昭和52年の現道開通までは、「阿武隈高地最難所の峠」と綽名され、恐れられていた八木沢峠。
だが、廃止後30年を経た旧道を訪れてみると、それは道幅も十分広く、整備さえすれば現代にも甦りうる立派な道の“跡”だった。
にもかかわらず難所と喧伝されていたのは、それだけ広く多く利用されていた峠と言うことなのだろう。
巨大な道が、いまや全く見棄てられ、落ち葉と枯草に埋め尽くされていた。
峠までもう200mほど。
現道によって途中で分断されてはいたものの、合計10連のつづら折りも、このカーブで終わりだ。
そして案の定、このカーブにも外に広い余地があるが、そこには見るからに異質な岩が…。
崩れてきたようにはとても見えない。
よく観察すると、その表面には人工的に破断された痕跡があり、この白い岩の一群はみな何処かから持ち込まれた庭石であることが判明。
おそらくは業者が棄てたのだろう。
持ち帰ってもバレなそうだし、まったく価値のないものでもないと思うが、その労力に見合うかと言われれば…。
また、ここには他に第3区間でも見たドラム缶(滑り止め砂置き)が、朽ちて地面に埋もれかけていた。
さらに、ここまで殆どゴミの見られなかった旧道に、なぜかここから大量の空き缶が発見され始める。
この片寄り方は自然ではなく、おそらく空き缶をまとめて捨てる輩がいたのだろう。
空き缶ゴミ如き、わざわざ廃道に隠すように捨てる必要もないと思うのだが。
ともかく、捨てられた時期もかなり前のようで、初めて見る「雪印コーヒー」(パックの奴なら皆さんお馴染みだろう)や、「DYDO アメリカンコーヒー」の250缶(350はいまも販売中)が、まず目に付いた。
雪印の“顔”が良いね!
これも滅茶苦茶甘い味付けなのに、缶だと言うだけでちょっとだけ苦そう。
私は久々の大収穫の予感に、思わずチャリをほっぽり出し収集に徹した。
写真のように集まるまで、1分とかからなかった。
他にも無数にあったが、とりあえず目に付いた範囲&綺麗なものを中心に、
『2006 Yagisawa Drink Selection
Presented by MOWSON』
の、開幕である。
右下から順に。
Drinkナンバー1番、「コカコーラ ファンタオレンジ」 (レア度★☆)
廃道品の定番。レアとは言えないが、安心感がある。グレープより発見例が多いのは、やはりみんな私と一緒でオレンジ派なのか?
Drinkナンバー2番、「Nippon ? つぶ入りオレンジ」 (?)
「つぶ入り」と聞いただけでもう懐かしい。今回もつぶ入りは2商品がノミネートされているが、メーカー名が不明で残念。レアさも不明。
Drinkナンバー3番、「農協 ピーチネクター」 (★★★)
ピーチネクターも懐かしいドリンクの代表格だが、お馴染みなのはやっぱり不二家製。これは珍しい農協の製造。
Drinkナンバー4番、「ペプシ パティオコーヒー」 (★★★★)
ブランド自体が既にないパティオ。76年発売で97年頃に無くなったようです。味は不明。
Drinkナンバー5番、「コカコーラ ファンタレモン」 (★★★★★)
キターーー! 58年に販売開始されたファンタシリーズでは初めての新フレーバーで、74年販売開始。だが、その後は関西限定になったり紆余曲折し、一部では「幻の味」とまで言われていたファンタレモン。最近復刻されたのは、まさにこの74年ファンタだそうです。呑んでみたかった!
Drinkナンバー6番、「HONIHO パイン」 (ぁゃιぃ)
ブランド名が初耳。調べてみると、缶詰業界ではわりとよく知られた(株)宝幸のブランド名らしい。いまはジュースは造ってないようだ。
Drinkナンバー7番、出場辞退
顔が見えません(涙)
Drinkナンバー8番、「コカコーラ ジョージアオリジナル」 (☆)
廃道品の定番中の定番。帝王。絶対ある。やっぱりこのパッケージは良かったよね。まだ缶には「商標登録出願中」となっています。
Drinkナンバー9番、「●村屋 つぶつぶオレンジ」 (?)
