福島県道12号 主要地方道原町川俣線 八木沢峠旧道 第2回

公開日 2006.12.24
探索日 2006.12.11

これぞ王道! 峠の旧道

信号を無視する


 午前8時22分。
地図にも記載のない第2の旧道区間を、ラストは斜面の強引突破でどうにか完了。
写真左は、私が登ってきた斜面を振り返り撮影。 なぜかこの奧にもガードレールがあった。現道とは繋がっていない。

 相変わらず直線的な現道の様子(右)。
ここから800mほどは新旧道が激しく交錯しており、現道を行くしかない。
愛車の下周り、特にディレイラー周りに異常がないことを確かめて、ふたたび跨った。



 方向幕に「原町」とだけ表示した路線バスが坂道を唸りながら下っていった。
近年では路線バスの合理化も進み、山間部を中心に多くの無数の路線が運行を止めている。
このような峠道でワンマンバスを見るのも珍しくなった。



 現道のゆったりとしたカーブの外側には大概、古ぼけたガードレールが、雑木林の中に取り残されたようにある。
また、現道が山襞を暗渠でショートカットする場面にも、斜面に沿って崖を削った道の痕がある。
これらはいずれも旧道の痕跡だ。



 主要地方道として恥ずべき所など見当たらぬすばらしい道のように思えるが、まだ足りないと思う人もいるらしい。
看板の挿絵に雪道が描かれているところを見るに、全線にスノーシェードとロードヒーティングを施せば、確かに満足度は高まるに違いない。
一本隣り合った主要地方道仲間の「原町二本松線」が、未舗装・狭隘・急勾配の三重苦で“険道”の悪名高しなので、少しはあちらにも予算を…。



 穏やかな上りをしばらく走ると、何枚かの予告看板を経て片側交互通行の信号機が現れた。
私がここに着いたときには、すでに大型車を含め3台の車が停まっていた。
この先の法面で災害復旧工事をしており、今年いっぱい「待ち時間2分」の片交をしている。
だが、停止線のすぐ先にカーブした橋が架かっていて、これが事前に地図で確認しておいた旧道分岐の目印のようだ。



 停止線を越え、さらに赤信号へ近付いてみる。
私の注目は信号の向こう、橋の袂にそれらしい分岐があるかどうかと言うことである。

 案の定、未舗装の分岐が見えていた。
対向車が来ないことを目視で確かめ、信号を無視して10mほど対向車線を進む。
きっと後の車達は「交通法規を知らぬ自転車野郎!」といらだちを覚えただろうが、私はそんな命知らずではない。
あくまで用事があるのは…



 こちらである。



 理想的旧道 「旧道区間 その3」 


 ここから先の旧道が、八木沢峠越えの旧道のメイン区間だ。
多くの道路地図にも旧道が載っている。
だが、その現状を私は実際に訪れるまで知らなかった。
故に、この先で私は期待以上のものを得ることになる。

 皆様も期待して良い。
しがない里山の旧道だと思って、少しばかり舐めていた私だったが、すぐに見方を改めさせらることになった。



 8時32分、旧道の第3番目の区間へ進入開始。


 現道で余ったアスファルトを敷いたような鋪装はすぐに途切れ、旧来のものらしい幅広な砂利道が現れた。
そして、間もなく小さな流れを、それに見合った小さな暗渠で越える。
だが、この暗渠には立派な欄干や親柱があって、いっぱしの橋のようである。
小川へ下りて横から眺めると、その特徴は、よりはっきりする。



 顔みたいだ。

 ひどく老朽化し、ボロボロになったコンクリート。
小さな欄干が可愛らしい。

 前出『ふくしまの峠』には、「明治初期以降に2度の改良工事が行われた」とある。
その上で昭和52年の現道開通が3度目の改良だったわけだが、ここまで辿ってきた旧道に見られるコンクリート橋の状況や道幅から考えるに、2度目の改良というのは昭和の、おそらく戦前に行われたのではないかと想像する。



