2012/12/10 7:52 《現在地》
国道52号から分れて7.5km、長閑な谷間の道をいくつかの集落を縫いあわせながら進んで来ると、この場所へ来る。
いまで概ね2車線を維持してきた県道が急に1車線へ狭まるのだが、それを合図にして、いくつかの標識や案内板が一斉に現れる。
ドライバーの目に一番よく飛び込んでくるのは、「両河内(りょうごうち)まちづくり推進協議会」が設置した赤矢印の案内板であり、この直後に丁字路が待ち受けていることが分かるのであるが、それ以外にもこの場所には、
正式な道路標識である“青看”が存在している事に、
気付かれただろうか?
青看、発見。
どういう了見かは知らないが(単にシャイなのかも知れない)、青看はその本来の任務を半ば放棄してしまっている。
青看だけではない。
青看をその身に戴いている矢印板(視線誘導標識)までも、やる気無さそうにあさっての方向を向いてしまっているではないか。
はっきり言って、この時点で「県道」としてのやる気の足り無さを感じてしまうわけだが、まあそれはよいだろう。
この“青看”と“赤看”の案内内容を総合すると、まもなく現れる分岐地点を左折すれば「庵原(いはら)」へと通じ、直進すれば「吉原」や「伊佐布」へ通じる事が分かる。
庵原も吉原も伊佐布も全てこの県道の通過地だが、庵原が最も遠い。
つまり、左折の道がバイパスとして案内されていて、直進の道がローカルな案内に終始している事になる。
狭隘になると同時に現れたのは、「大型車直進禁止」を意味する標識。
その奥には、明るい分岐地点が見えている。
現れた丁字路の分岐地点。
直進が県道であり、ここからヘキサ(県道標識)も見えているが、道幅や大量のタイヤ痕から、交通の流れが左へ向いていることは明らかだ。
これは私が期待していたとおりの光景だった。
交通流は左。
しかし県道は直進。
左の道は県道のバイパスではない、別の道。
よく見れば、この場所にも二つの道を分かつ証拠がある。
二つの道が合わさるところの舗装を見て欲しい。
舗装は物言わず、一連の県道は直進であることを物語っている。
最初に書いたとおり、まずは“バイパス”の方を行く。
つまり左折する。
左折しても、この道が「なんであるか」はすぐに明かされない。
しかしとりあえず2車線分の幅があり、大型車が進入できない直進路に較べて明らかに高規格である。
とはいえ、これが一般的なバイパスのイメージである「新しい道」ではないということも感じられた。
左折するなり現れた橋の欄干や親柱のデザイン、さらに言えば橋だけ勾配が緩く前後の道と不整合に「ガクガク」となっているところなどに、明瞭な古さを感じたのである。
橋の名前は、高山橋。
竣工は、「昭和四拾壱年参月弐拾弐日」(昭和41年3月22日)である。
必要以上に古びた表現を使っている気もするが、昭和41年の橋と言えば実際にも「古い」のであり、開通して45年を経たこの道が未だ並行する県道を置き換えていない理由が、改めて気になった。
進んでいけば、何か分かるだろうか。
約6.2kmの狭隘県道に対し、このバイパスは半分よりも短い2.9kmで高山〜伊佐布間を結んでいる。
たとえ道幅が同じくらいであったとしても、大半の車が県道を避けてこちらのバイパスを通ることだろう。
この短距離を実現するために、バイパスは途中2箇所ある峠越えをトンネルでショートカットしている。
そのため、バイパスは自転車にとっても楽な道だろうと勝手に想像していた。
だが、これが実際は心臓破りの急坂でマイッタのである。
走り下りてくる車の傾きを見て欲しい!