こちらもメーカー名が一部読み取れませんでした。デザインが旨そう!つぶオレ俺もの飲みたい!
Drinkナンバー10番、出走除外
誰だよお前。
Drinkナンバー11番、「エステー化学 シャルダン」 (弱燃性)
ごめん。これ消臭剤だね。拾ってから気付いたわ。
優勝は、果たしてどのDrinkの頭上に輝くのか。
ん? …どうでもいい?
…はい。
Drink漁りの興奮醒めやらぬまま、峠への最後のストレート(まあ微妙に曲がってますが)に突入。
相変わらず路上の様子は廃道そのまんまで、流水による洗削によるものかはたまた路肩落壊の前兆なのか、轍以上に深く路面が抉れている。
近くには「落石注意」の標識が一本、まだ残っていた。
見下ろすと、ちょうど私が一番気に入ったヘアピンカーブ(3番目のカーブ)の真上に来ていた。
巨木の森に、未舗装かつ2車線分の幅を持つ道路の痕跡。
実際の古さ以上に古く感じるのはなぜだろう。
一見して未舗装には不釣り合いな広さが、古代の官道とか、そんなイメージを想起させるからか。
おそらく心配無用だと思うが、この道がこのまま末永く“放置”されることを願う。
気付けばもう9時半をまわっている。
出発から2時間も経っている。僅か5kmくらいの道のりだったのに。
疲労感を少しも感じることはなかった。
この峠が、思いのほか密度の濃い体験をさせてくれた証しだろうか。
だが、その楽しい時間も、間もなく区切りを迎えそうだ。
これまでずっと片勾配の斜面に取り付いてきた道が、堀割りの形に変化していく。
起伏の裏側に空の色が直に見えた。
次のカーブの向こうに待ち受けている景色は、まず間違いなく…。
終わりを悟り、名残惜しき峠路を振り返る。
現道の騒音もここまでは届かない。
静かな森の、極広廃道。
幾重のつづら折れを重ね、ようやく峠に辿り着く。
新緑や紅葉のシーズンに、また来たいと思った。
そのとき、私は足下に中身の入ったままのビンが落ちているのに気付いた。
落ち葉に半分埋もれていたが、それま紛れもなくDrinkだった。
しかも… なぜか未開封。
これは80年代に一世を風靡した「PLUSSY」だ。
♪CCCCビタミンC〜、CCCCプラッシー♪
プラッシーは武田製薬が92年頃まで米穀店を中心に販売していた機能性飲料で、色々なフレーバーがあったらしい。
重みのあるビンを手に取ると、琥珀色の内容物に混ざってやや白い沈殿物が認められた。
だが、大部分は透明さを保っており、ちょっとオイシソウ…。
手にひんやり来るビンの感触…。
う うう う〜〜
うあ…
落ち葉の底には、実はたくさんのプラッシー達が隠れていた。
…しかーも、 全部…未開封・・・。
プラッシーアップル……。
な、なんだって!…
いま調べたら、プラッシーにはアップル味なんて無いぞ…。
あったのは、“サワーアップル”味のはず……
ま、まま、まさか… …そんなー…。
異様な光景に思わず後ずさった足下には、
さらに巨大な「中身入りドリンク」が!
おっ …おえっ。 でかい。 きもい。ラベル付いてない。
な、なんなんだ。 ここは…?
ラベルのない、1リットルクラスの中身入り巨大ドリンク。
未発売のフレーバー中身入り…。
私には、そこを黙って立ち去る以外に何も出来なかった!
