道路レポート 東京都道236号青ヶ島循環線 平成流し坂トンネル旧道 前編

所在地 東京都青ヶ島村
探索日 2016.03.04
公開日 2023.05.04


今回は、当サイトにおける離島探索シリーズ“島さ行がねが”の中でも特に人気が高い2本のレポートを輩出した、日本屈指の到達難度を誇る絶海の孤島“青ヶ島”から、短い探索を一つ紹介しよう。

なお、この飛び抜けて個性的な島のプロフィールについては、道路レポート「東京都道236号青ヶ島循環線 青宝トンネル旧道」の導入回を、島内の道路網の整備史については、同レポート解説編を、それぞれご覧いただきたい。また、島内にある“未成港”である大千代港探索の模様は、道路レポート「青ヶ島大千代港攻略作戦」としてまとめてある。
しかし、どちらも本作の予備知識として読んでもらうには長いので、まずは今回の短編を気軽にお読みいただき、それでもし島への興味や前後に行った探索に興味が湧いたら、これらの長編にチャレンジするのが良いかもしれない。

今回の探索も、上記2編と同じく2016年3月の初訪島時(残念ながら再訪島はまだ果たしていない)に行ったものである。


東京都心から約360km南の太平洋上に浮かぶ、外周約9kmの小島である青ヶ島には、自動車が通行可能な東京都道の区間としては、おそらく最も過酷な道路状況と地形環境を有する、都道236号青ヶ島循環線(東京都公式の道路愛称“青ヶ島本道”)が、島内を三日月型に周回する形で存在しており、島の玄関口である三宝港(青ヶ島港)と、島の唯一の村落であり青ヶ島村役場がある岡部地区を結んでいる。

前述した通り、この都道は周回路線なので、港と村落を結ぶルートは二通り選べるのだが、最短距離となる時計回りのルート(上手わて回り)は、極めて険悪な海崖を通過するため道路状況が特に悪く、災害に脆弱であるため、2016年の探索時も大規模な災害復旧工事が行われていて封鎖中だった。

島の生活道路として今日多く利用されているのは、少し遠回りだが地形的に穏やかな池之沢を経路とする反時計回りのルート(池之沢いけのさわ回り)である。
そして、今回紹介する都道の旧道は、この池之沢ルート上の難所“流し坂”にある。

チェンジ後の地図は、流し坂の周辺を描いた最新の地理院地図だ。
非常に密に描かれている等高線を縫うように、激しく九十九折りを描く“軽車道”の記号が見えるが、これが今回紹介する都道の旧道区間となる。そそるでしょう?

この旧道の歴史も既に調査済みで、簡単にまとめると、昭和30〜31年に村が村落と池之沢を結ぶ目的で整備した後、昭和44年頃に東京都の農道となったが、その後都道へ組み込まれ、昭和58年頃に初めて自動車が通れるように整備された。そして昭和60年に三宝港から池之沢へ直通する青宝トンネルが開通したことで、池之沢と村落を結ぶ流し坂が、従来の上手回りに代わる島の最重要道路となったことで、流し坂の難所の一部をバイパスする道路の整備が行われ、平成4(1992)年5月に平成流し坂トンネルを含む新道が開通して現在に至る。


本編の前に、もう1枚だけ画像を見て欲しい。
右の画像は、島を黒い線の位置で輪切りにした断面図だ。
この島の極めて特徴的な地形の起伏が、この断面に現れている。

青ヶ島は、世界的に見ても珍しい、二重カルデラの有人火山島である。
絶海に面するこの島の険しい外周は、海面下約1000mから起立する巨大な火山のおおよそ7合目より上であり、その頂上(海抜423m)を含む外輪山の内側に、大きなカルデラが形成されている。
カルデラの底(海抜約100m)は池之沢と呼ばれており、その中央に天明5(1785)年の大噴火で形成された中央火口丘の丸山(海抜211m)がある。丸山は二重カルデラの内輪山であり、その内側に海抜約140mの噴火口を持っている。
右図の起伏は、この二重カルデラの特徴的な姿を示している。

そんな個性的すぎる地形を、我らが都道“青ヶ島本道”は、この地に根付いている人の暮らしを最優先とばかりに、とても刺激的な経路で攻略している。
まず、昭和60年に開通した青宝トンネルが島の外輪山を豪快にぶち抜いている。長さ505mのトンネルの両坑口には60mもの落差があって、見るからに普通じゃない。
そんなトンネルでカルデラに入った都道は、丸山を迂回してカルデラの北面へ進み、そこから一気に200mの落差を持つ外輪山をよじ登る。そこにあるのが、流し坂だ。