マイッタは言い過ぎかも知れないが、この高山の丁字路から最初の高山トンネルまでの上り坂は、最初という事もあって堪えた。
後で地図を見返してみると、わずか350mの距離で40mも登っている事が判明したのだが、平均勾配11.4%と来りゃ、当然辛いわけである。
8:02 《現在地》
探索日は月曜日であり、時間も朝のラッシュにあたっていたので、バイパスにはかなりの交通量があった。
しかも信号がない道であるせいや、私が上り坂でもたついていたために、すぐ近くを通り過ぎる車の早さが危険なものに感じられ、早くラッシュが終らないかなと思いながら、歯を食いしばること約10分。
思いのほか苦労して、一つめの峠の頂点であるトンネルに辿りついた。
ここまでは(センターラインこそないものの)道幅は2車線分あったが、トンネルは一回り以上狭く、大型車とのすれちがいは出来ない。
しかもトンネル前の道が屈折しており、対向車の接近は坑口に近付かないと確認できない。
私を追い越して坑口前に着いた車もみな、勝手を知っているのであろう。
坑口前で一旦車速を緩め、それから勢いを付けて洞内へ消えて行った。
この断面の小ささもまた、設計の古さを感じさせる部分である。
御影石と思われる扁額は、坑門と共に苔に覆われつつあって、やや判読し難くなっていたが、隧道名は「山トンネル」で間違いない。
さらに目を凝らして見ると、小さな文字で人の名前が刻まれている事に気付いた。
「 静岡県知事 竹山祐太郎 」
全国的に見ても、静岡県と山梨県という隣り合う2県は、トンネルの扁額に知事をはじめとする関係首長の名前を戴くことが多い。
それはさておき、少なくとも現在は県道ではないこのトンネルが、県の事業で建設されたという事が分かった。
ところで、この「竹山祐太郎」という名前をどこかで聞いたことがあると思って帰宅後に調べたところ、この人物は昭和42年から49年まで静岡県知事を務める以前、昭和29〜30年に建設大臣の役職にあったとき、「日本道路公団」の設立を提案し実現させるという、わが国道路史における重大な役割を果していたのである。昭和31年に設立された日本道路公団が、その後日本中の高速道路や主要な有料道路を建設していったことは周知の通りである。
…脱線した。
全長165mの山トンネルを通り抜け、南口へとやって来た。
大字が高山から吉原に変わったが、市町村境というわけではないので、特に何の標識も無い。
参考までに、この峠が市町村境であったのは、昭和30年までである。
それまでは庵原(いはら)郡両河内(りょうごうち)村と同郡庵原村の境であったが、昭和30年に清水市へ合併し、平成15年には清水市が静岡市と合併して政令指定市化したのを受けて、静岡市清水区となっている。
そしてこのトンネルの竣工年は、清水市誕生後暫く経った昭和45年である。
現地に竣工年を記すものはないが、『平成16年度道路現況調書』にそのような記載がある。
なお、この調書は道路法上の道路のみを記載の対象としているので、国道でも県道でもないこの道は、市道ということになる。
(何かと思った坑門の穴の正体は、坑門裏側に溜まった水を排出する排水口だった。)
トンネルを出て一本道を下り始めてまもなく、大戸瀬橋という昭和41年竣功の小さな橋の所で、こんな看板が現れた。
直前に「トンネルは市道だ」と書いたことと矛盾するかもしれないが、とにかくこの道は農道であるらしい。
一応説明すると、農道というのは道路法上の道路(国道や県道、市町村道など)ではない。
道路法という世間一般の道路を規定する法律ではなく、農地改良法という別の法律で「農業用施設」として管理されているのが、農道(の大半)である。
これは林道が森林法による道路であることと似ているが、我々が普段利用する上では、国道だろうが農道だろうが林道だろうが、あまり深く意識しないと思う。
「ここは農道です」という突き放したメッセージで、どれだけのドライバーが本来言わんとしている意味を理解するか微妙だと思うが、「農道なんだから農作業車が優先だよ。飛ばさないでね」、ということなのである。
呆気なく謎解きが終ってしまった。
この道が農道であるために、実質的には県道のバイパスとして車が通行しているものの、県道に指定することまでは出来ないでいるのだろう。
もちろん、農道が県道に変更されるケースもあるが、この農道の管理者は県ではなく、「吉原土地改良区」という県が認定した一種の法人であり、県管理の農道が同じく県が管理する県道へと指定替えするよりも、そのハードルは高いだろう。
当然、この農道の整備に土地改良区の加盟者たち(地元の農家さんたち)は資金を出し合っているのであり、安易に県道に指定されたことで自分たちの農道としての利便性が損なわれては困ると考えるのは、当然である。