気を取り直し、行こう。
峠は目前だ。
行く手の一角に、V字型の大きな切れ込みが見えた。
そこに、深い掘割りの景色が約束された。
峠に迫るといつも感じる、この安堵感と緊張感の入り交じった不思議な感覚は何だろう。
安堵は道半ばを越す事に起因するのであろうが、緊張感というか、「襟を正したいような」神妙な気分も、峠は間違いなく惹起する。
ここで峠というものの精神的な意味合いや作用について述べることは、私の力量を大きく越えるので避けるとしても、ともかく我々オブローダー、あるいは旅好きの人にとって、峠は特別な気風を及ぼす場所だと思う。
私の場合もまた、峠を意識したときから徐々に湧き上がり、進むにつれ増幅される興奮は、いざ峠に達すると事で、ガッツポーズや笑顔、時に奇声や絶叫などとして具現化される。
どこか厳粛なムードに包まれた、深い掘割りが現れた。
こちら側からだと見通しが悪く、しかも急な登りとなるせいか、「警笛ならせ」の標識が残っていた。
いま、峠に立つ。
午前9時40分 着。
直前まで片側の法面を石垣が覆っていたが、肝心の切り通し部分は、全て素の崖であった。
流石に崩壊が進んでおり、残った路盤もU字型に変容しているが、これだけ深い堀割りでありながら、道幅自体に妥協が見られない点に着目したい。
明治の三島通庸もかくやという、昭和の素晴らしい堀割りである。
その深きゆえ、朝の冷気も発散せず残っていた。
あるいはそれは、露出した岩盤から沁みだしてくる地の冷気であったろうか。
むむむ。
堀割の端っこに半ばまで土砂に埋没した標識を確認!
私が登ってきた側からだと裏になっており、まだその顔が見えない。
その死に面を…いざ、 いざいざ拝見!
一旦停車 ブレーキテスト
?!
お、おおお
ぅわー!
峠へ辿り着き、いまから10連続ヘアピンへ下ろうとするドライバーに対しての、前代未聞の要請が、この一枚の標識にはしたためられていた。
こんなもの、見たこと無い!!
そもそも、道路標識の形をしてはいるが、内容は完全に規格外!
これには、流石に興奮した。
昭和52年頃まで現役だった道であるが、おそらくこの標識が対象としていたのは、もっと古い時代の車達だろう。
昔の車はブレーキの性能もいまより低かったろうが、まさか下り始める前に停車してブレーキテストをせよとは?!
ここでドライバーは車を一旦停めて、ベダルの踏み込み具合をチェックしなさいと、そう言うことなのだろう。
ブッ飛びである。
そして、この峠が、当時本当に険しい道のりと認識されていたことが、はっきりと示されたのである。
こんな標識がまさか、現存していようとは……!
気持ちいいくらい、地図で見て予想していた通りの光景が、峠の先にはあった。
阿武隈高地へと上る、片勾配の峠。
峠の両側で、景色から感じる高度感というものが全く違っていた。
私が登ってきた太平洋側、原町側は、流石に平地から10kmもの道のりを上ってきただけあって、その標高にも見合った“空”の広さを感じた。
一方、これから下ろうとする飯舘側には、殆ど下りなど無いのではないか。
すぐそこには、峠よりも高い丘のような山が見えていた。
少なくとも、ブレーキテストの必要は無さそうである。
この峠には易々と離れられぬほどの魅力があった。
私は一旦は鞍部を乗り越えたが、すぐにチャリを停めた。
あの深い堀割りを、その上から見下ろしてみたいと思ったのだ。
比較的傾斜の緩い場所を見つけて、堀割りの南側斜面へと登った。
堀割りは進むにつれみるみる深くなり、間もなくその縁に近付くのに恐怖を感じるほどになった。
一般に、堀割りを登るとその上にそれより古い時代の峠が現れるということがあるが、ここでもそんな展開を期待しないわけではなかった。
だが、八木沢峠と呼ばれる峠は、明治初期に車道が拓かれるまで、この北方1キロほどの山中にあったものという。
当時は相馬から八木沢へと登ってくる街道に八木沢峠はあったのだ。
明治以降の峠が原町を起点としているのとは大分異なる。
そのような事情もあり、古道の痕跡が発見される可能性は低かった。
だが、収穫がなかったかと言えば、そうではない。
