緊張のゴルフ場横断都道を無事突破。
この行為が賛否両論を巻き起こしたことが皆様からのコメントからも伺えたが、個人的にはここはやはり都道ではあると思う。
ゴルフ場側としてはおそらく、公道たる都道を封鎖することは出来ないが、安全上出来れば入って欲しくない。だから、出来る限り道の存在を目立たなくしていると言うことではないだろうか。立ち入りを実力で排除するつもりなら、柵の一つでも用意すれば済むことなのだから。
さて、残りの不通区間は約半分の1kmほど。
区間の終わりまで一気にレポートする。
もう、肩の力は抜いてください。
12:11
実際にはゴルフ場内にいたのは5分足らずであった。
余り使われてなさそうな土の道を駆け下ると、すぐに小さな橋が現れた。厚沢を渡る橋だ。
親柱も銘板もない極めて簡素なコンクリート橋である。だから名前も分からない。一応自動車が通るように作られてはいるが、強度はなさそうだ。これで都道とは信じがたい。
橋を渡って振り返ると、橋に取り付けられた看板があった。
だが、インクは掠れ読み取るのに苦心した。何とか解読した内容は次の通り。
この先 車両は 通り抜けできません
なーんだ。
やっぱり人は通っても良かったんじゃん?
先にこっちから来れば怖い思いしなくて済んだのに…
どこにも「通るな」なんて書いてないしね。
都道と青梅市道「厚沢通り」との交差点。
1車線だが舗装された市道を突っ切って、未舗装の都道が向かいの山へ入っていく。
我々オブローダーにとっては、たまらない景色だ。
まあ、標識も何もないし、人に言っても「ふ〜ん」て顔もしてくれないくらい地味なんだけどね。
この道が都道だって知ってても、抜け道に使えるでもなく、何の役にもたたねーしな。
ここからもう一山越えていく訳だが、入り口には特に立ち入り禁止とも何とも書いていない。ただ「ゴミ捨てるな」とあるだけ。
しかし、考えようによっては都道の証と言えるものを見つけた。
それは、無造作に置かれていた。
袋に入った凍結防止剤である。明らかに都道の坂道を意識して置いたものと思われる。
袋に「東京都」などと書いているわけではないが、これって行政で冬になる前に用意したものに違いない。
普通なら路傍の砂入れ箱に保管したりするが、ここにはそんなものもなく地べた置きである。(…盗まれないのが凄い)
これ、多分都道用だよね…。
一度も使われた感じはない。
12:17
結構急な坂だが、息が上がるより前に終わる。
辺りは杉林と雑木林が半々くらいで、ありがちな里山風景だ。
そして、これは都内の有り難くないありがち風景であるゴミの不法投棄だが、ここには殆ど見られない。
幹線道路沿いで無いのが良かったのだろう。
車が通れば土埃が舞い上がりそうな道、林道のようだが、トラックが通るには狭すぎるだろう。
これは、市街地化を免れて残った、東京の数少ない里山の風景だ。
今日は日和も佳く、緊張から解放されたばかりと言うこともあって、ことさらいい気持ち。
12:20
登りの途中で何本かの道を束ね、呆気なく峠へ到着。
そこには予想外に広い駐車スペースがあった。
周囲の木々は刈り払われ視界は良好。
モコモコとしたなだらかな山並みが広がっている。
…しかし、肝心の道は?
立派な砂利敷きの広場は良いのだが、地図に描かれているこの先の道はどこだ?