8:08
農道の「告白」を受けてから少しだけ進むと、吉原集落の家並みが見え始めると同時に、一目で工事中と分かる道路が左に分岐した。
入口には特に「何の道」とも案内がなく、現地でもその正体を図りかねたのだが、実はこの道は県道75号のバイパスだった。
その名も「吉原バイパス」といい、平成24年度中の開通を予定しているらしいが、ちょっと古い資料を見ると平成12年開通予定になっていたりと、なかなか難航しているらしい。
市のサイトなどの情報によれば、現在整備が進められている吉原バイパスは全長1.2kmで、右図のようなルートである。
赤い破線の部分が吉原バイパスで、その途中から分れて西へ向かう桃色の破線は「市道6549号線」という別の道である。
また、農道の名前は「農道大向線」という。
一連の新道は、県が計画を進めていた布沢川ダム建設の工事車両進入路として平成6年に着工され、当初は前述したとおり平成12年の完成を予定。それからダムを建設する計画だった。
だが、社会事情の変化などからダム計画は遅延を繰り返し、結局平成23年11月に建設中止の方針が決まっている。
ダム完成後は県道として解放する予定だった吉原バイパスだが、県道のバイパスなのに県道の現道とは全く接せず、実質的には農道大向線のバイパスとしか見えない形をしている点が大きな特徴である。
一応フォローをしておくと、県の全体計画としては吉原バイパスの前後にも県道のバイパスを建設し、一連の狭隘区間を全て新道に置き換える予定はあるようだが、その事業化は相当先の事になりそう。 (参考URL←このpdfの1ページ目を参照)
←市道6549号の高架橋と、
吉原バイパスの高架橋。→
次々に跨がれながら黙々と谷底をゆく“農道”は、途中から幅員が減少し、朝のラッシュに喘いでいた。
おそらく多くのドライバーや沿道住民達が、ようやく形を得た頭上のバイパス開通を、心待ちにしていることだろう。
そしてこの二つの高架橋で、心の準備をしろと言うことだったのか。
見えてきました。
本命。
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新東名、出現!
実はわたくし、開通後の新東名を目にするのは、今日が初めてである。
確か、新東名の建設が始まって暫く経って、各地に高架橋の姿が見え始めた頃だった。
道路ファンの間ではちょっとしたブームというか、「新東名格好イイ!」という声が上がっていた気がする。
でも、天の邪鬼な私はその時期に敢えて興味を示さず、山へと籠もっていた。
そして今、世間的には少しブームが落ち着いたと思われる頃になって、のこのことやって来たのである。
そんなノコノコヤッテキタマンは、いま首を巡らせて激興奮中!
開通済み区間だけで150kmもある新東名全体のなかには、“ぽっと出”の私が紹介するここよりももっと「凄い」高架橋の眺めがあるとは思うが、そういう事は度外視して、これは普通にもの凄い高架橋だと思う。
こんなにでっかい高架橋は、初めて見る。
高いというのもそうだが、明らかに普段見慣れたそれよりも幅が広い。
まだだいぶ離れているのに、こんなにも大きく見える。
電柱とかと比較して見て欲しい。
それに、太陽はどこへ行った。
なんと、私が今いる谷底の家並みの大半が、まだ200mも先にある高架橋が作る影に覆われていた。
今までこういう話題をこのサイトでしたことはなかったから、私のテンションの上がり方を不自然に感じる読者さんもいるかも知れないが、秘かに私は高速道路好きだった(笑)。そして私が秘かに好いていた「イカの耳」を、とんでもなく高い位置に発見〜〜♪
「イカの耳」というのは、将来高架橋を継ぎ足す予定がある場合に、その連結部に予め用意される、現在は路面として使われていない余地である。
いわゆる未成道の範疇に含まれるアイテムだが、この新東名のこの場所にあるイカの耳は、数年後にはちゃんと活躍出来る予定である。
今回冒頭で見てもらった地図でも分かるとおり、吉原集落の頭上には新東名の本線と清水連絡路を繋ぐ新清水JCTが構築されているのであるが、やがてここに中部横断自動車道も連結される計画なのだ。
しかしまあ本当に高い高架橋だ。
高架橋だって、「高山橋」と同じ橋なんだよな〜。
でも、なんかもう別次元に見える。
人類には羽根がない。
だから、地上に居ることを宿命付けられている。
それゆえ道路も地上にあるし、橋や高架橋は少なからず特別な存在だ。
そんな普通の視点から見たら、新東名なんかはもう、“空ニ根拠スル別ノ文明” が築いものなんじゃないかと思えてくる。
あまりにも地表に束縛されなさすぎだろう?
