には、直下の白石トンネルが開通している。


 分岐から300mほど緩やかに下ると、真下に現道が見える。
ここは、白石トンネルの坑門の真上に当たる場所だ。
依然、これだけの比高があり、当初の予想よりも、この旧道は長く続くのかも知れない。
期待と不安が、交錯する。

これより先、旧道は現道の北側斜面に張り付く。


 直線的に眼下の盛川に沿って下っていく現道に対し、旧道の方が勾配は緩いくらいだ。
なにしろ、旧道は地形に沿って、微妙に蛇行を繰り返し、その都度現道との高度差を増したり、或いは少し減らしたりと、なかなか合流の目星がつかない。
そうしているうちに、広場に出会うた。
芝程度の植生しか認められぬ山間の広場、草刈りでも入っているのではないかと思われたが、そんな様子もない。
ま新しい人の活動の痕跡が、全く認められない。
伐採されて放置された材木も、かなり古そうだ。




 広場には、一本の立て札が、汚れ、倒れていた。
そこには、この旧道が国道を退いたあとの出来事のヒントとなるかも知れない内容が、記されていた。

内容は、発破作業の警告だ。
管理者の名は、小野田長岩鉱山。
それは、このすぐ下流で未だ操業を続ける、巨大な石灰岩鉱山の名だ。
既に、看板の役目を終えているようだが、かつては付近でも鉱山の開発が行われたのだろう。


 いくらか人の気配を取り戻すかに思えた道は、まだ荒れ果てたままに続いた。
常時、現道のアスファルトが視界に入ることもあり、一時の神秘性は失われたが、むしろあの景色が特別だったのだ。
未だ、旧状としては大変に面白い、エキサイティングな道が続いている。
急な斜面に張り付くような旧道は、この白石峠に唯一足りないと思われた、アプローチの面白さと言う要素を完全に補完し、なおも私を興奮を与える。



 廃道の路面上には無数の落石が散乱してはいるが、大きな崩落は殊更少ない。
自然掘りのままの法面に、異質な赤い土砂の落ちる場所があった。
元よりこの岩盤に封入されていた赤土のようだが、何か有用な鉱物はないのか?

あんまり目立つので、今でも気になっている。



 現道との比高は、未だ縮まるどことか、開いている感じすらある。
付かず離れずの状態は、精神的な安心感に繋がるかと思いきや、意外な不安もある。
何よりも恐いのが、この様な比高のある場所で、現道に切り取られ旧道敷きが完全に消失する場面だ。
下手をすれば、その一カ所で探索終了と言うこともある。

この道など現道の改良が進んでおり、カーブの度にビクビクしながら次の景色を待つ展開であった。






 さらに比高は増し、いい加減不安になってきた。
現道にちゃんと合流できるのか…。

そんなとき、眼下には現道の傍に数軒の屋根の集まるが見えた。
どうやら、トンネルからは現道経由で1kmほどの、長岩集落の上部まで来ているらしい。
このあと、いかにして現道に降りていくのか、かなり下ってきてしまった私には、もう後がない。

頼むから、無茶なことだけはしないで… 
…しないで済むように頼むぞ。




 唐突に、斜面に建つ民家の、さらに上手にある一軒の土蔵が、旧道敷きの目と鼻の先に現れた。
これには、ほっとさせられた。
最悪、この先の道が途絶したとしても、ここから民家の裏山を伝いて国道に降りられそうだ。

それにしても、ここまで来てなお新しい轍はなく、完全に忘れ去られた道の様相だ。




小野田長岩鉱山
2004.5.19 6:46


 やっと旧道も重い腰を上げたかのように、道幅を犠牲にしての急激な下りに転じた。
この調子なら、すぐに谷底にまで降りそうな勢いだ。
相変わらず、法面は荒々しく削ったままだが、初めて路肩に補強のコンクリが現れた。
その補強部は、まるでベランダのように崖に張り出している。
確かに、この狭隘区間の離合を考えたら、こんな張り出しも良いかもしれないが、あんまり利用したい気はしないだろうな。
残念なことに、この張り出しの下には無数の産業廃棄物が投棄されており、まざまざと、人界に降りつつあることを感じさせられた。
安心もしたが、たった2kmほど後方の道は、別の世界の景色のようだった。

忘れられない。


 張り出しの部分に設置された、朽ちた標識(看板)。
国道時代のものか、鉱山時代のものかは分からないが、未だ赤のペンキで「危険」の二文字は読み取れた。
二行目は、読めず。


 崖下にはゴミが散乱する、塵芥…いや、人界の森。





 で、そこから100mほどで、唐突に舗装路に合流。
写真の左の発破避難小屋の裏から、左へと旧道は続いており、今私はそこから降りてきた。
正面は、小野田長岩鉱山。
住田側と、この大船渡側の、各種採石場や石灰石鉱山を統括するのは、この会社関連が多い。
背後には、現国道へ下る道。
まだ、操業の時刻ではないようで、静かだった。



 ここにも、道中で見た発破の予告の看板が立っていた。
やはり、旧道の一部は一時期鉱山道路として利用されていたのだろう。
写真右の道が、いま来た旧国道だ。
地図にはない道が、約2kmほどではあるが、峠前の集落である、この長岩まで続いていたのは新発見であり、大変に嬉しかった。
白石峠の株は、これでまた上がってしまった。
忘れられない峠になった。


 そこから、日中はダンプが埃を巻き上げて往来するだろう急な道を100mも下ると、国道に合流し、ひとまず白石峠の旧道探索は終わる。
ここは、盛川の上端部、長岩集落。
写真右の道から降りてきた。
正面が、白石峠だ。



 あとは、次第に幅広になっていく盛川の流れを脇に、また、途中幾つかの鉱山施設に、ご覧のような禿げ山、そして、岩手開発鉄道の錆色のバラストを見ながら、国道107号線を緩やかに下ること9kmほどで、国道45号線にぶつかり終点、大船渡市盛町に行き着く。
もう、そこは太平洋だ。




 この日の朝は、最高に良い朝だった。

でも、旅は、まだ始まったばかり。

やがて、この日のラストに襲い来る、最悪の廃道にめがけ、山チャリは続く。










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