 行く手には強固なコンクリートの側壁が見えてきた。
そして、その遙か上に現道のガードレールが横切っている。
現道はもうあんなに高いところまで行ってる。
旧道に入ってまだ50mも来てないというのに、相変わらず現道は自由な曲線を描いて大胆に高度を稼いでいるようだ。

 この旧道をして私に「これぞ王道!」と唸らせた景色は、この先から始まった。



 コンクリートの側壁に促されるように、大きなアールのU字カーブをまわる。
しかし、そのそのいかにも山岳道路的な線形に反して、勾配は信じがたいほど緩やかだ。
そして、なんと広い道幅だろうか!
周囲は居心地の良い雑木林で、林道として乱暴に扱われなかったことが、旧道をいままで温存させたのだろう。
道路好きの心をくすぐる、素晴らしい景色だ。
嬉しくなった私は思わずチャリを停め、カーブの全体を見下ろせそうな高台へと駆け上った。




 いまでも僅かに轍が残された、旧県道。

おおよそ30年前までは、浜通りと中通りを結びつける貴重な車道として、この道が利用されていた。
おそらくは戦前に改良されてこのような道になったのだろうが、これほど大袈裟なカーブが必要とされた理由は分からない。
カーブの立ち上がり同士を直線で結んでも、普通の車なら易々と走れそうだ。
或いは林鉄跡を利用したのではないかと、そう考えてしまうほどの緩やかさだ。



 大きなカーブを2つ越えると、つづら折れを一段上った形になった。
この道は『7つの大曲りと23の小曲り』と形容され、ドライバーに恐れられていたという。
ここにあるカーブのどれが大曲りで、またどれが小曲りだったのかは分からないが、確かに、そんな表現がしっくり来る道だ。
そして、3つ目のカーブの手前の直線には、コンクリート製ではない土留めが現れた。
玉石練り積みだが間にはコンクリートが充填されており、昭和前半の建造っぽい。

 何度も同じことを言うが、本当に幅が広い。



 そして3つ目のヘアピンカーブ。
相変わらず緩やかだが、ここに来てようやく現実を目の当たりにした感じだ。
眼前の山肌のかなり高い位置にガードレールが見えており、当然峠はもっと上にあるわけで、生ぬるいまま峠までは行けぬだろう。
ちなみに、このガードレールを最初は現道だと思っていたが、あとになってこれも旧道だったことを知る。

 また、写真からは読み取りにくいが、ガードレールの手前にも、もう2本の道が見えていた。
右の画像にマウスカーソルを合わせて見て欲しい。

 「謎のライン」を 確認できただろうか?


 「謎のライン」は、いま走っている旧道のつづら折れの段と段の合間に横切る、まさに謎のラインである。
だが、それは明らかに道の跡に見えたので、チャリを停め、上って確認することにした。
謎のラインが道だとするなら、3つ目のヘアピンの外側にある、いささか広すぎる余地が関係するかも知れないと考えた。

 左の画像もカーソルで変化する。
ちょっと強引だが、もしこんなラインの道があったとしたら、それは斜面にある「謎のライン」に繋がるだろう。



 やはり「謎のライン」も道だった。
旧道よりは急で幅も狭いが、それでも車が十分通れる道、それ以外の何者にも見えない。
だが、それは旧道と異なり、少しの轍も残っていない。

 緩やかな山の斜面に刻まれた、絡み合うような大小2つのつづら折れ。
朽ち葉色の地表にくっきりと痕跡を留める様は、大昔の城跡や古墳のようである。
たかだか100年より新しい道路の跡にしては、十分すぎる風格がある。




 「謎のライン」に絞って追跡したところ、それは旧道と何度もぶつかり合いながら、大部分はそれと重ならずに別のシュプールを描いていた。(図中の青いラインがそれ)
また、旧道が少なくともこのラインよりは「新しい」ことも分かった。
高低差を持って両者が接触する部分では、必ず旧道が勝って、ラインを打ち消していたからだ。