…分かってる。
この橋脚の太さは、明らかに現実の延長線上にある光景だ。
とんでもなくデカいけど、明らかに地球の重力を想定しているし、地震大国日本の日本人による土木構造物なんだって思うよ。
でも、躊躇いなく空の世界の覇権に切り込んでる。
高架橋が頭上に4本並んでいる。
真ん中の2本が本線であり、上り線と下り線である。
右端に少し離れているのは下り線のランプウェイ、左端にあるのが上り線のランプウェイだ。
これらの橋は山切川が流れる谷を一斉に跨いでいる。
なお、このレポートの後半で折り返して走行予定の県道は、高架橋のすぐ下を横切っている。ここからも見える。
また先ほど分れた吉原バイパスの続きは、写真中央を右から左下へと下りて来る1車線の道である。
実はこの開通も暫定的なものであり、本来の計画では、高速の高架橋の下に低い高架橋を架けて農道と立体交差をしてから、もう少し先で合流する事になっていた。
しかしそれはまだまだ時間がかかるので、暫定的にここで擦り付ける事にしたようだ。
8:28 《現在地》
もし吉原バイパスの高架橋が本来計画のように延長されれば、この図のように空を塞ぐことになろう。
道路が好きで好きで堪らないという私でも、これ以上視界を道路で覆われると、酩酊しそう(笑)。
この場所自体は都会でなく、人家もまばらな農村部であるということが、また凄い違和感だ。
吉原集落を“占拠”する新東名との接近遭遇を終え、再び元の平和な農村&農道の風景が帰ってきた。
だが、農道が県道代わりに使われている事に対する違和感や、地域が抱えたわだかまりも、少しであるが感じられる。
道は二度、三度、四度と、繰り返して「農道である」ことを訴えていた。
それでも、「農道だからなんだ」と思うドライバーは、多いと思う。
そもそも、こうしたいわゆる「自主規制」的な、交通取り締まりの対象とならない道路上の警句や表示は、あまりに軽々しく扱われている気がする。
もちろん、ハンドルを握っている時の私を含めた戒めである。
農道は一般道とは違った目的と受益者の負担で作られている事を、意識する必要があるのではないかと思う。
行き交う車の相も変わらぬスピードの早さを目の当たりに、そんなことを思った。
緩やかなアップダウンを楽しみながら走っていくと、労せず2本目のトンネルに辿りついた。
このトンネルも峠にあるものとばかり先入観をもって予測していたが、実際は台地の縁に掘られたキツい片勾配のトンネルであった。
薄暗い掘割りから、さらに薄暗いトンネルへとうねるように続く道には、何ともいえない圧迫感があった。
例によってトンネルが狭いので、なおさらそう感じた。
トンネル前に辿りつく直前のほんのわずかな間だけ、先ほど見たのとは別の高架橋が山の上に見えていた。それは新東名の一部である清水連絡路だったが、よもやトンネルの先で「あのような」景色になろうとは、全く予想していなかった。
2本目のトンネルは大字吉原と大字伊佐布を隔てる位置にある。
名前は「新吉原トンネル」という。
この名前には秘密があるが、それはまた後で。
『平成16年版道路現況調書』にはこのトンネルのデータが無く、こちらは間違いなく農道であるらしい。
それゆえ竣工年や正確な全長が分からないが、まあ200m弱であろう。
特徴としては先ほども書いたが、強烈な片勾配であることが挙げられる。
吉原側から進むと下り坂である。
惰性走行でトンネルをくぐった。
そして出たら、驚いた。
新吉原トンネルの南口。
坑門の面は垂直である。
奥に倒れて傾いて見えるのは、道路が激しく上っているせいである。
それより驚いたのは、トンネル直上を山ごとに跨ぐ高架橋の存在であった。
地形にいちいち頓着して狭苦しいトンネルを設けた農道が、なんだか滑稽に思えるほど、それは高かった。
そして、このトンネルを跨ぐ高架橋の他端が、何の予告も無しに、トンネルを出た私に見せた景色は…
一生涯忘れられない
道路風景だった。
NEXCO中日本は、人類か?
だとすれば、人類の英知ってすげぇ。
ついに道は、大地の縛りから解き放たれたようだ。
何が人をして、ここまで交通の利便を渇望せしめるか。
それは人類の生存本能ではないのか。
不意に飛び込んできたこの道路風景を、私は一生涯忘れられないだろう。