収穫の一つが、峠の堀割りは二階構造になっていたという発見だ。
右の図のような地形を私は確認したのである。
左の写真では、私の立つ位置から4mほど下方に、白い雪が目立つ平坦部が見える。
そして、その先で更にガクンと落ち込んで旧道の路面となっているのが分かる。
2段合わせると15mを越える高さがあり、恐怖を感じるのも無理はない。
この不思議な地形は、単純に堀割を2段階の施工で掘った結果かも知れないし、または、第3区間でその痕跡が確かめられた旧旧道の遺物である可能性も捨てがたい。
少なくとも、旧旧道はこれほど深い堀割を用意しなかったはずだ。道幅も道幅であるし。
また、もう一つ発見があった。
これは、おそらく旧道とも、旧旧道とも無関係なのだが。
写真中、左手前から右遠方に向かって、一直線に堤のような地形が見えるだろう。
これも謎の存在である。
周囲には営林署で打ち込んだらしい赤い杭やドラム缶の残骸もあって、また杉の植林地も近いことから人が入っているのだろうが、この防塁状の地形は、上に大きな木が生えていることを見ても新しくない。
また、この防塁状地形は見える範囲にはどこまでも続いていた。
掘割りの端から始まり、稜線上にある550M峰の頂へ向けて、急斜面もお構いなく直線的に続いているようであった。
この姿は道と思えず早々に引き返したが、果たしてどこまで続いていたのだろう…。
また、堀割りの反対側はどうなっていたのだろうか?
地形図では、このラインに一致する歩道の記号が書かれている。(最新版にもある)
だが、私が見たものは道の痕跡などでは断じてないし、他に混同されるような道はなかった。
点線は南方へと何キロも稜線(郡界でもある)をなぞって描かれているが、この土堤も同じように続いているのだろうか…。
またほかに、旧道とは別の道形を発見したが、おそらくこれは、林業用の作業道の名残だろう。
土堤とぶつかる箇所では、土堤が崩されていた。
私は、この小道を辿って八木沢へと下っていった。
チャリを峠に置き去りにしたまま。
跳ねるようにして薄雪の道跡を下っていくと、すぐに砂利道に突き当たった。
この道がなんなのかは、胸ポケットの地図で予想が付いていた。
この砂利道は旧県道ではない。ただの林道である。
チャリの元へ戻るべく、右折した。
すぐに通行止めゲートが現れたが、私は通行止め区間内から外へ出る方向だ。
脇をすり抜け、この“見えないT字路”を右折する。
勘の良い方ならお分かりの通り、ここが旧県道との合流地点である。
元々は、県道からゲートのある林道が別れていたのだろう。
しかし、ここより左折して八木沢へ下りる旧道は林道として現役だが、峠へと右折する道は、さっそく廃道になっていた。
上の写真は、閉まっている林道のゲートを右フレーム外に置いて、正面の薮が峠へ向かう旧道である。
なぜかロープが張られており、そのせいでむしろ旧道の存在があからさまになっている感じがする。
どちらにしても、ここから僅かな区間は薮が深く、棘のある植物も多く茂っているため神経を使わされた。
しかし、峠までは200mも離れていないだろう。すぐだ。
深い薮を乗り越えて(写真左)、愛車の元へ帰還。
時刻は9時58分をまわったところだった。
即席では解明することの出来なかった謎を残し、峠を後にする。
冬住林道という道の一部となった旧県道。
その道幅だけが、ただの林道ではないぞと、訴えているようだ。
勢いが付く下りでは、この短い下りは尚更短く感じられた。
行く手に牧草地が現れて視界が開けると、同時に車が頻繁に横切る道も見えてきた。
それは、やはり切り通しの峠を越えたばかりの現道であった。
午前10時01分。
旧道第4区間も終え、これにて八木沢峠旧道攻略は完遂された。
新旧道がT字路でぶつかった地点から下る方を見ると、そこには長閑を絵に描いたような八木沢集落の姿。
本当に、峠と集落はすぐ傍だった。
空は再び薄雲に覆われつつあったが、思いがけぬ収穫を幾つも得た私の心は、とても晴れやかだった。
かつての阿武隈高地最難峠
八木沢峠
山チャリは いつも心に ブレーキテスト