 おそらく…、
かなりの確信を持って、このラインは「旧旧道」である。
明治初期に改良されたという、八木沢越えとして初めて車を通じた道の断片が、この「謎のライン」の正体であろう。



 謎のラインから見下ろす旧道。
パノラマでお見せできないのが残念だが、周囲をぐるりと取り囲むように旧道が通っている。
忍び寄る寒さから我が子を守り、老いた道を慈しむため、その葉を落とした初冬の森。
雲間の光が地表に届くと、くすんだ落ち葉にも、少しだけ緋色が甦った。
私にとって八木沢峠が忘れられない道になった、そんな光だった。



 余りの気持ちの良さ(想像して欲しい、初冬の冷たい空気、すっきりと葉を落とした林、私だけの旧道風景、そこに射し込んでくる朝日)に、私はしばらくチャリに戻らず、じっくりとこの道を味わった。
写真を撮ったり、木に寄りかかってみたり、ぷらりぷらりとした。
三方を慌ただしい現道にとり囲まれながらも、温存されてきた旧道と旧旧道。

 正統派を通り越し、理想的とも言える旧道の景色だった。



 数分のインターバルを置いて、再びチャリへ戻った。
この第3の旧道区間には大きな6つのカーブがあるが、いまは3つ過ぎたところである。
そして、すぐに4つ目のヘアピンカーブが見えている。
ゆったりとしたつづら折れで、確実に高度を上げていく。
そして、いよいよ勾配が増し始めるのはこの辺りからだ。



 滑り止め用の砂を入れるドラム缶。
路傍にそのまま残されていた。
これとよく似たものを現役で使っている場所も、この辺りでは結構見かける。
ちなみに中は空だった。

 これを見ながら、4つ目のカーブを曲がる。



 またも気持ちの良い直線である。
そして、先ほど探索を終えた謎のラインこと、旧旧道が左にぶつかってきた。(写真にも写っている)
旧旧道はこの旧道上に小さなヘアピンカーブを描いて方向を変えていたようだが、更に上へ続く道形は、ここからは見えなかった。
しかし、上っていくことでやがてはそれも明らかになった。

 静かな旧道であるが、周りをぐるりと現道に囲まれているので、ときどきエンジン音が紛れ込んでくる。
それがまた、生きた峠の旧道らしくもある。



 障害となるものもなく、すんなりと5つ目のヘアピンカーブへ辿り着く。
だが、行く手の道は、まだかなり高くに見えた。
斜面を横切る白いガードレールがとても目立っていた。
初めに見たときには現道だと思っていたもので、ここまで来て初めて、現道だったら確実にあるだろう路肩の補強や車通りがないことに気付いたのだ。

 また、このカーブの外側に、カーブの接線に直角な方向へ分かれていく小道を見つけた。
旧旧道にもあたらぬ位置で、不思議に思い少し辿っていくと、それは現道の真下にある砂防ダムで行き止まった。
どうやら砂防ダムの工事用に造られた仮設道路らしい。
そして、この砂防ダム工事が、公式による最後の旧道利用だったかもしれない。
このカーブの先で、微かに残っていた轍が消滅した。



 訪れた時期も幸いしていた。
葉を落とした雑木林は視界の通りが良く、地形の細やかな起伏も確認しやすかった。
路傍に立って、いま来た道を見下ろしたこの写真には、旧道や旧旧道が遠くまで写っている。
マウスカーソルを合わせてみて欲しい。

 なお、写真ではどうしても分かりにくいという、あなた。
片目を瞑って見てみると、少しだけ立体感が増して分かり易いかも知れない。



 呆気なく6つ目のヘアピンカーブへ辿り着く。
枯れた森の茶色と、ずっと変わらぬガードレールの白さの対比が、奇妙だ。
道の勾配は初めの頃の馬鹿みたいな緩さではなくなっているが、おそらくこれでも現道より緩やかだろう。
自転車でも全く苦労なく上ることが出来た。(路面はやや荒れ始めているが)