道の続きではないだろうが、広場の一角に階段があった。
そこを登ると、上にはさらに広い敷地が広がっていた。
小さな山のてっぺんが均され、土の広場になっていた。
片隅には「青梅模型愛好会専用ラジコン模型練習場」と書かれた看板が建っていた。
なるほど、ここならば空のラジコンも陸のラジコンも思う存分動かせそうだ。
現在の都道を支えているのは、ラジコン愛好者達だった。
おそらく広場に砂利を敷いたり、ここまでの道を車が通れるくらいまで整備したのも、彼らの働きかけによるものだろう。
一方ここから先、麓の小曽木集落へ下る残り500mは、本当の自動車不通区間となっていた。
入り口は、駐車場の片隅である。
12:22
広場から出ると、そこはつちくれの道。
バイクやMTBで遊ぶにはもってこいだろう。
その道幅は狭く、軽自動車でなければ通れまい。
それにしても、誰が使っているのかよく分からない道だ。(或いは都道として最低限管理されているのかも知れない)
稜線上から杉林へ、そして雑木林へとめまぐるしく変化する景色。
しかし、登ってきた距離も僅かなら下るのも僅かだ。
オフロードではあるが、特段に荒れているわけでもなく、現役の道だ。
経験上こういう道は珍しい。遊歩道や登山道以外で、車が通れない山道が廃道じゃないというのは、レアケースだと思う。
間もなく谷の向こうに家並みが見えてきた。不通区間の終点である小曽木4丁目だ。
思いがけず気持ちの良い道だ。車に気兼ねなく走れるというのが良い。これなら通勤や通学など、日々の生活に使っても良いとさえ思う。
雨の日はきっと泥だらけになるが。
地図を眺めていただけでは存在理由が分からなかった都道も、現地を歩いてみれば、それが暮らしに根付いた道だったのかもと思われてくる。
自動車が今のように普及する3、40年前までは、このような道が郊外の暮らしを結ぶ主役だったに違いない。
自動車は通れないのに廃道じゃないというのが、妙に嬉しい。
いい道 見つけたニャ〜。
思わず、口元が縁側で長まるニャンコのようになる。
私とチャリは、邪魔するものの何もない快走路を勢いよく里へと下っていった。
東京もイイトコロだにゃ〜。 ミ^-^ミ
そして、突き当たりとなる舗装路が見えてきた。
あれが、復活となった都道なのだろう。
だっしゅーつ!
出たところには、小さな地蔵堂と祠が道を挟んで両側に奉られている。
やはり、由緒ある峠道だったのだろうと思える。
もっと調べれば何か出てきそうだ。
さあ終わりだ。
そう思って突き当たりの道へ出た私だったが、地図を見るとどうも形がおかしい……
あっ、 スゲー!
笑わせてくれおる。
都道は、ここで進路を180度反転させていた。
(画像にカーソルを合わせてください)
そして、よもやと思い角の電柱を見てみると…。
(画像にカーソルを合わせてください)
律儀だなー! おい!
ちゃんと都道の表示が取り付けられているではないか。
これにて、オヤジの背中から始まった約2kmの自動車不通区間を無事貫通!
2つの都道がいま、ちゃんと一本に結ばれることを確認した。
そこから先、狭い道がもう少し続く。
当然、路傍の電柱には都道の表示がつきまとう。
二度三度、何の案内もない角を曲がって、やがて前方に大きな通りが見えてくる…
福昌寺の前にて、通行量の多い小曽木街道(都道28号)にぶつかる。
ここでひとまず都道194号の単独区間は終わりを告げ、1kmほど東へ行った交差点からまた、残りの単独区間が再開する。
そこはもう昔からの2車線道路となっており、都内で都道194号といえばこの道を思い浮かべる人が多いだろう。
写真は都道に吸収される直前に架かる寺沢橋。
橋の先はすぐ交差点になっており、その為なのだろうか、ここまでの道より断然幅が広い(2車線幅)。
将来的にこの規格の道を青梅まで延ばす計画で橋を架けたのだとしたら… と、妄想は広がるが、銘板によると竣工年は昭和12年と思いのほか古い。よく見ると、重厚な親柱や継ぎ目の石畳など、確かに年代を感じさせるものがある。
惜しむらくは、銘板の一枚がぎりぎりまで迫った塀によって読み取り不能となっていること。(写真右)
ここには何が書かれているのだろうか…。
福昌寺への石段を背に、都道194号の入り口を振り返る。
この角にも一切、案内らしいものはない。
ここを都道だと確信させてくれるのは、ただ電柱に付けられた小さなプレートのみである。
東京の外縁に取り残されたような、どこか懐かしい道だった。