右図の起伏を見ても分かるとおり、外輪山はとても真っ直ぐに車が上れるような傾斜ではないので、道は九十九折りやトラバースで高度を稼ぐのであるが、最終的には海抜300mの位置で外輪山を乗り越えて、その北側に広がる海抜250m前後の緩傾斜地上に立地する村落に達する。

港へ降り立った旅行者のほとんどが、滞島中に一度はこの村落へ向かうと思うが、この際には上記した青宝トンネル→流し坂→村落という、片道約300mの高度差を克服する必要がある。(島には公共交通機関はない。ただしレンタカーが1社あり、また民宿などによる予約客の送迎運転も行われている)


それでは、島の暮らしの根本を支えてきた都道の難所“流し坂”の風景を、ご覧いただこう。




 現実感のない地形を、現実の道路が攻略する


2016/3/4 14:55 《現在地》

現在地は、流れ坂の登り口ににある池之沢自動車整備工場前の分岐地点だ。
この正面に見えるいきなり激しい登りになっている道が、流れ坂である。
分岐地点には都道を示すヘキサが立っている。

なお、探索の時系列としては、青宝トンネル旧道探索の第6回から続く内容となる。
先に一度ここまでは来ているが(そして“アオガシマヌコ”と出会った)、この先へ進むのは初めてだ。
これから私は流れ坂を自転車で登って外輪山の上にある村役場へ行き、今晩宿泊するキャンプ場の使用許可を得る必要がある。
現在時刻はまもなく午後3時なので、あまり寄り道をしている暇はないだろう。

登坂、開始!

が、登り始めた直後、私はまたすぐに自転車を停めてしまった。 なぜなら――





行く手に広がる
ダイナミックすぎる道路景観
に、魂を揺さぶられたから!

池之沢の丸いカルデラを取り囲む、一周約5.5km、平均比高約300mの壮大な外輪山。
池之沢から見上げるその山容は、円形闘技場コロセウムの観客席を思わせる、巨大な壁だ。
上に行くほど険しくなり、尾根付近には塔のような岩場がいくつもそそり立っている。
ここから外へ出る術はないと観念させるような、強烈な圧迫感と閉塞感がある。

しかし、足元から始まる流し坂が、この壁のような山容に独り立ち向かっていく。
厳しく険しい山腹を縦横に駆け回る道の格闘する姿が、面白いほど先まで見通せる。
なんと道の行先は、道が山の向こうに消える外輪山の頂上付近まで見えていた。

壁に挑み、征服する、孤高なる道の姿が、道路愛好者の魂を揺さぶった。




あすこに見ゆるが、その旧道!

凄まじい急坂であろうことが、既に予感できる姿をしている。

見えている道形の長さの割りに、落差がマジでハンパないから、間違いない。



時系列から外れるが、これは池之沢の別の場所から撮影した、正面から見上げた旧道の姿。
一つの斜面を何度も再利用して高度を稼ぐ、まるで折り重なるような九十九折りがよく見える。
青ヶ島には苛烈というべき九十九折りがいくつもあるが、その多くは既に道の役目を終えている。

この一連の旧道の長さは、地図読みで約450mあるが、この間に60mもの高度差を克服する。
ここから計算できる平均勾配は13%で、これは道路構造令が認める特例(12%)の上限をも超えた数字である。

この道に、今から突撃する。



景色と勾配の対応が的確すぎて、なんかレースゲームの作られた空間みたい。
カルデラにいる時は平坦、外輪山に取り付いたと同時に馬鹿みたいに登っていく。間のどっちつかずな部分がない、デジタルな道。

道だけじゃなく、それを取り巻く風景もゲームみたいだ。最近のリアルなゲームなら、このくらい表現できそうである。
プレイヤーに「凄い」と思わせたい、非日常の風景を体験させたい、そんな制作者の念が透けて見えるような風景。険しいくせに無駄に広いわけではない山なみも、山の向こうに単色の空しか見えないことも、作り物っぽい。




登り始めて約200mの位置より振り返った。もう20mは登ったろうから、1合目といったところか。

見下ろす景色は、山慣れた私にとっても全く尋常のものではない。
そこには内輪山と外輪山に囲まれた、池之沢のジャングルが広がっている。その所々には人が開墾した土地が見え、建物も疎らにあり、日中は働く人やネコがいるが、集落はない。今なお地熱に温められ、硫黄臭の噴気の漂うこのカルデラ底に、常住する人はいない。ここは島民共同の庭であり、畑であり、仕事場であり、島の出入口へと通じる道である。

そして、この写真が“部分”を構成している風景の“全体”を、写真のように小分けではなく一度に体験することになる旅人は、この辺で言葉を失うことになるのだ。
旅の前に、観光ガイドやネットのどこかで景色の予習した人でも、それは例外ではないだろう。無論私も。