 相変わらずの道幅はそのままだが、ムチのようにしなやかな木々が生育を始めている。
写真で見る以上に通れるスペースは少なめで、しかも路面を横切るように水気の多い場所があって、タイヤを取られる。
踏み跡が無く、道幅が広すぎることもあって、どこを選んで通ればいいのか分からない。
分からないので、とりあえずチャリから下りて、身を低くしてやり過ごした。

 遠くには今度こそ現道が見えた。
決め手はガッチガチに固められた法面の灰色だ。
現道の周りだけ植林されたらしく、こんもりと杉林。
もし全山があんな植林地だったら、この素晴らしい旧道も全く別の印象になっていただろう。



 6つ目のカーブを越えると、現道との再会までは残り250mほど。
つづら折れはひとまず終わる。
路面状況に暗雲が立ち籠め始めていた旧道だが、ここで突如凶相を見せる。
路面にどっさりと積み重ねられた、巨大な岩石の山!
どこを通れというのか?!

 いや。
どこも通るなということか。(妙に納得)



 だが、残りはわずか。
引き返せるわけもなく、またこの程度の障害物で引き返す理由もない。
こんな時に身軽なのはチャリの良さ。持てるからね。

 こんもりと盛り上がった旧道敷き。
明らかに、自然の所作ではなく残土捨て場に使われてしまった様子。
折角の美味しい旧道が、道として尻切れトンボなのは勿体ない。
東北屈指の美しい峠道だと思ったのに。
もっとも、季節を誤れば決して楽でもないようだ…
(夏の様子は『dark的道部屋』さんにありマス)



 さて、まいどお馴染み、やって参りました、モーソン
あなたの隣に、MOWSONです。
キャッチコピーはもちろん、「あなたの穴のほっとステーション」ですが、穴でなくても出張サービス。
ただ今実施中の「2006年山行が読者アンケート」にて、復活の要望を多数頂きましたので、晴れて登場して参りました。
モーソンです。


 懐かしのペプシ瓶と、森吉などでもお馴染み、アサヒビールゴールド、あと初めて見る「ジョージア BLACK 加糖」です。
ブラックやのに、加糖……。
これ、イタダキですね。
発注しておきます。はい。


 こんな状態になってしまった道にあまり興味もそそられず、本来の路面が埋もれているのでは新しい発見も期待薄と言うことで、さっさと通過したいところ。
だが、落ち葉を被った瓦礫の山は実は安定しておらず、踏むとゴロゴロがらがらと崩れたり、がたっと動いて大変。
仕方なしにガードレールの近くで少しでも路盤が残っているところを選んで進む。
勾配もこの辺りは結構厳しめで、ここまで緩やかだった分を一気に取り戻そうというわけだ。



 いくぶん鮮度は落ちているが、香ばしい香りを漂わせる黄色い果実。
表示されたサインは、落石注意だ。
落石の区別も付かなくなった路面には、森が健やかに育ちつつある。
或いは意図的な廃道化工事だったのかも知れない。




 最後には落石防止柵も健在だった。
しばらく進んで路面の膨らみが無くなっても、灌木が茂る路面は大層歩きづらかった。
チャリの駆動部分がまず、色んなものに引っかかる。



 ここまで800mと少々。
距離の割りに満足度の高かった第3区間。
最後の方はちょっとアレだったが、全般的に走りやすかったのも好印象。
現道のアスファルトに遮られ、ここで終了となる。
時刻は9時を少しまわっており、所要時間は約30分だった。





しかし、私に休息の暇は与えられなかった。
車達が駆け抜けるアスファルトの対面に、早くも次の旧道が口を開けていた。
いよいよ八木沢峠へ直通する、最後の区間だ。


次も、魅せます!

MOWSONも出るよ。