(↓ ここから見下ろす風景全体 ↓)



はっはっはハハハ………。


テクスチャだけじゃなくて、ボーンからしておかしい。

だから、日本の見慣れた道路や建物や人やネコや車がそこにあっても、

いちいち違和感がある。数年も滞在できれば、これが普通になるのだろうけれど…。




なんとか“平凡”なものを探そうとすると、やはりこの辺になるのかな。
路傍の電柱。
これは日本中同じだろうと思いたかったが、ちょっとした謎を見つけてしまった。
上にあるNTTのプレートに書かれた文字、「流し坂」じゃなくて、「流しの坂」って書いてある。

『青ヶ島島史』などの大抵の文献は「流坂」と表記しており、都道のトンネル名は「平成流し坂トンネル」なので、読みは「ながしざか」だと思うのだが、「流しの坂」だとまた印象が違ってくるな。
そもそも、流坂という地名の由来が知りたいところだが、どなたかご存じないだろうか。




流し坂に限らず、この島の坂道の多くは、一度始まると平均勾配10%を下らない過激さで、終わりまで一気に続く。
したがって、自転車や歩行者はもちろんのこと、自動車にとっても過酷な坂道なのであるが、起伏のスケールそのものは、半径数キロの島に収まる限度があるわけで、何時間も延々と続くような心配はない。
それが分かっていることもあり、この島の坂道が私の心を折ることはない。この島を走るときには、過酷な坂道でも楽しさが先行することだろう。私はそうだった。

が! そこには落とし穴があるので注意して欲しい。
この島の坂道の途中には、しばし写真のような自転車のタイヤよりも大きな隙間を持ったグレーチング(蓋)が設置されている。
チェンジ後の画像は注意のためわざと車輪を落とし込んで撮影したのだが、高速走行中にこれをやると死亡する可能性が高いので、注意した方がよい。基本的に交通の便がアレすぎて年間観光客が1000人台程度のこの島は、自転車で走り回ることをあまり想定していないと思う。某島のように全島自転車禁止にならないよう、くれぐれも事故には注意したい。



15:04 《現在地》

登り始めて間もなく10分。
10%台中盤の過酷な平均勾配を、しずるしずると漕ぎ続け、進むことおおよそ500m。
まもなく、旧道の分岐地点となる。

写真は、ここまでの道のりを振り返った。
登り口である自動車整備工場の屋根が左下に見える。
また反対の右上には、最終的に越えるべき外輪山の切通しに吹付けられたコンクリートが見える。
両者の比高はほぼ200mで、「現在地」は下から数えて80mの高さだ。すなわち4合目といったところ。

旧道は、この4合目から7合目(海抜240m)までの比高おおよそ60mを、現道と別のルートで攻略する。




現れた。

これが現都道と旧都道の分岐であるようだ。
10%台の強烈な坂道の途中に、拡幅などの特段の配慮や遠慮もなく、唐突に分岐があった。

そして、どちらにも行先の表示はない。
まあ、島民ならば道を間違えることはないだろうが、正直言って直進の現道も平成4年開通とは思えないくらいには、現代的基準にそぐわぬ急坂路かつ1車線道路なので、部外者にはどちらもヤバそうにしか見えないかも知れない。

現道も気になる(後で探索する)が、さっそく旧道チャレンジを開始する!




?!?!



馬鹿だろこの角度!

旧道の入口の勾配、さすがに無理がある。

ヘアピンカーブの内側部分の勾配が尋常でなくなることは、この手の急坂道にはあることだが、
何度見てもやはり無理があると感じる。舗装してあれば道路の一部だというこじつけが過ぎる。
それでも現代の高性能な自動車は、この部分をも問題なく走破してしまうのだろうが、
おそらく自転車が踏み込めば登れないどころかウィリーしてひっくり返ることになるだろう。



路面が捻れている!

逆方向に登る旧道と現道がぶつかる部分は、
別方向の勾配がシームレスに合成されて、
複雑に湾曲した曲面路面になっていた。

でも、もしこうしなかったら、普通の車高の車も鼻を擦る羽目になるだろうからな。
アタマでは必要性を理解するが、実際に目にすると違和感を拭えない、異常な道路風景だった。

つうか、こうして別の場所から客観すると、現道の勾配もヤバすぎることに気付く。
危ない危ない。早くも青ヶ島の坂道に、慣れ始めてしまっていたらしい……。



旧道いくぞー!!

初っ端から、20%の大台にかかっているとみられる、自転車の限界を試すような坂道だ。

少し先に大きな落石が転がっているのも見えるが、意外なことに封鎖がない。

勝手に逝ってヨシ!